第九声 吸血鬼姫と厄介さん


しかして始まる——五凶兆【厨二病の本厄】の戦い。


「ローズ・キャンディー、とか言ったな。まずはお前が、俺への供物である理由を一から説明しよう」


屋上出入り口の蛍光灯が歪に点滅を繰り返す中、まず彼は目の前の妖艶な敵に対し、片手に持っていたペットボトルを真上に軽く放り弄びながら語らい始める。


『供物? 愚な事を、少々あの方に気に入られておるからと図に乗り過ぎでは無いか?』


刺激的な文言で相手の注意を惹き、挑発的な悪辣な笑みで相手を苛立たせながら。



「図にも乗る。こっちはお前の能力と戦法に大方の察しが既についてるからな」


『小賢しい。ならば申してみるがいい、その察しとやらを』


余りある不遜にして傲慢で片目を閉じ、酷く余裕に満ちた振る舞いをしながら空を舞っていたペットボトルを掴み直し、左顔面を覆い隠す眼帯側に首を傾げて。


「吸血鬼、ローズ・キャンディー。道満がそう言い残した、それが全てだ」


「お前が得意げに持ってるその棘の付いた鞭、アダ名、そして吸血鬼。その全てが安易な能力を愚直に語る」


碧海ヶ坂高校の本校舎屋上に自立するペットボトル。曲げた腰を戻し、道真は確信を持ってそう言い切った。言い切る事こそが、彼の策略でもあったのだろう。



「その鞭の棘で傷を付けた箇所から血で出来た薔薇の花を咲かすんだろ? それを飴玉のように食す様から付いたアダ名が【ローズ・キャンディー】」


『——⁉』


「ポーカーフェイスも出来やしない。だいたい、そんな名前の顔してねぇだろお前、せいぜい【薔薇雨子】って感じだ、雨は飴玉じゃなく空から降る雨の方が粋か?」



当たればそれまで、当たらねばそこから——、一つしか使えぬ瞳を最大限に活用し、彼は彼が口にする言説に僅かに眉根を動かした薔薇雨子の一挙一動を確実に捉えるのである。


そうすると、ただ長々と世間話をしに来たのではない相手が痺れを切らすのは何ら不思議も無い事であろうか。


『……能力が分かった所で、避けられなければ意味があるまい‼』



しなる長鞭、波打つ速さは怒涛の如く。


「避ける意味もないし、な」


『——……な⁉』


——打ち鳴らすは爽快な音ではあった。バチンっと濁音の混じる重量のある音でもある。触れた物を皆傷付けそうな鋭利な棘もあった。


それでも——、

「自分が概念兵器を持っているのに、なぜ相手もそうかもしれないと考えない」



猛威の長鞭を振るわれた道真本薬は無傷、なのである。



「この制服には、俺が思いつく限りの【弾く】概念を事前に叩きこんである。発動方法、条件はネクタイを緩める事と【弾く】というキーワードを口にする事」



「話なんぞ聴かずに初手から制服部分で無く、生身の部分を狙うべきだったな」


平然な顔色のままに薔薇雨子へ向け、気だるそうな声色で状況判断について説く道真。


「ん……、まぁアレだ。反発で衝撃は、割と伝わるんだが傷を負わなきゃ力は発動しないだろ?」


けれどその続いた言葉と鞭が当たった制服の箇所を撫でる辺り、それなりの痛みはあったようで。


「分かったか? 道満は、わざと俺にヒントを残して消えていったんだ。察して諦めてくれれば、これ以上無駄な力を使わなくても済むんだが」


それでも続けるのは交渉、全面降伏の要求。面倒を抱えて凝った肩を解すように腕ごと回し、道真本薬は悪辣にして余裕の笑みを崩さずに浮かべ一歩——薔薇雨子へと近づく。


無論、道真はこの時、薔薇雨子が交渉に乗るなどと更々思ってはいなかった事だろう。



『ならば衣服以外の箇所を——』


当然の如く薔薇雨子自身も道真の脅迫に抗おうとした。


