入国審査に向かない種族
エリリサル王国。
その印象をクシクルミオに住まう人達に聞いてゆけば、一番に返ってくる答えは、
「小さな国」
であろう。そして、それは完全な事実。
クルペア、キェルセン、そしてヴァルシン山地を収めるように描かれたクシクルミオの地図の中では、エリリサルはほんの指先ほどの大きさでしかない。
そして次に返ってくる答えは、
「裕福な国」
になるだろう。そしてこれもまた事実ではある。
女神三姉妹の名を取って東から順番に、シニョル、ディゲル、レイチェルと名付けられた三本の川の河口に位置し、人も物も自然に集まってくるという地政学的に有利な点が、裕福さの一因ではあるだろう。
これで耕作に適した平野が周囲に広がっていれば、さらなる発展も見込めたところだが、実際にはエリリサルの領地はほとんどが丘陵地であり、土地も痩せていた。
集まってくる人々を養えるほどの食料の生産がどうしても出来ないのだ。
結果として、エリリサルは主食になり得る小麦、そして米といった穀物をクルペア、キェルセンから大量に買い付けるという輸入に頼り切っている。
それでいながら、国民へのサービスは多岐に及んでいた。
上下水道、道路の敷設。
ライト、ティンダーなど基本的な色術のためのカード配布。
規律正しく、訓練された衛士に守られている治安。
さらに教育と医療サービスの充実。
その上に、貧困層への食用無料配布まで行っている。
それでいて税が高いわけではない。国内で商売を行っている団体にはそれなりの税を課しているが、個人に対しては無税といっても過言ではないほどの低さで抑えられている。
――どうしてそんなにお金があるのか?
当然出てくるであろう、そんな疑問にも、人々の口の端から漏れる答えは揃うはずだ。即ち。
「エリリサルは、
と。
それは全くの正解で、疑問を差し挟む余地がない。
――いや。
本当にそうだろうか?
聡い者、知識を積み重ねてきた者、政治に携わる者――そして、冷徹な者。
気付く人間はいる。
到達する者がいる。
エリリサル王国は裕福である――という事実から、当然導かれる疑問に。
「何故、エリリサルは独立を維持できているのか?」
そして、それに対する明確な答えはない。
あるいは答えに到達していても、誰もそれを口にしない。
答えに辿り着いた者は皆知っているのだ。
エリリサル王国の独立という事実から導き出される、もう一つの事実に。
だが、誰もその事実に気付かない――気付こうとしない。
――完全な楽園など、人の世に存在しない。
*
エリリサル王国、そしてベイファスの海の玄関口サタマヒイ。
トゥハットが実際にその地に降り立ったのは、午前八時ほど。
入国申請のための手続きが開始されるのが午前九時からなので、それまでどうやって時間を潰そうかと考えていたトゥハットであったが、朝食と世話になった船員との挨拶などを済ませているウチに、時間は来てしまった。
船で乗り合わせた乗客のほとんどが通行証持ちの商館関係者だったために、個人で入国を希望する者は少なかったらしい。
大量の積み荷が通過する両開きの大きな城門の横に、個人入国審査用の一角がある。壁も床もさすがに年季が入った石造りで、なかなか堅牢そうであるのが逆に安心できた。
結局、遅れて転がり込んだトゥハットではあったが、人がまばらなこともあって、思いの外スムーズに手続きは進む。
様々な書類を携えて、仕切り板で間仕切りされた三つのブース。その内の真ん中にトゥハットは身を屈めて潜り込んだ。そして金網の向こうの入国管理官と思しき男と対面する。
尖った顎に、極端に長い手足を小さなブースに窮屈に押し込めている、痩せぎすの男。
(オランタムか……)
トゥハットは、心の中で思わず呟いていた。
クシクルミオに暮らす主だった七つの種族。
種族ごとに性格や性質が綺麗に色分けされているわけではないが、やはり向き不向きというものはある。
オランタムという人種は総じて気まぐれで、おおよそ役人向きの性格ではない。
当人はともかく、相手をしている側が不安になるからだ。
だが今のトゥハットにとっては、そういう性質の方が有り難いとも言えた。
「……名はトゥハット・レフティア――生まれはクルペア? それなのにキェルセンから?」
だが、目の前のオランタムは種族特性を忘れたかのように、差し出した身分証のチェックを細かく行ったらしい。
だがそうなったところで、トゥハットとしても困ることはない。
「親父がメリの商館勤めなんですよ。で、ガキの頃からキェルセンに」
メリというのはクルペアの花月領の一つだ。貿易業が盛んであるし――そもそも嘘は何も言っていない。
管理官はそこで初めて顔を上げて、トゥハットをじっと見つめた。
トゥハットは甘んじてそれを受ける。
それが管理官の仕事であるという以上に、相手の疑念もよくわかるからだ。
今、申告した経歴だけを考えれば、トゥハットは裕福な家庭で何不自由なく育ってきた、と思われても仕方がないところ。
それが、わざわざ剣を携えて、その身一つでエリリサルに乗り込んでくる。
(まぁ、身を持ち崩したどら息子ぐらいと判断されれば……全くの外れでもないし……)
「――目的は観光ではなく、就労で良いですか?」
唐突に管理官が手続きを先に進めた。
何か吹っ切れたような表情をしている。彼なりの仕事を進めるコツなのだろう。
「そうです。なんでしたっけ? 冒険者……とかなんとか」
「ええ。そのように呼ぶように指導されています」
その返事を聞いて、こいつはヌガールだな、とトゥハットは心の中で呟いた。
表面は固く、中はドロドロのひたすら甘いだけの砂糖菓子。
それと同じで、この管理官の表面は規則で固められて仕事は処理していくが、中身はやっぱりオランタムだ。さっきのはコツでもなんでもなく、単純にこちらの相手をするのが面倒になっただけだろう。
「身元も目的もお伺いしましたし、残る手続きはあと一つだけです」
言いながら、管理官は小さなトレイをトゥハットに差し出してきた。
「あ~、やっぱりあるんですね。これ」
「あります。名目は観光料。王国銀貨でお支払いですか? 他国の物ですと別途両替料が発生します」
なんというセコい国なのか。
いや、こうして細かく稼ぐのが裕福さの秘訣なのかも知れない。
要求された金額は、家族三人の食費二日分と言ったところ。そこまで無茶な金額ではないが入国するだけでこれでは、割高に思える。
だがこれには“どうせ払ったからには”と、本当に観光目的で入国した場合に財布の紐を緩める効果が期待され、また今回のトゥハットのように他の目的で訪れた場合、エリリサルの裕福さだけをアテにやってくる食い詰めた不逞の輩を、ある程度は自動的に弾くことが出来る。
もちろん下調べを行ってきたトゥハットに抜かりはない。
ポケットから、銀貨三枚を取りだす。もちろんエリリサルで発効された物だ。
それらがトレイに乗せられたのを確認した管理官は、手元に引き寄せると同時に、銀地に文様が箔押しされたカードを差し出した。
「入国許可証になります」
「はい」
当たり前に行われた手続きには、異論を差し挟む余地も、時間をかける価値もない。
トゥハットは指で挟んで入国証受け取ると、入ってきたのとは逆方向についている扉に向かった。
早速、そこで行われている形ばかりの検問に許可証を差し出して、それで許可証の役目は終わりになるだろう。
そして、トゥハットに与えられた役目はそれからが本番になる。
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