4 君のことが弥生先生は気になる(ついでに俺のことも気になっている)


 俺はベッドに倒れ込むように横になった。さも当たり前のように、白猫――ルルが俺の腹に居座る。

 いつものことなので、自由にさせておく。


 入学してから拾った――紛れ込んできたオス猫だ。毛並みが綺麗だし、きっと誰かに飼われていたのだと思う。今そのまま同居人として生活をしていた。


 考えてみたら、コッチに来てから唯一の話し相手がルルなのだから皮肉なものだ。


 ペット可の物件で本当に良かった。

 それにしても、と思う。深く息をついた。

 今日はバイトが無い日で助かった。


 色々とやらかした感が強い。初対面の子の家に図々しく上がりこんできたことも。料理作ろうかと言ったわりに、大失敗したことも。

 だけど、と思う。


 下河には悪いが、一緒にご飯を食べることが久しぶりだったので、嬉しかった。イヤイヤ受けたが、悪くないと思った。

 それに、妙に下河雪姫という子が気になった。


 なんで、あんな素直な子が、イジメにあうのか分からない。

 イジメの最初の理由は、本当に些細なことから始まるらしい。

 俺にはまったく理解できないけれど。


 と、スマートフォンが着信を知らせた。弥生先生からだ。


「はい、上川です」

「はーい、あなたの担任の弥生先生です!」


 なんかムカついたので、1回切った。再度、着信。


「コラ、何で切るかな!」

「いや、何となく」

「何となくじゃない! こっちは下河さんがどうだったのか、気になって仕方なかったのに!」


 今にもぷんぷんとか言いそうだ。まぁこの先生の場合、それが似合ってしまうのだが。年齢を考えればそれもどうなのかと思ってしまう。


「ぷんぷん」

「何よ、それ?」

「いや、先生が言いたそうだったので、代わりに言ってみました」

「私の年で、そんなこと言うかぁー! いや今どき誰も言わないからー!」

「旦那さんに言ってみて、是非」

「言わないしー」


 予想は大いに外れたのだった。

 閑話休題。


「下河さんの件、ずっと気になっていたんだからね」

「はいはい」


 と苦笑しつつ、報告することにした。一番心配して気にかけているのが、弥生先生なのは間違いない。それは俺もよく分かっているつもりだ。


「……そうですね、特に過呼吸になることなく応じてくれました。プリントは受け取ってもらいましたけれど、すぐすぐ学校には難しいんじゃないかなぁと思いましたけど」


 勿論、オムライスのくだりは省略である。恥ずかしくて言えたもんじゃない。


「いや、私が聞きたいのはソコじゃないんだよね」

「へ?」

「上川君、プリント渡そうとしたら、下河さん出てきたでしょう? そこまでは冬希君、グッジョブって思ったわけよ?」

「え? え? 先生、せんせい? ちょ、ちょっと待って?」

「そうしたら、上川君に抱きしめられる下河さんの図。何がどうなったのって、私は思考がショートしちゃって――」

「すと、ストップ! 待って、ちょい待って!」

「なにか?」

「いやいや、あの場所に先生いたんですか?」

「そりゃ、下河さんがどういう様子なのか、やっぱり気になるじゃない? それに上川君を『ちゃんとサポートするよ』って言ったしね。でも、先生、人選失敗したかも。私、上川君がそういう人だって思わなかったなぁ」

「へ?」

「だって、そうでしょう? いきなり初対面の女の子を口説いて、しかも女の子の家に侵入して。ご両親の許可もなくよ? 我が校始まって以来のナンパ師と言って過言では――」

「過言だから! そんなんじゃないから!」


 脱力して俺は反論するが、これはすでにマウントを弥生先生にとられている。この先生、そうだったよ……。女子高生と一緒に恋バナして盛り上がるそんな先生ひとだったよ。俺は小さくため息をつく。


 仕方なく、俺は一部始終を説明した。

 弥生先生は納得――するどころか、電話の向こう側でますますニヤついているのが伝わってくる。今すぐ通話を切ってしまっても良いだろうか?