しかし、瞬間——生物として瞬きの暗闇を享受したその刹那——、


『【十字架】に【囲まれて】、そんな元気があるならな』


妖しく耳に、世界に響く声。道真本薬の声。



十字架は——、やはり彼女を囲うようにそこらにあった。


『——あ……ああ……ひいいいいいい十字架ぁ⁉』


不意を突かれ、動きが固まる薔薇雨子。唐突に世界に現出した荘厳な十字架の佇まいに囲まれ、妖艶だった美麗な表情に冷や汗が溢れ出て彼女は恐怖を叫んだのである。


——吸血鬼。


「道満は——お前を吸血鬼騒動の始祖だとも言った。テメェが増やした思念体に襲われて感染した被害者に昨日の内に会いに行って、割かし人道的に十字架に効き目がある事は色々試して実証済みな訳だ」


改めて説明すれば吸血鬼とは——多くの伝承の中で【十字架】を恐れる血吸いの怪物である。宗教の布教的な意味合いを持つ歪まされた伝承である場合も多いが、往々にしてそのような【印象】で真実として語られる場合が多い。



それが——この世界ではあまりにも重要な事柄なのである。


「こ、こんなもの……いつの間にぃ⁉」


狂気に震え、足腰のバランスを崩して地に尻餅を突く。十字架に異常なほどに怯える薔薇雨子の悲鳴の傍ら、からりと乾いた音を立てて掌から堕ちる棘付き長鞭の柄。



「……そうだな。元和泉くらいの素人なら分からないのも無理ないが、ある程度知識があればそれが自然な反応だ。閉塞世界からの帰還者の反応としても、な」


冷静に独り言を呟き、薔薇雨子の眼前の十字架の傍らに立つ道真。膝を落として身を竦ませる薔薇雨子を冷淡に見下ろし、彼は更に言葉を重ねていく。


「本来、文術の構成魔法ってのは効果と結果を描写するツールな訳で、実物を世界に表現する訳じゃない。美術科や、音術科の仕事があって初めて形として強力に維持される」


口にした言葉は、後輩を諭すような口調の教授である。


「一般的な文術士が一人で戦う場合、挿絵のある魔本や概念体を始めとした魔道具みたいな【器】を予め用意して戦いに赴くのが主流」



「こういうのとか、な」


そして彼は腰の後ろに隠していた一冊の本を恐怖に震えたままの薔薇雨子に魅せつけ、要らぬものであるが如く彼女の膝元に投げ捨てる。


そうして偶然開かれた幾つかのページには何一つの文字も汚れもすらなく、空白の世界が広がっているばかりで。



——まるで分厚い装丁に惹かれるもの全てを、嘲笑うようであった。


「だが、この常識が覆る場合がある。【概念】の練度の違いだ」


「ある程度の領域、思い入れの強さ、思念の具体化、言い方は何でも良いが強烈なイメージの力があれば——実は【概念】に形を与える事すらできる」


『その本は、やがて【燃え】【尽きる】』


語る言葉に虚栄は無く、指を指された捨てられた本は独りでに燃え上がり、あっという間に黒ずみの灰へと変わり果てる。



「俺は、ある程度の物なら魔本がなくても大した瞑想時間も無く物質や現象を描写できるわけだ。自分で言うのもなんだが、精度はそこらの重鎮声雄に引けを取らない」


『く……神の如き力、こ、これが【創造する想像クリエイティブ・クリエイト】……これが文術士でありながら声雄の域にまで到達した完成形……‼』


薔薇雨子は先程までの妖艶で余裕のあった振る舞いが嘘であったかのようにやつれたような顔色で殺意の眼差し。まるで化け物が化け物を睨むが如く。



「道満に騙されてた力の差を分かって貰えたか? ああ、今さら逃げるなんて選択肢は選ばない方が良い、結界の外は朝の陽ざしが気持ちよく、校内での鬼ごっこは遊びに出来ない」


