第25話:薩摩藩との交渉と身の振り方
「今はまだ交渉中ではございますが、薩摩藩を取り潰さない事を条件に、薩摩守殿の切腹と一橋公の引き渡しを求めております」
まさかとは思いますが、薩摩藩は時間稼ぎをしているのではないでしょうか。
薩摩藩の士分は、六万家もあったはずです。
最低でも六万の戦力があるということです。
当主と跡継ぎが出陣するなら十二万、部屋住みまで加われば十八万です。
ですがもう余計な事は口にしないようにしましょう。
先程もつい余計な事を口にしてしまいました。
そのせいでまた誰かが死んでしまう事に成ったら、今治まっている吐き気がまたぶり返してしまいます。
「そうですか、無用な死者が出なければそれでいいのです。
先日は余計な事を口にしてしまいましたが、もう忘れてください。
将軍家や幕府がどのような運命を辿ろうとも、それは人の決断次第です。
私が余計な事を口にした事で、もう取り返しがつかないくらい、大きく運命が変わってしまっているのです。
これ以上運命を変えてはいけないのだと思い至りました」
私の言葉を、田沼意次達は神妙な表情で聞いてくれています。
「左様でございますか、神使様の御言葉はしかと承りました。
神使様からは既に十二分の御告げを頂いております。
神使様に御負担をかけてまで、これ以上の御告げを頂こうとは思っておりません。
御無理されることなく、この屋敷で御寛ぎください」
田沼意次がそう言ってくれるので、私はもう何も聞かない事にしました。
「分かりました、遠慮せずにゆっくりさせて頂きます」
「それと、万が一のことを考えて、当麻殿には常に屋敷に留まるようにして頂きますので、何かあれば直ぐに駆けつけられるようになっております。
女中達にも、何かあれば当麻殿に知らせるように言い聞かせてあります。
御安心されてください」
なるほど、また私が嘔吐で苦しむようなことになっても、直ぐに当麻殿が絞め落としてくれるのですね。
「それと、越後瞽女達を御長屋に住まわせて、毎日神使様の御相手をさせて頂くように手配しておりますので、気が向いたらそのまま芸を披露させていただいても大丈夫でございます」
少しでも私の心を癒そうと考えてくれたのでしょう。
はるさん達の歌舞音曲が聞けるのは嬉しいですね。
「有難うございます、主殿頭殿。
その御気持ちはとても嬉しいのですが、そのような事をして、また大納言殿が乗り込んできたりはしませんか」
私は少し嫌味を込めて言ってしまいました。
田沼意次に対する嫌味ではなく、徳川家基に対する嫌味です。
この世界に来てよく分かりました。
私はこんなに性格が悪かったのですね。
「それは大丈夫でございます。
一橋家は田安家同様に明屋形となりました。
今回の処分を逃れた家臣が、屋敷の管理をいたしますが、もうこの前のように告げ口などはしないと思われます」
深く聞く気はありませんが、私の言った事で、一橋家の家臣に対する処罰を厳しくしたようです。
詳しく聞いてしまうと、また吐いてしまうかもしれませんから、聞き流します。
「そうですか、余計な事を聞いてしまったようですね。
これ以上聞いてしまうと、また気分が悪くなってしまうかもしれないので、もう聞くのは止めますね」
私がそう言うと、田沼意次は察してくれたようで、もう何も言わずに部屋から出て行ってくれました。
少し嘔吐感は強くなっていましたが、一番激しかった頃よりはずっと軽くて、梅干しに白粥なら食べられるくらいになっていました。
その日の昼には、はるさんをはじめとした越後瞽女がやって来てくれて、私を飽きさせることなく、色々な曲や唄を聞かせてくれました。
はるさん達が一生懸命芸を披露してくれる姿を見ていると、自然と涙が流れてきて、このままではいけないと強く思えるようになりました。
その日からはるさん達は、知る限りの曲と唄を披露してくれました。
私は毎日同じ曲や唄の繰り返しでも心が安らぐのですが、はるさん達は同じ曲や唄では悪いと思ってくれたようです。
同じ御長屋の若侍や、当麻殿の門弟衆から色々な話を仕入れてくれて、面白可笑しく脚色して、私に話して聞かせてくれるのです。
その中には当然天下の情勢も話題になっています。
白河藩の事や薩摩藩の事も、面白可笑しく教えてくれるのです。
