第8話 初出勤!

 学校生活一日目は、レベッカの案内のおかげで何事もなく過ぎた。

 初日ということもあり、座学関係は開講される教室の確認や、一年間の授業の流れの説明等で終了。


(姉さまには「ぼんやりの、無駄飯ぐらい」と散々言われたけど、私も王族のはしくれ。これまで受けてきた教育は、この国でも通用しそうな感触だったかな)


 教科書を見ても、わからなくて困るということもない。「テストで赤点」ということはなさそうだ。

 赤点が何かはよく知らないが、レベッカによると「成績不振」のことで、その結果「留年」「退学」「卒業できない」恐るべき事態を引き起こすらしい。


(王女といえど苦学生だから、それは避けないと……。そもそもそんなことになったら即刻国に呼び戻されてとんでもない相手に嫁がされる。だめ、絶対)


 学力的には問題なさそうでも、油断してはいけないということはよくわかった。

 そして、迎えた放課後。夕方。


 * * *


「本当に、本当に姫様おひとりで大丈夫ですか?」


 心配しきりのレベッカに、エルトゥールは「大丈夫!」と笑顔で言った。


 レベッカによると、食堂は食事人数をカウントしているわけでもなく、時間も比較的長め。夕食をとる姿が目撃されなくても、即座に不審に思われることはない、という。その後は自由時間。自室にこもる学生も多いので、運悪く寮監に探されたりしない限りは、問題なし。

 不測の事態は、隣室のレベッカが気付き次第誤魔化す手筈。

 なお、寮から抜け出す方法に関しても、レベッカが裏庭の抜け道を知っていた。帰りもそこを通り、二階のレベッカの部屋の窓に小石でもぶつけてくれれば、ロープで引き揚げるとのこと。


「初出勤ですし、夜道は危ないですから、ほどほどの時間でお仕事を終えてお帰りになってくださいね」


 レベッカは本当に不安そうで「こちらこそ、私が帰るまで起きて待っている形になるわけだから、その辺はきちんと見極めるようにする。ありがとう」とエルトゥールも心の底からお礼を言って出てきた。

 服装は、旅の間に身に着けていたシャツにスラックスの男装。目深にかぶった帽子。


 抜け道の周囲には灌木や茂みがあり、絶妙に人目につかない細い一本道で、たどり着いた塀の崩れから細い路地に出ることができた。


(……たぶん、何か暗黙の了解で、遊びに出る学生の通り道なんだろうな。寮監や警備よりも、他の学生との鉢合わせを警戒した方が良さそうだ)


 念のため辺りを窺ってから出たが、路地には幸い、人影がなかった。

 そのまま一息に駆け抜けて大きな道に出る。

 カフェ・シェラザードへの行き方は頭に入っていたので、夕暮れの石畳を足早に進んだ。


 船旅の間に馴染みのあるものになった潮風が、海の匂いを運んでくる。

 人通りは多く、相変わらず騒がしい。

 すでに酔っぱらって足取りも危ない男たちのグループにぶつからないように避けながら、前を向く。

 見覚えのある道。前日通った。ここまでくれば、もうすぐ。

 やがて、カフェ・シェラザードにたどり着いた。

 

 夕陽に染まった石造りの建物。テーブルの上にキャンドルの置かれたテラス席は、早くも埋まりはじめている。

 正面に立つと、開け放されたドアの奥からも、がやがやとした人々のざわめきがうねりとなって押し寄せて来た。


「よし、来たな。エル」


 背後で響いたのは、快活で歯切れよく、喧噪の中でも通る声。

 振り返ると、黒髪の少年が唇の端を吊り上げてにやりと笑っていた。


(やっぱり、アーノルド殿下に似てる。本人?)


 エルトゥールは一瞬目つきを鋭くしてしまったが、アルはそのまなざしを鷹揚に受け止めてにこにこと笑ったまま。

 言いたいことは気付いているだろうに、今はまだ明かすつもりはなさそうだ、とエルトゥールは理解して、頭を下げた。


「アル。今日からよろしくお願いします」

「うん。昨日は正面から入ったけど、従業員用の裏口を案内する。俺についてきて」


 さっと建物の脇の道に入っていくアルの背中を、エルは小走りで追いかけた。

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