第七声 登校生徒と襲撃者1/3


 翌日の朝。暁の時が終わり、欠伸を終えて白日へと戻る日差しが刺すように世界を覗き始めた頃合い、元和泉舞歌は両肩を落とし、深い息を吐いていた。


「はぁ……昨日はよく眠れなかったんだよね」


「吸血鬼の事、考えてたんですか?」


碧海ヶ坂高校に至る長い坂を上りながら傍らを歩く文月京香へと徒労をアピールし遠回しに話題を振る為である。すると目論み通り、返ってくる言葉。


「うん。やっぱり気になるよ……昨日の先輩の様子、明らかに何かある感じだったし」


昨日の案件、有耶無耶のままに帰路に着かされた元和泉は、ただ一人情報を独占し思考を回していた道真の意味深な表情を思い出す。きっと彼の癖なのだろう、左半分の顔を覆う眼帯を左手の指二本で撫でる仕草は。



「気にした所で何も出来ないでしょう。加屋野さんらも帰らせたところを見ると相当の危険度なのでしょうし、足手まといとハッキリ言われなかっただけ感謝すべきです」


「辛辣、辛辣だよ文月さん……その通り過ぎて反論できないけどさ」


しかし、彼の妹である文月の言葉と共に重くのしかかる不安という名の自信。


学校指定の鞄を落ちる肩から落とすまいとするだけで精一杯の無力さに呆れながら、元和泉舞歌は情けない息を吐いて。


「兄が優しすぎるので。こうして今も私がアナタの護衛を任されてますし」


「それも凄く不安の種なんだよね……昨日の帰り道も何から護衛してくれてるのか具体的に教えてくれないしさ。加屋野先輩たちも面白がってはぐらかすし」


寮から道のりを清流が如く流れる学生たちの群れの中、ふと振り返り、これまでの道筋を追う元和泉。


「全てですよ。襲い掛かってくるであろう全てです」


対する文月は、それでも曖昧に答え、淡々と元和泉を追い越すばかり。


瞬間、モヤモヤとした心内の何かが、境界の柵をはちきらす音がした。


「うう……ねぇ‼ 何が襲い掛かってくるの⁉ 教えて‼ お願い‼ ねぇ文月さん‼」


「揺らさないでください。例えば、アレとかですよ」


続くは冷淡な文月の両肩を掴み、鞄の落ちる音。ぶるんぶるんと元和泉の力に揺らされながらも平静な表情の文月ではあったが、その最中にとある人物の存在に気付き、仕方なしと息を吐き、人差し指を指す。


