第五節 約束と大刻印
40 斜陽と逢魔①
5
秋の乾いた黄色い野と、雲一つない晴れ晴れとした空。木々の合間から指す光を浴びながら、荷馬車を引く二頭の灰小馬の背がそれぞれ左右に揺れていく。荷馬車の前を行くのは、小さな灰色の馬だ。
「
灰小馬は、鬣も蹄も、その目の色まで全て、灰がかった色をしている。物珍しそうに灰小馬を見つめていたユキに、アズサは本の説明書きを一言一句思い出すように言った。
「灰小馬はもともと南の地域に暮らしていて、南方の国の商人が自分たちの商いを手伝わせるために飼っていたんだけど、他の国とも取引を始めた時に、こっちでも飼われるようになったんだ」
「よく知っているな」
二人の目の前にディグレが腰を下ろし、ほどなくして、ゆっくりと荷馬車の車輪が回り始めた。
「本当に物知りね。私、はい……灰小馬は初めて見た気がする」
「このくらい知っているさ」アズサはてらいもなく言った。「そうだ。ウル、袋の中は狭くないかな」
隠れるように鞄の中に身を潜めていたウルの名前を呼ぶと、袋の口からぴょんと白い鼻だけが飛び出した。物わかりの良い奴だな。アズサはそう思った。
ミエラル村からハーダルの街へと続く街路は、色とりどりの葉を残す山間をうねるように作られていた。
まるで書庫の本棚を見ているかのように、赤みがかった黄色や橙、茶色の葉が所狭しと並び、風に揺れて重なり合っている。暖炉の前の絨毯も似た色味をしていたような気がすると、ユキはそびえ立つ赤い斜面を眺めた。
「もうすぐ町が見えるよ」
ハーダルの街はすぐにユキの目に入った。森を抜けるとまず広大な野原の丘が現われ、その丘を越えた先に軒並みを重ねた家々が居を構えている。ミエラル村の全ての集落をかき集めても、十は入ってしまいそうな広さだ。
「わぁ!」
ゆっくりと丘を下っていく荷馬車から身を乗り出して、ユキは近づくハーダルの玄関門に目を輝かせる。風に乗って、賑やかな声と陽気な楽器の音色が聞こえてきた。
ハーダルの街を守る大きな石造の門の左右には、二人の兵士がじっと立ち並んでいた。
一人は背筋を伸ばして直立不動に立っているが、もう一人はうつらうつらと船を漕ぐようにして門の前に背を丸めている。二人とも明るい日差しをずっと浴びていたためか、焼かれた濃い肌が真っ赤に染まっていた。
門の前で荷馬車を降りたディグレは、二人の門番と二言三言の言葉を交わしてから門を潜った。二人もその後に続くと、門の暗がりから視界が一気に開けた。
目の前には広い市場と大勢の人々。石畳の道の両側には、緑と黄色の葉の茂る街路樹が並び立ち、その下には真っ直ぐに伸びた水路の水が光を放っている。そして水路に沿うように、いくつもの露店が連なっていた。
街は人でごった返していた。そこら中に陽気な呼び声が挙がって、路上では楽器を奏でる人や、その音に合わせて踊りを披露する者もいる。
肌寒さもこの街の中にいれば自然と消えてしまいそうなほどの熱気が溢れていた。ユキがこれまでに見たこともないような、色とりどりの果物や野菜、美しい布や装飾品が、急ごしらえの露店にぎっしりと並んでいる。
「すごい、人がたくさん……」
ユキは口を開いたまま呆けていた。人の多さに圧倒されてしまって、目がクルクルと回る。それを見かねたのか、鞄ごと抱えていたウルが顔だけをだして、ユキの頬をペロリと舐めた。
「わっ……わ! ン、大丈夫だよ。ウル、大人しくしていてね」
「うん、そうしていて」
アズサは肩を竦めて言う。
「ここは動物を飼育することが認められているし、使役する魔獣を連れて歩く魔法師もいるけど、ウルはきっと目立っちゃう。そうしたら変なやっかみを掛けてくる奴も、珍しい動物を集めている商人もいるし……」
アズサが鞄の皮の上からウルの背に手を乗せると、袋の中から残念そうに喉を鳴らす音が聞こえてきた。
「ここは北部と中部の境目になる場所だから、色々なところから商人がやってくるんだ。内地で、それに小さな街だけど、珍しい物もたくさんある」
