②マダム:篠田清子 様 一億七千八万円クラス


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【ご本人情報】

 篠田清子様。初のご利用。事前確認用紙の本人情報欄は空欄が多いものの、「美」に対するこだわりは事細かに記載されている。

 希望はフレンチコースで、予算は八千万円まで。

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 篠田様は、栗色のベントレーからきらびやかにご登場なさいました。

「ようこそいらっしゃいました、篠田様」

「ごきげんよう。それと、あてくしのことはマダムとお呼びするざます」

「失礼いたしました、マダム」

「ほら、もも。ももー」

 マダムに駆け寄ってきたのは一匹の、ごくごく小さなチワワです。

「そちらは」

「借物のチワワざます。あてくしほどの身分にもなると、もう服飾だけの飾りでは殿方に認められないざますから、大体毎回一日五百万くらいの、手頃なものをレンタルするざますね。ももと言うざます」

 大扉を潜りながら、マダムは借物であるももの好き嫌いや仕草の華麗さなどを事細かにご説明くださいます。

「こちらが廊下となっております」

「まあ、なんざますかこれは!」

「如何でございましょう。美をこよなく愛するマダムの為、世界中からよせ集められた究極の芸術品の数々で」

「雑多ざます、それぞれが、殺しあってるざますよ!」

「は、はい?」

「ダメダメざます。あんたは総額二十億円の三重奏を聴きながらピカソの絵を正面に、極上のワインと料理を食べたことがあるざます? 美術品は、少なくともひとつの視界にひとつであるべきざますわ。人間がこれほどの傑作を、一度にまとめて干渉するのは、もはや冒瀆に値するざますわ」

「申し訳ございません。それでは……、その、広間で少しばかりお待ちいただけますか。食事処の調整をしてまいりますので」

「ふん、できるだけ早くすることざますね!」

 マダムは美をこよなく愛するあまり、通常の富豪への対応では満足のいく体験にはならないと今わかりました。私はマダムの待ち時間を三人のボーイに任せて、ルカと共に食事処の美術品数を絞りました。

「お待たせいたしました」

 ボーイたちには退くよう手で合図をしながら、マダムを席へと招待いたします。あたりを見私はしますが苦言を呈されることは無かったので、何とか食事処の美は及第点を頂けて様であります。

「まず、こちらが本日のメニューにございます」

「マーブルざますか。まあ、意外性だけってことではないざますね。結構ざます」

「では、さっそくコースが始まります。まずはお水、〈ドゥ・ロー・ペティヨン・ドゥ・ル・モン・エベレスト〉――ヒマラヤ山頂の雪解け炭酸水でございます」

「良い響きざます。口当たりも程よいざますね」

「カフェイヨの登山隊が採取した、山頂の雪解け水のみを使用しております。最も天に近い甘美な味を、お楽しみください」

「まあ、でももういい香りがするざます。じらさないで、早く次をお出しするざますよ」

「では」

 運ばれてきたのは、ドーム状のフードカバーに隠された本日の一品目。かぐわしい香りが部屋いっぱいに広まっています。

「こちらオードブル、〈黄金比オウムガイのア・ラ・ジャポネーゼ・ポアレ ヴァン・ドゥ・ブロンクリームソースとほうれん草のソテーを添えて〉でございます」

「まあ」

「オウムガイはその希少性と、殻の断面が黄金比になっていることで知られております。黄金比オウムガイは、カフェイヨが独自に捕獲したオウムガイの中でも最もその殻の対数螺旋が黄金比に近いものにございます」

「これは、貝ももちろん素晴らしいざますが、ソースにワインのほのかな香りがするざます。でも、飲んだことがないざますね」

「はい、それで当然でございます。こちらのソースはカフェイヨオリジナルブランド、ヴァン・ドゥ・ブロンブロンのワインでございます故」

 私はマダムの感性をけがさないよう、できる限り上品に注ぎます。白よりの赤といった色のそのワインが口内になだれ込んだとたん、マダムは浅く息を吸い込みました。

「トレビア~ンなヴァン!」

「こちら、原材料はブドウではなく、ブロンでございます」

「何ざますか! それは!」

「ブロンはカフェイヨが独自に生み出した果物で、ブドウとメロンのあいのこでございます。ブドウ一粒ほどの小ささの実が、メロンの様に一株につきわずか一つしかできないものです。聞いただけでは残念な品種と思われるでしょうけれども、その味はこの通り、絶品なのです」

 説明の間にももう三杯目を飲み干して、ようやくマダムは落ち着きを取り戻しました。黄金比オウムガイへの熱は、とっくに冷めているようです。

「まさに芸術。まさに美しい。これが美食ざますよ! 確かにオウムガイも美しいざますが、料理には、味の美しさも必要ざます」

「それでは、次の品もお気に召されると光栄です」

 運ばれてきたのは全く持って透明なスープでした。

「ポタージュ、〈限りなく透明なバイカル湖のような、鶏とキノコと香辛料によるブイヨン・ドゥ・ヴォライユ〉でございます」

 マダムは一口すすると深くうつむいて、よくよく味わいます。

「これだけ澄んだスープで、よくこんなにも濃厚な風味や味を出せるざますね」

「はい。風味は通常のスープと同じか、あるいは少し濃いくらいですが、そこから油分やタンパク質を十ナノメートル単位で濾して仕上げられました。場合によっては数か月という限りなく長い時間の中で濾過された究極の透明度は、このスープを約五十メートル分の厚みにしてすら、光源が底まで通るほどです」

