第26話:食事療法本

 私の急な思い付きによる願いを、田沼意次は快く認めてくれました。

 その日から私の食事療法本作りが始まりました。

 そして思い知らされたのです、私の中途半端な知識を。

 どのような食材に何の栄養素が含まれているのか、母が小説に書いていた内容すら正確に覚えていなかったのです。


 多くのビタミン欠乏症を暗記していて、それぞれにあった食材や料理を書くことが出来れば、この世界では画期的な食事療法本が書けたでしょう。

 しかし、情けない事に、私にはその知識がありませんでした。

 この時ほど、もっと勉強しておけばよかったと思った事はありません。


 それでも、何もしないよりは、少しでも役に立つ本を書いた方がいい。

 そう思って色々と調べてみました。

 まずこの世界の庶民が何を食べているのかを調べました。

 母の本で書かれていた事はうろ覚えしていますが、時に母は小説を面白くするために、確信犯で嘘を書くこともあるのです。


 調べて分かったのは、この世界の庶民がとても粗食だったという事です。

 少なくとも江戸の庶民は粗食で、特に丁稚などは、朝は味噌汁と白米、昼は野菜の煮物と白米、夜は漬物と白米という、質素過ぎる粗食でした。

 これでは陰で何か食べないと、絶対にビタミン欠乏症になってしまいます。

 燃料が必要になろうと、絶対に玄米食を導入しなければいけません。


 次に長屋住まいの庶民の食事も調べてみました。

 矢張り安い食材ばかり使われていました。

 ですがこの世界では、全ての食材が旬にしか食べられません。

 栽培方法も保存方法も限られているので、そうなるのでしょう。

 だから私の感覚では高価な食材が、逆に安かったりしました。

 ただ普通は、初物はもちろん走りや名残が高くて、旬の最盛期は安いのです。


 最盛期の食材が一番美味しくて安いのですから、季節食材を使ってビタミンを補給する料理を紹介しなければいけません。

 症状に合わせた料理を紹介できないのなら、旬に安くビタミンを補給できる料理を紹介する本にしたいと思いました。


 この世界でよく食べられている野菜は、いえ、海藻も含めましょう。

 ひじき、若布、里芋、薩摩芋、蓮根、莢豌豆、人参、大根、蕪、小松菜、芋茎、芹、法蓮草、茄子、糸瓜などですが、それぞれの食材は地方によって価格差が大きいそうで、絶対に同じ食材でなくてもいい、その時安く手に入る野菜を全部試します。


 魚介類の中では、意外と芝海老と蛤が安かったです。

 貝は殻付きと剥き身で値段が違うのですが、蜆と蛤や浅利の値段がそれほど違わないのには驚かされました。

 ですがそれはあくまで産地の旬だからこそです。

 

 旬や豊漁の時限定なのですが、小羽鰯などが安いのはわかるのですが、大羽鰯が十匹で八文しかしない時があると聞いて、思わず二度聞きしてしまいました。

 理由はこの世界の好みなのか、冷凍冷蔵技術が未発達な影響なのか、油の強い魚は好まれないのだそうです。


 母の小説でも、江戸時代には鮪の大トロが捨てられていたと書いてありました。

 理由は色々な説があるそうで、一つは水揚げされた鮪が水死体のように見えるのが嫌われたとか、もう一つは保存したくても塩漬けか醤油漬けしか方法がなくて、塩や醤油を弾く大トロは捨てるしかなかったという事でした。

