第27話:薩摩藩の処分
私が黒装束に襲われてから四十日以上が過ぎました。
松平定信が切腹した事で、薩摩藩に対する風当たりがとても強くなっています。
何時までも責任を取らず、江戸藩邸に籠城を続けている事が、武士らしくなく女々しいという評判となって、江戸中に広まっているそうです。
そんな評判に後押しされて、徳川家基が幕府軍を率いて薩摩藩邸を強襲をしようとしているそうです。
そんな話しを、はるさん達から面白可笑しく聞かせて貰っても、吐き気に襲われることがなくなりました。
食事療法本の初版が発行されて、その評判がとてもよくて、二版の発行が決まった事が、私の心を癒してくれているのかもしれません。
このまま自分のやれることを徐々にやって行けば、精神的な乾嘔発作は起きなくなるかもしれません。
「そろそろ話しが纏まりそうでございます」
田沼親子は、登城前と登城後の最低二度は挨拶に来てくれます。
私の乾嘔が激しい頃は、私に負担をかけないように、部屋を訪れる許可をお登勢さんに申し込むだけでした。
徐々に乾嘔が軽くなると、会って挨拶するようになりました。
今では、二人から多少の報告を聞くくらいは出来るようになっています。
「そうですか、それはよかったですね」
それでも突っ込んだ話しはしないようにしています。
特に死傷者を連想するような話しは避けています。
そんな乾嘔を起こしてしまいそうになる重い話しは、はるさん達に面白可笑しく脚色して貰ってから聞いています。
田沼親子もその事を知っているので、重い話しには軽く事実に触れるだけです。
ですが、全てを面白可笑しく脚色してくれるはるさん達でも、どうしようもない江戸子の不安があったのです。
私も不安に感じてしまう、とても恐ろしい話しでした。
「そうなのですね、江戸っ子は付け火を不安に思っているのですね」
薩摩藩が江戸の町に火を放つ危険性は、私も考えていました。
江戸の町は火に対して極めて脆弱なのです。
いえ、江戸だけでなく、日本中の町が火に対してとても脆弱なのです。
徳川家の本拠地にある権威の象徴、本丸天守閣でさ何度も火事で焼失しています。
破れかぶれになった薩摩藩が、江戸藩邸とその周辺に火を放ったら、江戸の町がどれほどの大火に襲われるか、分かったものではありません。
その危険性は田沼意次も理解していて、幕閣はもちろん徳川家治にも伝えているようで、幕府もなかなか薩摩家江戸藩邸を強襲できないのです。
その事は徳川家基も聞かされているでしょうに、それでも強襲を強く進めているというのですから、愚かとしか言いようがありません。
若者の潔癖と言って済ませられる事ではありません。
いえ、そう言い切ってはいけませんね。
私の耳に入っているのはあくまでも噂でしかありません。
噂ほどあてにならないモノはありません。
江戸っ子の恐怖感が生み出した、根も葉もない嘘の可能性もあれば、一橋公と薩摩守が、少しでも交渉を有利にしようとして仕掛けた嘘かもしれないのです。
本当の事が知りたいのなら、直接徳川家基に確認すればいい事です。
ですが私にそんな情熱はありません。
いえ、情熱というよりも、興味も思い入れもないと言うべきでしょう。
もう徳川家基がどうなろうと知った事ではありません。
愚かな事をして自滅しても何とも思いません。
それよりは乾嘔が再発しないようにする方が大切です。
「神使様の御陰を持ちまして、上様はもちろん清水様も御元気になられました」
田沼親子の話しの中に、遠回しに徳川家治と清水重好の男性機能が、回復しているという報告がありました。
田安家に続いて一橋家が明屋形になりました。
田安家の男系血統は松平定国が生き延びていますが、将軍家の継承権は剥奪されていますし、子供を作る事も許されないでしょう。