「へぇ。へぇ。へぇー」

「なんですか?」

「いきなりオムライスねぇ」

「いや、だから。それは下河さんのリクエストで。いや俺もテンパっていたから。もうしないし、あいつだって迷惑だと思うし。この役、向いてないと思うので、もう他の誰かに頼んでくださ――」


 懇願する俺の声を、弥生先生はクスリと微笑一つでかき消すから、かなわない。


「違う、違う。ごめんね、からかいすぎて。あのね、上川君。これは素直な話し、下河さんが学校を休学してから誰も会えていないのよ。インターフォン越しでも、息が苦しそうなのが分かっちゃうくらいにはね」

「今日は全然、そんな素振りなかったかな。そういえば」

「うん。それは玄関での様子を見れば分かるし、あれが故意でないことも分かる。彼女、最近、拒食傾向で、ほとんど食べていないってご両親が言っていたからね」

「……」

「それが今日は食べるってね。さっき、下河さんのご両親に電話したんだけれど。少し元気があって、嬉しそうだって」

「そうなんですね」


 こんな見ず知らずの俺でも、しかもあんな顛末オムライスだったけれど。

 それでも少しは役にたったのかと思うと、ホッとする。


「それでね、これは下河さんのご両親からのお願いでもあるんだけれど。続けて、上川君にお願いできないかなぁって」

「え?」


 あまりの予想外のオーダーに顎が外れそうになった。

 まさか、そうきたか。

 いや、今回がたまたま、下河が過呼吸を起こさなかっただけという可能性はある。次も同じようにコミュニケーションを取れるとも限らないと思うのだが。


「重ねて言うけれどね。玄関から出てきてくれて、話ができたの上川君が初めてなの。呼吸苦なくコミュニケーションできたのもね。だからこそお願いしたいと思ってて。保健室登校を当面の目標にできたら嬉しいなぁ、って私としては思っているんだけどね」


 そこまで言われたら、断る選択肢は無いじゃないか。俺は小さくため息をついた。


「分かった、分かりました、分かりましたって! 過度に期待、しないでくださいよ!」


 半ばやけっぱち感があるが、俺は承諾したのだった。




■■■



 電話を切って、少し背伸びをする。


「にゃー」


 お腹の上のルルは慣れたもので、バランスを上手に取って居座り続ける。

 まぁ頑張りな。

 そうルルに言われた気がした。


 目を閉じる。

 長くのびた髪から、のぞいたその顔。零れた笑顔。そして何より、のびてはいたけれど、艶のある髪は本当に綺麗で。そんなことを弥生先生に言ったら、よりからかわれるだろうけれど。

 指でピースサインを作りながら、その髪にハサミをいれていくイメージ。


「絶対、可愛いと思うんだけれどなぁ」


 つぶやく。

 ルルは尻尾をパタパタ振った。

 やるだけやってみれば良いさ。


「うん」

 俺は小さく頷いた。お節介な性格はじーちゃん譲り。放っておけないのは事実だ。ばーちゃんのように気配りできたら良いのになぁと、苦笑しながら。


 ――またね。


 そう下河に向けて俺が言った刹那――彼女は虚をつかれたそんな顔をした後、満面の笑顔を見せた。

 向日葵がまるで咲き乱れるような、そんな笑顔を見せられちゃ。


 そんな笑顔をもっと見たいと思うのはワガママなんだろうか?

 とまで思って、首を横に振る。


 人恋しいにも程があるだろう。

 俺は思考を無理やり打ち消した。

 それなのに――それでも――しばらく、彼女の笑顔が瞼の裏側からちっとも消えてくれなかった。





________________


「ところで、本当にいかがわしいことしてないの?」

「何てこと聞くんだ、この教師?!」

「だって、男の子と女の子よ?」

「なら同性に頼めって!」

「でも、結局上川君が一番、人畜無害なのよね」

「へタレって言いたいのかよ!」

「まぁ、君が大君くらい包容力があればねぇ」

「生徒に包容力求めるな! 先生は旦那さんとイチャイチャしてろよ」

「今日は大君、出張なのー。そうでなきゃ上川君に電話なんかしないよー」

「暇つぶしに生徒を使うなって!」

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