 説明のさなか、マダムはこのスープをなにか固形物と味わいたいとお思いになったのか、手でその意思をお伝えになられました。私は急いでその意思を向こうに伝えると、すぐさま二品が運ばれてきます。

「こちら、ポワソン魚料理は〈純白ホワイトアスパラと純白エイヒレの純白グラティネ~純白山芋を入れて~〉でございまして、アントレ肉料理は〈餌までこだわりぬいた特選スーリール牛のトリュフ尽くしロースト 黒スライストリュフと白トリュフオイルとオータムトリュフソースで着飾って〉にございます」

 どちらも口にすると素晴らしい味わいが口の中で三重奏を奏でたらしく、マダムはしばらくの間何も言葉は発することがありませんでした。ここは絶好の説明ポイントです。

「純白グラティネは、先ほどのスープについで、色にこだわりぬいた品でございます。カフェイヨ独自の品種改良の末誕生した一切の色がないアスパラ、山芋を、厳選したエイと小麦、バター、チーズ、塩などと調理して作られます。色は全く統一されているのに味はしっかりとして、さらに触感の違いが面白い逸品です」

「クリーミーな味わいとエイの触感が、なんだかムンクの絵を見ているような気分にさせるざます」

「そしてトリュフ尽くしローストに使われております特選スーリール牛は、まずカフェイヨが所有しております、フランスのカフェイヨスーリール特許牧場で一から育て上げられた個体です。完全にストレスフリーな自然を再現するため一頭につき6000㎡もの敷地を確保しております。さらに餌には糖度二十以上のトウモロコシや、栄養価の非常に高い、ネパールドルポ地方の高地大麦を与えています。笑顔スーリールの名の通り、ここで育てられた牛は幸福のあまり笑みを浮かべることからそう名付けられております」

 感想の代わりに、マダムは私に向かって笑顔スーリールをこぼされました。これ以上の評価は、もはや存在するとは思えません。


「それでは、そろそろお口直しをお運びいたしましょうか?」

「そうざますね」

 しばし料理と美に浸って恍惚の時をお過ごしになったマダムですが、そろそろ一区切りをつけてしまわないと、マンネリ化してきてしまいます。この口直しは、カフェイヨを飽きさせないためのものでもあるのです。

「こちらソルベ、〈ヴァン・ドゥ・ブロン仕立てのロワイヤル・グラニテ ヴェルサイユの空気をまとわせて〉でございます」

「ヴァン・ドゥ・ブロンざますか! 素晴らしく美しいざますね。何というか、真の美というのはこのように、目立たないことざます。ちょうど、大衆スーパーのBGMや、校長先生のお話のような」

「はい、お眼鏡にかなったようで、何よりでございます。ただ、これはまだ未完成にございます。少々お待ちを」

 私は配膳代に釣りさげられていた一つの容器を手に取ります。

「このソルベはカフェイヨブランドの、素晴らしく上品な甘さを持つ「素人のエフォール糖」をヴェルサイユ宮殿に降り注いだ雨水に溶かしてロワイヤルシロップとし、そこにヴァン・ドゥ・ブロンを混ぜ合わせることで、上品なまろやかさを演出しております。そしてさらに、料理名にあるように、ここへヴェルサイユの空気を」

「成程ざます……」

 見えやすいようマイナス五十度に冷やした空気を、ソルベのうえに解き放ちます。

「最も視界の邪魔をせず、常に美しくいたのは空気だったざますか!」

 マダムは感激しながら一口食べると、唐突にたちあがって私の手を握りました。その手は非常に固く、もう富豪だとか身分が高いとか、そういった概念は一切ありませんでした。ただ、感謝に打ち震えた故の行動だったのです。



 マダムがお帰りになった後、私はカフェイヨの最奥部に位置する黒檀の大扉をノックします。

「失礼いたします」

「アントワーヌち~ん、どうしたのよお。まだ今日は後お一人、ご来店の予定でしょ」

 支配人が、いつもの捉えどころのない調子で問いかけます。

「はい、ただ、先ほどの篠田様から、ひとつ苦言が」

 支配人の顔が一気に固くなります。気のせいでしょうか、のどぼとけが少しだけ目立ってきたように思えます。

「篠田様は非常に芸術・美術を愛するお方でして、私は廊下の美術品をいつもより奮発して展示いたしました。ところが、それは多すぎると。一度に見られるのは、一品だけとおっしゃられておりました」

「そうね、確かにその通りだわ、アントワーヌちん」

 しばらくは、支配人から言葉による応答がありませんでした。なので先ほど投げかけられた、「その通り」という言葉を解析しようとしたとき、

「でも、あたしたちが相手をするのは、全員篠田さんのような、美術博士じゃないの。富豪たちの大半は――残念だけど、数の多さや表面上のきらびやかさで心を動かされる。あなたもわかるわよね? 絵画を”耳で選ぶ”ような連中よ」

「カフェイヨは、それでも、富豪お一人お一人に対して適した極上のサービスを差し上げるのでは無かったのでしょうか」

「ええ、でも、篠田さんの意見を聞けば、大多数の富豪が不満を覚えるの。一人の極上を取るか、多数の極上か。そういうことなのよ」

「はい。よく理解しています」

「うん、まあしっくりこない部分もあると思うけど、富豪相手の商売って、そういうものだから。割り切ることね」

 私は深く礼をして、部屋を後にしました。とりあえず、次が今月最後のお客様です。考え事は、その後にいたしましょう。








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