元禄袖
増田朋美
元禄袖
元禄袖
朝から降り続いていた雨は止み、昼前には日が出ていい天気になった。その日杉ちゃんと蘭は、呉服屋と言っても、リサイクル着物屋である、増田呉服店に買い物に出かけた。杉ちゃんが店の玄関のドアを開けると、玄関についていた、コシチャイムがカランコロンとなった。
まだ開店してまもない時間であったけれど、杉ちゃんたちより先に先客がいた。まだ、30歳にもならない、若い女性であった。
「あらどうしたの?先にお客さんがいたとは珍しいね。」
と、杉ちゃんが言うと、この女性、何か悩んでいるようなところがある顔つきをしていた。
「どうしたんですか?何かあったのでしょうか?」
蘭は思わず心配になって、そう聞いてしまう。するとカールさんが、
「いやあね、彼女はとある呉服店でやっている展示会に参加したんだそうです。それで、この着物を無理やり買わされてしまったと言っているんですが。」
といって、売り台に乗っている着物を一枚見せた。確かに着物ではあるのだが、ポリエステルの洋服地と変わらないぺらぺらな生地で、あまり着物としての価値はなさそうな感じであった。
「何だか展示会の時は、ああだこうだと言われて、いろいろ押し付けられるようにして買わされたんですけど、私は、お太鼓という基本的な帯結びができないので、返品しようと思いましたが、それがもう期限が過ぎていると言われてしまいました。」
と、女性が言うとおり、最近の呉服屋というか、着物業界は問題が多い。中には法律沙汰になってしまうことだって、まれではない。
「そうですか。もう、クーリングオフの期限も過ぎてしまったんですね。」
と、カールさんは言った。
「そうかそうか。そういうことか。いいじゃないか、そういうことなら、普段用に着てしまえ。長襦袢だって、ここだったら、500円で入手できる。だから着てみると、今までとは違う自分に出あえて、嬉しくなると思うぞ。」
杉ちゃんは強引に言った。そういうところはやっぱり杉ちゃんであると蘭は思った。決してマイナスなことは言わない。なんでもまえむきに解釈してしまうのが、杉ちゃんというものであった。
「でも私、お太鼓っていう基本的な結び方ができないから。」
「そんなもの、着物の場合はいつもそうしなきゃいけないという法律は何処にもないよ。もし、希望があるなら、つくり帯としてつくってあげるから、やれるだけやってみな。」
女性がそういうと、杉ちゃんはカラカラと笑った。
「そんなに簡単につくれるものでしょうか?着物の着方だって、ちゃんと分かっていないのに?」
女性はそういうが、杉ちゃんは平気な顔をしてカールさんに裁縫箱を貸してくれといった。カールさんがそれを渡すと、
「それなら、着られない奴ように、作り直しちまえばいいんだ。どうせ一部の人しか、批判する人もいないし、気にしないで、着ちゃえばいいの。そうなれるように、僕が仕立て直してあげるから、楽しみに待ってろや。」
杉ちゃんはまたカラカラと笑った。
「カールさん、腰ひもを四本貰えないかな?」
「ああ、一本百円でいいですよ。」
杉ちゃんは、カールさんに百円玉を四個渡して、腰ひもを受け取った。このくらいの勘定であれば杉ちゃんでもできるのだ。
そして、女性がだした着物を受け取って、ウエスト部分をはさみで斜めに切って、上着の部分を縫いあげた。その両端に半分に切った腰ひもを縫い付ける。下半分の巻きスカートは、白い布で足し布をして、足が隠れるようにして、その両端にまた半分に切った腰ひもを縫い付けるのである。これで、簡単に着られる二部式着物ができた。
「杉ちゃん帯はどうするの?」
と、蘭が聞くと、
「そうだね、まず、二重太鼓と文庫とどっちがいいのか言ってくれ。」
と、杉ちゃんは言った。
「それじゃあ分からないでしょうが。文庫と二重太鼓の違いを教えないと。」
ぽかんとしている女性を見て、急いで蘭はいった。
「そうか、それも知らないのか。ああ別にお前さんの事を馬鹿にしているわけじゃないよ。知らなくて当たり前だからね。文庫は蝶結びみたいな結び方の事。二重太鼓はよくある四角い結び方だ。しかし、使用は、既婚者に限る。」
と、杉ちゃんが言うと、女性はできることなら文庫が良いと言った。おうわかったよと杉ちゃんは言って、帯の柄部分を切って、両端に紐を縫い付け、残りの帯で鼻歌をうたいながら、文庫をつくってしまった。もう慣れっこになってしまっているためか、杉ちゃんがつくると大変簡単そうにみえるのであるが、実は意外に難しい作業でもあった。ちなみに、文庫の部分を背中に差し込む金具は、カールさんの店にある、いらないハンガーを貰って、ペンチで切ってつくった。
