告げられた結果

「はぁ……。落ち着かないなぁ」

「私達が焦ったって仕方ないでしょ。シルフィーが上手くやるのを祈るしかないんだからさ」

 俺が吐き出したため息に、呆れたような声が帰ってくる。その言葉はまさに正論で、俺には反論の余地なんてない。するつもりなんて最初からないけど。でも、

「それは分かるけど、なんでメイヤーが俺の部屋に居るんだ……?」

 ここは俺の部屋のはずなのだが。どうしてメイヤーが退屈そうな顔をして、しかもベッドに腰掛けているのだろう。まあ俺の部屋とは言っても寮だし、しかもメイヤーは管理人なのだから、どちらかと言えば権利は彼女の方が優勢かもしれないけれど。

「あー? 別にいいだろ、私の寮なんだから。って言うか、お前は私が居たら嫌なわけ?」

「いや、別にそんなことはないけどさ……」

 けど年頃の男の部屋に、少なくとも見た目は可愛らしい女性が居座っているというのもどうかと思う。ディメルノほどではないが小柄なその体は、どこもほっそりとしていて触ったら折れてしまいそうなくらいに華奢だ。そんな体型とロングスカートのメイド服は、何故だからめちゃくちゃ似合っていて。

 まあなんだ、つまり端的に言って美少女なのだ、改めて見ると。寮の管理人という、言ってしまえばお世話になっている立場だから気にしないようにしていたのだが、それこそとびっきりの。

 そんな少女が自分が寝ていたベッドに座っているのだ、少しくらいは気にするのが男の子というものだと思う。

「ならいいじゃん。私だって夕飯の下ごしらえも終わってやることないんだよ」

「なら自分の部屋に居ればいいじゃん……。って言うか、メイヤーって暇なときっていつも寝てるんじゃないのか?」

「んなわけないだろ、はっ倒すぞ」

 いや少なくとも俺が見てる限りはいつも寝てるんだが。とは流石に反論しない。うん、どうやら完全に俺の偏見だったようだ。そうに違いない

 けどまあ、それくらい駄目な人と思っていなければ、家事に対する完璧超人っぷりと釣り合わない気がしてしまうのだ。ついでにその可愛らしい見た目とも。

「まあなんだ、確かに寝てるのは多いよ。でも今日は……なんかちょっと寝る気分じゃないからさ。それなら新人の部屋の様子でも見ておくかって思ったの」

 拗ねるみたいに小さく唇を尖らせるメイヤー。その表情はどこか子供じみていて、だけどその中に隠しきれないほの暗さが混じっているのを感じてしまう。それはきっと、ディメルノのことをメイヤーも心配しているからなのだろう。

 あの後、ディメルノは泣き疲れて寝てしまうまでシルフィーさんの胸の中で泣いていた。初めて大きな声を上げて、まるで子供みたいに。その声が、彼女に届いてなかったとは思えない。なんなら俺たちが聞いていた話を、どこかで聞いていたって不思議じゃない。

「ああ、ならまあ仕方ないか。まあ二日目だし汚れたりはしてないと思うぞ? ……多分だけど」

 だけどそのことを、彼女は決して口にはしなかった。それは彼女の最後の意地なのか、それとも何か他の理由なのか。そのどちらなのかは分からないけれど、メイヤーが何も言わないなら俺も何も言うべきではないと、そう思った。

「たまに居るんだよ、一日でどうやってこんな散らかすんだって人が」

「あー……まあ、なんとなく分かるけどさ……。けど実際に寮の生活とかまで見てたわけじゃないからなぁ、俺も」

「そりゃそうでしょ。シルフィーみたいに寮まで新しい人を連れてくるのようなケースワーカーなんて珍しいし」

「はは、どこでも変わらないんだな、その辺りは」

 そう言えば俺も、宿泊所の人にいつも迎えに来て貰っていたのを思い出す。そういう意味でも、ケースワーカーとしてシルフィーさんがどれだけ仕事に対して真摯なのかがよく分かる。さっきも緊張のせいか固い声色で、ディメルノのことは任せてほしいと去っていった。

 その最後、シルフィーさんはどこか不安げな表情をしていたけれどもしかして──。

「……ねぇ。お前って、本当にさ……」

 思わず飛びそうになった思考が、メイヤーの声で引き戻される。視線を上げると、メイヤーは真剣な、それでいてどこか寂しそうな視線で俺を見たまま口を開いた。

「本当に、ケースワーカーだったんだね」

「あー……まあ、うん。こことは全然違う国だったけどな。制度はなんでか分からないけど、凄い似てるのが不思議なんだが……」

「へぇ……。それならさ、今日みたいなことも経験あるんだよね? それこそ……虐待されてた子供を助けたことも、さ」

「それは……」

 正確に言えば、ない。それは児童相談所の役割で、俺たちケースワーカーの仕事ではなかったからだ。でもメイヤーの目は、まるで縋るような眼差しで。俺は思わず目を逸らすように俯いてしまう。

「……ないんだ」

「それって……」

「なにもないんだよ。俺自身がケースワーカーとして働いた三年間で、本当に誰かを助けられたことなんて……」

 誰も助けられなかった。どうしてか、そんなことは分かりきっている。

「ほとんど何もさせてもらえなかった。……いや、言い訳ですね。本当は、何もしなかったんだ」

 何も出来なかった、なんてことはない。ただ俺が何もしなかった。自分の力不足を棚に上げて、周りのせいにしていた。頑張らなくてもいいと、あっさりと諦めてしまっていた。

「……そうなの?」

「これでも、最初は違ったんだけどな。この仕事をするからには、沢山の人を助けたいって思ってた。けど仕事の忙しさとか、周りとの温度差とかを言い訳にして、何もしなくなっていってさ」