 それに、そもそも鮪自体がそれほど流通していません。


 多くの食材の値段を調べていると、四文、八文、十二文と四進法で値段が決められていました。

 一両四分十六朱という、金貨の影響かとも考えたのですが、銭を見せて貰って本当の理由が理解できました。


 この世界の銭には、一文銭と四文銭があったのです。

 落語で有名な十六文の夜泣き蕎麦も、よく考えれば四進法の値段です。

 普通は四文銭四枚で支払っていたのでしょう。

 だから団子が四個刺しで四文になっているのですね。


 朝に振り売りが持ってくる納豆も一人前四文ですし、たたき納豆は八文でした。

 でも全てが四進法ではなくて、豊漁や豊作、不良や不作で多少値段が変わるのだと下女達が教えてくれました。


 最初は料理人達に色々な料理を作ってもらって、それを字の書ける右筆に料理本にできるように書き留めて貰っていました。

 ですが徐々にそれだけでは満足出来なくなったのです。

 自分でも料理を作ってみたくなったのです。


 とは言っても、私に魚を三枚おろしに出来る訳がありません。

 私に出来るのは、炒めたり焼いたりするくらいです。

 煮物くらいは何とか作れるかもしれませんが、それも実際に作ってみなければ分からない、とても情けない状態です。


 料理人や下女に色々教えを請いながら、時にこの世界で好まれない食材を使って白い目で見られながら、貧しい人々でも食べられる料理を試作しました。

 特に鮪の大トロと葱を醤油で煮た葱鮪鍋は、まだ鮪が食材として一般的でない事もあって、貧しい人でも御腹一杯食べられるようでした。

 卵が高価なので当然鶏肉も高価で、鶏肉の代用品として大トロを使った、葱鮪の焼き鳥擬きも考えてみました。


「えっ、まだ握り寿司がないのですか」


「握り寿司というのはどういうものなのですか。

 寿司といえば近江の国の鮒寿司か、加賀の国のかぶら鮓くらいしか聞いた事がありません」


「もしかして、甘辛く煮た薄揚げに御飯を詰めた、稲荷寿司もないのですか」


「はい、そのような寿司は聞いた事も見た事もありません」


 色々と料理について話していると、まだ江戸には握り寿司どころか、稲荷寿司も巻き寿司も箱寿司もない事が分かりました。

 安く美味しい寿司を流行らせることが出来れば、江戸の庶民の食生活を劇的に変えることが出来るかもしれません。


 ですが問題は、全く土台のない所にどうやって寿司という食文化を広めるかです。

 特に気になるのが衛生問題です。

 病原菌や寄生虫による食中毒に気をつけなければいけません。

 冷凍冷蔵技術がないのですから、料理人の衛生意識が大切になります。

 これも食事療法の本で一緒に伝えなければいけません。


 それからは寿司ネタも同時に試作することになったのですが、それで握り寿司のシャリが酢飯になっている理由が実感できました。

 光り物と呼ばれるネタが酢漬けされるのも、醤油漬けされたり煮られたりしたネタが多いのも、衛生上の問題だったのですね。


「神使様、新しい料理で屋台を出すのでしたら、私の知る町人にその料理を教えてやって頂けませんか」


 私が食事療法の本を出すために料理の研究をしていると、当麻殿が町人門弟の為に頭を下げて教えを請われました。

 最初は驚いたのですが、まだ握り寿司や稲荷寿司のないこの世界では、寿司は独立開業するのに有力な武器になるそうです。


 ですがまだ薩摩藩が江戸屋敷に籠城している状態では、幾ら当麻殿が保証する人間とはいえ、私に見知らぬ人間が近づくことを田沼意次が許可するわけがないのです。

 どこでどう薩摩藩と係わりがあるか分かりませんし、薩摩藩の者が町人の家族を人質に取っている可能性も、否定できないのです。

 いえ、本当のことを言えば、田沼意次がどうこうではなく、私が怖いのです。


 未だに私は、黒装束の恐怖を克服出来ずにいます。

 田沼家の上屋敷から出て行くのがとても怖いのです。

 鎧兜で完全武装した警護の侍が、刀で頭を割られる姿を夢に見るのです。

 はるさん達と愉しく過ごしている時間や、料理に熱中している時間は忘れていられるようになりましたが、未だに夢に見てしまうのです。


「では私やここにいる門弟達に、教えてはもらえないでしょうか。

 私や門弟達が寿司を覚えて、それを町人達に教え広めましょう」


 当麻殿の願いは、私には渡りに船、いえ、福音でした。

 食事療法本で江戸に広める方法よりも、人伝に広めた方が早いです。

 ただ伝言ゲームになってしまうと、間違った事が伝わってしまうので、茶道のように免許制にして、少しでも間違いを減らさなければいけません。

 それに間違いようのない本は、必ず出さなければいけません。


 最初は当麻殿と門弟衆だけだったのが、直ぐに田沼家の家臣達も加わりました。

 彼らにも家を継げない部屋住の子弟がいるのです。

 田沼家はまだ大名になってから二十年程度で、家臣達も他家から仕官してきたり町民から登用されたりした、歴史の浅い家ばかりです。


