虹の聲

@anzuuuuuuuu

第1話

下手半分は浜辺。生物の気配はなく、ところどころに爆風で飛んできた木片や鉄の塊などが散乱している。端には海の家として使われていたのか、朽ちかけた木造の家がテントのような形で、最低限の住居としての形を保っている。

上手半分は海。こちらも生物の気配はない。波は穏やかだが、吸い込まれそうな不気味な波音が響いている。


一場

しばらく波の音が続いた後、人間が下手から入り。厚手の合羽のような上下の防護服にゴーグル、長靴。廃屋を見つけると杖を突きながら中に入り、重そうなリュックサックからPCとビデオカメラ、ランタン等を取り出し、PCとビデオカメラを繋いで記録を開始する。


人間 ……2027年、6月20日、15時52分。これで85回目の記録となる。例の日から一年と半年が経ったけど未だに人間の姿はない。私は今、広島から海岸沿いに約1300km北上して、青森県があった場所にいる。浜辺に丁度いい廃屋があったのでそこでしばらく休むことにしようと思う。

(再びリュックを漁り、中から小型の通信機とヘッドフォンを取り出して操作する。)

人間 この海岸に来るまでに、カメラの調子がどんどん悪くなってきてる。ここ二週間は太陽が出ていないし、バッテリーの充電もそろそろ懸念しなければいけない。(通信機のザー……という音)これで35度目の通信の試み。こちら、東経135度、日本の民間人です。これを聞いている人がいたら応答してください。繰り返します。こちら日本。聞こえますか。

(通信機のザー……という音)

人間 ……35回目の通信の試みも失敗。アメリカとの通信を期待して北上してきたけど、本当にこの世界に人類は残っているのだろうか。 (カメラを止める)……お母さん、もうくじけそうだよ。

通信機 あ……あ……。

人間 ……!き、聞こえますか。こちら日本。応答お願いします。こちら日本!

(突如、地鳴り。まともに立っていられないほど地面が激しく揺れ、さっきまで穏やかだった波が荒れている)

人間 (ヘッドフォンを投げ出して)なにっ……地震!?

(続いてぐおおんという轟音。弾丸のような水の粒が降ってくる)

人間 う……るさ……。頭が割れそう……。……そうだ、ヘッドフォン。

鯨 ぐおおん

人間 は?

鯨 ぐおおん(霧吹きを上に向けて吹き付けている)

人間 は?え?

(人間がヘッドフォンを取ると、再び轟音。鯨は口を開けたままだが、音を発していない)

人間 な……にこれっ……!(ヘッドフォンをする)

鯨 ぐおおん

人間 へ?

鯨 ぐおおおん

人間 (通信機に)あの、聞こえますか……。

鯨 ん、ああ、聞こえてる。聞こえているよ。驚かせて悪かったね。

人間 ……いえ、あの、何が起きたんですか?

鯨 む。ちょっとあくびをしただけさ。そんなにびっくり仰天されても恥ずかしいのだけれどなぁ。

人間 はあ……。

鯨 それで、何の用だい。

人間 あっ、あの、私は日本の民間人なのですが、すでに日本はほぼ壊滅状態で、私が見た限りでは人口はほぼゼロ、生きられる場所がなくなってしまっていて……ですね。

鯨 へえ、そんなことになっていたんだなぁ。

人間 はい。それで、日本まで救援に来てもらえないかと無線機を使っていて、初めてつながったのがあなただったんです。もしよければ、あなたの国を教えていただけませんか。

鯨 僕の国かい?そうだなぁ、僕が今いるこの国は日本というのだけれど……。

人間 え……?(周波数を見る)52Hz……?M(メガ)じゃなくて……?え、ど、どういうこと……?

鯨 何か問題かい?

人間 なにこれ、無線の故障……?すみません、無線の数字が、おかしくて。52Hzってなってて。

鯨 何も問題はないね。でなければおかしいというものだ。

人間 え、だって……。すみません、今どこから繋がっているんですか?

鯨 どこにいるか、それは海の中だね。

人間 ……あなた……なんなの……?

鯨 何者か、それは鯨だね。

人間 鯨……?52Hz……?52Hzの……クジラ……?

鯨 あぁ、知ってくれているのなら話が早いな。人間たちの研究やおとぎ話に付き合ってやった甲斐があるってものだな。

人間 確か……世界で、最も孤独な……。

鯨 世界で最も孤独か。いいじゃないか。誇りに思うよ。鯨という生き物はエコーロケーション、いわば超音波で獲物の位置や周辺環境の確認、そしてお互いの意思疎通をする。だけど、今から、そうだな、およそ30年程前かな。一匹だけ、世界で唯一だ。ほかの鯨たちと比べてはるかに高い周波数、まさしく、52Hzで超音波を発する鯨が発見された。

人間 じゃあ、さっきのは……。鯨の……潮吹き……?

鯨 言っただろう。ただ欠伸をしただけだ。

人間 私は今、もしかして、鯨と通信をしてるってこと……?そんな……はは……私もついにダメになっちゃったのかな……。

鯨 僕みたいに誰とも喋れないやつがいるんだ。鯨と喋れるやつがいたっておかしい話じゃないさ。

人間 鯨と喋れる人間がどこにいるっていうの!

鯨 いや、ここにいるだろ。まあ多分、その耳につけているやつがなにかをやってるんだろうけどね。

人間 この……無線機が……?

(おそるおそるヘッドフォンを外す。途端に地鳴りのような鯨の鳴き声。思わず倒れかけ、すぐにヘッドフォンを戻す)

人間 なにこれ……。

鯨 さ、人間さん、質問はすでに僕の番だよ。

人間 ちょ、ちょっと休ませて。私幻聴が聞こえてるみたい……。(横になる)

鯨 僕は十数年前からこの辺りにいるのだけれど、毎年夏になると、この砂浜はいつも人間でいっぱいになっていたんだ。だが、最近海岸には人っ子一人、ウミガメやヤドカリすら現れない。気づいたら海の中の同類たちも全く姿を見せなくなった。これはいったいどういうことなんだろうね。

人間 ……。

鯨 答えておくれよ。……僕はそもそも人間どころか同類とだって、会話というものをしたことがないんだ。誰もわからない言語を喋っているわけだからね。勝手がわからないんだ。それも含めて、教えてくれよ。

人間 ……私も、会話なんてここ一年してないし、一年ぶりの会話が鯨だと思ってなかったから、うまく説明できるかは分かんないけど……。約二、三年前、どこかのバカな国が、たくさんのバカな国と戦争を起こして、それで、バカみたいなミサイルをバカみたいな数打ち上げたの。

鯨 ふむ。人間の争いは今にはじまったことじゃないね。

人間 あまりにも規模が大きすぎた。地球が一瞬で荒廃してしまうほどに。バカな国たちは揃いも揃って馬鹿なリーダーしかいなかった。結果傍観していた国も、戦争に反対していた国も巻き込んで、自滅していった。

鯨 それでも、さすがに何人かは生き残っただろう?