 だから虐待を受けている母子が担当に居た時も、ある程度は手伝いこそしたけど基本的には児童相談所に任せていた。何か手を出して失敗するのが怖かったから、自分を守るために何もしなかった。

「結果、親は子供と引き離されて施設に入ることになった。そこから先は、どうなったのかも知らない。……知る権利もなかったし、それに知ろうともしなかったからな……」

 その結果、もしかしたら子供は幸せになったのかもしれない。親と離れて不自由な施設暮らしになって、それでもあの親の元に居るよりはいい人生を遅れたのかも知れない。けど、その結果を知る術はどちらにしろ、もうありはしないのだ。

「そっか……。ユウトも、そうだったんだね」

「も……って、どういう意味だ?」

 まるで他の例がある、みたいな言い方に聞こえた気がした。そんな俺の疑問に、メイヤーはどこか力なく頷く。

「あー、まあその、実は……さ。昔、シルフィーも似たようなこと言ってたことがあったんだよ」

「シルフィーさんが……?」

「……うん。もう随分と前の……それこそシルフィーがケースワーカーとして働き始めて少しした頃だったかな。親から子供を引き離すべきだったのに、それが出来なかった……って。だからユウトがもしも……」

 沈んだ声でメイヤーはそこまでを口にして、それから思わずこぼれ落ちたようなため息を吐き出してから小さく首を振った。

「ううん、なんでもない。変なこと聞いちゃってごめんね」

「その、俺の方こそ力になれなくて……ごめん」

「んーん、別にいいよ。って言うか、私が勝手に聞いたことなんだし。それに……」

 メイヤーは視線を小さく下げて、だけどすぐにその顔を上げて続ける。真っ黒い瞳を真っ直ぐに俺へと向けて、今までに見たことがないような真剣な表情で。

「……私は、ユウトが前に居た職場のことなんて知らない。どんな人と働いてたのかも興味ないし、そこで何があったのかだって知らないよ。だから私が知ってるのは、今のユウトだけ。だからさ、そんな後ろ向きなこと言わないでよ」

「それは……。でも、結局みんなに迷惑をかけて、周りに頼るしか出来てないし」

 シルフィーさんがディメルノを保護することに賛成してくれなければ。ニシキさんがディメルノの面倒を見てくれなければ。そしてそもそも、メイヤーがディメルノを寮に住まわせることを許可してくれなかったら。

 そうしなければ、あの子を助けるというスタートラインにすら立てなかったのに。だからシルフィーさんの不安げな表情すら見ないフリして全てを任せきりにして、俺はこうして待っているのを選んだの卑怯者なのに。

「でもユウトはさ、ディメルノの手を取ったじゃん。泣いてるあの子の手を取って、寮のルールに違反するかもしれないのも分かっててもさ。……だから私が知ってるのは、ユウトがそういう人ってだけなんだよ」

 なんでもないことのように、俺の目を見つめながらそう言ってくれた。真っ黒い瞳が真っ直ぐに、ただ俺のことを見つめてくれる。。淀んでいるように見えていたその瞳は、こうして見つめ合うと何よりも透き通って漆黒に輝いているように見えて。

 体感にして数秒、きっと本当はもっと短い時間を俺たちは見つめ合ってから、まるで気恥ずかしいのを誤魔化すみたいにどちらともなく目を逸らした。

「あー……まあ、とにかく私が言いたいのはそれだけ。別に大したことじゃないしさっさと忘れていいからね」

「えーっと……まあその、努力はするけど」

「いや努力じゃなくて忘れろって言ってんだよ分かれよ。忘れるくらい簡単だろ無理なら手伝ってやろうか? 頭をこうスコップでだな」

「いや普通に死ぬからやめて!?」

 照れ隠しで殺されてはいくらなんでも敵わない。彼女が話していた魔族の常識を考えると、あながち冗談と言い切れないのも怖いところだ。

「はぁ……仕方ないなぁ。んじゃちゃんと忘れてよね。あー、なんか変な話ししたら疲れたわ。部屋戻って寝よ寝よ。今日は夕食、遅れないでよね」

「いや今日は寝ないから平気だけどな……。それより、ありがとな。メイヤーのおかげで元気出たよ」

 俺のベッドをギシリと鳴らしながら立ち上がったメイヤーに、俺は素直な感謝の言上を投げかける。せめてこれくらいは言っておかねければと思ったから。

 その言葉への返事はないまま、メイヤーは長いメイド服の裾を揺らしながら部屋の扉の前まで歩いていって。

「……あっそ。まあ、よかったんじゃん?」

 それだけを口にして、あっさりと扉の向こうに消えてしまった。短い髪から除く彼女の耳が、微かに赤くなっていたような気がしたのは、果たして俺の気の所為だったのかどうか。

「まあ……どっちでもいいか」

 どっちにしても、俺の感謝の気持ちが彼女に届いていないということはないだろう。そう考えながら、俺は椅子の背もたれに思い切り寄りかかる。

 懸念は消えない。シルフィーさんが上司にディメルノの話を成功させなければ、現状は八方塞がりだ。けど、今は心配したって仕方がない。俺にはシルフィーさんを信じて、そしてそれこそ祈るしかないのだから。

 そう思い、俺は窓の外に視線を向ける。空はいつ雨が降り出してもおかしくないような曇り空。まるで祈りを空の上に届けさせなどしないとばかりに、雲は分厚く俺たちの上に覆いかぶさっている。

「……頼むぞ、シルフィーさん」

 その空に向かって、無駄だと分かっていながら俺は祈るようにそう呟いた。曇天に向けた祈る先すら分からない言葉。その結果は、俺が思っていたよりもあっさりと。

「……すまない、失敗した」

 雨でびしょ濡れになったシルフィーさんによって、最悪の報告が告げられたのだった。

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