①会長:吉田賢司 様 一千二百万円クラス


「宮仕さん、こちらです」

「ルカ、ありがとう」

 大友ルカは私直属の部下です。十三と言う若さながらボーイのなかでもトップの好印象を誇る彼が、本日一人目の資料を私に手渡してきました。

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【ご本人情報】

 吉田賢司様。某大企業の会長で、海鮮好き。とにかく美味なものを求めて日々高級料理店を食べ歩くグルメ。希望はイタリアンコースで、予算は一千五百万円まで。

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「料理人たちは、何と言っていますか」

「はい、準備は万全、と」

「よろしい」

 服のほこりをチェックしながら、私は大広間を抜け、長い長い廊下を歩き、入り口の大扉へ向かいます。脇に飾られた美術品に見とれている暇はありません。


「やあ、アントワーヌ! いやね、今日は本当に楽しみで、昨日はあまり眠れなかったんだよ」

「お元気そうで何よりでございます、吉田賢司様」

 吉田様は、黒塗りのベンツのドアが開いたかと思うとすぐさま駆け下りて食堂の扉の前まで小走りでお越しくださいました。よほど、本日のお食事を楽しみになさっていらしたのでしょう。

「イタリアン、久々だ。俺はだな、最近フレンチにはまってたんだが、この前ふとイタリアンが食べたくなったんだ。それで、ちょいとカフェイヨのイタリアンはどうなのかと思ってね」

 本日で計三回目のご来店となる吉田様は、もう廊下に飾られた絵画や彫刻、広間の金時計などには目もくれず、さっさと予約された部屋に着席なされました。私は御影石に文字を掘った「本日のメニュー」を差し出します。初見ならたいていの方は必ず驚かれるそれにも見慣れたもの。私はそのことを見込んで、グラスに水を注ぎます。

「こちらは飛脚の天然水でございます」

「飛脚」

「ここから約二百キロも離れた山から湧き出る天然水を、タクシーや電車、トラックなど一切の移動手段を使わずに現代飛脚の足の力だけで運送したものです。水自体は非常に親しみやすいものですから、どんな食材にも馴染みます」

「うん、うまいな」

「そしてこちら、イタリアンコース最初のビーノワインアンティパスト前菜、〈シーラカンスの眼球ブルボー〉でございます」

 異様な料理に、さすがの吉田様もお目が離せないようです。それでも私が無言で催促をすれば、好奇心からかじっくりと口にお入れになります。

「おお、なんともいえない、形容し難い味だ!」

「シーラカンスは言わずと知れた生きた化石でございます。現状その取引はワシントン条約で禁止されておりますが、カフェイヨは独自に許可を頂いているのでご安心ください。ただ、いくら珍しいと言えどもシーラカンスの身に含まれるアミノ酸は原始的で、食用にはなりません。だからこそ、目玉のみをじっくりと、グルメの舌をも唸らせるようイタリア式調理で味付けをいたしました。当然ですが、目玉は体重八十キロにもなるシーラカンスから、たったこれだけしか取れない最も希少な部位です。」

「うん」

 深くうなずきながらすぐに食べ終わった吉田様のもとに、すぐ次の品が運ばれてきます。

「こちらはプリモピアット第一の皿〈深海魚介類のトマトポモドーロスープでございます」

「今日は深海尽くしなのか?」

「はい、なるべく高級で世に出回らない海産物を味わっていただくために、三品目までは深海をベースに仕立てております」

「これは」

 説明を聞きながら口にしたワインが、吉田様は相当お気に召された様子。目を見開いて、グラスをすぐ空にしてしまいます。

「すまんな、あまりのおいしさに、一瞬だった」

「お口に合うものだったようで。こちらの銘柄は、ウヌエッタロヘクタールドゥエミッラ2000。イタリアの歴史的なワイナリー〈マネタルツィーノ〉が管理する伝説のワイン畑で生産されたものです。その畑の総面積は希少性を増すためにわずか一haのみに限定されており、年間二千本しか作られません」

 私は差し出されたグラスに程よくワインを注ぎ、賢司様がそれを飲む。スープが冷めてしまうギリギリまで、こうしたやり取りが続きました。

「これも素晴らしい味だ」

「こちらはダイオウイカ、バイ貝、アブラソコムツをトマトとマカロニで煮たものとなっています。深海具材三種は、それぞれカフェイヨ独自の潜水艇を用いて採取したものを、さらに一定の基準でふるいにかけて厳選したものだけを使用しておりますので、味は間違いない物ばかりでございましょう」

