第7話 王子様と、美貌の婚約者
長身、黒髪、黒の瞳。
すれ違いざまに視線が絡んだ瞬間、煌きを放つが如く、瞳が光を帯びた。
通り過ぎようとしていた三人であったが、その場で足を止める。
黒髪の少年が一歩進み出てきて、エルトゥールの正面に立ち、胸に手をあてて微笑んだ。
「おはようございます。イルルカンナのエルトゥール姫ですね」
(この声……、仕草)
アルそのもの。
ただし、前日の気さくでざっくばらんな印象とはかけ離れている。
着崩すことなくきっちりと着こなされた濃紺のコートに、ウエスト部分に細いベルトをひっかけた男子学生の制服姿。
エルトゥールは、水色の瞳を見開いて目の前の少年を見上げた。
小首を傾げて、声に出さずに(アル?)と素早い唇の動きだけで尋ねてみる。
少年は片目を瞑って、笑みを深めた。
「こちらは我がリンドグラード国の第三王子、アーノルド殿下です、姫様」
やや後方に控えたレベッカが、二人の無言のやりとりには気付かなかったように彼の名を告げる。
「アーノルド様」
確認の為にエルトゥールが名を呼ぶと、「はい」と爽やかに返事をされた。
ふたたび、しっかりと視線が絡む。
(アルとは、名乗らない……か。何か事情がある? 学校では言わない方がいい?)
そもそも、王子様がカフェで働くものだろうか。それも、遊びや社会勉強レベルではなく、主力戦力に数えられるほどガチの厨房スタッフとして。
(王子様……、まあ私もお姫様ですが、働きますけどね!? 私の場合はこの高そうな学校の学費を自分で稼げと、お姉さまからの厳命がくだっておりますから!!)
悲しいかな姉妹格差。姉の命令は、いまや王命に近い。しかも、この状況はエルトゥールが縁談を蹴ったことに端を発している。おめおめと逃げ帰る道は、初めから断たれていた。
働いて、生きていくしかない。
学校生活を送りながら。
(勉強頑張って、結婚相手も探さなきゃいけないのに、学費は自分で稼げって……!! かなり厳しいと思います、お姉さま!!)
しかも期間は、たった一年。
その間に首尾よくことを進めなければ、連れ戻された上に最悪の結婚をさせられるという。
想像するだけで、ハードな二重生活。
「何か困りごとがありましたら、お声掛けください。エルトゥール様は編入扱いで、学年的には、私と同じ最終学年と聞いてます。今後授業で顔を合わせることもあるかと思いますので、どうぞ仲良くして頂けると幸いです」
歯切れよく、決まった口上を読み上げるかのような淀みのなさでアーノルドが申し出てくる。
本当に聞きたいことは、聞く隙がない。
エルトゥールが黙ったままアーノルドを見つめると、穏やかに見返される。そのまなざしからそよ風が吹き付けてくると錯覚するほど、優しく。
「そうだ。こちらの眼鏡の男はマクシミリアン。宰相の息子です。姫様が何かご入用の際にお申し付けくだされば、便宜をはかってくれるはず。やれよ、マックス」
エルトゥールから向かって、アーノルドの右手側。マックスと呼ばれたのは銀髪に眼鏡の少年。
「そして、こちらは我が婚約者殿。公爵令嬢のジャスティーン。女子寮生活も入学以来三年目、慣れたものです。日常生活で困ったときはぜひ声をかけてください。なんでもします」
いまひとり紹介されたのは、左手側に立っていた蜂蜜色の髪を肩に流した、すらりと背の高い女生徒。一見すると、背の高さはアーノルドとほぼ同じくらい。姿勢の良い長身ゆえ、顔だけ見れば恐ろしく整った面差しの男性かと思ったが、制服はエルトゥールやレベッカと同じくプリーツスカートだ。
(しかも、「婚約者」って言ってた。アーノルド様といずれご結婚される方なんだ)
まばゆいばかりの美貌。実際、直視をするのが躊躇われるほどの輝き。
こちらも、昨日カフェで一瞬見かけた凄みのある美人、「ジャスミン」に似ているように思われたのだが、何せ出会いは一瞬だったので、同一人物との確信には至らない。
無言になって考え込むエルトゥールに対し、ジャスティーンは形の良い唇に品のある笑みを浮かべて言った。
「よろしくお願いします、姫君。本当に、遠慮せずに頼ってくださいね」
「御親切に、ありがとうございます」
微笑み返してみる。目が合うだけで、緊張する。そんな美女は世の中には姉のメリエムくらいだと素直に信じて来たが、世界は広い、とすでに感じ始めていた。
「立ち話が長くなっては、ご迷惑ですね。姫様はこれからお食事のようだ。時間は少々押しているみたいですが、朝食は一日の基本です。しっかりとって、体力をつけた方が良いと思います。一日は長いですから。では、我々はこれにて失礼します」
名乗り合う為の簡易の顔合わせを絶妙なタイミングで終えて、アーノルドたちは素早く身を翻して食堂を出て行った。
(結局聞けなかったけど。今晩、カフェで会ってからかな。私じゃあるまいし、この国の王子様がカフェで働く理由なんてちょっと思いつかない。良く似ているだけの人違いかもしれない)
自分に言い聞かせ、おとなしく待機していたレベッカに「遅くなってごめん、朝ご飯、急ごう」と笑顔で声をかけた。
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