6 君と約束をする
ルルと初めて会った日。
あの日は、雨だった。
■■■
「おあー」
「猫って全部にゃーっ鳴くわけじゃないんだな」
変なところで感心した覚えがある。いや、今、ココは笑うとこじゃないって。でもそうなんだよな、にゃーじゃないんだよ。ルルは『おあー』って鳴くんだよ。
玄関に入ろうとしたら、白猫が俺を見上げていた。入学し、学校生活が始まって1週間後、まったくクラスに溶け込めないと自覚した時で。
滝のような――ゲリラ豪雨が降った日だったから、なおさら孤独を味あわせてくれて。
だから、あの日のことは鮮明により憶えていた。
「おあーー」
――そこの人間。少し雨宿りさせてくれないか。贅沢は言わないから、少しご飯も分けてくれたらありがたい。
別に猫がそう言ったわけでは無いけれど。どうも、この猫には人間臭いところがあるというか。俺にはそういう風に聞こえてしまったんだ。
「たいしたものはないけど、上がっていくか?」
「おあー」
感謝する、そう言ったような気がした。変な猫。あの時はそれぐらいの感覚だった。
■■■
雨が降り止まない。ベッドに潜り込むと、アイツも入ってきた。玄関は少し開けていたので、アイツが出られるようにしていたが、まだ出ていく気はないらしい。
不用心?
いや、特に盗られるものもないしね。
あいつは俺の腹の上にゆっくり上がってきた。
「お前、図々しいな」
アイツは鳴かずに欠伸だけした。猫の温もりを感じながら、そういえばと思う。誰かと関わったり、言葉を交わすのもコッチに来てから、はじめてだったんじゃないだろうか。
雨の音が少し和らいできて。それもあったのか。感情がこみ上げてきて。ちょっとだけ、泣いてしまったんだ。
■■■
朝、起きたら白猫がいなかった。猫は自由って聞く。アイツは雨宿りできたし、晩飯にもありつけたので、満足だったんだろう。そう思う。
でも弱い自分も吐き出せたから、何か気持ちが軽くなった気がした。少しだけ、頑張ってみよう。そう思えただけ良いと思えた。
だから、聞こえていないと分かっていても。あいつに向けて「ありがとう」って声を出していた。もう少し、頑張ってみようか、と。自分自身に背中を押す意味もこめて。
■■■
「へ?」
学校から帰ると、白猫が尻尾を振って、俺を待っていた。
――遅かったな、人間。
そう言われた気がして。
俺が玄関を開けると、アイツは当たり前のように部屋のなかに入ってくる。
「お、おい、猫。ちょっとま――」
「おあー」
一声鳴く。お前が寂しそうだから、当面、一緒にいてやるよ。感謝しろ。
勝手な翻訳だが、本当にそう言われた気がした。
仕方なく見つけた賃貸アパートだったが、ペット可物件だったのは幸いだった。家賃が高いと思っていたが、こういう運命なのかと納得するしかない。
「お前、名前どうするよ?」
尻尾をパタン。つけたければ勝手につければ良い。そう言われた気がして。
オカシイだろ? でも何だかそう本当に言っている気がするんだよ、ウチの相棒は。
「……ルルって名前はどうだろう?」
猫が顔を上げた。目を少し細めながら。
――まぁ、お前がそう呼びたいのなら。
ルルが小さく鳴いた。
■■■
スマートフォンで写真を見せながら、馴れ初めを話す。下河は写真を気にしつつも、俺の話しも真剣に聞いてくれて。いや、ここまで話すつもりはなかったのだけれど、つい口を滑らせて、いらないこと――格好悪いことまで話してしまった。今更ながら気恥ずかしい。
「賢いんですね、ルルちゃん……」
「どうなんだろうね、俺が勝手にそう思っているだけだし」
毛並みも綺麗で、どこかで飼われていたのではと思う。自由さは変わらず。猫の飼い主として失格かもしれないが、俺が登校すると同時に家を出て、帰る頃に玄関で待っている。
同居人として言うが、本当に変な猫である。そんな感じなので、最近はスケジュールをルルに伝えるようにしている。他人から見れば猫に何やってるんだ、って思われるだろうが、俺達の共同生活の中で、至極当たり前のやりとりになっていた。
「……そんなことは無いです。ただ、羨ましいって思います」
下河は頬を紅潮させながらスマートフォン上の写真をフリックした。たいした写真は入っていないので、操作は下河に任せている。本当に猫が好きなんだなと、下河を見ているだけで飽きない。
と、その手が止まった。
下河が見てはいけないモノを見てしまったと言わんばかりに、ワタワタ慌てだした。
「あ、あの、ごめ、ごめんなさい……」
「大丈夫だって。あっちの友達ってだけだから。見られて困る写真じゃないしね」
そう笑いかける。
「あ、うん……」