「はい、二部式の着物とつくり帯をつくったよ。之ならお前さんも簡単に着られるんじゃないの?」
「杉ちゃんすごいね。たった二時間半で着物も帯も縫えるんだから。」
蘭ははあとため息をついた。
「そんなもん気にしなくていいの。大事なのは、お前さんが着物を着られるかどうかだから。」
杉ちゃんは、彼女につくった着物を手渡しながら、そういったのであった。
「ありがとうございました。之なら、着物が着られない私でも、着られそうで嬉しいです。お題はどれくらいにしたら良いでしょう?」
と、女性が言うと、
「ああ、そんなもん、いらんわ。単に、お前さんが着られるようにしただけの事だから、料金も何もいりません。それより改造したのを楽しく使ってね。」
と、杉ちゃんは言った。
「でも、つくってくれたんですから、何か御礼をしないと行けませんでしょう?」
「だからいいんだってば。洋服を一寸直す時だって、大金払う奴はいないだろ。それと同じで良いの。」
「せめて、材料費だけでも。」
と女性がいうものだから、カールさんは、腰ひも代400円だけ御願いしますといった。彼女は分かりましたと言って、400円をカールさんに払った。
「まあ良かったじゃないですか。気軽なお出かけなどに着てみてください。洋服よりも、かえって楽しいかもしれないですよ。」
「そうそう。又直して欲しかったら、いつでもいってね。直ぐに直してあげられるよ。」
カールさんと杉ちゃんが相次いでそういうと、女性はさらに嬉しそうな顔をした。
「ありがとうございます。着付け教室では、いつもできの悪い生徒と言われてとても嫌でしたので、こういう風にしてくだされば、着付け教室で勉強しなくても、紐で縛るだけで、着られるんですね。」
「何だ、お前さん、着付け教室いってたのか?」
女性がそういうと、杉ちゃんが言った。
「ええ、習い事をしていて、着物が必要になりましたので、それで着物を着てみたいと思うようになりました。それで着付け教室にも行くようになりましたが。」
「はあ、そうしたら、余分なものをやたら買わされたり、出来の悪い生徒と言われて嫌味を言われるしかなかったか。やれやれ、着付け教室も困った所だよな。肝心な所を教えないからね。」
杉ちゃんはまた口をはさんだ。
「それよりも何とかして着られるようにしてくれればいいのにね。」
「本当ですね、僕たち売る側としても、安く提供できるんだから、着るのを簡単にするというのは、すごく大きな使命だと思うよ。」
カールさんもそういった。蘭は二人の話しを聞きながら、もうちょっと伝統を大事にしてほしいとなんとなく思ったけれど、彼女のような女性なら、仕方ないなとおもった。形が変わっても、それだけ残ってくれれば良いなと思い直した。
「ほんとにありがとうございました。私にも、着物が着られるようになるなんてびっくりです。このお着物は大事にします。」
カールさんが領収書を書きたいので、名前を教えてくれませんかというと、彼女は川野文子と名乗った。カールさんはその通り、川野文子様と書いて、領収書を彼女に渡した。彼女は、頭を深々と下げて、其れを受け取った。
「良かったなあ、人助けすることが出来て。」
店を出ていく彼女を、杉ちゃんはにこやかに笑って見つめていた。
それから、数日後の事であった。
杉ちゃんが、又着物の部品を買うため、カールさんの店を訪れていた。店で世間話をしていると、コロンカランとコシチャムがなって、誰かが来たことが分かった。だれだとおもったら、華岡と部下の刑事である。
「失礼いたします。先日、川野文子という女性が、この店に来ませんでしたでしょうか?実は、彼女、ある事件に大きくかかわっている疑いが出て来ましてね。」
と、華岡が言うのでまたびっくり。
「彼女、川野文子さんが何かしたとでも?」
カールさんがそう聞くと、
「はい、一昨日、秋庭敏江という女性がバラ公園近くで遺体でみつかりました。彼女は、その近くで着付け教室をやっていましたが、その中に、川野文子という女性生徒がいたということが判明しています。その川野に聞いてみましたところ、秋庭が殺害された日には、この店に来たというものですから、誰かそれを証明できる人はいるかということで、お伺いしました。」
と、華岡は答えた。つまるところ、裏付け捜査だったらしい。
「で、ででも、彼女は殺人をするような女性にはみえなかったけどね。」
