27 変相




「すまない。君が記憶を失ってしまったのは、私の魔法のせいだろう」


 アルティナの言葉に、ユキは慌ててその両手を胸の前で振った。

「え――。やっ、あの、わたしは……何も覚えてないけど、呪いがどんなものかっていうことはなんとなく分かる。そのままだったら私、死んでいたかもしれないってこと……、ですよね」

「それはそうだったが、しかし」

「私、心のどこかで――『死んでない』ってことに、ほっとしてる。だからその、ありがとうございます」


 今度はユキが頭を下げ、アルティナは居たたまれなさそうに苦笑した。


「やめてくれ、礼なんて。……記憶が戻るかは定かでないんだ。記憶を思い出す時は、一緒に抑えた呪いをどうにかしなければならない。だが、できる限りのことはしよう」


 その言葉に、ユキは首を振った。


「私……なくなった記憶を知りたい気持ちはあるけど、でも今、とてもすっきりしてる。そう思ったら、記憶がないことも受け入れられるような気がして」


 だが、と言葉を続けようとしたアルティナを遮って、ユキは頬をかきながら笑う。今までの姿を見ていたアズサたちにとって、驚くほどあっさり、ユキの表情はころころと変わっていく。


「おかしい、よね。忘れたことも、思い出さなきゃいけないことも全然分からない。だけど、覚えていなくても、思い出せなくてもいいかなって」


 ユキの表情は晴れやかだ。紛れもなく本心から出た言葉のようだった。


(思い出さなくて、それでもいいのか?)


 ユキは、あの苦しみさえも忘れてしまったのだろうか。アズサはアルティナと話をしながら笑顔を浮かべる少女を見て、自分の記憶を辿る。


 いったい今の姿は、どのユキなのだろう。

 あの時の――アズサが知るユキの多くの姿とは、また異なる穏やかな顔をした少女。泣き叫んで、ぼうっとして、味のしない蜂蜜をかけたあの多くのユキを全て消し去った結果が、今目の前の少女。アズサのまだ知らない、本当のユキになったのだろうか。


(これからユキは、どうするんだ)


 そう思案したところで、ぐぅーっと情けない音が部屋に響いた。

 アズサは咄嗟に自分の腹に手を当てた。全員がアズサの方を向いたが、立て続けにグウグウ鳴る音が聞こえる。自分の手の下から鳴っている音ではないことに気づき、まさかと思ったアズサは顔を上げた。皆の視線がそこへ向かった。


「あっ、ああっ、えっと」


 グウグウと止まない音に、腹に手を当てたユキが目を泳がせている。


「うう、すみ、すみません、わたし……えっと……お腹が……」


 その頬は真っ赤に色づいていた。恥ずかしそうに腹を抱えたユキに、全員が目を丸くして、我に返ったマルサが飛び上がった。


「朝ご飯! そういえば、みんな朝ご飯もまだだったわね!」

「あぅ……その、ご、ごめんなさい……」

「良いのよ、むしろ嬉しいことだわ。お腹にいいものを作りましょう!」


 マルサは嬉しそうに叫び、風のように厨房へと向かっていってしまった。




 ◇◆◇◆◇



 膝にウルを抱えて朗らかに笑うユキの姿からは、今までと同じ所を探す方が難しかった。朝食の準備をすると理由を付けて部屋を後にしたアズサ達は、表には出さないもののとても当惑していた。

 暖炉のある部屋に入ったところで、アズサは乱雑に積み重なった本の山を見渡し、そういえば、とアルティナに尋ねた。


「魔法で、記憶は取り戻せるんですよね」


 記憶に関する魔法について書かれた本は、書庫にある蔵書の中でも少ない。アズサはただ知りたい思って尋ねたものだったが、アルティナは考え込むように顎に手を当てて唸った。


「記憶を戻す魔法はある。記憶を再現する魔法もある。けれど……、まあ、それが得策かは分からないな」

「そうですね。思い出したくないのなら無理に思い出さない方が良いのかな」


 バルクスも同意するように頷く。。


「記憶は、思い出せなくても大丈夫なんですか?」アズサは首を傾げて聞いた。「自分が何者だとか、これまでどう生きてきたかって、やっぱり自分が自分でいるためには必要なことって……」

「確かに、必要かもしれない。だが必ずしも、人がひとであるために、必要じゃないものもある。あれだけ苦しんでいたんだ。忘れていた方が、良いんじゃないか」


 アズサ達に背を見せて暖炉の前にしゃがんでいたディグレが、珍しく口を挟んだ。普段から口下手なディグレにしてはよく喋ったほうで、アズサはじっとその背中を見つめた。


「それは……、そうだと思うけど」


 ディグレは暖炉に向かって薪を数本放り投げ、立ち上がると、外出用の暖かい外套を手に取った。するといつもと変わらない平淡な顔をして振り返った。


「辛い記憶から自分を守るために、忘れてしまったのかもしれんだろ」


 と言い残し、そのままディグレは外へ出て行ってしまった。ディグレの言いたいことは、アズサにも分かった。その背を見送ってアズサは窓の外を見た。まだ朝日が昇って間もない涼やかな時間だ。必ずこの時間に家の鶏の様子を見に行くのがディグレの日課だった。


