第19話:襲撃後の手配り

 品川まで行くときには三時間だったのに、安全な道を選び警戒しながらの帰り道は、四時間もかかってしまいました。


 途中にある辻番所のなかには、武芸に自信のある勇敢な当番が、後をつけていると思われる者を捕らえよう、捕り物用の刺又、袖絡、突棒を手に追いかけてくれましたが、敵もかなり鍛えられた者のようで、上手く逃げてしまいました。


 その状況を、逐一久左衛門殿かお登勢さんが報告してくれるのですが、籠の中で震えている私は、その度に一喜一憂してしまいました。


「危険な役目をよく果たしてくれました。

 皆も大変疲れたでしょう。

 この後はゆっくりと休んでください。

 当麻殿達にも屋敷で休んでもらいたいのですが、どうですか」


 私は精も根も尽き果てそうなくらい疲れてしまっていましたが、護ってもらった身としては、御礼を言わないわけにはいきません。

 部屋に戻って布団に倒れ込みたいのを我慢して、供侍や女中、当麻殿達に御礼を言い、更に当麻殿達に屋敷で休んでもらいたいと久左衛門殿に言ってみました。


「いえ、少々心配な事がございまので、直ぐに道場に帰らせて頂きます。

 敵が道場や門弟の家を、襲撃しているかもしれないと思い至りました。

 急ぎ道場と門弟の家を廻り、無事を確認したいと思います」


「それはいけません、女房子供を人質の捕られたら一大事です。

 久左衛門殿、当麻殿達を屋敷の御長屋に住んでもらうわけにはいきませんか」


「これは考えが至りませんでした。

 大変申し訳ない事をしておりました。

 至急御長屋を整え、当麻殿達に入ってもらえるように手配いたします。

 上屋敷に場所がなければ、拝領させていただいた下屋敷か、姫様が拝領された屋敷に入っていただきましょう」


「御気遣い感謝の言葉もございません。

 十分な働きをする為には、後顧の憂いなきようにしなければなりません。

 遠慮することなく、御受けさせて頂きます」


 当麻殿達はそう言うと、急いで屋敷を出て行かれました。

 何事もなければいいのですが、とても心配です。

 信用できる周旋屋から、腕利きの用心棒を雇う手もあるのでしょうが、何を基準に信用するのかが問題ですね。


 私は眠りたい気持ちを我慢して、湯殿を使い食事を取りました。

 起きていなければ、当麻殿達の無事を確かめる事もできません。

 何かしていなければ起きていられないくらい、とても疲れていたのです。

 当麻殿達の無事が分からないのに、食事をするのは失礼かとも思いましたが、腹が減っては戦が出来ぬとも言いますので、何かあった時に備えてしっかり食べました。


 幸いなことに、当麻殿達の家族は皆無事でした。

 ですが、道場を守っていた門弟の話しでは、怪しい連中が道場を伺っていたそうですので、心配のし過ぎとは言い切れません。

 今回助太刀してくれている門弟の方々で、長屋暮らしをしている御浪人が、妻子を連れて屋敷にやってこられました。


 その日の私は、綿のように疲れて泥のように眠ってしまいました。

 前回は一瞬の襲撃に恐怖を感じただけでしたが、今回は四時間も恐怖を感じて怯え続けていたのです。

 心身の消耗は、前回の比ではなかったのでしょう。

 そんな私でしたが、翌朝は夜明け前に目が覚めました。

 私が起きて早々に、田沼親子が挨拶に来てくれたのです。


「しばらくは屋敷の御稲荷様に参詣させていただきます。

 屋敷の外に出るのは、主殿頭の親戚筋から腕利きの助太刀が来てくれて、私と屋敷の安全が確保できてからにします」


 元の世界に帰りたい気持ちに変わりはありません。

 焦る気持ちは昨日までと同じようにあります。

 ですが昨日一日つけ狙われた恐怖が、帰りたい気持ちを上回りました。

 とてもではないですが、恐ろし過ぎて屋敷から出る気にはなれません。


「承りました、急いで警護を務めてくれる腕利きを集めましょう」


 田沼意次は婚姻政策で、井伊家などの有力大名家と親戚になっていたはずです。

 そんな家から腕利きを助っ人に集めてくれれば、私も安心です。

 以前からそんな話をしていましたし、私の御告げを信じた徳川家治も、田沼意次の親戚筋に声をかけてくれるかもしれません。

 上様から声がかかれば、余程のことがない限り、助っ人を出してくれるでしょう。


「では私達はこれで失礼させて頂きます」


 他にも色々と話したかったですが、私が落ち着いたと思ったのか、それとも対客日だったのか、田沼親子は長居することなく部屋から出て行きました。

 その後は特にやる事もなく、前日よりも多い、鎧兜で完全武装をした、警護の侍を眼の端に捕らえながら、切絵図と武鑑を見て過ごしました。


 切絵図は、何かあったらどう逃げるかを考えるために見ていました。

 田沼親子が、私に上屋敷から移動してもらいたいと言いだしたからです。