と、杉ちゃんが言うと、
「そうじゃないかもしれませんね。確かに最近は、女性であっても、平気でやれてしまう時代ですよね。推理小説なんかもしょっちゅう出版されていますし、テレビドラマでも変なトリックを使う事件もののドラマが多いでしょ。それを真似することだって、出来てしまうかもしれないですよね。」
と、カールさんは、華岡の話しに付け加えた。
「だけどさあ、着物を見て、あれだけ喜んでいた奴がだよ。殺人をすると思う?僕はそうは思わないけどねえ。」
杉ちゃんはそういうが、華岡たちは違うようだ。
「いやね杉ちゃん。彼女はそれなりの理由があるよ。彼女が秋庭のやっていた着付け教室に通っていることは確かだし、そこで秋庭から嫌がらせを受けていたこともまた事実だ。ほかの生徒の証言で取れている。だから、秋庭を殺害する動機は十分にある。」
「そうだけどね、それだけで、犯人と決めつけるのはやめた方が良いと思うぞ。確かに、一昨日、彼女はこの店に来たよ。僕が彼女の着物を仕立て直したんだから。それはしっかり覚えている。」
杉ちゃんが華岡の発言にそういったのであるが、
「いやあ、ほかに秋庭敏江を快く思っていない奴はいないのでねえ、、、。」
と、華岡は言った。
「そうかもしれないとか、そういう事で決めちゃうのはだめだ。僕もカールさんも、彼女がここへ来たということは知っているんだし。それを僕たちは証明しているんだから、勝手に決めつけないでよ。」
「そう、、、だねえ。」
華岡は小さくなって又頭をかじった。
「警視、たった今連絡がありました。なんでも秋庭が死亡した時刻は、川野文子がこの店に来た直後ではなく、数時間ずれていたようです。つまり、数時間は秋庭は生きていたことになる。川野文子が、秋庭の着付けのレッスンを受けていたことは確かですが、彼女がこの店にいた間、秋庭はまだ息があったということは、彼女が秋庭の部屋へ戻って犯行を行うことは、まず出来ませんね。」
部下の刑事がスマートフォンを眺めながら、そういうことを言った。そうなるとやっぱり杉ちゃんたちの主張が正しかったということになる。
「ほらあ、そう簡単に事実関係で判断しないの。そういう風にちゃんと調べてから、一般人に聞き込みをするようにしてくださいね。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「失礼いたしました。本当にすみません。」
と華岡は頭を下げる。
「そうなると、川野文子ではないとなりますと、では誰がやったんでしょうね?」
部下の刑事は不思議そうな顔をして華岡を見た。
「馬鹿だなあ、それを調べるのがお前さんたちの仕事でしょ。だったら、ほかの人を調べてよ。それに、大概の人は、刑事ドラマみたいに、簡単に殺してしまう何て思わないと思うよ。」
と、杉ちゃんに言われて華岡たちは、
「そうだね。ごめん、杉ちゃん。」
と言って、すごすご店を出ていった。彼らが出ていくときも、コシチャイムが綺麗になるのだった。
数日たったが、秋庭敏江を殺害した犯人が逮捕されたという報道はされなかった。ということはつまり、決定的な人物がいないということだろう。そんな事、一般の人には関係ないので、どうでもいい話になってしまうのである。その日も、何も起きないで、一日は終了してしまうのかと思われた。杉ちゃんが、着物を縫うための反物を買いに、カールさんの店を訪れたところ。
「こんにちは。えーと、増田さんっておっしゃってましたよね。」
と、また玄関ドアにつけられたコシチャイムがなって、ひとりの女性が入ってきた。この間、杉ちゃんが縫ってくれた、二部式着物を身に着けている。
「あ、あの時の、川野文子さん!」
と、杉ちゃんが言う通り、やってきたのは川野文子さんだった、はずなのだが、確かに似てはいるけれど年の候がちょっと違うような。髪は白髪になっていた。
「あれれ、文子さんじゃなかったのか。」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい。私は文子の母の川野舞衣子です。」
と彼女は答えた。
「はあ、お母さまだったんですか。どうりで似ていらっしゃるわけだ。親子というより、兄弟のような感じですね。」
と、カールさんが言うと、
「ええ。そうなんです。人によく言われます。このお着物は、文子がこちらの着物屋さんの従業員に、つくってもらったと聞きましたので、御礼に来ました。」
と、川野文子さんの母、川野舞衣子さんはいった。
