第5話 なめくじのろのろ なにぬねの

なめくじのろのろ なにぬねの


 茶色い、泥団子を作るのに最適であろう土の少しツンとするような匂いに少し気持ちが重たくなる。この土はどういう移動手段を使ったのか(多分主に人の靴の裏とかそんなもんなんだろうとは思う)、己のテリトリーであろう近所の小柄な公園を飛び出し、道路、校庭、スーパーの入り口、駅のホームやその他諸々のありとあらゆる場所で自分自身の匂いを漂わせていた。この匂いはひどい湿気を含んでいて、数時間前の天気や、おおよそのこれからの天気を連想させるので、とても好きになれない。要は、私は雨が大嫌いという訳であり、今のシーズンは紛う方なき梅雨であるというコトだった。

 映画やドラマの主人公であったり、小説のヒロインなどに影響され、あたかも『自分も元から雨が好きだったから、この主人公に共感できちゃうんだよねぇ。』というような見え透いたキャラづくりをしちゃう系の人は、確かに年々増えつつあると思うけれど、心の底から雨の日を愛し、あの天から注がれる非常に悪魔的な水滴をリスペクトしている人はそんなに多くない、はず。

 人間は自分がこよなく愛するものと同じくらい、心底嫌いなものも同じくらいのホットな熱量で語り、相手に伝えようとすることができると思う。いやよいいやよも好きのうち、という言葉があるが、あの言葉はあながち間違っていないのではないかという考察が私の中には浮上していた。どちらも、自分の貴重な人生の時間を割いて、生涯その物事について考える訳なのだし。そんなことを考えながら、私は止まない窓の向こう側の雨を、(意図的ではなかったけれど)なるべく焦点を合わせないように眺めていた。

 降水確率三十パーだと私に告知していたあれやそれは、何食わぬ顔でスッと自分の予想を変更していた。一度自分が人様に提示した予想や意見に対しては責任を持てよ、そんなにすぐに自分の考えを変えるだなんて、お前は相当意志薄弱なヤツだよ、と、毎日今日こそは帰ったらすぐお風呂に入るぞと思いながら、翌朝五時半にアラームをかけている私が思った。もし五時半に起きられなかったのならば、その日は頭が少しオイリーなまま学校へ行くことになるんだぞというスリルと隣り合わせなので、幸いいつもアラームは一発で目が覚める。一時期ウェットヘアなるものが流行った時には、お風呂入らずに寝坊して、その上時代の流れに乗れるだなんて、一人でウィンウィンウィンじゃないかと歓喜したが、ヘアオイルを髪の毛に添付して形成するウェットヘアと、自然に生成される頭のべたつきは一目見ればなんとなぁく察知できるし、そもそもお風呂入らないと臭いし不潔だし、そんな簡単なこともできない自分に対する嫌悪感で心がいたたまれなくなるので、結果一人ルーザーであった。悲しい。

 余談が本題を超えてしまいそうだけれど、この予断を本題に戻す為につなぎとして髪の毛をチョイスしようと思う。

 雨の日は髪型が決まらない。飽き性な性格のせいで、中学まで髪の毛の長さが安定しなかった私だが、一昨年の梅雨の一件を経て今後は二度とボブヘアにはしないと決めた。一見というのも、一昨年の梅雨時期、私は長い髪をバッサリと切ってボブヘアにして、元から癖の強い髪の毛を毎日コテでセットしていた。その日も私は不器用な指先を一生懸命働かせていつものヘアを形成していたのだが、なんという事だろう、家を出てついたホーム、到着した電車の窓にうっすと映るワタシのヘアスタイルのシルエットはただのボッサボッサのストレートもどき。ちょっと好きかもしれないわぁ、というテンションの対象になっている男子を含めた数人で会う予定だった私はそれが腹立たしくて仕方なかったし、出先で携帯用のヘアアイロンを購入する羽目になった。

 結果、よく話してみたらその男児は性格がグズだったので、ヘアスタイルの乱れで何か不利益を得たりはしなかったものの、自分が朝の貴重な時間を割いてセットしたものをなんの悪びれもなくクタクタにする湿気の梅雨が信じられないくらい嫌になった。


 つまるところ私は六月ヘイターだ。


 今日も今日とて出先で雨にやられ、朝のニュース、降水確率を提示した皮肉にも恨めないほどに愛くるしいお天気お姉さんを思い浮かべながら、チェーン店としておおよそ全国展開しているカフェのカウンターに腰掛けていた。窓の外が見える、窓際のカウンターの椅子は他の席よりも少し高くなっていて、いつもはあまり進んでは座らなかったのだけれど、湿気に蝕まれた生暖かい外気が床近くを這いつくばって私の足を引き込もうとしている気がして、その手から逃れるために足を浮かせた。

 湿気に負けんと対抗させられた除湿と冷房は相当肌寒く感じ、私はカバンからカーデガンを取り出した。カーデガンより折り畳み傘を持ってこいよ、と朝の私に伝えてあげたい。

 白目を剥きそうになりながら窓の外を眺める。うっすらとガラスに転写される転ないと私。目が死んでいる私の二の腕らへんが少しうねった。張り付いた吸盤的なものが収縮と膨張を繰り返していた。ナメクジだった。特に当てもないであろうそいつをボケット視界に入れながら、この後を想像する。


雨が止んだら私は家に帰る。

雨が止んでも止まなくても、きっとあいつは動き回る。

家に帰っている途中に雨が降る、私はコンビニに入るかもしれないし、書店へ逃げるか、家までダッシュするかもしれない。

動き回っている途中に雨が止む、あいつはそのまま道路へ出るかもしれないし、土に戻るか、人の家に入るかもしれない。

最終的に私はは帰宅して、寝て、生きて死ぬ。

最終的にあいつは、轢かれるか、喰われるか、純粋無垢な小さな子供に塩をふっかけられて死ぬ。


 ああ、と思って子供の頃を回想。いたよな、そういう子供。そういう子供っていうか、子供ってそういうものっていうか。純粋だからこそ狂気的な残酷さを解放してしまう。ナメクジソルトアタック意外にも、カエルストローキスダイナマイトとか、結構グロテスクな実験を軽々やってのける子がいた。カエル、私はやらなかったけど。

 うねうねと移動するナメクジを眺むのをやめて、私はカフェオレを吸った。ホットにすればよかったなぁと腕を組んで、雨が止むのを待っていた。

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五十音的でショートショート 下戸🍼 @The_Nighthawk_Stella

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