第13話 アシル・ボドワン
「……私がアシル君と出会ったのは中学三年生のころ……去年の春よ」
恥ずかしいせいか、ポツポツとマティルドが語り始めたのは、彼女とアシル・ボドワン、アシル君との馴れ初めだった。
「今でも覚えているわ、あの日は5月末の日だった……もう間もなく夏休みって時に(フランスでは基本的に夏休みは6月末か7月の冒頭)、下校中……友人たちと一緒にカフェで恋バナをしていた時―――――――
おっ、押し黙ったということは、何か起きたと考えてもいいだろう。いったい何が起きたんだろう――――
「特に何も起きず、家に帰ったわ」
「何もなかったんかーーーい!!」
アシル君経由で何も起きなかったのなら、何故話した?!
「いえあったわよ、その時みんなで夏休み海に行くことを決めたのよ。そして海水浴に行った海でアシル君に助けられたのよ」
「ッ!!……へ~、助けられたね~」
海で助けられたと言われると、頭に浮かぶのはさしずめ溺れて引き上げられたというパターン。でも彼女は水泳の授業でも満点だったはずだし、泳いでいるときに足を攣らない限り引き上げられるということは―――――
「ちょっとはしゃぎ過ぎて足を攣ったのよね♪」
「ど定番じゃん?!むしろ良く三次元の世界で実現できたな?!」
二次元だとそういう運命的な出会いはよく起こるが、現実に存在するとは……人間の可能性は無限大だなー……ということは、次に起きたことと言えばお姫様抱っこあたりかな?
「それで――――
「お姫様抱っこでもされたんでしょ」
「そうそう……って、えっ?!なんでわかったの?!」
そういうのは読んだことがあるし、見たこともあるからです!オタク舐めたらあかんで!……ヤバい、思わず関西弁が出てきたよ。
「確認のために聞くけど、そこで恋に落ちたんだとね?」
「そ…そうよ……あの時に私は…アシル君のことをす、好きになったのよ!!」
「落ち着きたまえ、ここ一応店内だから」
やっぱり、恋している時点で纏っているオーラとカップル成立後のオーラは違うね。恋している人はなんか、黄色い甘酸っぱい感じを出しているのに、サーシャとかはピンク色で甘ったるい感じを曝け出している。後、片思い特有の無意識の焦りが窺えるね。
「要約すると、マティルドは足を攣って溺れた。そこをアシルが華麗に引き上げて救出。そして最後にお姫様抱っこという凄技で君は完全に落ちたと」
「なんか、私の恋物語がすごく簡単に纏められたわね」
「重要なものしか入れてないからね」
マティルドがその時どういう感情だったとか、彼女から見てアシル君はどう見えたのかとか聞いていたら絶対に止まらないもん。感情があってこそ人間だけど、ちゃんとそれを制御してこそ一人前の人間なんだよ。だから、今感情は必要ない、どうやって相手を落とすかという計算だけが必要だ。感情という概念はあくまで一つの材料。カップル成立というレシピに必要な物、スパイスだ。そして今求められるのは土台となるスポンジ。少しでもアシル君がマティルドを女の子として意識しているかどうか……
「ところで今もその時のことははっきり覚えている?」
「も、もちろんよ!」
「なら一つ聞きたいんだが、アシル君が君をお姫様抱っこしていた時、彼の顔は赤かったか?」
何故そんなことを聞くのかって顔したマティルド。これは大まじめな質問である。ポーカーフェイスの可能性もあるが、聞いた感じ真っすぐな人だからお姫様抱っこの時にどんな表情をしていたのか聞きたいのだ。普通、画面の中から出てきた主人公でない限り、お姫様抱っこみたいな高等テクを行ったら、恥ずかしくて頭から湯気が出るはずだ。でもそれが起きていなかったら――――――
「いえ、全く。日焼けで少し顔が赤かったけど、それ以外に異常はなかったわ」
「なるほど、彼は生真面目なタイプか。そして同時にストレートに言わないと気付かないタイプでもある……」
「ど...どうしたの?いきなりぶつぶつ言いだして?」
恋愛というのは難しい。それは恋したもの共通の認識である(一部例外を除いて)。なぜなら、人間は自分自身を完全に理解できていないのに、他人を理解しようとするからだ。そして、そこで出てくるのが相性だ。嫌いな人を知ろうとする人間はいない(一部例外を除く)から、自分と会いそうな人を探して恋に落ちる。
稀だが、運命的な出会いもある。大抵の人は、自分の近しい存在に相談したり、経験豊富な人に教えを乞う。だけど、最後に想いを伝えるのは自分自身だ。そして今回出てきたのは、俺が受けてきた中で比較的簡単な部類の中の恋愛だ。こういっては何だけど、こういうのは得意中の得意だから、後は本人たちがちゃんとできるかどうかだ。
例えば――――
「マティルド」
「何淵君?いい案でも思いついた?」
「今すぐアシル君に告白して来いと言ったら出来る、出来ない?」
「へ?えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
店内で今日一番の驚きの声が響いた……正面にいた俺の耳が痛い……
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