 それに備えて、どこに移動するか決めておかなければいけません。

 昨日実際に襲撃されそうになるまでは、少しでも伏見稲荷大社に近くて海にも近い、芝高輪の屋敷に移動したいと思っていました。


 ですが襲撃されそうになったうえに、ずっと付け狙われて考えが変わりました。

 芝高輪には、襲撃する連中が隠れ潜める、寺社や田畑がとても多いうえに、襲撃後に逃げやすい東海道筋なのです。

 とても恐ろしくて住めないと思ったのですが、寺社や田畑が多いのは、王子稲荷社近くの屋敷も向嶋の屋敷も同じです。


 そうなると、つい先日私の屋敷と一緒に田沼意次が徳川家治から下賜された、京橋南築地鉄砲洲の下屋敷という事になります。


 切絵図で確認すると、数馬橋の袂にあるので、違う町に潜んで橋を渡って急襲することができるかもしれませんが、数馬橋を見張るための辻番所があります。

 塀を挟んだ隣りは、青山下野守という人の屋敷になっています。

 後でこの家が信用できるかどうか確認しておきましょう。


 田沼家下屋敷に面している道は二つ。

 その内の数馬橋側は辻番所で見張れますが、反対側も、中川修理太夫という人の屋敷と松平遠江守という人の屋敷の間にある、辻番所から見張れます。

 問題は敵がその間にある軽子橋を渡って来た場合ですが、それは二つの辻番所に多めの当番を置くことで、何とか出来るでしょう。


 残る問題は、敵が海側から船で急襲してくる場合ですね。

 敵が海から明石橋を通って堀を使えば、直ぐに襲い掛かって来れます。

 海側は町家で、辻番所どころか見張り番屋もありません。

 数馬橋を渡った向うの辻番所なら、下屋敷に面している堀を見張ることが出来るでしょうが、田沼家と関係がない辻番所の人間を信じきるわけにはいきません。


「神使様、当麻殿達が朝の挨拶がしたいと参っております」


 廊下からお登勢さんが声をかけてくれて、初めて現実に引き戻されました。

 二人の女中が、眠気を吹き払うような表情を浮かべています。

 私は一心不乱に考えていたのでしょう。

 二人の女中が警護を兼ねて部屋にいてくれるのに、無視していました。

 仕えるべき相手に完全に無視されながら、同じ部屋にいるのは辛かったでしょう。


「会わせて頂きます。

 部屋に案内してください」


 こう答えると、直ぐにお登勢さんと久左衛門殿が当麻殿を連れてきてくれました。

 他の方々も連れて来てくれるかと思いましたが、当麻殿だけでした。

 昨日の今日なので、警戒しているのかもしれません。

 ですがそれでは、当麻殿達の心証を悪くしてしまうかもしれません。


「姫様の麗しき御尊顔を拝し奉り、わたくしめ恐悦至極でございます」


 当麻殿も型通りの挨拶をしてくれます。

 特に気を悪くしたようには見えませんが、言い訳はしておくべきですね。


「あら、何故当麻殿だけなのですか。

 私は全員に部屋に来てもらう心算でしたのよ。

 今からでも連れてきてもらいたいですわ」


「姫様の皆に平等に接しようとされる所は、とても御立派なのですが、今このような事態になってはそうもいきません。

 当麻殿と御門弟の方々は信用できるのですが、徐々に派遣されてくる親戚筋の助っ人を、簡単に信用するわけにはいきません。

 当麻殿の御門弟衆全員に御目見えを許していては、親戚筋の家臣にも御目見えを許さないわけにはいかなくなってしまうのですが、それは危険なのでございます」


 なるほど、確かにその通りですね。

 田沼意次の婚姻政策で親戚になった家は、意次が失脚して粘着質の松平定信が権力を握った途端、養子に迎えた意次の子供達が追いだしています。

 そんな親戚筋はとても信用できませんね。


「姫様、私も御家老の申される通りだと思います。

 敵の手先が入りこむことも十分あり得ます。

 御親戚の家臣の方々は大丈夫でも、何かの折にやってくる家臣の方々の奉公人が、敵に懐柔されている事もございます。

 当世の奉公人は、渡りの者がほとんどでございますから」


 確かに当麻殿の申される通りですね。

 親戚筋の大名家から、伝言を預かってきたと偽って、敵の手先が中間に化けて入りこむことも考えられますね。


「これは私が迂闊でした、当麻殿や久左衛門殿の申される通りですね。

 分かりました、御二人の御配慮に従いましょう」


 私がそう言うと、久左衛門殿とお登勢さんが安堵の表情を浮かべました。

 私は二人に、心配と負担をかけてしまっていたのですね。

 これからはもう少し自重する事にしますから、許してください。


「姫様、昨日話させて頂いていた、越後の瞽女達に話しを聞く件でございますが、屋敷の安全が確保されるまで、待つ方がいいと思われます」


「確かにその通りですね。

 安全が確認できるまでは、彼女達に会うわけにはいきません。

 万が一にも、彼女達を巻き込んではいけませんからね」

 

