第5話 カフェ・シェラザード

「アルーーーー!! 待ってたぞ! 早く入れ!! もう、全然まわってないからーー!!」


 店に足を踏み入れた途端、ぶわっと熱気が押し寄せてきた。

 外からみたイメージより内部は広く、席数が多い。そのほとんどが埋まっている。

 高い天井に届くほどに弾ける笑い声、飛び交う怒号めいた話し声、ナイフやフォークが食器とぶつかる音。奥にカウンター席があり、厨房で立ち働くスタッフの姿も見えていた。

 その喧噪を貫いた声。


 長い蜂蜜色の髪を首の後ろで束ねた長身の店員が、片手になみなみと注がれたジョッキを三つずつ持って、アルに叫んでいる。

 白いコックコートに黒のスラックス。緑と茶色系のストライプのエプロンを身に着けており、腰の位置が高く、足がすらりと長い。テーブルの間を通り過ぎるだけで視線を集めていた。

 向けられた瞳は深い紺碧。くっきりとした彫りの深い顔立ちは黄金比を思わせ、男性か女性か一見しただけでは判別しがたい。


(うわ、すごい美形)


「ジャスミン、悪い悪い。野暮用、すぐ行く!」


 アルは軽い調子で応じてから、エルトゥールに視線を向けた。


「さて。エルはどうしようかな」

「働く……」


 ここで、ですよね、と最後まで言えない。

 賑やかな空気に圧倒されていて、うまく口がまわらなくなっていた。


(カフェとは聞いていたけど、ここはなんというか……。大きな食堂?)


 想像より規模が大きい。

 お茶と軽食というより、しっかりめの料理と、お酒も扱っていそうだ。

 辺りを窺っていると、察したようにアルに説明をされた。


「この店、営業時間がすごく長いんだ。しかも、いつでも混んでいて忙しい。朝は焼き立てパンとコーヒー。昼くらいから料理の種類が増える。いまはちょうど、昼のピークが過ぎた時間帯だけど、過ぎたといってもふつうに忙しい。その流れのまま、夕方からはドリンクに酒が加わる。料理の味付けは若干濃い目になるかな。エルの勤務時間は普段の夜と休日の日中って聞いているから、だいたい滅茶苦茶忙しい」


(忙しいって、いま何回言ったの……?)


 お店の概要は飲み込めた気はするが、印象に残ったのは「忙しい」だけだ。

 エルトゥールが、質問も出来ぬまま緊張に顔を強張らせて口を閉ざしていると、アルがふわりと笑った。


「さすがに今日は見学かな。長旅の後なんだっけ? お腹空いてない?」


 旅装を解く間もなく連れ出されており、荷物を持っていたところも最初に見られている。アルの推察能力にホッとしつつ、エルトゥールは正直に答えた。


「はい、お腹、空いてます」


 それはもう、とてもとても。


「だよな。それじゃあ、オーダー見ながら、隙を見てエルの分も何か作る。店の味を知るのは大切! カウンター席がいいな。厨房の様子も見えるし、店の雰囲気もわかる。行こう」


 混み合った店内をすいすいと泳ぐように歩くアルに続き、案内されたカウンター席の一番隅に腰を落ち着けた。観葉植物に隠れて少し奥まった印象で、目の前の厨房からの騒々しさはダイレクトであるものの、客席と隔離されているのはありがたい。

 ほっと一息をついたところで、チリチリと視線を感じることに気付いた。


(なんだろう、気のせい、かな?)


 左側から肩越しに店内を見て、天井に目を向け、正面の厨房へと、ぐるっと首を巡らせて見てみる

 特に客の誰かから注目されている気配はない。

 視線を下に向けて、飴色のカウンターを見た。そこから何気なく右側に目を向けると、壁があるだけ。そのはずだったのに。


 猫がいた。


(猫に見える)


 長毛種である。黒と紺色の間のような深みのある毛は艶やかで、みすぼらしさはない。目は深緑。

 サイズ感は、猫として若干間違えている。大きい。王侯貴族が趣味で作らせた、精巧なぬいぐるみかな? と思ったエルトゥールの視線の先で、猫はふわあああああと大きなあくびをした。

 生きてる。


(ほ、本当に? こんなに大きいのが、猫なの? 猫型モンスターかな? 可愛いけど)


 モンスターなど実際に目にしたことはないが、人里離れた辺境には、魔力を帯びて狂暴化した猛獣がしばしば現れるという。

 聖女伝説が残り、学校のカリキュラムには魔法学がある上に、現役の魔法使いがいるとされるリンドグラードならば、もしかしたら……?

 目の前の猫のような何かに、危険な兆候や荒々しさは見いだせないが、それにしても。


 ごとん。


「はい、ジンジャーエール。ショウガがびりっと効いてて美味しいよ」


 厨房側から、カウンターテーブルにジョッキが差し出された。

 黒シャツに、赤のバンダナ、エプロンを身に着けたアルがにこにこと笑いながら立っていた。

 その背後では、鍋を振りましたり、野菜を刻んだり肉を焼いたりしている人々が見えている。動きだけで殺人的な忙しさが伝わってきて、ドキドキしながらエルはアルを見上げた。


「ありがとうございます。あの、えっと、ねこ!」

「ねこ?」


 面白そうに目を瞬かせたアルは、壁際に目を向け、「ああ」と言った。


「聖獣のジェラさんだよ。怒らせない限り暴れることはないから。怒らせないで?」


 有無を言わせぬ念押し。


「……はい」


 聖獣がどうしてカフェのカウンターにいるのか。

 聖獣というからには、やはり猫ではないのか。

 怒らせないでと言うが、逆に何をすれば怒るのか。怒った結果暴れるとどうなるのか。

 聞きたいことはたくさんあったが、何しろアルは非常に忙しそうで、引き留めるのは気が引ける。

 

「よし、じゃあがんがん食べ物持ってくるから。まずは楽しんでよ。流行ってるでしょ、この店。料理も接客も評判の人気店だよ、シェラザード」


 アルは愛想よく笑いながら言うと、軽く手を振って厨房の中へと小走りに去った。

 エルトゥールはその後ろ姿をぼんやりと見送り、ジョッキを手に取る。

 ジンジャーエール。


「うわ、びりっとした」


 一口飲んでみたそれはよく冷えていて、ほのかに甘苦く、びりりと辛い。舌の上から喉の奥まで炭酸が弾けながら流れ落ちる。

 刺激は強かったが、旅の疲れた体に不思議と心地よい。


(これ、すごく美味しい)


 しぜんと唇に笑みを浮かべてから、エルトゥールは真横で眺めてきている聖獣・ジェラさんに顔を向けて、会釈してみせた。


「あの、この店で働く予定のエルトゥールといいます。これからどうぞよろしくお願いします」


(怒らせないってこういう感じかな?)


 様子を伺っているエルトゥールに、ジェラさんは眠そうな目を向け、にゃあ、と一声鳴いてから目を閉ざした。


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