第5話 彼と彼女と彼と彼女と 7-5

 ムサシは変になった。突然、雄たけびを上げてケンタに抱きついたのだ。相手が違う。

「おいおいおいおい」

「だって、だって」

「何が、だって、だって、だい」

「だって、だって、だって、だってなんだもん」

 こんなに慌てるムサシは久しぶりに見た。いや、つい3分ほど前にも見たか。こういう時は、

「正直は最良の策って言うだろ。本当のことを言っちゃいなよ」

「何だよ、西城ノシャクって。日本史上の偉人か」

「落ち着けって。本当のことを言っちゃえ、って言ってるんだよ」

「オレはサホが好きなんだー」

 突如、顔を真っ赤にしながら、しかも涙と鼻水を同時に垂らしながら、190センチを越える大男が泣き出した。

「そのサホが、オレと付き合いたいだなんて、もう…」

 ムサシは鼻水をケンタの袖で拭き拭きした。体もデカければ鼻水もけた違いだ。まるでナイアガラの滝が天井から大量落下しているみたいだ。ケンタはケンタで、その手を懸命に払いのけながら、ちょっと嫌な予感がした。

「サホちゃんは、お前と付き合いたいとは、言ってないよ。なあ」

 サホに同意を求めてようとすると、ケンタはサホの後ろにいる影に気づいた。ミカだ! サホはサホで、ケンタに視線を向けられてドギマギドギマギしていた。ラグビー部でガタイがでかくて、一人で十人分もの声を出すムサシ。そのムサシの声しか聞こえなかった。だから、ミカからムサシが好きなのって相談されて、いまは教室にムサシ一人しかいないと思ったから、だから話をしに来たのに。ケンタもいるなんて!

「な、な、なんでケンタくんがここに…」

 と、サホは言った。

「な、な、なんでミカちゃんまでここに…」

 と、ケンタは言った。

 かくして、ラグビー部のガタイのでかいクラスでもリーダー的存在のムサシと、帰宅部で将棋好きでコミュ障のケンタと、学級委員長でとにかくお節介で津軽海峡冬景色好きのサホと、がははと笑うと顔の九割を分厚い唇で覆うおばちゃん的ミカとが、相対することに相成った。ムサシはサホが好きで大泣きしていた。ケンタはサホの後ろにミカを見出して動揺していた。サホはムサシだけかと思った室内にケンタまでいるのを知ってドギマギしていた。ミカはサホに引き連れられて教室に入ってムサシを前にひなげしの花のようにしゅんとしていた。なんだこりゃ。

 説明しよう。ムサシはサホにぞっこん惚れていたのだが、そのサホはケンタに心を惹かれていて、ケンタといえばミカに魂を奪われており、そのミカともなるとムサシがいないと寂しくって悲しくって恋しくってたまらないのだった。誰もが誰かに恋心を抱いており、誰もが誰かに熱い思いを寄せられていながらも、しかも誰ひとりとしてその本命の誰かの心を射止めてはいないのだ。

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