当たりを見回していたユキに、アズサは言った。
「そこに水路があるでしょう? この街全体に水路が張り巡らされているだ。なんでも、首都のリオを真似て作られてるんだよ。水の国だからね」
アズサが指で示しながら道すがらのものをユキに話して聞かせていると、前を歩いていたディグレが後ろを振り返った。
「荷物を置いてくる。しばらく時間がかかるから、アズサ、買いたいものを買って来い。ただし、大通りと広場からは出るなよ」
「うん」
川のように流れる人の合間を横に縫って、ディグレは一つの店の前で足を止めた。動物や植物の形を模した置物が、店頭や店内に所狭しと並んでいる。「おう」と、ディグレが手を挙げながら入っていくと、店主らしい壮年の男が奥の方からやってきて、嬉しそうにディグレと何やらは話を始めた。
「あそこは、おじさんがいつも品を出しているお店だよ。観光客向けの土産屋さ。じゃあ、僕達も行こう」
アズサはサッとユキの手を取ると、その体を川の流れの方へと向けた。
「行くってどこに?」
「まあ、そこらへんさ!」アズサはユキの手を引いて歩き出した。「ちゃんと着いてきてね」
「わっ、待って、待って!」
そのあと二人は店を出ると大通りに並ぶ露店を見て歩き、そのうちいくつかの店に入ると、日用品の細々としたものや、食料品をいくつか買った。
アズサは記憶力が良いのか、一つ一つの店の名前や、そこでは何を売っているのかを、つらつらと述べながら進んで行った。あそこの屋台の串肉は美味しい、あの店はぼったくり、果物を買うなら一番安い店はあっち。景色を見るなら、あの高台の塔――。
けれども人混みの足の間を縫っているうちに、ユキは自分の足取りが少しずつ重たくなっているように感じた。大勢の人に囲まれていると――そのはずも無いと分かっているのに――自分がずっとこの大勢の人々に見られているような気分になる。
心臓がバクバクと音を立て始めて、ユキはずっと被ったままだったフードの端を握り、ぎゅっと引き下ろした。
「少し休む?」
アズサの声がフード越しの頭上から聞こえてきた。そのまま小さく頷くと、アズサは人の流れからユキを連れ出して、迷いもなく真っ直ぐ進んで行った。
人混みを抜けて足を止めと、そこは、丸く広がった石畳の広場で、大通りを流れる水路が中心に設置された噴水へと集まっていた。アズサは噴水の前の長椅子にユキを座らせた。
「人混みに酔ったかな」
「うん……」
「しばらく休もう。近くの屋台で何か買ってくるから、ここにいてね」
「え、あ……」
そう言い残したままアズサは椅子の上に買い物袋を置くと、背を向けて走り去ってしまった。
一人置いてけぼりになってしまったユキは、茫然とその背中を見送り、途中まで伸ばしかけた腕をウルの背中へ落とした。それを合図に鞄から頭を出したウルが、金の瞳でジッとユキを見上げてくる。
広場には家族連れや男女の二人組がほとんどだった。
ユキと同じように椅子に腰掛けているものもいれば、噴水の縁に座っている者もいる。穏やかに笑い合う姿を見ていると、ユキは不思議な気持ちになった。――自分にも、ああやって笑い合っていた人がいたのだろうか。
じっと周りの人々を観察していると、背後の噴水がいっそう大きな音を立てて飛沫を上げた。虹色に光を散らしながらしぶきをあげて落ちてくる水が、きらきらと輝く。
――その瞬間、背後に鋭い視線を感じ、ユキは弾かれるように振り返った。
鋭い刃が首筋にひたりと当てられたような、冷たい視線。振り返った先には川のように流れる人の波があるだけで、ユキを見ている人間は一人もいない。けれどもユキにとってそれは、敵意というには生温く、詮索というにはやはりどこか鋭いものだった。
(ううん、きっと今のは気のせいだ……)
クルクル、と膝の上でウルが喉を鳴らした。ユキはそっと鞄の布越しに背中を撫でてやる。ひゅっと冷たい風が吹き、噴水にたまる水の表面を揺らしていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます