第28話:天然痘

「姫様の麗しき御尊顔を拝し奉り、わたくしめ恐悦至極に存じ奉りまする」


 南町奉行所定町廻り同心の、仲根藤太郎殿が平伏してくれています。

 江戸の治安を預かっている定町廻り同心から、たっての願いがあると面会を嘆願されれては、気の弱い私には断る事など出来ません。

 ましてその願いが瞽女に関する事だと言われてしまったら、その日のうちに面会時間を作ってしまいます。


「それで、礼儀を弁えずに姫様に急ぎの願いとは何事ですか」


 楓さんが私に代わって質問してくれますが、大体の願いは予想できています。

 御高祖頭巾で顔を覆った少女が、仲根藤太郎殿の後ろに控えているのです。

 瞽女の件で願いがあると言うのですから、この少女は盲目なのでしょう。

 少女を東海道筋か越後の瞽女屋敷に入れて貰いたいのでしょう。

 その口添えを私に頼みに来たのだと予想出来ています。


「もう御推測されているとは思いますが、後ろに控えている少女の事でございます。

 この子は疱瘡に罹って目が見えなくなってしまいました。

 生まれ持っての盲目ではないので、盲人の勘が備わっておりません。

 歌舞音曲の素養もあるかどうかわかりません。

 いえ、疱瘡で酷い顔になってしまっているので、とても座敷で芸を披露する事など出来ません」


 仲根藤太郎殿がそう言ったからでしょうか、少女の肩がびくりと震えました。

 よほど顔の事で傷ついているのでしょう。

 心無い者から酷い悪口を言われてしまったのかもしれません。

 でも、私に悪口を言った人を非難する資格はありません。

 幼い頃に天然痘患者さんの記録写真を見た事がありますが、当時の私は、そのあまりに酷い姿に、憐憫よりも気持ち悪さを感じてしまったのです。


「はるさんはどう思われますか」


 私は助言をしてもらうために、はるさんに同席を御願いしているのです。

 警護には、当麻殿や久左衛門殿はもちろん、若侍達も同席してくれています。

 もちろん楓さん以外の女中達もいてくれます。

 聞けば全員がそれぞれの立場から助言してくれるでしょう。

 ですが視力を失った人の本当の心は、はるさんにしか分かりません。

 それに越後瞽女の座に加わるとなれば、はるさん達の承諾なしには不可能です。


「疱瘡でどれだけ酷い顔になっていたとしても、目の見えない私達には関係ありませんから、何も気にする事はございません。

 以前にも申し上げさせて頂きましたが、歌舞音曲の才能がない者には、瞽女屋敷の仕事をしてもらいますので、大丈夫でございます。

 いきなり目が見えなくなっては、用ひとつ足すのも満足にできないでしょうが、そこは慣れるしかございません。

 最初は目の見える者に手助けしてもらえば楽なのですが、そうすると中々目の見えない生活を覚えることが出来なくなってしまいます。

 私としては、最初は苦しくとも見える者に手助けしてもらわずに、私達と一緒に暮らす方がいいと思われます」


「それは、この子を越後瞽女に加えてくれるという事ですか」


「はい、その心算でございます」


 はるさんが一切の迷いなく引き受けてくれました。

 その懐の深さに、自分の小ささを痛感してしまいます。

 私がはるさんの立場だったら、迷いなく即答できたでしょうか。

 今の自分に出来る事をしなければ、恥ずかし過ぎて、はるさんの顔を正面から見る事も出来なくなってしまいます。


「はるさんにだけ負担をかけたりはしません。

 幕府に働きかけで、出来る限りの援助を引き出しますね」


「そのような心配をしていただかなくても大丈夫でございます。

 田沼屋敷の専属として働かせて頂いている御陰で、随分と多くの金子を蓄えることが出来ましたから、越後に戻っても食べるに困ることはございません。

 料理屋の座敷に呼んで頂く話しも進んでおります。

 無理はしないでくださいませ」

 