「確かに、文子さんに似てはいるけど、大事な間違いをしているよ。その着物は元禄袖で、文子さんの年の人であれば着用できますが、お母さんの年代では着用できません。元禄袖は、若い人専用の袖の形なんです。」
と、杉ちゃんが言うと、川野舞衣子さんは、急いで着物の袖に目をやった。
「へへん。着物というものは年齢制限があるんだよ。それを忘れてはいけません。そのお着物は元々若い人ようで、お前さんの着用するもんじゃないんです。まあねえ、それを忘れる人は、いっぱいいますけどね。」
「そうだったんですか、、、。」
と、彼女が言った。
「つまり文子が着れば自然にみえるのに、私が着れば、おかしくなってしまうということですか。」
「ええ。そういう事です。まあ、最近は着物を着る人が少ないこともあるから、こういう細かい所には執着しない人が多いですが、分かる人は、気にします。いつどこで誰が何をどのようにどうした、が、着物にとっては一番大事なことになるんです。」
カールさんはそういうことを言って説明した。
「それでは、この着物を私が着て、外を移動したら、おかしいと思って、気にする人もいるということでしょうか?」
舞衣子さんは、またそんな質問をする。
「ええ、思いますよ。僕みたいな着物をつくる側としては、お前さんの恰好はおかしいということになりますので。なんで中年のおばさんが、元禄袖の着物を着ているんだって、声をかけたくなる。」
と、杉ちゃんが答えた。
「そうだったんですか、、、。」
舞衣子さんは小さくなってそういった。
「何かわけがあるんですか?完璧に着こなせなければならない理由。」
と、カールさんが聞くと、
「ええ。娘が着付け教室に行きたいと言いまして、着付け教室に通いだしたのはいいものの、そこの先生がとにかく悪質で、必要のないものを買わされたり、展示会に無理やり出場させたりさせられたりして。」
と、舞衣子さんが言った。
「つまり、文子さんが、着付け教室で、そういうことをさせられていたのをあなた、知っていたわけですか?」
と、カールさんが言うと、
「ええ、知っていました。始めはとても楽しそうに着物を着ていましたが、秋庭先生の嫌がらせで、だんだん辛そうになっていったんです。他にも着付け教室はあるのかもしれませんが、うちにパソコンがないので、ほかの教室を調べられなかったんですよ。それで、娘はそこで習わせて貰っていたんですが、だんだんふさぎこむようになって、展示会でも、余計な物を買ってきて。あの子は、そういうものを断られるほどの、強い子じゃありませんから。それなのに、、、。」
と、舞衣子さんは言った。そういうことかと杉ちゃんがつぶやく。
「まあ確かに、お母さんというのは、多少、感情的になりやすいというけどさあ、、、。」
杉ちゃんがそうつぶやくと、舞衣子さんは申しわけありませんと言った。
「其れで、あの子は、この着物を二部式着物に作り直してもらった物を、着付け教室に着ていきましたが、、、二部式着物もつくり帯も私に対する冒涜だと、先生は怒鳴りつけて。私、もう、私が何とかするしかないと思いました。でも私、殺すつもりはありませんでした。ただ、娘が着た恰好をして、それで私は、秋庭先生の家に押しかけたんです。」
「そういうことですか。それでも、秋庭さんの家に行って、娘さんに謝って貰おうと思ったんですね。」
と、カールさんが、舞衣子さんに言った。
「そのつもりでした。文子は、私ではなく、自分が秋庭を殺したと思わせるために、わざとあなたたちの店に言って、着物を二部式に直して貰うつもりだったと言いました。でも、あの子は、元禄袖という物は知らなかったと思いますから、この着物を着て、私になりすますという作戦は失敗しました。私が、秋庭を殺害したということを、知らせないように、私にこの着物を着て出歩くようにと行ったんです。着物であれば目立つから、直ぐに文子だと分かるように変装ができるからと、、、。」
舞衣子さんは、正直に言ってくれた。つまり着物を着て、文子さんに見せかけ、舞衣子さんとは別人にみえるようにというトリックだったのである。
「それでは、一寸無理だなあ。元禄袖というものは、ちゃんと年齢制限があるって、すぐばれるよ。」
と、杉ちゃんがカラカラと笑った。
「娘さんの為にもさ、本当のことを言った方が、いいよな。」
元禄袖 増田朋美 @masubuchi4996
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