第12話 子猫ちゃん!

 男子寮に女子学生であるジャスティーンが自由に出入りしているらしい事実はさておき。


(婚約者のベッドで、誰かが寝ていたらそれは気になりますよね。気になりますとも!)


「いやあの。これはその。猫?」


 裸のままのアーノルドが近づいてきて、ベッドに腰かける。

 さりげなく毛布をエルトゥールの額まで引き揚げながら、「にゃーん」と小声で言ってきた。


(……言えと? 言えって意味ですか? いまの「にゃーん」は……!!)


「にゃ、にゃあん……」

「ほら! 猫!! 猫拾ってきただけだから!!」


 アーノルドがここぞとばかりに言ったが、エルトゥールは毛布越しにも冷ややかな空気を感じ取っていった。

 納得、するわけがない。


「アル? 明らかに人間がいたよ? 見られているのに誤魔化そうとするのは、訳アリかな。婚約者殿、さては昨日、熱い夜でも過ごしちゃったの……?」


 女性としては声が低めのジャスティーンであるが、このときはまた格別に際立ったハスキーボイスで、口調だけは優しげにアーノルドを問いただしていた。


「熱い夜……。そうだな。昨日はめちゃくちゃ熱かった……。無理をさせたせいか、終わり頃なんか、声も枯れてたし。その、俺も体力の限り付き合わせたのは悪かったと思ってはいる。けど、初めてなのに覚えが良いから、つい本気になってしまって。手取り足取り、失神するまで」

「へえ」


(なんだろう。ジャスティーンさんの声が、さらに冷たいんだけど。アーノルド殿下、いまの説明で大丈夫なんだろうか。間違いじゃないんだけど……なんかこう)


「ねえ、そこの子猫ちゃん。私も子猫ちゃんと、話してみたいな。私の声は聞こえている?」


 エルトゥールは、これは自分が話しかけられていると気付いてはいたが、正直なところ、どう返事をすべきか、迷った。

 アーノルドは猫だと言っているし、ジャスティーンも猫だと認識しようとしているらしい。ここで馬鹿正直に「イルルカンナの第五王女、エルトゥール、十七歳です!」と名乗りを上げるわけには絶対いかない以上、この茶番に付き合い、猫で通すのが得策かもしれない。

 後から思えば、前日の疲労に判断力が直撃をくらっていたとしか思えないが、このときはごく真面目にそう考えてしまっていた。


「にゃ、にゃにゃあん」


 ふふっ、と誰かがふきだした気配があった。アーノルドである。

 エルトゥールの心境としては、死にたい。

 黙っていたマクシミリアンが、口を挟む。


「人間の言葉がよくわかる猫みたいですね。賢い、良い拾い物ですよ、殿下。ただし寮で猫を飼うのはあまり良くないです。捨ててこいとは言いません。俺が預かりますよ。さあ、こちらに」

「マックス……、こればかりは見逃してくれ。この猫は俺のものだ。俺になついているし、世話もきちんとするから、みんなには黙っていてくれ!」


(わー、アーノルド様、あきらかに怒っている相手に、この期に及んでまだ猫で押し通そうとしてるー!!)


 毛布の下で、エルトゥールはもはや生きた心地もせず、ただただ「殿下、無理ー!!」と叫んでいた。もちろん、心の中で。実際には手に汗を握りながら、息を殺していた。


「良いよ、マックス。そこまで。殿下がああ言う以上、今日のところは見逃しておこうかな……。ところで、女子寮の周りを早朝からずっとレベッカ嬢が落ち着きなく歩き回っていてね。何か探しているみたいだった。顔色も悪くて、全然寝ていないように見えたな。落ち着きなさいって言ってきたけど。もしかして、ひそかに飼っていた子猫の姿が見えなくて、心配していたのかも。そんな感じだった」


(レベッカ!!)


 エルトゥールは思わず跳ね起きそうになったが、気配を察したアーノルドに力いっぱい押さえつけられた。毛布の上から、おそらく位置を確認することもなく、無造作に。場所はちょうど首。息苦しくて、ぱたりとベッドに倒れこむ。


「だからね、殿下。野良猫に見えても、飼い主はいるかもしれない。自分で飼いたいなんて駄々こねてないで、さっさと解放してあげようね。子猫ちゃんも、自分のおうちがわかっているなら迷わず戻るんだよ。君を心配しているひとがいるかもしれないから。さて、マックス、我々は先に朝食に行こう。この分だと、殿下はまだまだ時間がかかりそうだ」


 言うだけ言うと、さばさばとした調子でマクシミリアンを誘いながら、ジャスティーンは足音も高く出て行った。ドアが閉まる音。

 しん、とその場が静まり返る。


「よし、もう大丈夫だ。出てきて良いぞ。念のため鍵をかけてくる」


 沈んでいたベッドがぎしっと鳴って、アーノルドが立ち上がった気配。

 ほっとして、エルトゥールは毛布を顔から剥がして、上半身を起こす。

 視線をすべらせてアーノルドを探し、裸の背中に行きついた。

 肩越しに振り返ったアーノルドは、エルトゥールの表情がさっと変わったことに気付いて、大股に部屋を横切って戻ってきた。

 今にも叫び出しそうなエルトゥールの口を、大きな掌でおさえて小声で言う。


「叫ぶな。叫ぶとしたら『にゃあん』だぞ! 今ここにいるのは猫ってことになってるんだから!」


(そんなの誰も信じてないのに、アーノルド様のあほー!)


 声を出せないせいで心で叫びつつ「もういいや猫だし」とヤケになったエルトゥールは、掌に歯をたてて噛みついた。


「痛っ」

「苦しいのに、はなしてくれないからですっ。助けて頂いたことは本当にありがたいんですけど、『抜け道』があるなら教えてください。私を心配しているひとが徹夜をしているみたいなので、早く帰らなければいけません」


 もはやアーノルドが裸であることなどどうでもよくなり、早口で言う。

 存外に真面目な顔で聞いていたアーノルドは、エルトゥールが言い終えるのを待って「わかった」と請け負い、破顔した。

 そして、明るい声で言った。


「それだけ元気なら安心した。今日も夕方から仕事だからな。塀を越えたところで待ってる。仕事の筋は悪く無さそうだったし、以後よろしく。しっかり働いてください、お姫様」


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