 はるさんはそう言ってくれますが、そう言われれば言われるほど、何かしなければいけないと思えてきます。


「恐れながら申しあげさせて頂きます。

 これ以上の事を御教え願いたいと口にする事が、余りにも身勝手な事は重々承知しておりますが、敢えて御願い申し上げさせて頂きます」


 当麻殿が、控えてた場所から膝行しながら私の前に出てこられました。

 その姿から、驍勇無双の剣客が、命懸けで願い出ている事が伺われます。

 その証拠に、久左衛門殿どころか血気盛んな若侍達も止めようとしません。

 不意に先に願い出ていた自分達を差し置いて、前にでられてしまった仲根藤太郎殿すら、何も文句を言いません。


「何事ですか、私に出来る事なら考えてみましょう」


「有難き御言葉を賜り、感謝の言葉もございません。

 わたくしめの御願いは他でもありません。

 疱瘡の病に聞く食事療法や鍼灸施術があれば、御教え願いたいのでございます」


 当麻殿がとんでもない事を言いだしました。

 まあ、それも仕方ない事ではあります。

 私の食事療法で、江戸病と言われている脚気が劇的に改善しているのです。

 食事療法と鍼灸療法の実験台になっていた田沼意次からは、愛妾の月のモノが止まり、懐妊の兆しが現れていると報告があったのです。


「残念ですが、疱瘡の病に効果のある食事療法や鍼灸施術はありません。

 鍼灸施術は、疱瘡の病を広めてしまうという逆効果となるので、むしろやらない方がいいでしょう。

 疱瘡の病に対する方法は全く別になります。

 しかしそれを行ったからといって、全員が助かるわけではありません。

 百人に一人か千人に一人は死んでしまうのです」


「なんと、疱瘡に罹ると二人に一人は必ず死ぬのです。

 それが千人に一人か百人に一人しか死なないのですか。

 そのような方法があるのなら、どうか教えて頂きたい」


 当麻殿が、私に縋りつかんばかりの姿でにじり寄ってきます。

 久左衛門殿も若侍達も、それを止めようとしません。

 ちょっと怖過ぎますが、不意にとても大事な事に思い至りました。

 私も天然痘の予防接種をしていないのです。

 私もこのままこの世界にいたら、天然痘に罹患してしまうかもしれないのです。


「分かりました、出来る限りの事をしましょう。

 その為には、主殿頭殿に老中として助けて貰わなければいけません」


「恐れながら申しあげます。

 疱瘡の病に対する方法があるのでしたら、主だけではなく、幕府が全力で支援すると思われますので、御安心下さい」


 久左衛門殿がそう言うのなら、長崎からジェンナーの発見した牛痘種痘法を取り入れる事が可能かもしれません。

 問題はもうこの世界で牛痘種痘法が発見されているかどうかです。

 まだジェンナーが生まれていない可能性もあります。

 情けない事ですが、牛痘種痘法が発見された年を覚えていないのです。


「ではその件に関しては、主殿頭殿が下城されてから話しをさせてもらいます。

 その娘の件は、はるさんが預かると言ってくれていますので、娘が望むなら越後瞽女の座に加われるでしょう。

 それでいいですか、藤太郎殿」


「過分の御厚情を賜り、感謝の言葉もございません」


 仲根藤太郎殿がそう言って平伏している頭を更に下げてくれましたが、後ろに控えている少女は何が何だか分かっていないようです。

 最近疱瘡に罹って九死に一生を得たのに、後遺症として盲目になってしまったのなら、自分がどのような態度を取るべきかも分からないのかもしれません。

 それが分かっているからこそ、座敷にいる誰も少女を咎めないのでしょう。


「お登勢さん、この屋敷にいる間に、出来るだけの助力をしてやってくださいね。

 用を足すこと一つでも、着物を汚してしまうかもしれません。

 着物や便所を汚してしまったら、はるさん達が掃除するのは大変でしょう」


「御任せ下さい。

 私達に出来る限りの手助けをさせて頂きます。

 姫様に恥をかかせるような事は絶対に致しません」


 仲根藤太郎殿がいるからでしょう、私の事を神使様と呼ばずに姫様と呼んでくれますが、少々懐かしいですね。

 当麻殿達に私の正体を知られて以降、誰も姫様と呼んでくれなくなりました。

 この世界の常識では、私の歳で御姫様扱いは可笑しいのでしょうが、女心としては、神使様と呼ばれるよりは姫様と呼ばれた方が嬉しいです。


★★★★★★


「神使様、疱瘡の病に対処する方法があると久左衛門から聞かされたのですが、本当に御教え願えるのでしょうか」


 何時もの挨拶をするのも惜しむように、勢い込んで田沼意次が話しかけてきますが、後ろに控える田沼意知も身を乗り出さんばかりにしています。

 まだ私には少しの危機感しかありませんが、二人には私の想像も及ばない危機感や恐怖感があるのかもしれません。


「はい、方法はありますが、その方法は既に唐から伝わってきているはずです。

 疱瘡の病に罹った人の膿や瘡蓋を健康な者に植え付けて、疱瘡の病と闘う力をつける方法が伝わっているはずです。

 医学の文献にも載っているはずですし、長崎にも伝わっているはずです。

 至急調べさせてください」


「承りました、幕府の全力をもって調べさせて頂きます」


「それと、これはまだ伝わっていない方法ですが、馬にも疱瘡の病があって、馬疱瘡の瘡蓋を人に植え付ければ、人の瘡蓋を植え付けるよりも安全に、疱瘡の病と闘う力をつける事ができます」