人間 ……バカな人間たちは過去の傷を省みるどころか、どうやったら次はもっとその傷を広げられるかしか考えていなかった。放射線……まあ、いわゆる毒みたいなものがそのミサイルに積まれてて、地球規模でばらまかれて、その異郷で地上の生物はどんどん死んでいった。

鯨 なるほど。道理で海も静かなわけだ。僕はどうして生きているんだろう。

人間 そんなの分かるわけないでしょ。そもそもどうして私は今鯨と喋ってるの。っていうか喋れてるの!?

鯨 そんなのわかるわけないだろ。

人間 そうでしょうね!

鯨 君は?

人間 何?

鯨 今僕と会話している君だよ。もしかして幽霊とか妖精とかいう訳ではないだろ?

人間 私は……幸運だったの。たまたまが重なり合って、ここにいるだけ。たまたま家の近くに頑丈な防空壕があって、たまたま……食料と無線機が手に入って。

鯨 それは随分と幸運だね。つまり、もしかしたら君はこの世界で唯一生きている生き物なのかもしれないということだ。そしてそれは、この僕も同じ。この殺された水の星のなかで、この小さい海岸に全ての命が詰まってるっていうのは、なんだか神秘すら感じるな。

人間 鯨ってみんな頭おかしいの……?それともあなただけ?

鯨 おやおや、生まれてはじめての会話なんだから少しは甘く見てほしいな。

人間 私は別に、今の状況が幸運なんて思ったことないよ。

鯨 君は仲間はいたのかい。家族とか、友人とか。

人間 家族……。

鯨 ああ、哺乳類は子孫を繋いでいく生き物だからね。君にも居るんだろう?

人間 夫と、娘が一人いた。

鯨 それで?

人間 さあ。行方不明になって、そのあとに例の核爆弾が落ちて、探しに行くこともできないまま。一年が経っちゃった。

鯨 それは残念だね。

人間 ……。

鯨 まあ確かに、全土の人間が死んでしまうくらいの爆弾だものな。生き残っているほうが難しいだろう。悪い質問をしたね。

人間 ……いや、別に。私も、馬鹿じゃないから。そんなことはわかってるんだけどさ。(ヘッドフォンを外す)

鯨 (気づかず)僕は世界一孤独なんて言われているけれど、孤独だからこそ、意思疎通ができないからこそできることがあるんだ。君たち人間も、一人一人が僕だったら、争いなんて起きなかったはずなのにな。

人間 そんなことはわかってる。(軽い咳をする)

鯨 失うくらいなら、初めから何もしなければいいのさ。

人間 (咳が酷くなっていく)

(暗転。海の中のように、舞台全体に青白い光が差し込む。こぽこぽと、気泡の音。防空壕(廃屋)内では、娘が座り込んでいる人間を介抱している。人間は腹が膨らんでいる。)

娘 あー。あー。聞こえますか。2025年、8月6日。これが第一回目の記録です!私たちは今、家から近くの防空壕に居ます!今、お父さんがご飯を探してきてくれています!私は今、ステーキが食べたいです!

人間 ……何をしてるの?

娘 ほら、海外の映画とかでさ、ピンチの主人公がビデオメッセージを残したりするじゃん。今日は何月何日で、どんなことをしてっていうのを残すの。私も残しておこうかと思って。

人間 あはは、そういうのは偉い学者とか、研究員がするものじゃないの?食いしんぼうの記録が役に立つとは思えないけど。

娘 分かってないな。こういのは、私たちが今ここにいるっていうのを記録できればいいの。食べ物だけじゃなくっても、たとえば虹が見たいとか、クジラの背中に乗りたいとか、何気ない事でいいんだよ。

人間 お母さんはそんな記録が残るのは嫌だなぁ。

娘 そう?……もしこのビデオカメラを誰かが見たときさ。その人は、きっとこんな状況だから凄く寂しいと思うの。そんな時にこれを見て、呆れられても、バカだなぁって思われてもいいから、クスって一瞬だけでも笑えたら、私はそれだけで嬉しいな。

人間 ……そうだね。

(夫が防空壕の中に入ってくる)

娘 あ、お父さんお帰りなさい!

人間 おかえり。どうだった?

夫 ただいま。……ごめん。近くのスーパーやコンビニに行ってきたけど、食べ物どころか、お客も店員も見つからなくて……。

娘 えっ。どうするの?

夫 そこでなんだけど、聞いた話だと、隣町まで行けばまだ食料が残っているらしいんだ。あそこは大きなショッピングセンターとかデパートがあるし、配給もここよりは充実してると思う。

人間 隣町……。ねえ、あんまり無理しなくても大丈夫だよ?もう少し切り詰めていけば、しばらくは食べ物も大丈夫だと思うし……。(娘に)我慢できるよね?

娘 うん、大丈夫だよお父さん。

夫 ……いや、俺、行ってくるよ。

人間 えっ……?

夫 いつまでここに居なききゃいけないかわからないし。……それに、君には栄養が必要だから。

人間 そうかもしれないけど、でも私のせいであなたを危険な目に合わせるのは……。

娘 じゃあ、私もついてくよ。ほら、二人なら効率も違うしさ。私もお姉ちゃんとして、弟のために何かしてあげないと。それに、ついていけば美味しいもの食べられるかもしれないしね。

人間 でも……。うっ……。(激しい痛み著ともに腹を抑える)

夫 (介抱しながら)大丈夫だよ。すぐ戻ってくるさ。俺も人手が多いに越したことはないし、この子は何があっても守るから。

人間 ……。

娘 お母さん、いっぱい食べ物持ってきてあげるからね!大船に乗ったつもりで待っててよ。

人間 うん……いってらっしゃい。

(二人が防空壕から出る。)

娘 お母さん、大丈夫かな……?

夫 早くたくさん食べ物を持ってこないとな。それにしても、頼もしいな、お姉ちゃんは。

娘 当たり前でしょ。こんな状況なんだから、若い私が希望を持ってないと。あ、そうだ。お父さんも撮ってあげる。

夫 え、俺はいいよ……写真写り悪いし。

娘 それお母さんも言ってた。おかげで私も写真写り悪いんだよ。

夫 お母さん、写真撮るのはすごく上手いんだけどな。

娘 そうなの?

夫 ああ、特に風景を撮るのがうまいな。海でも山でも、生きてる自然のことを考えながら撮ってるっていうか……。写真を撮ってる時のお母さんはな、すごく楽しそうなんだ。

娘 おやおや、のろけですかな?