一橋家の男系血統も、初代徳川宗尹の三男で、福井藩主となった松平重富は生きていますし、その長男の松平治好が生まれていますが、今回明らかになった一橋治済の徳川家基暗殺未遂があるので、将軍家の継承権は剥奪されるでしょう。
当然の話しですが、外様の福岡藩黒田家を継いでいる黒田治之に、将軍家の継承権が与えられる事などありえません。
それどころか、三人とも強制的に隠居させられるのは目に見えています。
薩摩屋敷に逃げ込んでいるであろう一橋治済はもちろん、豊千代、力之助、雅之助、雄之助、慶之丞という名の子供達も、ほぼ間違いなく殺される事でしょう。
問題は、薩摩藩が後々一橋治済の子種を宿した奥女中がいたと言いだす事です。
いえ、殺した子供達は身代わりだったと言いだす可能性もあります。
それを防ごうと思えば、薩摩屋敷の女子供を皆殺しにするしかありません。
「楓さん、直ぐに台所に行きます」
余計な事を考えてしまったせいか、治まっていた嘔吐感がぶり返してきました。
危うくその場で吐きそうになって、余計な考えを振り払いました。
気分を入れ替えるには、はるさん達に楽しい芸を見せて貰うか、料理に熱中するしかありませんが、はるさん達を急に呼び出すのは気が引けます。
はるさん達には休息の時間がとても大切なのです。
「早く来てしまってごめんなさいね」
私は料理人と下女に謝ってから料理を始めました。
出入りの魚屋や八百屋が持ってきてくれた食材を確認して、今日作る料理を考えるのですが、今日は大きな渡り蟹が六杯も笊に入れられています。
「神使様はもちろんですが、御客様に出せるような食材ではないのですが、食事療法本を書くのに出来るだけ安い食材がいいだろうと言って、魚屋が持ってきてくれたのですが、本当に渡り蟹でいいのですか」
料理人が心配そうに聞いてきますが、もちろんいいのです。
それどころかとても嬉しいです。
私は小さい頃から蟹が大好きなのですが、タラバガニやズワイガニも好きなのですが、渡り蟹独特の甘みが一番好きなのです。
「ええ、渡り蟹はとても美味しい食材ですし、食事療法本には欠かせない食材です。
何より私が大好きな食材ですから、旬の安い時期には必ず買ってください」
「承りました、神使様」
「それで、渡り蟹はどのように料理するのですか」
「一番美味しいのは蒸籠で蒸す事でしょうね」
確かに蒸籠で蒸した方が、塩茹でよりも旨味を閉じ込められますよね。
旨味を閉じ込めて蒸した渡り蟹を、酢醤油で食べたら最高に美味しいでしょう。
以前食べた渡り蟹の味を思い出しただけで、口一杯に唾がわいてしまいます。
ですがそれでは、食事療法本としてはありきたりの料理になってしまいます。
「一杯は蒸籠で蒸してください。
他は食事療法本で紹介するために、味噌汁にしてみてください。
安い蟹なら、庶民でも味噌汁の具材にしてくれるかもしれません。
それと野菜を入れた鍋物も試してください。
どのような野菜を使ったら、蟹の美味しさが野菜に移って美味しく食べられるか、色々と試して欲しいのです」
「承りました、味噌汁と鍋物を試してみます」
「それと、天麩羅も試してみてください。
油を沢山使うので、高くなってしまうかもしれません、料理屋の賓客に出せるような、美味しい料理になるかもしれません」
「それは、少々難しいかもしれません。
幾ら美味しくても、渡り蟹を賓客の出してしまうと、侮られたと怒り出す方が現れるかもしれません。
ですが料理として美味しいのなら、庶民に出す煮売り酒屋の名物にする事はできるかもしれませんので、作らせていただきます」
料理人は、私が食べたいと思っているのを察してくれたのかもしれません。
料理屋で出してはいけないと忠告した上で、作ってくれるようです。
だったらあれも試作して貰いましょう。