「おおおおお、それは素晴らしい。

 急ぎ御料牧場に人をやって、疱瘡に罹っている馬を探させます」


「本気でやる気があるのでしたら、全ての大名旗本にも命じて、疱瘡に罹っている馬を探してください」


 私は母の本を読んでいた御陰で色々知っているのです。

 ジェンナーが発見した種痘法は、一般的には牛痘を使った牛痘種痘法だと思われていますが、実際には偶然紛れ込んだ馬痘ウイルスだったと知っているのです。

 まあ、母が確信犯的に嘘を書いていなければの話しですが。

 もし嘘だったとしても、馬痘ウイルスで上手くいかなければ、その時改めて牛痘ウィルスで試してみればいいだけの事です。


「承りました」


 田沼親子はそう言うと、再び江戸城に登城していきました。

 緊急で徳川家治と会って、直々の裁可を貰う気かもしれません。

 確かに半日遅れれば、それだけ天然痘で死んでしまう人間がいるのです。

 私にはまだ実感がわきませんが、田沼親子は本気で対処してくれる気です。

 私もはるさんに恥ずかしくないように、頑張らないといけませんね。


 徳川家治と幕府の対応は、私が想像していたよりもはるかに素早かったです。

 田沼親子が再登城したその日のうちに、御用飛脚が長崎に向けて送られ、御典医達が医学書をひっくり返して、人痘種痘法について調べ始めました。

 いえ、御典医だけではなく、江戸を含めた関八州の医師に、人痘種痘法の文献を知らないか、知っているなら幕府に知らせるようにと命じたのです。


 彼らの知らせが届くまでは、食事療法本に書き記す料理の試作をしていようと思っていたのですが、御高祖頭巾の下の顔を見られる事を極度に恐れる少女を見て、改めて私も種痘法を優先的にやらなければいけないと思うようになりました。


 私は大番組と小十人組、更には御先手組や百人組にまで護衛されて、薩摩藩から取り上げた柴高輪の上屋敷と蔵屋敷に向かいました。

 薩摩藩は江戸城に近い麹町の中屋敷も取り上げらていて、残されたのは白金台と青山の下屋敷とだけだったのですが、私が白金台に近い柴高輪に行くことになったので、白金台の下屋敷も取り上げられることになりました。


 その恨みが私に向けられないか心配でしたが、田沼家の藩士だけではなく、完全武装の幕府番方が厳重に警護してくれていますので、気にしない努力をしました。

 薩摩藩藩邸周辺の大名家が、薩摩藩士の動きを厳しく見張っているとも聞いていますので、それを信じるしかありません。


 それに、毎日多くの馬が元薩摩藩上屋敷に連れてこられて、平賀源内と源内が推薦した杉田玄白や中川淳庵が診察して、疱瘡に罹っているか判断してくれます。

 疱瘡だと診断された馬の瘡蓋を乾燥粉末させて、鼻から吸引させるのです。

 人体実験になってしまうので、最初私は躊躇してしまいました。

 母の本に書かれていた方法を教えたのは私なのに、卑怯にも自分でやることが出来ずに、人任せにしてしまいました。


 私達が馬疱瘡による種痘法を試行錯誤している間に、信じられない早さで長崎から人痘種痘法の情報が集まりました。

 江戸から大阪まで三日で手紙を届けたという早飛脚と、宿場の馬を使った幕府公式の騎馬伝令が、寝食を忘れ命懸けで情報を届けてくれたそうです。


 今から四十年近く前に、清国から李仁山という人がやって来て、長崎で人痘種痘法を実施していたというのです。

 それどころか琉球では、上江州倫完という人が十三年前に人痘種痘法を実施しているというのです。

 さらに驚く事には、今年からは琉球国民全員に人痘種痘法を行い、これから十三年ごとに国民全員に人痘種痘法を行うとまで言うのです。


 その話しを聞いた田沼意次と徳川家治は、とても衝撃を受けたそうです。

 いえ、私も凄く驚きました。

 日本では、琉球だけのこととはいえ、牛痘種痘法ではなく人痘種痘法だとはいえ、ジェンナーの牛痘種痘法が伝わる前から、国民全員に予防接種をしていたのです。


 ここで幕府は非情の決断をしました。

 大規模な人体実験を断行したのです。

 既に十三年前に琉球で行われた、人痘種痘法の記録を知ることが出来ます。

 ですが狭い島である琉球だけでは、実験としての内容が限られています。

 そこで絶対逆らえない人達に、強制的に実験接種することにしたのです。


 そうです、薩摩藩を実験台としたのです。

 幕府が取り上げたとはいえ、琉球は薩摩藩が支配していた地域です。

 場所も薩摩藩が一番琉球に近いです。

 しかもこんな幸運があるのかと信じられないくらいの偶然で、今年琉球全国民に人痘種痘法を行う準備が出来ているのです。


 薩摩本国では、琉球の協力を得て人痘種痘法を試し、江戸では薩摩藩邸にいる藩士とその家族に、馬痘種痘法を試すことが決定されたのです。

 私は内心ではとても悩み苦しみました。

 ですが、そんな悩み苦しむ私に、あの少女が御高祖頭巾をとって醜い痘痕を見せてくれたのです。

 それでようやく決断することが出来ました。

 全身をがたがたと震わせながら、見えない両目から涙を流しながら、疱瘡で無残な状態となってしまった顔を見せてくれたのです。


 とても恥ずかしかったのでしょう。

 私に容姿を罵られることが怖かったのかもしれません。

 嗚咽しながらも、見えなくなった目をしっかりと私に向けながら、痘痕が残った顔を私に見せてくれたのです。

 その御陰で、どれほど苦しい思いをしようと、また乾嘔の発作に襲われることになろうと、天然痘を撲滅してみせると決意することが出来たのです。

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