夫 ははは、いいカメラがあったらプレゼントしてあげたいんだけどな。

娘 へー……。(シャッターを切る)あ、薄目だ。ラッキー。

夫 こら待て。もう一回。もう一回だ。

(夫と娘上手ハケ。数秒の間。ミサイルの墜落音に続いて爆発。…ラジオのザー……という音だけが響く。)

ラジオ 日本含め、アジア諸国は……核爆弾の……放射能が薄まることはなく……(暗転まで終戦後のラジオが流れ続ける)

(人間が廃屋から出る。大きかった腹は小さくなっている。咳をしながら歩いていくと、道にビデオカメラとリュックサックが落ちているのを見つけ、手に取ろうとした瞬間、暗転)


二場

波の音入り。下手の廃屋では人間が記録の準備をしており、鯨は海から暇つぶしにそれを眺めている。



人間 6月21日、86回目の記録。久しぶりに太陽が出ているけど、海のほうから厚い雨雲が近づいてきているのが見える。明日にかけて雨が降りそうで、嵐にならなければ良いんだけど。……さて、通信機の周波数は何も弄っていないけど……。

鯨 なあ、昨日もやっていたけれど、それは意味があるのかい?

人間 あんた、結局夢じゃなかったんだね。……意味なんてないよ。でも、とりあえずこんな状況下なんだし、やれることはやっておくべきだよ。やらないで後悔するのはたくさんやってきたからさ。……。(咳をする)

鯨 ……君は、昨日も咳をしていたようだが、まさか例の毒とかいうやつにかかってるんじゃないだろうね。

人間 はは、一億ちょっとの人間を殺した毒だよ。かかっててないほうがおかしいよ。……だから、やっておくんだよ。あんたにはこの意味、分かるかな。

鯨 分からないだろうね。僕はそもそも独りだから、病気や争いに巻き込まれないんだからね。

(機材を片付ける人間と、霧吹きで潮を吹く鯨)

人間 あ、ねえ、今虹見えなかった?

鯨 虹?

人間 あちゃー、カメラに撮っておくんだった。ちょっともう一回やってみせてよ。虹なんて久しぶりに見るから、記録しておきたい。

鯨 それもやっておくべきことかい?というか、虹なんて雨のあと、いくらでも見れるだろう。(しぶしぶ潮を吹く)

人間 まあ、そうなんだけどね。ずっと、足元ばっかり見ながら歩いてきたから、そんなもの見る余裕なかったっていうか、ああっ、見えないなぁ。角度がよくないのかなぁ。

(しばらく奮闘していたが、結局撮れないまま諦める)

人間 ……なんだか、久しぶりに立ち止まった気がしたなぁ。

鯨 今までずっと歩いていたのかい?すごいな。

人間 そうじゃなくて。さっき言ったみたいに、後悔しないうちになんとか生きていこうとしてたけど、このまま死んでいくのもありだなぁって。

鯨 自ら死を選ぶのかい?人間はわからないな。

人間 私もわかんないけど、こんな状況で死にたいと思わないほうがおかしいよ。最近は、なんのために必死に生きようとしてるのか分からなくなってきた。

鯨 僕のせいかな

人間 (驚いて)どうして?

鯨 いや、君の唯一の望みだった通信機に、思わせぶりなことをしてしまったからね。君の一縷の望みを潰してしまった。

人間 ははは、大丈夫だよ。そういうことじゃない。さ、私は最後にでっかい虹くらい見てから死にたいかな。

鯨 じゃあ、僕はおちおちあくびもできないな

人間 ははは、最も孤独な鯨も冗談が分かってきたか。思ったけど、そう謳われてる割には随分おしゃべりだよね。

鯨 ……さあね、君の喋りに合わせているだけだよ。

人間 あんたは、ずっと独りぼっちで、仲間が欲しいって思ったことないわけ?

鯨 ないだろうね。それはこれからもだ。仲間がいなくても食べ物は手に入るし、その分ストレスもないだろう。いつ天敵に襲われてもおかしくない。群れると見つかりやすいし、結局はその中のどいつかが犠牲になるのさ。だから、独りを不自由に思ったことはないし、逆にこれでいいと思っている。

人間 へえ、あんたは強いんだ。

鯨 孤独だから弱いという認識が間違っているのさ。僕を研究していたアメリカの学者は僕のことを奇形だと言う。人間の耳の聞こえない奴らからは聾者、つまり僕も耳の聞こえないおかしいやつだと思われていた。それはただの憶測と偏見に過ぎないのにね。

人間 あ、そういえば私、鯨って生で見たことない。

鯨 ……。

人間 ねえ、姿を見せてみてよ。ほら、私もあんたのことを憶測と偏見で見たくないから。

(鯨、静かに人間のほうへ泳いで行き、海から背中だけ出す)

人間 わあ……真っ白……。鯨って普通黒っぽい色でしょ?

鯨 ……。

人間 綺麗……。

鯨 乗るかい?

人間 えっ、いいの。

鯨 好きなようにしたらいいよ。

人間 ……。

鯨 あ……別に嫌なら

人間 乗る!!!

鯨 ……好きなようにしたらいいよ。

(上手にハケた後、上手奥へ。浜辺はすでに見えなくなっており、鯨は半分の眼を開けながらうたた寝を。人間はビデオカメラを構えて海や鯨の様子を映している。)

人間 わあ……晴れてて良かった……。

鯨 数年前まではもう少し綺麗な群青だったのだけれどね、それでも、この場所は昔から静かでとても良いな。この辺りは本当に何もなくてね。何もないから人間も魚も、誰も来ないのさ。これほど僕に合った場所はないよ。

人間 へえ……。私も泳げたら気持ちいいだろうな。

鯨 泳げないのかい?知ってるよ。確か、カナヅチと言うんだろう?

人間 あら、喧嘩売ってるのかしら。……こんなに綺麗で、何もなくて、穏やかに見えるけど、きっともう既に、この海も汚染されてる。平然とうたた寝できるあなたが異常なくらいこの水は生き物に対して、有害なの。いくら世界で最も孤独だからって、こんな世界、流石にあなたも何かが死んでいくのは見たでしょう?

鯨 ……さあね。

人間 底まで行ったらたくさんの魚の死体が積まれてると思うとぞっとしない?