「ふーむ。ふむ、まあ、バーリオさんの言うとおりだ。ともかく本人が望んでいないのなら魔法は使えないし」


 「わっ、わっ」


 アルティナはアズサの頭に手をおいてぐりぐり撫でる。アズサはぐちゃぐちゃになった髪を手で撫でつけ、口を尖らせた。頭を撫でられるのは、どこか心がくすぐったくなる。

 

「君は色々と頭を回しすぎだな。そのうち頭が爆発してしまいそうだ」


 アルティナはふっと笑顔を浮かべて、倒れるように全身を預けて長椅子に座った。


「それよりも疲れたよ。まあ、とりあえずは一段落かな。しかし、まったくもって別人になってしまった……」

「ですね。あれが本当の姿だとしても、なんというか……。良いとこのご令嬢みたいな雰囲気がありましたね」


 アルティナとは別の椅子に腰を下ろしたバルクスも、同意を示す相づちを打つ。


「ご令嬢?」


 アズサはただ首を傾げ、どういうことかと気になってバルクスの向かい側の椅子に腰掛けた。


「貴族の娘ってことだ」と、アルティナは難しい顔をして言った。「まあ、色々と興味深い子だな」

「そうですね。普通の子どもにはまるで思えない……」

「あの年齢の子どもにしては大人びて雰囲気も落ち着いていたが、何より魔法の使い方が見事だった。由緒ある魔法師の一族に生れたのなら、あの歳であれほどの技術を持っていても、まあ、おかしくないがな」

「やっぱり、そう感じましたよね。見た目の年だと魔法学校エルヴァに通っていたかもしれないし、貴族なら、通う前から杖を持っているなんてざらにいますしね」

「首都にいてもそんな話は聞いた事がないけどな。そういう話は――カイレン、君のほうも詳しいんじゃないか?」


 バルクスはからりと笑い、否定の意味を込めて手を振った。


「いやだな、あの家とはもう連絡を取ってないですよ」

「あの家?」


 アズサは思わず二人の会話に口を挟んだ。するとバルクスは苦い物を噛んだような顔で答えた。

 

「あぁ……僕の実家だよ」

「なんで先生が詳しいんですか?」


 アルティナの瞼がぱちぱちと数回合わさる。驚いた、と言いながら、アルティナはバルクスを見やった。


「なんだカイレン、言っていなかったのか?」

「あれ、言ってなかったか。僕はもともと魔法師の貴族の家の出だよ」

「えっ! そ、そうだったんですか?」


 アズサは驚きすぎて後ろへ転がりそうになったのを、なんとかこらえた。その話は聞いたこともなかったからだ。

 

「はは、威厳も何も僕にはないから、そうは見えないよな。……四男なんだ。今はもう絶縁したような状態だけどね」

「絶縁……」

「ああ。実家とは色々あってね。隠していたわけじゃないけど、僕自身、あまりいい思い出がなくて。そんな感じだよ」


 バルクスは膝の上で組んだ両手に視線を落とした。


「魔法師ってのは実力主義だから、他の魔法師の存在に敏感なんだ。特に力の強い魔法師にはね。だから……まぁ、噂は風のように広がるし、ましてやどこかの魔法師の家の令嬢が行方不明になっていたりしたら、大勢の人が動いているものさ。つまりその方向で調べていけば、もしかしたらあの子の身元が分かるかもしれないってことだよ」

「ひとまず情報管理局へ行って、身元不明者と行方不明者の照会をしようか。銀髪蒼眼だなんて、そうは居ないだろうし」

「やってくれるんですか、バーランド先生」

「ああ。ちょうど王都に用事があるからな。その方が早いだろう」


 大人達の間でとんとんと進んでいく会話に、アズサだけが取り残されていく。アズサはバルクスの言葉が気になって、ついまた疑問を口に出した。


「えっと、つまり先生は、先生の家族はみんな魔法師ってこと?」

「ン、そうだよ。由緒ある魔法師の家系で、僕だけが《語れぬ者カエナン》さ。だから一般人と同じだよ」

「僕はてっきり……。じゃあ、僕と一緒?」


 そう言ってから、アズサは咄嗟に口をつぐんだ。バルクスは少しだけ驚いた顔をして、また手元に視線を落とした。


「まぁ、そうだね。一緒と言えば一緒」

「――いや、一緒じゃない」


 バルクスがしんみりとした声でそう応えると、突然、アルティナが席を立った。

 アズサはあまりにも突然だった動きに、ぎょっと飛び跳ねた。少しだが共に時間を過ごしてきた中で、アルティナはあまり物音を立てないような人であったから。

 大げさに立ち上がったアルティナは、不機嫌そうな顔をして、「マルサさんを手伝ってくる」と言うと、乱雑な足取りで台所へと向かってしまった。


「おっと、これは失言だったな」


 呆けたアズサに向かって、バルクスが言う。


「気にしないでくれ、アズサ。あの人は昔からさっきの呼称が嫌いなんだ。まあ、たいていの人も嫌がるけどね。特に君には聞かせたくなかったのかも」

「僕に?」


 何で僕に、と言うと、アルティナの背中を視線で追ったバルクスは、困ったように目尻を歪めただけだった。




 

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