渡り蟹を美味しく食べる料理の一つ、豆板醤炒めです。
問題は、この世界に来てから豆板醤を見た事がないのです。
「豆板醤という物を聞いた事がありますか」
思い切って料理人と下女達に聞いてみました。
「申し訳ないのですが、見た事も聞いた事もございません」
全員が顔を見合わせてしまい、代表して料理人が答えてくれました。
彼らが顔を見合わせていた時から、豆板醤がない事は分かっていました。
「唐辛子を使った唐物のとても辛い味噌なのですが、ないのなら仕方がありません。
一味唐辛子や七色唐辛子はあるのですよね」
「はい、一味唐辛子と七色唐辛子はございます」
「味噌に一味唐辛子や七色唐辛子を加えて、蟹の甘味や旨味を損なわず、いえ、引き立てるような料理を考えて欲しいのです。
私に出来ればいいのですが、残念ながら私にはそのような腕がありません。
時間がかかるとは思いますが、試作してみてくれませんか」
「承りました。
最初に蒸した蟹に色々な唐辛子味噌をつけてみて、美味しくなる組み合わせを見つけるようにいたします」
流石に料理人ですね。
私は唐辛子を加えた味噌で炒めた蟹を沢山試作すると思っていましたが、最初に蒸した蟹の身を使って、美味しくなる唐辛子味噌を見つけておくのですね。
確かに蒸した蟹に辛子味噌をつけた方が、試作数は少なくて済みますね。
「そうですね、その方法が一番早く見つけられそうですね。
御願いしますね」
とても下手糞ではありますが、私は魚を捌く事にしました。
数をこなさなければ絶対に上手くならないので、安い魚を使っての練習です。
幸いと言ってはいけませんが、田沼家はとても安い魚を使っていますので、練習台には困らないのです。
それに、とても不格好になってしまったとしても、それを食べるのは私とはるさん達なので、見た目などどうでもいいのです。
ええ、美味しければそれでいいのです。
私についてくれている女中達には、形の悪い魚を見られてしまう事になりますが、女中達には当麻殿に絞め落としてもらった後の御世話をしてもらっているのです。
今更少々の事で恥ずかしく感じる事などありません。
「神使様、そろそろ座敷に移動される刻限でございます」
一生懸命集中して鰯と鯵を三枚に下ろしている私に、はるさん達を待たせないように楓さんが声をかけてくれました。
もう楓さんは私の性格を理解してくれていて、人を待たせないように時間調整をしてくれているのです。
はるさん達は毎日新しい噂話しを仕入れてくれていて、しかもその噂話しを面白可笑しい小話に変えて教えてくれるのです。
私の為に毎日どれほど頭を捻ってくれているのかと思うと、毎回笑いと一緒に嬉し涙が流れます。
「まあ、この料理は蟹ですか。
絹のように繊細な舌触りに、とても濃厚な旨味がしますね。
私達の為にこのような料理を手作りしていただき、感謝の言葉もございません」
「そのように感謝してもらえると恥ずかしいですわ。
私は指図しただけで、殆ど料理人が作ってくれたのです」
そうは言っても、はるさん達に美味しいと言ってもらえると嬉しいです。
今日の酒肴は渡りが蟹がメインになっています。
蒸籠で蒸した渡り蟹の身を解して、蟹の旨味と甘味を損ない辛子味噌で和えた料理と、普通に二杯酢で和えた料理が膳に乗せられています。
他には蒸した内子と身を、酢加減を変えて味付けした和え物もあります。
この内子がたまらなく美味しいのです。
渡り蟹尽くしといえる膳の中でもメインといえる料理は、青葱と豆腐も一緒に蒸籠蒸した酒蒸しではないでしょうか。
でもそれは私の感想で、人によっては天婦羅がメインだと言うかもしれません。
昼食には渡り蟹の蟹飯と蟹味噌汁がでましたが、濃厚な蟹の味がしてとても美味しい御飯と味噌汁になっていました。