下河は、画面をフリックさせていく。再び、ルルを羨ましそうに見ていた。本当に表情がコロコロ変わるな、って思う。
「いいなぁ、ルルちゃん」
「お母さんが猫アレルギーなら、連れてくるわけにも行かないもんなぁ」
ルルなら理由さえあれば、一緒に来てくる気がする。だが下河・母の猫アレルギーを考えると、現実問題、不可能だろう。
「……行きたいなぁ」
スマートフォンの画面を、それから俺を見比べて――ピクンと震わせて、そして俯く。その顔は心なしか赤くて。
きっと下河なりに勇気を振り絞っている。自分のなかで何かを変えようとしている。それはさすがの俺にも理解できた。
「あのさ」
と言った俺の声の方が、上擦っていた。
「もし、なんだけど。リハビリとして、下河の家の周り一緒に歩いてみないか?」
「え?」
「ちょっとずつ、無理のない範囲で、外に出てみて。外に出たら、もしかしたらルルを連れてきてあげることができるかもしれないし」
ぽーっと俺の顔を見て――ようやく言った意味を理解できたのか、少し間をおいてコクンと、大きく頷く。
「それは上川君が、リハビリを手伝ってくれるっていうこと?」
「あ、そりゃ、もちろん」
と俺は頷く。下河はほっとしたような、安堵したような、そして本当に嬉しそうに笑んでくれる。
「下河?」
「あ、え、あ、安心しちゃって。あの、ここまで普通に話せたのは、上川君がはじめてで。甘えてばかりで、本当に申し訳ないいんですけれど、その――」
下河は大きく息を吸い込む。決意をこめるように。
「上川君が一緒なら、頑張れる気がするんです!」
「そっか」
すごいなあ、下河は。俺が想像できないほど辛いことがあったはずなのに。それでも前を向こうとしている。
「でも、頑張り過ぎないでよ? もう十分すぎるほど頑張っていると思うから。できる範囲、できるだけで良いんだから」
気付けば、下河の髪を撫でていた。つい甥っ子や姪っ子にする感覚でやってしまう。人とまともに交流していないから、すっかりコミュ障になっている自覚がある。俺はあわてて手を離した。話題を変えようとした俺の口はとんでもないことを口走っていた。
「でも、頑張る下河にご褒美が必要だよね? 俺もルルに早く会わせてあげたいって思うから。LINKのID交換する? そうしたらルルの写真を送れ――あ、いや、今のなしなし。ごめん、厚かましい。ごめ――」
いきなりSNSのID交換を迫るヤツがいるか。俺はバカか、バカなのか――。
自己嫌悪に陥りそうになった思考回路を止めてくれたのもやっぱり下河で。
「……したいです。私も、上川君とLINKのID交換したいです。お友達、なりたいです……」
下河が今にも消え入りそうな声で言う。それは俺も――と思って、言葉を変えることにした。多分、下河が欲しい言葉は一緒に弱気になることじゃない。そう思った。
「ID交換してくれるのは嬉しいけど、勘違いしないでよ?」
「え?」
下河の顔が強張る。あ、これ誤解を与えたかもしれない。でも、はっきり伝えなくちゃ。それこそ厚かましいかもしれないけれど。
「俺たち、もう友達だと思っていたよ?」
下河は俺の言葉にポカンとして――その目から、雫が零れ滴る。
いや、まて、待って。俺、そこまで下河の感情を引っ掻き回すつもりはなくて。でも、その後、すぐにその表情に向日葵のような笑顔が咲いて。
涙と笑顔を混在させながら、下河は俺に微笑みかける。
「下河さん、その、ごめ――」
「ちが、違うんです。嬉しくて、本当に嬉しくて。すごく嬉しくて。ともだち、って思って良いんですよね? 今までそんな風に考えたことなかったから、本当に本当にうれ、嬉し――」
あとは言葉にならなくて。下河の感情は、決壊してしまったんだと思う。
下河の抱えている感情は、きっと俺には全く理解ができていない。
でも、と思った。
できるだけ受け止めてあげたい。心底そう思う。
今まで、こんな感情を一人で抱えていただなんて、そんなのあまりに寂しすぎるじゃないか。
俺は、無意識に彼女の左手に触れる。両手で包み込むように。右手は自分の涙を抑えよう、こらえようと必死だったから。
これぐらいなら許されるだろう。その感情をできるだけ受け止めてあげたかったから。きっとほんの少しも受け止められないとしても。
甥っ子や、姪っ子にしてあげるように、できるだけ寄り添って。
そう自分に何度も言い訳をしながら。
でもね、俺は下河に囁いた。
「俺が一番、下河さんと友達になりたいって思っていたんだ――」
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