 ですが、田沼家に仕官する前からの家族や知り合いがいるのです。

 そんな家族や知り合いに、一旗揚げる機会を与えてやりたいと思うのは、人として当然の人情なのです。

 だからどんどん料理を学ぶ人が多くなっていきました。


 彼らには徹底した衛生教育をしました。

 石鹸やアルコールによる消毒を頻繁に行う事は、費用の問題があって難しいので、清潔な水で頻繁に手洗いする事を教えました。

 高級な料理屋を目指すのなら、焼酎や酢で手を洗う事を勧めました。


 食材に関しても、アニサキスが寄生している事を前提に、魚の内臓を直ぐに取り除くことを、出入りの魚屋に徹底させるように言い聞かせました。

 その上で、魚の味を引き立てる方法で保存処理をするようにしました。

 酢漬けがいいのか醤油漬けがいいのか、それとも鱧の骨切りのように細かく包丁を入れてアニサキスを殺すようにするのか、試食しながら最適の方法を探しました。


「姫様の麗しき御尊顔を拝し奉り、わたくしめ恐悦至極に存じ奉りまする。

 御初に御目にかかりますわたくしめは、版元をさせて頂いております、須原屋茂兵衛と申します」


 私の料理が色々と完成してきたので、そろそろ本気で本にする話になりました。

 そこで田沼意次は、須原屋茂兵衛という版元を紹介してくれました。


 田沼意次が目をかけている平賀源内は、『物類品隲』を発行する時には、須原屋一統でも分家の須原屋市兵衛を利用しており、蘭方医の杉田玄白達も『解体新書』を須原屋市兵衛から発行しているそうです。


 田沼意次が須原屋市兵衛ではなく須原屋茂兵衛を紹介してくれたのは、須原屋茂兵衛が『武鑑』や『江戸切絵図』といった、幕府と関係の深い本を発行していたからだそうです。

 私の発行する食事療法本を、公的な本に限りなく近い存在にするためでした。

 身も蓋もない言い方をすれば、幕府の権威を使って食事療法本の格を上げたかったという事です。


「神使様、稲荷寿司を商う事を御許し願いましたこと、感謝の言葉もございません」


 食事療法本の初版本原稿を書き上げて須原屋茂兵衛に渡した翌日、久左衛門殿が家臣一同を代表して、当麻殿は門弟衆を代表して、私に御礼を言ってくれました。

 私が武士を捨てなければいけない部屋住みに、稲荷寿司と握り寿司の商いを許可した事に対する御礼でした。

 

 食事療法本が発行されてしまってからでは、それを御手本にして作った稲荷寿司や握り寿司を、振り売りや屋台で商う者が必ず出てくるでしょう。

 その前に商いを始めなければ、先行者利益が得られなくなります。

 本家という、とても大きな利益が手に入らなくなるのです。


 この件に関しては、田沼意次ともよく話し合ったのですが、老中を務める田沼家が表にでるわけにはいかないので、当麻殿の道場が前面に出ることになりました。

 元々門弟の半分以上が町人だった当麻道場ですから、田沼家家臣の部屋住みが町民になって商いをしても、それほど大きな問題にはならないという事でした。

 武家ならば、家を継げない子弟で頭を悩ませるのが普通だからだそうです。


 ですが表向きは田沼家と関係なさそうに見せかけても、噂好きの江戸っ子は、一連の騒動の関係者の事をよく知っているそうです。

 薩摩藩の刺客を撃退した凄腕の武士が、当麻殿だという事をよく知っているのだそうです。


 その当麻道場の町人門弟が、田沼意次が深く信心している、稲荷社の神使に御供えする油揚げを使い、稲荷寿司と言うネーミングで商うのです。

 五穀豊穣や商売繁盛の神様なうえに、大出世した田沼意次が心から信じんしている稲荷社にあやかった食べ物です。

 迷信深く縁起を担ぐことが大好きな江戸庶民が、稲荷寿司を食べないわけがなかったのです。


 私は栄養の事を考えて、玄米を使った稲荷寿司を基本に商いしてもらいましたが、美味しさの点で言えば白米を使った方が美味しいに決まっています。

 だから白米を使う時には、人参や生姜などの根菜類も一緒に入れてもらいました。

 貧しい庶民に少しでも安く提供するために、雑穀を使った稲荷寿司も考案しましたし、蕎麦やおからを詰めた稲荷寿司も商うようにしてもらいました。


 彼らにはいずれちゃんと店を持ってもらって、料理屋や煮売り酒屋を始めてもらう心算なのです。

 その点に関しては、田沼意次とも当麻殿とも話し合いが終わっています。

 安くて美味しくて栄養価の高い料理を江戸中に広めるだけでなく、食文化を発達させたいとも思っているのです。


 高級料理屋が、座敷に瞽女や座頭を呼んで歌舞音曲を聞くのが粋だと流行らせれば、幕府の負担を少なくして障害者支援ができると田沼意次に提案したのです。

 それを実現させるには、江戸一番の高級料理屋が、田沼意次の思い通りに動いてくれなければいけません。

 今ある料理屋に圧力をかけたら、反発されるのは目に見えています。

 だから自分達の手で、江戸一番の高級料理屋を創り上げることにしたのです。

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