鯨 別に。

人間 ふふ、可愛くないなぁ。

鯨 じゃあ、人間は一体どうなったんだい?全員が毒で死んだのなら、君も相当な数の死骸を見てきてるはずだが。

人間 あー……。あの爆弾は、もともと人を殺すために、人間がいるところを集中的に狙って落とされたの。あまりにも破壊力に特化されたそれは、間近で食らった人は一瞬で消してしまって、後には影しか残らないっていわれてる。だから、五体満足の遺体のほうが珍しいし、一体そこで何人の人が、あるいは誰が亡くなったのかも特定できない。

鯨 なるほど。それは確か……地獄絵図というんだな。

人間 正解。それはもう地獄絵図だった。このビデオカメラはね、私のここまでの旅を記録しているんだけど、ここにはねいろんな人の生死が詰まってるんだ。

鯨 (驚いて)人の死骸を記録して、それに意味があるのかは、果たして。

人間 ……さあね。はじめは未来の希望のためだって、吐きそうになるのを堪えてなんとかカメラを構えてたけど、私も最近、意味なんてわからくなってきちゃった。

鯨 ……見せてもらえることはできるかな。

人間 見たいの?

鯨 きっと言葉は理解できないだろうけど、ただ、生き物の死ってやつに興味があるんだ。

人間 いいよ。ほら。(鯨の目の前でカメラのモニターを持ち、操作する)

(しばらく二人で記録を見る)

人間 あっ……。

鯨 ん、初めて生きている人間が出てきたな。なんだかとても元気で明るいって感じだ。……なんだか、君に似ているな?

人間 (驚いて)えっ!?(鯨の前で持っていたビデオカメラを手から落としてしまう)あっ……。

鯨 (急いで捕まえる)おい、ちゃんと持っていてもらわないと……。

人間 (鯨からカメラを奪う。酷く動転している)……しまった……私……なんてこと……。

鯨 どうしたんだい?

人間 あっ……よかった点いた……。ううん……大丈夫。拾ってくれてありがとう。

鯨 そろそろ戻るとしようか。明日から海も荒れるだろうし……背中に乗せるなんて、これきりだよ。

人間 そうだね……。うん、ありがとう。

(暗転。海の中のように、舞台全体に青白い光が差し込む。こぽこぽと、気泡の音。しばらくして赤ん坊の泣き声。人間が一場と同じ装備で下手花道から入り。重い足取り。上手花道を目指して歩いていくと、娘とすれ違い、振り向くと、カメラを向けられる)

娘 685回目の記録です。すごく苦しくて痛くて熱いです。ステーキが食べたいです。

人間 あ……ご、ごめん、ごめんね。

娘 あ、お母さん、赤ちゃんは……?おとうとかな、いもうとかなぁ、おとうとがいいなぁ。お母さんあかちゃんはどこ……?ねえ、あかちゃんはどこ……?

人間 ごめん、ごめんなさい……。ごめんなさい!!

娘 逃げるの?死んじゃうの?逃げるために死んじゃうの?駄目だよお母さん。駄目だよ。駄目だよ。駄目だよ……。

(娘から逃げるように走ると、夫とすれ違う)

夫 逃げるのかい?君は。君のために、俺たちは逃げなかったのに。

人間 違うの、これは……。

夫 死んで楽になりたいなんて、わからないなぁ。わからないなぁ君ってやつは。人間なのかい?

人間 わたしは……。

夫 俺たちはまだ死んでいないかもしれないのに?どこかで何かの下敷きになって、まだうめき声をあげているかもしれないのに?それなのに君は死にたいのかい?俺たちを探してはくれないのかい?僕たちのために君は生きてはくれないのかい?

人間 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!

(上手花道に逃げ込もうとすると、赤ん坊の泣き声がする。それからも逃げるかのように、拙い足取りで舞台中央へ)

夫・娘 死にたがりは果たして人間なのかい?あ~あ、あの鯨と一緒だよ。孤独さ。世界で最も孤独な……。

人間 なに……?なにも聞こえない、なにも聞こえないよ……。何を言っているの……?

(夫と娘は口だけを動かしている。赤ん坊の泣き声だけ)、

人間 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。

(ラジオのザーという音がすべてをかき消し、暗転。)

三場

雨が降る音。少しだが風の音が強くなってきている。嵐の前の静けさ。人間は廃屋の補強や機材の整備をしており、鯨はぷかぷかと浮かんでいる。人間はこの場面辺りから咳が激しくなり、鯨はそれが聞こえるたびにちらちらと人間の様子を気にしている。

人間 6月22日、87回目の記録。明日から雨風が酷くなりそう。最悪雷、台風の可能性もあるかもしれない。……例の鯨は、あの爆発が起こったときはどんな気分だったのだろう。もしかしたら、どんどん他の鯨たちが死んでいくのを、何もわからないまま見ていたのかもしれない。それを見て、彼は何を思ったんだろう。家族や友達……仲間を嫌う鯨は、なんとも思わなかったのだろうか。それとも、群れながら死んでいく同類たちに優越感を感じていたのだろうか。それとも……(ひどい咳をする)

鯨 (潮吹きをしながら人間に口をぱくぱくさせている)

人間 (ヘッドフォンをして)……なに?

鯨 君、咳が酷くなっていないかい。

人間 ああ、大丈夫だよ。

鯨 ……。

人間 昨晩嫌な夢を見たの。それが原因なのかはわからないけど、起きたらすごく具合が悪くてさ。こんな状況で、死にたいと思う私にしがみついて、なに勝手に死のうとしてるんだ。苦しみながら生きて行け。って、そんな夢を見てる。

鯨 ……確かに、もしすべての生き物が死んでいたとして、そんな中君が死にたいと思うのは、それは生きたかったものたちへの冒涜ということになるだろうね。

人間 うん……。そんなことはわかってるんだけどさ……。

鯨 別に、死にたかったら死ねばいいよ。自分の生き死にを誰かに合わせるなんて、それこそ馬鹿らしいってものだ。ただ……

人間 ただ……?

鯨 いや、まあ、せめて、死ぬなら海以外で死んでくれと思っただけさ。こっちは当分死ぬ予定はないから、後味が悪いかなと、それだけだよ。

人間 ああ、うん。はは……そうだね。(記録を止め、カメラをしまおうとする)

鯨 あ、そのカメラ……。

人間 カメラがどうかした?

鯨 いや、昨日も思ったけど、君の写真がなかったよな。

人間 ああ……私写真写り悪いから。撮るのは好きなんだけど。

鯨 ほう……。僕の写真は撮れるのかい?

人間 なあに、撮ってほしいの?

鯨 ただの興味本位だよ。僕は唯一信じられるものが自分しかないからね。海の中に鏡なんてものはないから、自分の姿を確認もできないだろう。

人間 いいよ。撮ってあげる。もうちょっと浜に近づいてきなよ。

鯨 (ゆっくりと浜に近づき、半身だけ浜に乗り出す)

人間 ふむ……。やっぱり改めてみると大きいね。引かないと入んないかな……。

鯨 撮ってくれるだけでいいんだよ。

人間 動かないで!

鯨 あっはい。

人間 海だったら、本当は晴れの日に撮るのが一番色が映えるんだけどね……。よし、いくよー。笑って。

鯨 だから僕は撮ってくれるだけでいいって。

人間 いいから笑う!