「アレって……横島先輩と——」


「奏野森高貴、五凶兆の一人です」


ピタリと止まった指の先、坂の頂、碧海ヶ坂高校の校門前に居たのは二人の凶人。


「え? なんで先輩二人が?」


何やら談笑を交わす奏野森と横島、進行上、立地的にもいずれ必ず出会う位置に居た為、自然と歩いて行けば、向こうも元和泉らに気付くのは必然であった。


「やぁ——、【本厄】の妹。それから、元和泉……舞歌さん」


そして訝しげな横島教よこしま おしえの視線を浴びながら、先手を打つべく片手を上げて挨拶をしたのは【好奇なる廃人】と謳われる奏野森高貴かなのもり たかだか


金色の長髪を妖しく揺らす笑顔の張り付いた優男、常に持っているのであろう素朴な扇子を広げ、やはり不敵に意味深に笑みを隠す。



後輩たる元和泉舞歌は、それでも彼に何の躊躇いも無く挨拶を返そうとした。


「あ、おはようござい——」


しかし——、

「文術科が朝から何の用事なんですか、奏野森さん」


横から元和泉を庇うように身を乗り出した文月に遮られ、文月は明確な敵意を以って奏野森に相対する。


一瞬にして漂う険悪な空気感に元和泉は驚くばかり。


「いとをかし、文術科とて登校はするさ。授業の参加は任意とはいえ朝と帰りのホームルームだけは出席が義務付けられているからね」


けれどそんな後輩たちの感情を軽くいなすが如く、奏野森はサラリと首を傾け開かれていた扇子を片手で閉じいく。


すると、

「白々しい……こんな校門前でお前が何か待つ理由なんてロクなものじゃないだろう」


今度は仲を取り持つように呆れ気味に響くのは横島教の声と、彼女が何処かに身に着けているらしい鈴の音。


「ふふふのふ、信が無く寂しさ極まるよ【邪教】」

「?」


彼らのやり取りの意味を露知らず、やっとこさ元和泉は周囲が彼らを避ける人の流れに気付く。


注目している事を悟られまいとする僅かな緊張感、口をつぐむ雰囲気、自分たちが校門前で立ち止まる状況の中で周りの生徒は誰もが急ぎ足であった。



やはり——恐れられているのか。元和泉は漠然とそう思う。


自分が抱いている彼らに対する印象との乖離が、心に疑問のモヤを起こしていた。


「……奏野森さんの狙いはアナタですよ、元和泉さん。アナタは、兄に気に入られているようなので興味が湧いたのでしょう」


「え? え?」


呆けていた耳をボソリと突く言葉に我に返り、驚く元和泉。文月と奏野森を交互に視線を流し、言葉の真意を探る。


そんな彼女を見かね、補足を付けたのは横島教であった。


「安心していいよ。今は私が監視しているから荒っぽい事はしないはずだ、でもこれから一人になった時にコイツと出会ったら出来る限り逃げることを勧めるからね」


(ええー……どういう事ですか、いったい)


「ははは、僕なんてのは、まだ可愛らしい方さ。ほら、感じない哉。蛇の牙から滴る毒液を見たような気配を」


「「……」」


それでも未だ陥る戸惑いの胸中、追撃する奏野森の意味深な言葉。


更にはそれを受けピリリと張りつめた空気を感じ、元和泉舞歌は慌てて周囲に首を振って気を配り、他に何か異質な者は居ないかと探す。



そして彼女は——見つけたのだ。


「? あ——アレは——剛田先輩!」


「「「いや、アレの事じゃない」」」


「ええ⁉ ていうか何してるんですか、あの人‼」


五凶兆の一人、【丙の豪傑】こと剛田平太郎ごうだ へいたろうが本校舎前の中庭にて焚火を燃え上がらせ、ヤカンと串焼きの魚を野性的に焼き仕立てながら座している光景を。


「朝食の支度じゃない哉。昨日は学校に泊まったらしい」


「趣味がキャンプなんだよ。後ろの方にテントがあるでしょ」

(——豪傑‼)


横島らの言葉を聞いてよくよく確かめて見れば、奥には学校の記念樹らしい樹木の下、完璧に設営されているキャンプテントと脱ぎ捨てられている寝袋らしきもの。


校門前で談笑を重ねている自分たちよりも遥かに集めている奇異な者を見る視線。


唖然とする大衆の注目の中、機嫌が悪そうに一際目立つ巨躯が振り返る。


「なんをみとっとよ‼ 見せもんじゃなかぞ‼」


(丙の豪傑‼)