 私がそう言うと、当麻殿はもちろん、久左衛門殿とお登勢さん、当麻殿を見張るために同行したであろう、虎太郎殿と女中達まで感心したような表情をします。


「私、何かおかしい事を口にしましたか」


 全員が互いに視線を交えて、誰が話すのか確認しています。

 私、そんな話し難い事を聞いたのですか。 


「恐れながら申しあげます」


 全員を代表して、久左衛門殿が話してくれるようです。


「姫様の自分の事よりも瞽女を心配する御言葉に、感服させて頂いたのです。

 普通ならば、自分の身を一番最初に案じるものでございますから」

 

 そんな事を言われたら照れてしまいます。

 抑えようとしているのに、顔が火照ってしまいます。

 こんな表情を皆に見られるのは、恥ずかし過ぎます。


「あ、当たり前のことを言っただけです。

 そのように大袈裟にいう事ではありません。

 もうその話題は止めてください。

 当麻殿、越後の瞽女達に話を聞く時期は御任せします」


 私は真っ赤になっている事を自覚しながら、早口で言ってしまいました。

 もう恥ずかし過ぎて耐えられません。

 全員部屋を出て行ってと言ってしまえればとても楽なのですが、私の為に命懸けで戦ってくれる人達に、そんな我儘は言えません。

 今は部屋で寛いでいる私的時間ではなく、御目見えという公式時間なのですから。


「承りました、御安心下さい。

 姫様の安全を一番に考えながら、姫様の願いを叶えられるように考えさせていただきますので、今暫く御猶予ください」


「気にしないでください、当麻殿。

 このような状況ですから、約束した事を完全に守るのは難しいでしょう。

 私の安全を一番に考えてくれるのは嬉しいですが、瞽女達はもちろん門弟衆や家中の方々の安全も考えてください。

 私の為に誰かが死んでしまったら、私の心が潰れてしまいますから」


 ああ、また言い過ぎてしまったようです。

 部屋中の人達が感動してしまいました。

 私は感動してもらえるような立派な人間ではないのです。

 もう私に建前の言葉を口にさせないでください、御願いします。


「ではそろそろ御前を下がらせていただきます。

 あまり長居してしまうと姫様が休まれません」


 久左衛門殿がやっとそう口にしてくれました。

 私を聖人君主のような目で見る人達と同じ部屋にいるのは気詰まりです。

 ああ、駄目です、まだ話さなければいけない事がありました。


「今少し待ってください久左衛門殿。

 この屋敷の警備も大切ですが、下屋敷も大切です。

 先に主殿頭殿から、危険な上屋敷から下屋敷か私の拝領屋敷に、移動して欲しいと言われているのです」


「姫様は、私邸ではなく田沼家の下屋敷に移りたいのでございすね」


 私の言葉を聞いて久左衛門殿が確認してきました。


「ええ、どう考えても寺社や田畑の多い私の屋敷よりも、武家屋敷に囲まれた田沼家の下屋敷の方が安全です。

 これを見てください」


 私は自分で立って先程見ていた切絵図を持ってきました。

 女中達が慌てていますが仕方ありません。

 私には、何をするのも女中にやってもらうような習慣はないのです。 

 女中達がお登勢さんや久左衛門殿に怒られないように、後でひと言注意しておきましょう。


 私は当麻殿と久左衛門殿に切絵図を見るように言いました。

 その上で先程考えていた、下屋敷の警備方法を話してみました。


「確かに海から小舟を使って襲撃をされると厄介ですな」


 久左衛門殿が眉をひそめています。


「海からだけとは限らませんぞ、御家老。

 明石橋付近に船を置いておいて、この海沿いの町家に隠れ家を確保して兵を潜めておけば、機を見て屋敷を襲撃する事が可能ですぞ」


 当麻殿が切絵図の扇子で示しています。

 久左衛門殿の表情がさらに厳しくなりました。

 久左衛門殿も、私を下屋敷に避難させる心算だったのでしょう。


「久左衛門殿、主殿頭殿に、上屋敷を出て行くのは時間がかかると伝えてください」


 私は思い切って命令口調で言ってみました。

 

「承りました。

 姫様がそう言ってくだされば、主も無理に屋敷を移って下さいとは申しますまい」


 久左衛門殿が力強く答えてくれましたから、これで大丈夫ですね。

 久左衛門殿も出来るなら兵力を分けたくないのでしょう。

 田沼意次を囮にして敵を誘うのは反対なのでしょうか。

 私がこの上屋敷にいる限り、十分な兵力で敵を迎え討てます。

 これでしばらくは大丈夫だと思いますが、心配なのは、田沼意次が命懸けで一橋と松平定信を挑発したりしないかです。

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