鯨 わかったよ!

人間 (シャッターを切る)……うん。まあまあかな。はい、これがあなた。

鯨 なるほど……いやはや、これが僕かい。なんというか、真っ白で、思ったより痩せていて、なんだか、下手糞な笑顔だな。なるほど。これが写真写りが悪いってことか。

人間 あんたの場合は笑顔からだけどね。満足した?

鯨 ああ、いや、もう一つ。

人間 なに、もうワンテイク?これ以上は有料だよー。

鯨 いや、君も、一緒に撮ることはできないのかな、と。

人間 え?

鯨 ……いや、君がもしこの先死んでしまうのなら、それだってこのカメラに記録するべきなんじゃないかい?既にこのカメラには色々な生き死にが詰まっているわけだし。

人間 まあ、そうかもしれないけど……。私の写真なんてあったところで……。

鯨 いいから、ほら。早くしよう。雨が強くなる前に。

人間 ……わかったよ。しょうがないな。(鯨の斜め前に立ち、なんとか両方が入れるように調節する)じゃあ、いくよ。ハイ、チーズ。

(シャッターを切る直前、突如空が光り、すぐに雷の音。)

人間 わっ!?……びっくりしたー。すごく大きかったよね、今の。(雨脚が強くなってきて、廃屋に避難する)ちゃんと撮れたかな。(カメラを操作しようとする)あれ。……あれ、おかしいな、あれ。あれ?どうしたんだろ。

鯨 どうかしたのかい?

人間 カメラが……。動かない……。あれ、なんで、どうして……。

鯨 カメラ?

人間 (これから、ところどころで咳をしだす)ちょっと……もう、冗談でしょ、流石に。ほら、早く、点いてよ……。なんで点かないの!?

鯨 おい、大丈夫か?咳がぶり返してきているけれど。

人間 だめ……だって、これはあの子の……ああ、だめ……。(咳が酷くなっていく)

鯨 おいおい、今日はもう休んだほうが良い。カメラはまた天気が収まってからでいいよ。

人間 ……早く……。

鯨 ……え?

人間 ……。

鯨 人間、さん?

人間 早く……探しに行かなきゃ……。あの子を……苦しい……痛い……熱い……早く、助けてあげないと。(廃屋から出て、ふらふらと上手花道へ向かう。以降、激しい咳)

鯨 (ハッとして)なあ、一体どうしたというんだい。君は早く休んだほうが良い。

人間 あの人とあの子が……。きっとどこかで私の助けを待ってるに違いない。だから……。

鯨 それは……君のつがいと子供の話かい?

人間 はやく……いかなきゃ……。(激しい咳)

鯨 だから待てと言っているんだ。君の家族はほぼ確実に死んでいるんだろう。君もそう認めたじゃないか。

人間 ……うるさい。

鯨 明日は嵐になる。この海岸だけじゃない、ここら一帯は飲み込まれるだろう。今はじっとしていたほうが賢明じゃないのかな。

人間 ……。

鯨 そもそも、もし君の家族が生きていたとして、それに命をかける意味はどこにあるんだい。

人間 (歩みを止めて、鯨の声に反応する)

鯨 独りでいるほうが賢い選択をできるのに、仲間の存在が思考を邪魔している。ほら、君は独りになった。もう仲間に縛られて生きていく必要はないんじゃないのかい。

人間 うるさい……私は違う……孤独なんかじゃない……家族がいる……。世界で最も孤独だなんて……嫌だ。

鯨 本当にどうしたんだい。君はもう諦めていたじゃないか。なんでわざわざ。君が頑張ってその家族とかいうやつらは君に何をしてくれる?……まったく、くだらないよ。

人間 うるさい!!私の家族はくだらなくなんかない。動けない私のために、危険を顧みないで動いてくれた。私を心配させないように、いつも笑顔で振舞ってくれた。……まだ放射線が残る中、防空壕から少し離れたところに、リュックサックいっぱいの食べ物とベビー用品、レンズの蓋が開けっ放しのビデオカメラが落ちてるの……。

鯨 ……だから?

人間 私が動けていれば、あの時止めていれば良かったのに、私のせいで家族を巻き込んだ。その償いをしなきゃ……。きっとまだ、あの人たちはどこかで私を待ってるから……。助けを求めてるはずだから……。

鯨 だから今は……(人間に手を伸ばす)

人間 (遮る)うるさい、うるさい、うるさい!!何もわからないくせに。家族なんて……大切な人なんて一度もいなかったあんたに、大切な人がいる幸せも辛さも知らないあんたに……!

(言いかけてハッとして鯨のほうを見ると、鯨は一瞬驚いた顔をした後、引き留めようとしていた手を下ろし、少しの沈黙のあと、上手ハケ。雨音が強くなってくるとともに暗転)

四場

嵐。強い雨風と共に、雷の音。人間は廃屋で毛布にくるまり、時折苦しそうな咳をしている。鯨は人間を見つめたまま、話しかけるタイミングを伺っている。

鯨 (魚の死体を人間に投げる。命中するが反応がない。それを三度繰り返したところでようやく人間がヘッドフォンを手に取る)

人間 なに……。

鯨 ……大丈夫かい?

人間 大丈夫に見えるの……?それとも、人にこんなものを投げるのが心配のつもり?

鯨 あ……いや、悪いことをしたよ。ごめん。

人間 もう、いい?

鯨 ああっ、ほら、ここ数日何も口にしていないだろう。だから、もしよければと思って。魚には滋養もあるし、きっと……。

人間 そんな汚染された海で獲れた魚が食べられると思ってるの?

鯨 ……。

人間 ……この魚たちだって生きてたんだよ。あんたと同じ海の中で生きていたの。こうなった原因を作ったのは確かに人間だし、その私が言うのも違うのかもしれないけどさ、よくも、そんな、生き物をぞんざいに扱えるね。

鯨 ……海峡を越えていけば、もしかしたらまだ食べられる魚がいるかもしれない。あそこはここよりもいろんな魚がいるし、陸からも離れてるから毒の影響も少ないかもだしな。

人間 ……。

鯨 すぐ戻ってくるよ。今の君には栄養が必要だろう?

人間 やめてよ!!!なんなの!?なにがしたいの!?あんたは独りぼっちが好きなんでしょ!?こんな嵐の中、たかが私なんかのために魚を獲りに行くなんてどうかしてる!もう何も言わないで。そこに居ていいから、私のことは放っておいてよ……。(咳が止まらない。吐血。)

鯨 おい、血が出てるじゃないか。そうだ、虹だよ。君は虹を見るまでは死んではいけない。そうだろ。

人間 黙って!!