最初その話題が出た時には、御付きの女中がその話題にならないように止めようとしたのですが、はるさん達に気がつかれないように、顔と手振りで女中達を抑えて、はるさんたちの自由にしてもらいました。
折角はるさん達が私を楽しませようとしてくれているのに、それを止めさせるなんて無粋だと思ってしまったのです。
例えそれで激しい嘔吐感に襲われようとも、それは自分の弱さから来る事で、はるさん達には何の責任もないのです。
はるさん達の想いを受け止めることが、最優先だと思ったのです。
本当に笑ってしまうしかないのですが、私の吐き気、乾嘔が精神的なモノだという証拠に、はるさん達から面白可笑しく聞かせて貰うと、吐き気がしないのです。
幕府の命令で動員された三百諸侯の江戸藩邸兵が、薩摩藩の上屋敷から抱え屋敷まで、全ての屋敷を厳重に包囲して、何時でも攻め込めるようにしていると聞いても、全く吐き気がしなかったのです。
田沼意次には詳しく話さないようにして貰っていたのに、はるさん達が替え唄にして揶揄するように教えてくれるのは、とても面白かったのです。
面白く聞かせて貰いながら、今の江戸がどのような状況になっているかを、数日遅れで知ることが出来ました。
はるさん達の話から分かったのは、最初薩摩藩は知らぬ存ぜぬを押し通す気でいたようですが、そうは問屋が卸さなかったのです。
何故なら、田沼家上屋敷を襲撃した黒装束の半数が返り討ちになっていたのです。
その遺体の人相書きを作り、町奉行所と寺社奉行所はもちろん、大目付の配下までが、全薩摩藩屋敷近くで人相書きと似ている者を知らないかと尋ね歩いたので、ほぼ全員が薩摩藩屋敷に出入りしていたという証言が取れたそうです。
そんな話しをはるさん達は、薩摩守や一橋公の愚かさを揶揄するように脚色して唄って聞かせるだけでなく、軽妙珍妙に踊ってまでくれるのですから、吐き気に襲われるどころか、腹筋が痙攣するほど笑わせてもらいました。
はるさん達が私を想ってくれているのが手に取るように分かって、吐き気ではなく感謝の涙と笑いで御化粧が何度駄目になった事か。
はるさん達が毎日私を楽しませてくれるので、頭と心に焼き付いた嫌な光景を、起きている間に思い出す頻度はとても少なくなりました。
ですが全く思い出さないという訳ではありません。
今までは気を失っている時には思い出しませんでしたが、今は夜寝ている時に思い出してうなされるようになっています。
最近では吐き気に襲われるのではなく、黒装束が私に襲い掛かってくる夢を見るようになってしまいました。
それが何を暗示しているのか私には分かりません。
色々原因を考えて、治療のために自分で鍼をうってみましたが、駄目でした。
身体に跡が残ろないように糸灸を据えてみたりもしましたが、それも駄目でした。
しかし鍼灸は直ぐに効果が現れるものではありません。
足の親指内側の爪甲根部の角にある隠白と、足の第二趾外側の爪甲根にある厲兌に糸灸を据え続ける事にしました。
この二つの経穴は、私が子供の頃に悪夢を見て泣いていると、家で働いていた鍼灸師の方が灸を据えてくれたツボです。
あの時の私には一度で効果があったのですが、今回は時間がかかります。
それが実力の差なのか症状の差なのかは分かりませんが、諦める気はありません。
毎日据え続けていれば、私の実力も上がるでしょうし、徐々に体質も改善されて効果も表れると思うのです。
他にも精神を病んでいる時のツボに灸を据えることも考えました。
自律神経を失調している時に効果のあるツボにも色々あります。
手のひら側の手首横紋の中央から上へ指三本分にある内関。
胸の谷間にある膻中。
頭の天辺にある百会。
どう考えても精神的な事が原因だとしか思えない私の症状なら、きっと効果があるとは思います。
ですが私は手技と予習していただけ、家で働いている鍼灸師さん達から、特定の経穴の組み合わせを教えられただけなのです。
経絡を考えた施術が出来る訳ではないのです。
隠白と厲兌の組み合わせと、内関と膻中と百会の組み合わせを同時に施術する事が、互いの効果を打ち消し合う可能性もあれば、最悪効果が強くなり過ぎて、もっと精神を失調させる可能性もあるのです。
そう考えれば、慌てずに一つの組み合わせを時間をかけて試すしかありません。
どうしてもやりたいのなら、藩医や御典医に聞くしかありませんが、出来れば聞きたくありません。
