第4話
わたくしにだけは兄上様のお姿が眩しく煌めいて見えました。
例えるなら雲の切れ間から強く光が差し込んだ時のように。
夢見心地でぼんやりと眺めていると、兄上様の視線がこちらに流れて来ました。
「市、そなたもやってみとうなったのか?」
口元は笑まずとも瞳の奥にも声音にも優しい微笑みがあるのがわかって、また頬が熱くなります。
「ぅ、……むずかしゅうございます。」
「さもあろう。見ておれ。」
兄上様は腕に乗った鷹を飛ばし、その飛んでいく先に鋭い眼光を光らせておいでです。
真っ直ぐ獲物を狙って降下した鷹は走る兎をその爪でしっかりと捕まえてしまいました。
「お館様、お見事にございます!!」
家臣たちから歓声があがります。
鷹匠が駆け寄り鷹と兎を手に兄上様のもとへ戻って来ました。
爪から兎を離すと代わりに餌の肉を鷹に与えるのです。
両耳を束ねて掲げられた兎は血を滴らせて絶命しておりました。
「よしよし、ようやった。」
腕に戻って肉を食む鷹の頭を指先でそっと撫でる兄上様は微かに微笑まれています。
わたくしは先ほどまでのいたたまれなさも何処へやら鷹に成り代わりたいなどと思ってしまいました。
うっとりと眺めていると急に周りが騒がしくなってまいりました。
「お館様っ……!猪が此方に向かっております!かなりの大物で近寄れませぬっ!」
「狼狽えるでないわ。猿!弓をこれへ」
鷹匠に鷹を預けて猿と呼んだ家臣から弓を受け取った兄上様は捧げ持たれた矢筒から矢を一本引き抜き、つがえました。
陣幕の周りに控えていた人々が散り散りに逃げ行くなかを駆けてくる猪は四尺にとどくのではという
「案ずるな市、すぐに済む。」
兄上様の声が響くと矢が風を切る音を立てて真っ直ぐに飛んでいき、大猪の眉間に深く刺さりました。
どおっと音を立てて横倒しになった猪に腰の刀を抜いて近寄り巨躯にとどめをさして直ぐさま、わたくしのもとへ来てくださいました。
「市、息をせぬか。」
兄上様に言われるまでわたくしは息をしていないことに気づきませんでした。
「───っは、ッあ……っ!あに、兄上様っお怪我はっ!?」
「あるわけがなかろう、見ておらんかったのか?」
「血が………。」
兄上様の白い着物にべったりと赤黒い血がついておりました。
「奴の返り血じゃ、俺の血など一滴たりとも混ざっておらぬわ。
……いや、しかし参った。」
刀を血振りして納刀すると、そのお手も真っ赤に獣の血で染まっておいでです。
兄上様は残念とばかりに呟かれたのです。
「この手ではそなたの髪には触れられぬな……。」
真面目なお顔で、そんなことを仰る兄上様の血だらけの手をわたくしは両手で握りしめました。
「市は、血に怯えてはおりませぬ。兄上様のお怪我がないならそれでよいのです。
兄上様が触れてくださるなら、血などいくらついても構いませぬ。」
兄上様の瞳がふるりと揺れたあと、一瞬瞼を伏せたと思うと、わたくしの目を覗きこむように見つめたまま左肩を口元に寄せて射籠手の結び目を咥えほどいてしまわれました。
握った右手はわたくしに捕まえられたまま離さず、むしろしっかりと握り返されております。
指先からやはり口で射籠手を咥え脱ぐ時もわたくしから目を逸らさずにいる兄上様は扇情的ですらあります。
口にした覚悟が嘘に見えては嫌なので、視線は逸らさずにおりました。内心はこれが殿方の色香かとあわあわとしていたのです。
瞳の攻防から先に離脱したのは兄上様の方でした。
視線を手元に移し、脱いだ金糸の射籠手でわたくしの手とご自分の手についた血を丁寧にぬぐい去ると、優しく頭を撫でてくださいました。
「怖がらせて、すまぬ。獣ごときに陣に入られるなど失態であった。」
「よいのです。市は、兄上様さえご無事ならそれで……。
あっ、市が猪に怯えるからもう鷹狩りに誘わぬなどとお思いですかっ?
そちらの方が嫌でございます!」
くくっと肩を揺らした兄上様が撫でていた手をするりとおろし、わたくしの髪を一房手にとられました。
「そなたはまったく……見目はこのように変わっても心根は昔のままなのだな。」
「幼いとお思いですか?」
「いや……清く無垢なままゆえ、放っておけぬ。
───嫁に行くまでさっきもうした言葉、男の前で口にするでないぞ。」
兄上様がわたくしの眼を覗き込みながら手にした一房の髪に口づけをしたのです。
今度は猪ではなくわたくしの心が射貫かれる番でございました。
「血などついても良いから触れて欲しいなどと………な。」
そういって艶っぽく微笑みをむけられたわたくしは、火にくべた栗ほどの勢いで顔が赤く爆ぜるのでした。
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