第5話

 本当に神仏がいるのならわたくしは罰を受ける罪人なのでしょう。


 兄上様は紛れも無い実の兄なのです。


 親愛の情や尊敬の念を抱くならなんの不都合も無いことでしょう。

 


 鷹狩りから戻ってから数日、わたくしは兄上様の瞳のゆらぎや言葉のひとつひとつを思い出してはため息をついていました。

 髪を梳かす度に口づけされた一束を手にとっては頬が赤くなります。


 これが恋というものであると、そして決して成就しないことはわたくしにもわかっています。


 恋慕の情を抱く相手ではないのはわかっていても

 わたくしの心にいる殿方は兄上様だけ。



 兄上様には義姉上様がいらっしゃるというのに。

 思わず兄上様に触れられたいなどと口走ったことを今更ながらに恥ずかしく思いました。



 そんな折、義姉上様から遊びにいらっしゃいとお誘いがありました。


 実のところ兄上様への想いを自覚してからはお会いするのは酷く罰が悪く感じておりました。

 ただ、いたずらに心配をかけたくもなかったものですから、『わたくしの心の有り様など義姉上様にわかるわけではない』と割り切ってお伺いすることにしました。


 わたくしが義姉上様のもとに向かう途中、庭先で何やら楽しげに笑う声が聞こえて来ました。


 チリン、チリンと高く鈴の音が響いたと思うと足元にぴょんと白いものが飛び出してきて驚いてしまいました。


「ああ、その子を捕まえて」


 駆け寄ってきた義姉上様にそう言われて白いものを咄嗟に手で押さえました。


「え、」


 それは、真っ白でふわふわとした毛並みに金色がかった碧い瞳のなんとも愛くるしい子猫でした。


「首につけた鈴がちぎれそうだから取り替えたいのだけれど、なかなか捕まえられなかったの。

 あらぁ、お市様のところではそのように大人しいのねぇ。そのまま抱いていてね。」


「は、はい。」


 先についていたものが首から外され、朱い組み紐に金色の鈴が付いたものがかわりに子猫の首に付けられました。

 白に朱と金が良く映えています。



 義姉上様の部屋に場所を移してからも、皆その子猫に夢中で紐や毬をじゃれさせたりしておりました。

 時折わたくしを見て、みゃあ と甘えたように小さく鳴くので思わず笑ってしまいます。


「数日前、殿信長様が連れて来たのよ。鷹狩りの帰りだったかしら。からすに追われてぬかるみで泥だらけになっていたそうよ。私に『世話の仕方が分からん、任せる』ですって、勝手よねぇ。」



「兄上様が……。」


 きっと泥で汚れるのもかまわず、懐に守り抱いて連れ帰ったのだと思えてなりませんでした。

 そうでなければわたくしの両手に収まってしまうこの小さな生き物が怪我の一つもなくいられるわけがないのですから。


「本当に、憎らしいったらないわ。

 私がこの子を放っておけなくなるのも計算ずくで預けたに違いないんだから。まったく、しかたのないひとだこと……。」


 わたくしの掌にごろごろと喉をならしながら子猫が白い毛並みを擦り寄せる様を見て義姉上様は慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべていました。

 この猫を預けた兄上様へ文句とは真逆のの、どこまでも澄んだ愛おしさの滲む響きと暖かいまなざし。




 嗚呼、敵わない。




 鷹狩りの帰りならばわたくしは近くにいたはずなのに、兄上様が真っ先に子猫の親元として頼りにされたのは義姉上様。


 兄上様のお心の中心にはやはり義姉上様がいるのです。いつか義姉上様との話しをお聞かせした時の赤くなった兄上様の顔が思い出されました。


 なぜ忘れていたのでしょう。しっかりと捕まえていてと頼んだことを。間違いなくお二人は強い愛情と信頼で結ばれた夫婦めおとなのだと、私が想いを差し挟む隙はどこにも在りはしないのだと。改めて気づいたのです。


「名はあるのですか?」


「まだつけていないの、お市様に考えてもらいたいと思ってお誘いしたのよ。」


「……わたくしが考えてよろしいのですか?」


「もちろんよ。お願いできる?」


「では……みぞれはいかがでしょう?真っ白な毛並みは雪よりずっと温かくて、蕩けてしまいそうに柔らかいのですもの。」



「まぁ、とても良い名だわ。みぞれ、よかったわねぇ。」




 こうしてわたくしにとって初めての恋は芽生えて五日目に砕けたのでございました。


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