鯨 あんまり急ぐ必要はないんじゃないのかい。急ぎすぎて、自分が生きていることを忘れてしまってはないかい。

人間 黙ってって言ってるでしょ!!

(人間は鯨の声を消してしまうために無線機の周波数を変える。途端に人間以外は見えなくなる(暗転)。嵐の音の代わりに、気の狂いそうな重低音の断末魔が何層にも重なり、不協和音を作っている。真っ黒の鯨が何匹も、大きく口を動かしながら、上手や下手をとても遅いスピードで泳いで移動している)

人間 あ……あああ、あ、あ!!なに、これ……。頭が……割れる……。(絶叫)苦しい……息ができない……背骨から、ヒレの感覚がなくなっていく……。沈む……沈む……暗い……独りじゃない。独りじゃないのに……怖い。怖いよ……。あ、あああ、あ、あ、!!

(もがきながらもなんとか周波数を戻すと、黒い鯨たちは消え、我に返った人間は意識が朦朧としたまま、元居た浜辺に戻ったことを認識する。鯨はとても驚いた顔で人間を凝視している。)

鯨 ……なんで……君がその周波数を知っているんだ……。なんでそれを喋っているんだ!?今、君はなんて言ったんだい!?

人間 今のは何……?

鯨 何が聞こえた?

人間 え……?

鯨 何が聞こえて、何を見たんだ、君は!

人間 真っ暗な海の中で……、たくさんの生き物が……。苦しくて、必死に泳ごうとして、でも体は動かなくて……。あれは……鯨?

(鯨の戦慄。長い間)

鯨 ……君が聞いたのは、きっと命の残響だ。

人間 命の残響?

鯨 海っていうのは、とてつもなく広くて、とてつもなく深いんだ。そんな海の中で、理不尽に殺されて、底に沈んでいった同類たちの聲は、そのエコー、つまり残響は、彼からが死んで、朽ちていった後でも、海のどこかで永遠に響き続けているのさ。つまり君が聞いたのは、僕の同類たちの死に際の想い。走馬灯というわけだ。

人間 死に際の、想い……。

鯨 とても驚いたよ。何を喋っているのかは分からなかったけど。……ああ、やっぱり僕は仲間ってやつが嫌いだ。鯨を演じていた君は、本当に酷い顔をしていたんだ。

人間 ……とっても恨んでた。行き場のない怒りを抱えてた。そうだよ。彼らは理不尽に殺されたんだ。もっとやりたいことがあったかもしれない。もっとやれることがあったのかもしれないのに。第三者からそれを潰されたんだよ。ああ、じゃあきっと……。きっと……!(無線機に手をかける)

鯨 ……何をする気だい?

人間 私がすべてから逃げて死ぬにしても、このまま償いながら生きていくにしても、きっと私は聞かなきゃいけないんだ。

鯨 まさか……。おい、それでもし君が聞くことができたなら。

人間 ……。

鯨 君はもう、認めざるを得なくなるんだぞ。それは、あまりにも、酷じゃないか……。

人間 ……聞かなきゃ。それが私のやるべきことだから。

(人間が無線機の周波数を変えると、黒い鯨のときと同様に辺りは暗くなり、断末魔が聞こえる。ただし、上手や下手を移動しているのは人間で、どの人も服や体がぼろぼろに欠損している。その姿はまるでゾンビのようで、時折、はっきりと苦しみの言葉、助けを求める言葉、愛を述べる言葉……それぞれの命の残響をを出しながら歩いている)

人間 あ…あぁあ…(絶叫)早く、探さないと……。

(無線機の目盛りを動かすほどに命の残響の量は増え、それと共に、聴いている人間の感じる苦痛の量も増えていく。)

残響 どう、して……繰り。返、したんだ……!?(この声を合図に、残響たちが一斉に流れる)人間はおろかだ……お……ろか……。いつもいつもいつもいつも……争いが……絶えないんだ……。どうすればりか、いする。んだ!?こんなこと、だったrあ、いsssそのことさきに、しnで、しまえばよkったじゃにかnあ…??

残響 うらんでやる……。どうして……どうして……どうして俺ばかりが……。殺してやる……。殺す。敵は殺してやる……。まとめて、ば、くdあんで、いっきにころしてやる。ちが、にくが、とけていく。ほねが、おれて、ないぞうが、とびでていく。おればか、りが、おれが。おればかり。

残響 ぱ、ぱ:ぱぱぱ。どこにいるの?まくくらで、前がみえ、な、いよ。ぱ、ぱ。そ、ばにいるの;?!みみもきこ、えなくたやた。なにもか、おりがしないよ。、ぱぱ、ぱぱ、ぱぱ。ああ、あったかい。これ、はままかなぁ。あったかい、あ……たかいなぁ……。うんん、おやすみなさ、いぱ。ぱ。ま。ま。

残響 しなnないでよ。だれか、ともだm、ちなn……です。だ、れかたすけてあ、げてくださ、い。かじになって、ぉいええの、。したじき;に……なってrjんです。だれ、「か…・・。だれか。は、、やくたすけて。ああ、まってm、おいていかないで…・・。しなない、で……。生きて……。

残響 おれのうで。どこだ…・・…銃をpもたないと、、、ま、たなぐられ。る。ううた、れるまに、うたないと。殺されて、たマルか…・。うで、うでうでうでう……でうで。ああ、あった、。はやlく。じゅうをもって、せんじょ、うにいかにないといけnない。……あ、れ、おれの、足はどこ、だ…???


人間 あ、ああ、どうして、どうして……。どうして、どうして!?行かないで、行ってしまわないで。どうか!!……安らかに……。

(カチ、という音。残響が動きと言葉を止める。上手から娘。よたよたと近づいてくる)

娘 おかあさん……。(近づく)

人間 あ……ご、ごめんなさい、私……。

娘 おかあさん。

人間 私のせいで、私のせいで、ごめんね……!

娘 大丈夫だよ。

人間 ……え?

娘 大丈夫。私、お母さんを恨んだりしてないよ。ね、お父さん。(目盛りを一つ動かす。カチ、という音。夫が静かに上手から歩いてくる)

夫 ああ。むしろ、今まで、辛い思いをさせてしまったね、ごめん。

人間 違う……!違うの、私……。

娘 あのね、お母さん。私、お母さんが記録を続けてくれて、本当に嬉しかったの。初めはただの私の思い付きだったのに、それをお母さんが意味のあるものにしてくれた。それが、すっごく嬉しかった。

人間 あ……カメラ、そう……あの、壊しちゃったの……本当に、ごめんなさい…!。

娘 謝らないでよ。それに、私のほうこそごめん。あのビデオカメラにお母さんを縛り付けちゃった。お母さんがお母さんらしく生きるのを邪魔してた。

人間 そんな……そんなこと……。だって、あなたの生きてた証明が、あなたがそこに居たって証拠が……!それはちゃんと、私の希望になってたよ。ちゃんと私の希望になってたよ……!