構成魔法によって創られた十字架に躊躇いなく体を預ける道真は、彼女の様子を傍観しつつ再び彼女に幾つかの警告と提案を暗に示す。


今度ばかりは俯く薔薇雨子——だったが、


『……ふふ、フハハ‼ だが忘れているぞ、道真本薬。我は確かに吸血鬼の帰還者‼ 確かに十字架を恐れるのは我に掛けられた呪いよ‼』


しかしてその思惑は屈服ではなく、開き直りに近い闘争心の増幅であった。

ユルリと恐怖におぼつかない足を奮い立たせ、彼女は立ち上がる。



『しかしあるのは恐怖ばかり‼ そして我らには、それを踏まえても余りある恩恵がある‼』


『見よ! 我らのこの不死性を‼』


その様を静かに見守る道真ではあった、眉根が少しピクリと動く程度には驚きがあったようで。


突如として吸血鬼らしいと言えばらしい鋭利な爪を自らの肢体に突き立て、血を噴き出させるその光景は、凄惨にして狂気の沙汰を窺がわせる。



しかし——それも吸血鬼らしいと言えばそのようで——。


『体に痛みは無く、直ぐに傷は癒える! だがそこらの眷属と一緒くたにするな、我は吸血鬼の【始祖】、十字架の恐怖に耐えられ、心臓に杭を刺されようが死にはしない』



沸騰蒸発し揮発する薔薇雨子の血液、まるでたった今の行為が無かったことであるかのように傷の一つも残らない。


なにより回復速度は昨日の思念体吸血鬼よりも速かった。


何も知らぬと印象付く元和泉舞歌が居たならば、驚愕を禁じ得なかったであろう事象ではあるが、それはやはり元和泉舞歌が目撃した場合。



「その言い方からすると心臓の位置を変えてるんだろ? 他人の体を付け替えて生き延びている道満なら手下に自信を付けさせるためにそれくらいはする。どっちにしろ関係ねぇが」


『——は?』


道真本薬は、化け物じみて揺るがない。吐いた溜息は、まるで血の味と匂いに飽き飽きしていると言わんばかりの狂人ぶりで。



「当たりか……雑魚臭しかしねぇな、ホントに」


「正直、ネタバレを喰らった上にこんな稚拙な奴をあてがわれてテンションが上がらない。読者の期待は良い意味で裏切るべきじゃないか?」


荘厳な十字架から体を離し薔薇雨子を見下す眼差しは地を藻掻く虫を見下げる感情の無いくすんだ色合い。



「これじゃ俺が弱い者イジメしてイキってる奴にしか見えないんだが。ネットでやんやと言われるな」


『十字架は——じきに消失する』


再び十字架に彼の右手が触れるや、言葉通りに霞が消し飛ぶように消失し、残るのは道真本薬の悪魔の如き笑み。


『な、舐めやがってぇ……ガキがぁ……』


怒りに震えあがる薔薇雨子。もはや十字架の恐怖よりも色濃い不快感と憎悪が彩る表情、最初の登場時にあった妖艶な大人しさは影も形も既に無い。



「どっちが、だな。そろそろ終わらせるぞ、覚悟しろ」


再びの対峙、一色触発の騒乱の雰囲気。睨み合う両者。



『ならば——奥の手を魅せてくれる‼ ふぅん‼』


先に動いたのは薔薇雨子だった。先ほど自らを気付付けたのと同様に今度は自らの右腕を右胸の乳房下に突き刺す。そして抉り取る、位置を変えていたという自らの心の臓を。


『……諦めない根性は認めてやる』


吐き気を催しかねない惨劇を披露しつつ、抉られたばかりで未だ脈打つ臓器を握り締める薔薇雨子に対し、道真本薬は冷たい称賛を贈った。



『ふふ……こ。これで、わ、我に弱点は無くなる。自らの心臓……を杭に刺される前に自ら喰らう事で、再生されるまでの一定時間——』


血反吐を吐きながらも苦悶の中で不敵に笑う薔薇雨子。血塗れの有様はそこらの吸血鬼も真っ青になるくらいに化け物じみていたと思われる。


——が、その時であった。


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