今までなんの手立ても講じられず、将軍家の子供達を死なせ続けていた御典医達を、私は信じることが出来ないのです。
「神使様、稲荷社に御供させていただきます」
今日も楓さんが声をかけてくれます。
この時間が一番余裕があるのでしょう。
はるさん達の御陰で楽しく過ごせるようになってから十日経っています。
はるさん達の御陰で、また稲荷社に参詣できるようになりました。
まだ屋敷の外に出る気にはなれないので、田沼家上屋敷の庭にある稲荷社に、一日三度参詣するようにしています。
「今日もはるさん達と同じ酒肴の用意をさせて頂いております」
楓さんは私の気持ちを汲んで、色々と気をつかってくれています。
私は自分だけ美味しい物を食べる気になれないのです。
私のために一生懸命芸を披露してくれる、はるさん達と同じ物が食べたいのです。
朝食と夕食は別々に食べるからいいのですが、昼食と合間に出される酒肴は同じ部屋で食べるので、余りにも格差のある膳が並ぶのには耐えられないのです。
楓さんはそんな私の気持ちを汲んで、全く同じ昼食と酒肴を用意してくれますが、決して贅沢過ぎる内容ではありません。
徳川家基に急襲された時の事が教訓になっているのです。
元々田沼家は贅沢するような家風ではありません。
徳川家治に質素倹約をやってもらっている以上、田沼家でも質素倹約を率先垂範していますから、料理に使われる素材は安価な物ばかりです。
出入りの魚屋が、その日の安い魚を持ってきてくれるので、鰯、鯵、秋刀魚、新子、穴子、蛸、烏賊、浅利、蜆、芝海老などを刺身や膾にして出してくれます。
いえ、魚屋だけでなく、野菜売りも総菜売りも安い物を持ってきてくれます。
その安い素材を、田沼家の料理人が腕によりをかけて料理してくれるのです。
酒肴の主な内容な煮豆と豆腐料理です。
でも豆腐に飽きないように、色々工夫した豆腐料理を順番にだしてくれます。
漬物も飽きないように梅干し、大根のぬか味噌漬け、なすび漬け、茎菜の漬物、らっきょうを順番に出すようにしてくれています。
はるさん達と愉しく過ごすようになってから十日を過ぎ二十日に近づくと、徐々に自分のやっている事に疑問を感じるようになってきました。
今の私は、自身の力では全く何もせずに、ただ遊び暮らしているだけです。
はるさん達に対する御礼も、田沼意次が払ってくれています。
私は無性に何か人の役に立つことがやりたくなったのです。
ですが私に出来る事など限られています。
大した知識や能力があるわけではありません。
母の本を読んでいた事で、徳川家基を助けることは出来ましたし、将軍家の子供を死に難くする方法を伝えることは出来ました。
ですがはるさん達に直接何かしてあげられるわけではありません。
私が医師なら、せめて医学生としての知識があれば、もっと何かしてあげられたのに、今の私では何もしてあげられません。
それでも諦められずに、覚えている事で役に立ちそうな事を必死で探しました。
そこでふと思い出したのが、ビタミンAの不足から発症する夜盲症です。
将軍家や田沼家には、脚気を防ぐための食事療法を伝えましたが、江戸の庶民に伝えたわけではありません。
まだ知られていない食事療法を、本にして広めるべきではないかと思ったのです。
基本は、江戸の白米文化を打ち壊して、玄米食をさせることです。
ですが母の本に書かれていた内容が本当なら、色々と越えなければいけない問題があります。
まず絶対的に玄米よりも白米の方がおいしい事。
二つ目は玄米の方が炊くのに多くの燃料が必要な事。
三つ目が玄米の方が早く痛むので、一日一度の炊飯ではすまなくなってしまう事。
特に夏場の事を考えると、食中毒が心配です。
ですが食生活の改善は、何としても成し遂げなければいけない事です。
ビタミン欠乏症から色々の病気になる事は、私だって知っています。
あ、私の精神的な症状も、ビタミンB6を優先的に摂取したら、神経過敏が抑えられるかもしれません。
「楓さん、食事で病が治る本を作りたくなりました。
まずはその為の料理を考えなければいけません。
料理人に協力してもらいたいので、話しを通してください。
必要ならお登勢さんと主殿頭殿に許可を取ってください」
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