彼を知らぬ誰もが身を竦ませる怒声、加速する生徒たちの足。


決して関わってはいけない【何か】だと直感させる気迫、他の生徒と同様に元和泉もまた彼が【それ】だと心根に刻む。


一方の剛田平太郎は一喝すると日常に戻り、黙々と一杯の珈琲を淹れ始めていた。



「とかく、アレは安全だ。少なくとも舞歌さんに危害は加えない」


そうしている内、冷や汗が頬を伝う元和泉の肩に置かれる横島の唯一の手。隠された鈴の音のした方へ顔を上げると、そこには中性的で美麗な笑みが剛田の様子を伺っている。


そして、

「いとをかし。彼は女の子に優しい差別主義者だからね」


「狂ったフェミニズムのお前と違ってな」


続け様に補足してきた奏野森には瞼を閉じた呆れの表情。風で中身の無い横島の右袖が揺らぐ中、何処となく垣間見える五凶兆の関係性。


それについて漠然に思案する元和泉。


するとそんな最中、自動二輪車が坂を上り、後方で止まるブレーキ音がして。


「……ふう、おはようマイプー」

「おはー、なんだか勢ぞろいだねー」


振り返ってみると、二人乗りビックスクーター型の自動二輪車に跨り、ヘルメットを外す加屋野久留里と後部座席から飛び出す弓狩唯波の姿。


「加屋野先輩、弓狩先輩! おはようございます」

「あ、萌奈先輩も! おはようございます」


更に遅れて一人乗りの原動機付自転車を萌奈モナコも現れる。


「おは、よう……やっぱり、五凶兆に絡まれ、てた」

「はは……まだ何もされてませんよ?」


昨日世話になった先輩たちの登場、不思議と肩の荷が下りる安堵の中で背後に未だ居る良く分からぬままの五凶兆の二人に気を遣いながら応対する元和泉。


「禍々し、い。気配を感じ、る」

「? 何の話ですか?」



しかし話の筋は変わらない。萌奈モナコが周囲を見渡し、またも元和泉舞歌の気が付いていないままの事柄を暗に示され、心がモヤリと元和泉の眉間に皺が寄った。


「一人でも目撃したら嫌な予感しかしない五凶兆が四人も集合してたら、ロクな事がないだろうなって話」


すると今度は、遠回しに加屋野がビックスクーターの車上から補足して。


「はぁ……阿久根涼子ですよ。【腐蝕の悪霊】の」


更に、まだ気が付かないのかと言わんばかりに呆れの溜息を吐いた文月が答えも吐く。


「阿久根先輩? あの……三つ編みで眼鏡の」



「アレは——思考が歪んでいるので元和泉さんを始めとした兄に近づく女を抹消しようとしているのです」

「え」


されど文月の解説を聞きながら周囲を改めて見渡そうと、阿久根涼子らしき人影は見当たらず首を傾げている元和泉。故に語尾近辺にあった不穏な文言が聞き違いだと、彼女はこの時、そう思ったのである。


「ふふふのふ。君としても、それは望ましい事じゃないの、哉。道真の妹」

「……否定はしませんが、兄から元和泉さんの護衛を頼まれているので」


そして、再び元和泉を置き去りに話は進む。対峙し続けていた奏野森と文月の会話、明らかに険悪で意味深な言葉の裏で行き交う思想。


最中、鈴の音が鳴った。


「まぁ、今日は別のトラブルだろ奏野森? 本当の所、お前の興味もそっちに向いてる」


「をや、いとをかし。相も変わらず【邪教聖典】殿は勘繰りが過ぎる。しかして『も』というのなら君も実際、そうなの哉」


やがて話の流れは、元和泉が現状悩む話の数歩先。奏野森の持つ扇子が再び開かれ、持ち主の口元を妖しく隠して。


「ああ。それって、あの吸血鬼関連? どうせ昨日から道真くんも走り回ってるんでしょ?」


「! 吸血鬼……」


加屋野の素朴な問いに、ようやく不透明に続けられていた話の掴み所を見つけた元和泉舞歌。思い出すのは昨日の夢にまで現れた吸血鬼の姿。


ボソリ呟く声には不安が滲む。


「その道真くんを笑う為に【豪傑】も、あそこで待ち構えているのさ。久留里ちゃん」


「ハッキリと私から言えるのはそれくらいだ。けれど、覚悟はしておいた方が良い」


そして——横島が加屋野に対した漏らした警告。


「ふふふのふ。そんな時間が、あるのならね」


それを嘲笑うように奏野森はクススと笑い、



    『さぁ——役者は揃った。物語を始めよう』



「ほら——僕だってこのタイミングを選ぶからさ」




          『魔声結界——発動』



世界は唸り声を上げたのである。


「「「「「「——⁉」」」」」」

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