少々残念なのは、渡り蟹のクリームパスタが再現できない事です。
もし元の世界に戻れないのなら、何としてでもこの世界で再現したくなるのでしょうが、伏見稲荷大社に行けば戻れると思っているので、そこまでやる気にはなれていません。
再現するなら一からパスタを作らなければいけませんし、牛乳や生クリームを生産する牧場も造らなければいけなくなります。
とてもそこまでやる気にはなれないのです。
トマトパスタにするにしても、トマト自体を見かけた事がありません。
長崎にまで行けばトマトがあるのかもしれませんが、とてもそこまでする気にはなれません。
「さあ、今日も美味しく頂きながら、楽しく過ごしましょう」
食事療法本の二巻製作も順調で、はるさん達と過ごす時間もとても愉しいです。
試作した料理が美味しいか不味いかも、はるさん達は私に忖度することなく正直に答えてくれます。
渡り蟹の料理を試作した日から、毎日違う食材や料理法の試作をしました。
浅利、鳥貝、馬鹿貝を使った料理や、若い鰆や白魚を使った料理を試作しました。
高価な食用油を大量に使う天婦羅料理を試作する時には、屋敷中の家臣に振舞う心算で、食用油が駄目になるまで試作しました。
馬鹿貝の小柱を使った掻揚や、浅利の掻揚も美味しかったですが、一番美味しかったのは芝海老の掻揚でした。
芝海老といえば玉といわれた玉子焼きです。
芝海老と大和芋を擂鉢で丁寧にすりおろして、卵と混ぜ合わせて焼くのです。
母の本に書いてあった味付けは、出汁、砂糖、酒、醤油だったと思います。
でも私は、一度は素材の味だけで作って試食してみたいです。
ですが卵はとても高いので、大量に使うと悪い評判を立てられそうです。
早く私の屋敷で飼い始めた鶏が、大量の卵を産んでくれればいいのですが。
充実した生活になってから幾日経ったでしょうか。
何時からこの生活を幸せだと思えるようになったか、定かではありません。
黒装束に襲われてから六十日が過ぎた頃でしょうか。
薩摩藩が幕府に屈服した事で、精神的な不安が解消されたのが、とても大きかったのかもしれません。
厳しい処分でしたが、それで乾嘔がぶり返すわけではなく、安堵感の方がとても大きかったです。
島津重豪は切腹処分となり、唯一の男児又三郎も連座処分で殺されたそうです。
島津家一門四家の当主は島津重豪の息がかかったものが多く、連座で切腹させられることになったそうです。
江戸家老を始めとした江戸詰め重臣の多くも、島津重豪と一味同心だったと断罪されて切腹処分となりました。
ただ完全に薩摩藩を潰してしまうとなると、六万家もある藩士が叛乱を起こしてしまうかもしれないので、大隅と琉球は取り上げるものの、薩摩は残すことになったそうです。
徳川家治の英断だという噂と、田沼意次の専横だという噂が流れています。
江戸っ子も判断に困っているのかもしれませんね。
薩摩藩は佐土原藩八代藩主、島津久柄の三男勝丸が元服して後を継ぐそうです。
しかし幼少の上に、多くの一門衆や家老重臣が切腹処分を受けているのです。
父親の島津忠持が後見するようですが、薩摩藩士と佐土原藩士の権力闘争が激しくなる事が予測されます。
藩政は前途多難としか言いようがないでしょうね。
島津家同士で潰し合わせるのが、幕府の方針なのでしょうか。
薩摩藩に見捨てられ、幕府に差し出された一橋治済とその子供達は、切腹すら認められずに処刑されました。
徳川家基が強硬に処刑を主張したという噂もあれば、家基を殺されそうになった徳川家治が命じたという噂もあります。
なかには二人の本心を慮って、田沼意次が強く勧めたという噂すらありました。
私は真相を確かめる気にもなりませんでした。
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