娘 ありがとう。でも、もう大丈夫だよ。もうあれはいらない。だって、お母さんは、もう大丈夫だもん。私のやりたかったことは、もう充分お母さんがやってくれた。それに、私が居た証拠はお母さんが持ってくれてる。お母さんが証明してくれる。私、すごく幸せだよ。

人間 でも、でも、もうあなたの笑顔が、あなたの声が、薄れていくの。あなたのことを鮮明に思い出そうとするほど、苦しくて苦しくて、今でもどこかで生きてるんじゃないかってなんとか言い聞かせて、それでもっと苦しくなって……もう忘れられたらって思うたびに息ができなくなって……!

夫 忘れるのは悪いことじゃないさ。時には忘れることだって必要だよ。別に、忘れたからと言って、消えてしまったわけじゃないんだ。成長のために、吸収していくんだよ。自分が前に進むために、一度ポケットにしまっておくんだ。大事なものだけを手にもって、残りはリュックサックにでもしまってしまえばいい。

人間 私は、独りになってしまったの。私は今、世界で最も孤独なの……。何が大事かどうかなんてわからない……。ねえ、私もそっちに行きたいよ……。

夫 大丈夫。大丈夫。だって、君は俺たちのことをとても大事に思ってくれていたじゃないか。自分が死にたくなってしまうほど、俺たちのことを想ってくれたじゃないか。

(最後のカチ、という音。赤ん坊の泣き声。娘が小さな男の新生児を抱いている)

娘 おーよしよし、いいこだねぇ。

夫 もう、俺たちは君の声を聴くことはできないかもしれない。君は俺たちの聲を聴くことはできないかもしれない。でも大丈夫。言葉がなくても、君は知ってる。仲間の大切さと、生き物の、命の残響の重みを、知っている。

娘 ほら、お母さん。

人間 (赤ん坊を受け取る)あ……。(赤ん坊の泣き声が止む)ああ、あ……ごめんね、ごめんねぇ……。

娘 ほら、私の弟にみっともない顔見せないでよ。笑って。

人間 でも……。

娘 いいから笑うの!

人間 ……うん。……いいこだね。本当に、いいこだねぇ。

娘 お母さん。私たちは死んじゃったけど、でもきっと、それはきっとお母さんの成長になるんだよ。死んじゃうのはとっても悲しいことだけど、悲しいだけで終わっちゃうのはもっと悲しいことだもん。

夫(頷く)だから、生きておくれよ。俺たちだけじゃない。色んな人の命の残響を見てきた君が、君自身でやりたいことを、見てみたいんだ。

人間 私の、やりたいこと……。

夫 きっとそれは、素晴らしいものになる。

人間 一緒に居てくれる?

娘 もちろん。お母さん、大好きだよ。

夫 愛してる。

人間 (赤ん坊を見ると、すやすやと寝息を立てている)

人間 ……私、ずっと生きなきゃって思ってた。あなたたちを見殺しにした償いをしなきゃって。私、……私、生きるよ。家族のために。私が見届けた、仲間たちのために。だからどうか、手を握っていてください。

(暗転)

五場

浜辺。嵐の音はより強く、激しくなっていた。ヘッドフォンを耳にしながら佇む人間を心配そうに見ている鯨。

人間 ここは……。

鯨 戻ってきたか。なあ、君の家族はやはり……。

人間 (無言で鯨のほうに向き直る)

鯨 ……何を言われた?酷い罵声だったり、憎しみだったりしたのか?それとも、死の恐怖や、苦しみか……。

人間 (ゆっくりと近づく)

鯨 人間……?

人間 (海の中に入っていく)

鯨 ……おい!気をしっかり持て。そこから先は海だ、汚染されていると君が言ったんだぞ。死ぬ気か!?

人間 (口を動かしているが、すでに全身が水中に浸かり、音が聞こえていない)

鯨 なんだよ、何を言ってるんだい。何も聞こえない。何も聞こえないよ。

人間 (ヘッドフォンを外し、目盛りを回す)

鯨 何か、言ってくれよ……。何も聴けないのは怖いよ……!

人間 (ヘッドフォンを鯨につける)

(暗転)

(鯨が俯きながら舞台の中心に立っている。黒い鯨たちが、二人一組、あるいは三人一組で談笑しながら上手から下手へ移動し、鯨を素通りしていく。黒い鯨が全員袖に入った後、袖からセリフ)

クジラ あいつ、いっつも一人でいるよな

クジラ 仕方ないよ、私たちと周波数が違うんだもの。

クジラ 群れないから餌とか独り占めできていいよな。

クジラ 一人が好きなのかな?いつも一人で泳いでるけど。

クジラ さあ、親もどこか分からないんでしょ?

(鯨、舞台中央でそのまま蹲る。少しして、黒い鯨が全員下手から出てくる)

クジラ おい。おーい。おい。

鯨 ……。

クジラ おい(肩をつかむ)

鯨 (戸惑いながら口をパクパクさせている)

クジラ えっと、何言ってるかわかんないけどさ……。とにかくお前も一緒に来いよ。独りぼっちじゃなくてさ。

鯨 (驚いた様子で、しかし煮え切らない態度でまごついている)

クジラ いいから。ほら、皆で飯でも食おうぜ。(鯨を引っ張り仲間の群れの中へ。群れは鯨を歓迎する)

鯨 (腕を引っ張られ、結局負ける。やれやれといった感じだが、クジラの群れとのスキンシップに笑顔を浮かべている)

(鯨たちは下手へ向かおうとするが、人間が上手から入り。鯨にヘッドフォンを被せる。暗転。クジラたちは全員死んでいる。倒れているクジラたちを、鯨は何も言わずに見下ろしている)

人間 あんたは、仲間を嫌ってたんじゃない。本当は、仲間が欲しかったんでしょ。

鯨 ……。

人間 私は聴いた。クジラの聲を。あんたのじゃない。いつも独りのあんたを見ていたクジラの聲を聴いた。……本当は、あんただって仲間が欲しかったんだね。一緒にご飯を食べたり、泳いだり、敵に立ち向かったりする仲間がさ。でも、52Hzの超音波を持って生まれたあんたは仲間なんていらないと、何とか自分に言い聞かせて、結果仲間という存在を嫌うように努めた。でも、あんたは今、後悔してるでしょ。……違う?