「なるほど、トマトの酸味が、ダイオウイカの仄かな苦味に絶妙に組み合わさっていて、さらにこの魚の甘い脂が、舌の上に上品な膜を展開しているようだ」

 スープ、ワインと液体が続いたころに、第二の皿セコンドピアットがルカによって運ばれてきました。

「こちらがセコンドピアットの〈五冠ソフトシェルのマツバガニ乗せピッツァ〉と、同じくセコンドピアットの〈GI制覇馬肉のパニーノ〉でございます。そちら、ソフトシェル――つまりは脱皮直前のマツバガニを使用しておりますので、殻ごとお召し上がりいただけます」

「面白いものだ」

「ちなみに五冠という基準は、このマツバガニの取られた港独自の基準でございます。今回は三百万円もの値が付いておりました」

「これはあれだな、チーズと小麦の柔らかさに、脱皮したての殻という異色の柔らかさがコラボしていて、飽きないな、うん」

「さすが、お目が高うございますね。こちら生地には全粒粉には希少価値の高い天空麦を使用しております。カナダ産の麦のなかでも最優良品の遺伝子を引き継いたものを、ネパール、ドルポ地方の高地にて育てたものでございます。栄養価に富み、香り口当たり、そして歯切れも口当たりも大変良い物になっております」

 吉田様はソフトな蟹を食べつくしたかと思うと、一方でピッツァの生地を少々残して二つ目の品に手を伸ばしました。

「これはパニーノといったな」

「はい。こちらは全粒粉バゲットにトマト、レタス、チーズとトマトソース、そして日本のGIレースを全十回優勝した駿馬しゅんめ、オットギャンベの肉をはさんだものにございます。鍛え抜かれた筋線維の噛み応え、そして合計獲得賞金十二億円もの勝利の味を、ご堪能下さい。なおバゲットには先ほどのピッツァと同じく、希少価値の高い天空麦を使用しております」

「バゲットの焼き加減が素晴らしいし、味のバランスも絶妙。文句のつけようがないなあ、ははは」

 

 それ以降、ワイン片手に絶品珍品料理に舌鼓を打つ吉田様に、一つの二択が突き付けられました。

「この先は、選択制にございます」

「凝ってるねえ、また」

「私どもがご用意させていただきました品は、ドルチェと絶品の毒――」

「毒、と?」

「ベニテングタケに含まれるイボテン酸なる毒をご存じでしょうか。カフェイヨはこの毒が強烈な旨味として認識される点に着目して品種改良を重ねた結果、ついにα-アマニチンなどの他の猛毒成分を極限まで排除し、なおかつイボテン酸を半分程度残したベニテングタケを誕生させることが出来たのでございます。ただし、イボテン酸は旨味を感じさせるとはいえ毒は毒。継続期間は一日程度ですが、胃腸、交感神経、中枢神経に中毒症状が現れるでしょう」

 カフェイヨとしても、これは前代未聞の試みでした。しかしだからこそ、それが満足のいくものであれば私たちのさらなる飛躍的成長につながるのです。

「ドルチェは、言ってしまうとただ高級なだけでございますが、こちらは」

「それは、しかし強烈な旨味があるというんだろ」

「左様にございます」

「俺は食べるぞ!」

「それでは」

 合図をした瞬間、もうすでに出来上がっていた(それでいて出来立ての)コントルノ、〈イボテン酸控え目のベニテングタケのソテー〉が机上に運ばれてきました。もうそこからは、私の説明などいざ知らず、一心不乱にその諸刃の剣に似た美味を、吉田様は貪り食うのでした。何かこう、その鬼気迫る風格とソテーの光沢が、私にすら食べてみたいと思わせるほどの蠱惑を醸し出していたのでした。


「それでは、お気をつけてお帰りくださいませ」

 吉田様はあろうことかソテーをさらにおかわりしてしまったので、軽い幻覚と胸の不快感に苦しめられています。もうベンツの座席にうなだれて、私の声などもう聴かれないといったご様子。発進のエンジン音が森に響いてから、ルカが言ったのでした。

「あの毒キノコのソテー、本当に、おいしいんでしょうかね? 気になります」

「私も食べたいとすら思ってしまったよ。でも、それには数百万円払わなければいけない。一皿にそれだけの、途方もない金額を費やす富豪の道楽館、それこそ私たちがご奉仕する、カフェイヨなんですよ、大友君」










 

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