鯨 ……根本的に間違ってるだろう。そもそも、どうして僕が仲間を欲しがってたなんてわかるんだい。

人間 あんたはずっと独りだったくせに、やたら饒舌だったでしょ。喋りの上手さや語彙なら、私よりも上かもしれない。それは、いつか仲間と会話できるのを夢見て、独りで頑張って練習したからだよね。生き物がほとんど集まらない場所を知ってたのも、もし群れで敵に襲われたときに逃げられるように、開けた場所を作っておいたんだ。

鯨 そんなのは全部憶測だよ。僕は世界一孤独な鯨だ。僕はそれに誇りを持っているんだ。

人間 本当に……?

鯨 本当だよ。

人間 じゃあ、どうして私をかばったの。私が死にたいと言ったときに、あんたはいつも怪訝そうな顔をした。そして、自分の目の前で死なれることを恐がった。私を背中に乗せたり、写真を一緒に撮ろうとも言ってくれた。それは……私が、初めて言葉が通じた、仲間だったからじゃないの……?

鯨 ……。

人間 そして、あんたは今後悔してる。

鯨 後悔することなんて何もない。

人間 言ったでしょ。私はほかのクジラたちの聲を聴いたんだって。あんたも本当は分かってたんでしょ。言葉が伝わらなくても、見た目が違っても、伝えられることはいっぱいあったんだ。

鯨 僕には何もわからない。(そっとクジラたちを看取る)

人間 大丈夫だよ。これから分かっていけばいい。

鯨 ……もう遅いよ。

人間 遅くなんてない。

鯨 同類たちはもう皆往ってしまった。……君の言う通り、たとえ周波数が違っても、一緒に餌を獲ったり、遊んだり、自分の見たことを、感じたことを、バカみたいに語り合えたのかもしれない。……僕はそれが、羨ましかったのかもしれない。

人間 うん。

鯨 でももう遅いよ。

人間 辛かったね。

鯨 (初めて人間のほうを向く)僕、頑張ったよ。頑張ったんだよ……。独りで食べ物も撮れるし、敵からも逃げられる。潮吹きだって一番高く飛ばせるんだ。……頑張って低い音を出せるように練習したり、そうだ、ちょっとした冗談も言えるようになったよ。

人間 うん。

鯨 遅かったんだ……。君の言う通り、やれることはやっておくべきだったんだ。だって僕は、今、仲間たちの聲が耳から離れないんだ。

人間 私も同じだった。あなたと同じ。でももう大丈夫。あなたはこれから成長できる。世界で最も孤独だなんて、私が、そして、あなたの仲間たちが、言わせるわけない。

鯨 僕、僕は……。

(鯨の雄叫び。52Hzの残響が響いている。暗転)


エピローグ

浜辺。嵐は過ぎ去り、雲の切れ間から日光が降り注いでいる。一つの虹。人間は無線機とPCとビデオカメラを廃屋内に残したまま、出発の準備を進めている。鯨は暇つぶしに海に浮かびながらそれを眺めている。

人間 よし、こんなものかな。

鯨 (かん高い鳴き声。潮吹き)

人間 (ヘッドフォンをする)あー、あー。これで88回目の記録となります。天気は晴れ。出発には最高のコンディションです。

鯨 もうカメラは壊れてしまったんじゃないのかい?

人間 無線機に録音機能がついてたから、一応最後の記録だけはやっておきたくて。私は今、青森県のとある海岸にいます。今から、一度広島に戻り、そこから南下。そうだなぁ、中国とかそのあたりを目指してもいいかもね。

鯨 ……僕に仲間の大切さを教えておいて、また僕を独りぼっちにしていくんだね?君は。

人間 あはは、意地悪なこと言わないでよ。……さっきも言ったけど、これで最後の記録になります。もしこれを聴くひとが居るなら、私は嬉しいです。それでは、運が良ければ、会いましょう(録音を切る)

鯨 もう行ってしまうのかい?

人間 そうだね。晴れてる間に行かなくちゃ。またいつ雲がかかるか分からないし。ね、あんたはどうするの?

鯨 僕かい。僕は……そうだな。ずっと避けていたけれど、一度海の底を見てこようと思う。そこに、仲間たちの姿があってもなくても、ちゃんと弔っておきたいんだ。

人間 そっか。それがあんたのやりたいこと?

鯨 やるべきこと、かな。僕もすべての海を見てきたわけじゃないから、色々なところを廻ってきてもいいかもなぁ。

人間 あのさ、ひとつお願いしたいんだけど。

鯨 なんだい?

人間 ここに、この無線と、今まで取ってきた記録を置いて行ってもいいかな。カメラは壊れちゃったけど、このパソコンを使えば記録は見れるからさ。もし誰かがこの浜辺に来て、記録を見て……希望を持ってほしいとまでは言わないけどさ、うん。クスって笑ってもらえたら、私は嬉しい。

鯨 ああ、それは君のやりたいことなんだろう。じゃあきっと、良いことだと思うよ。

人間 ありがとう。あ、それでさ。

鯨 それで?

人間 それで、もしその人が希望を求めてたら。どうか、友達になってあげてよ。

鯨 ……こんな風にね。(潮を吹く)

人間 そうそう。こんな風に。

鯨 ああ、いつのまにか、空には虹が出てたんだ。長い、長い雨だったものなぁ。

人間 わぁ、すごい……。虹が二つもかかってる……!ちょっと待ってて。(リュックサックから大きい一眼レフを取り出す)

鯨 なんだそれ、大砲みたいだな。

人間 カメラだよ。ずっとやってなかったんだけど、こんな景色見せられちゃったね。ほら、もっかい。ぐおおんって、ほら。

鯨 ぐおおん。

(しばらく、人間は虹と、潮を吹く鯨を撮っている)

鯨 ……僕たち鯨は。

人間 え?

鯨 僕たち鯨は、呼吸をするために、こうやって背中だけを出して潮を吹くんだ。そして、その飛沫が高ければ高いほど、大きくて綺麗な虹ができる。自慢じゃないけれど、僕のはかなり高いほうだろう。

人間 そうだね、とっても綺麗。

鯨 だからさ、僕は思うんだ。鯨っていう生き物は、自分たちの肺に虹を飼っているんだって。この綺麗な七色を、吸って、吐いて、生きているんだ、って。僕はこれから、もっともっと大きい虹を作れるようになるよ。そんでもって、この地球の色々なところに、橋を架けれるようになるんだ。

人間 ……。

鯨 ……どう、かな。

人間 うん、それがあなたのやりたいことなんでしょ。じゃあきっと、いや、絶対。素晴らしいものになるよ。

鯨 ……そうか、ありがとう。(大きく息を吸って)ぐおおおん!

人間 わー!!ぐおおおん!

鯨 ははは、ぐおおん。

(海岸で人間と鯨が楽しそうにはしゃいでいる。潮吹きは高く上がり、雨上がりにできていた虹の上にもう一つ虹がかかっている)

閉幕。

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虹の聲 @anzuuuuuuuu

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