第六声 狩る麗人と声雄指南3/3
「元和泉ちゃんはさ、声雄ってどんな仕事だと思ってる?」
そこで話し始める事は、元和泉への贈り物。
「え……えっと、その……」
「笑わないから言ってみ。欲しいのは正解じゃなくて認識だよ、それを知らなきゃ良いアドバイスが出来ないかもしれないからね。ま、あんまり期待されてもちゃんとアドバイスできるか不安だけど」
幼子へサンタクロースにどんな願いを叶えてもらうかを尋ねるが如く、加屋野久留里は自嘲気味に問う。
「せ、声雄は……思念体と戦う為にキャラに声で命を吹き込んでなりきり、戦う仕事です」
「ん。世間から見た声雄の認識だね、間違ってはいないよ」
拙く自信なく答える少女。加屋野は宣言通りその様を微笑ましく見守り、そのままに彼女の認識を受け入れて一度は飲み込んだ。
そして始める——先輩として元和泉に何を伝えられるか、空を見上げて考えながら。
「教科書にも載ってることだけど、魔功話術は昔、影ながら世の中を守っていた優秀な退魔士達がある日突然、居なくなった所から始まってる」
「当時の状況は悲惨だっただろうね。今は思念体、昔は妖怪と呼ばれていた存在が退魔士って歯止めを失って国中で暴れ回って」
「……」
「そこに立ち上がったのが、声雄の前身である一人の英雄。始まりの灯、彼が世の中に構成魔法を広め、世の中は今、いちおう平和って形にはなっているのかな」
「そして多くの退魔術士を失い、沢山の犠牲の中で考案されたのが魔功話術。構成魔法だけで思念体と直接戦うには大きな命の危険が伴うからこそ、人材不足を補う為、犠牲を最小限にする為に概念体という魔法で構成された肉体を使って戦うことにした」
かつての歴史の中で生まれた力の成り立ち、順を追って加屋野が語るそれを元和泉は息を飲みながら真摯に聞いていた。真剣みのある声、一つとして聞き漏らすことも無く。
「で、それぞれの役目を分業して生まれた職業が、声雄を始めとする多様な術士達なわけ」
「声雄って仕事はさ、元和泉ちゃん。命がけで戦う英雄みたいにカッコイイ仕事じゃないんだよ?」
散り終わりかけの葉桜から零れ落ちる桜色の華。
ひとひらの花びらを掌に載せる加屋野は、架空の物語の登場人物のように儚げに笑う。
「声雄は皆の立派な仕事を、想いを背負って、格好つけさせてもらう仕事なの」
「ほら——後ろ、見て」
「……——あ」
そんな加屋野が指を指す先——振り返った元和泉が見たものは、
「ここに一音加えた方が締まるかな? ホンプー、っていうか最初から弾き直したいよー」
「こことココ、あとココ、塗りが甘か、った」
「電話中だ、時間が掛からない範囲で好きにしろ。後はこっちで調整する」
道真を中心に、ひたむきに作業に励む先輩たちの姿。
「ふふ、あんな格好いい人たちに支えられてたらさ、凄く勇気出ないかな?」
「あの人たちの為にも精一杯、何が何でも格好つけたいって思わない?」
元和泉舞歌は、言葉を返せなかった。傾いた春の日差しが暖かく差し込み、穏やかながら懸命な熱量を風が届ける。
——本気、真剣、真面目、そのどの言葉も当てはまる光景に加屋野の問いが加わり、心に火を灯る。
「それがさ、まず私の考え方。一番大事にしてる想い」
「——……加屋野先輩」
何かが——例えるなら懐中時計の歯車、冷えて固まっていた油が包み込む掌の温度によって溶け出し再び時を刻み始めるような——何かが動き始めた感覚。
「私は、絶対に声雄になる。怖い思念体は他にも沢山いて声が震えそうになるけど、何よりさ、あの人たちに認められたいんだよね。まだまだ未熟者なんだけど」
「か、加屋野先輩は、もう十分凄いと思います‼ 演技もすごく落ち着いてて、立ち振る舞いとかも凄くて」
決意を持った加屋野久留里の瞳は燦爛の輝いて見え、その後の自虐する笑顔は向上心の高さを窺わせども、元和泉は拙いなりに称賛を送る事を禁じ得ない。
「ありがと。でも、元和泉ちゃんも直ぐに追いつける距離に居るんだよ?たった一年だけの差なんだからさ」
それでも偉ぶらない先輩は、後輩の頭を撫で真摯に笑い掛けてくる。決して奢らぬ強さに、またも感じる遥かな高み。
「わ、私なんて全然——」
「じゃ、少し演技のアドバイスの方をしようか。先輩として」
「色んな考え方、タイプが居るから一概には言えないけど、私の場合の話でいいなら」
「は、はい! あ、あの、メモを取っても良いですか⁉」
経験が自信として満ち満ちながら、損得抜きに他者に手を差し伸べられる優しさ。
「ん。お好きにどうぞ」
自分をいつか同じ舞台で共に戦う仲間のように信じて疑わないような、待っていてくれている表情。
碧海ヶ坂高校、七人しかいない『七声騎』の一人、『歓声』の加屋野久留里。
——彼女は、盤面ばかりを見下ろしているような冷たさを持つ道真本薬ら【五凶兆】とは全く違う真逆の如き印象を醸し出す。
そんな彼女の教えを乞えると、近くにあったカバンからメモ帳を探す少女は余りある幸福のように感じていたのである。
そして——、
「……まず、そのキャラクターになりきろうとしない事」
「——え?」
その意外な始まりに、いきなりペンを走らせようとしていた手が止まる。
呆けてメモ帳から視線を逸らして加屋野を見上げれば、指で天を指し、ニヒリと笑う得意げな顔色。元和泉が先程、声雄という職について答えた認識とは真逆の私見。
「とはいっても、なりきるってのも、もちろん大事な事だけどさ」
「??」
それをまた翻し、加屋野久留里は元和泉舞歌の思考を混乱させる。矛盾する加屋野の右往左往する言の葉、元和泉は重くなった頭に引きずられるように首を傾げ、眉をひそめる。
「設定に書いてある事だけを忠実に再現しようとしてもさ、言葉での表現にも限界があるし、生まれてから今までの人生を一字一句正確に描写して理解させようとしたら何冊の小説になるか想像もつかないじゃん? 勿論、それを覚えるのも大変だし」
「うーん? まぁそうですね」
続け様に矛盾に絡まる論理を解くべく自身の言葉の説明を始める加屋野。
言い訳がましい矢継ぎ早な言葉の群れをなんとか口に含ませていく元和泉舞歌は、何かワケがあるのだろうと味のしない咀嚼を存分に味わっているかの如き表情で。
「簡単に要約された性格。人生経験だけを想像して真似したって、そりゃ薄っぺらくて分かり易い嘘みたいな人物像しか形成されない気がするんだよ。私は」
そして、徐々に紐解かれていく加屋野久留里の声雄としての本心。
「ふふ、これは他の人の受け売りだけど、演技って衣装を着る事なんだよ」
唐突な思い出し笑い、更に続く言葉に元和泉はまたもメモ帳に刺すペン先を止める。
「これ聞いた時、なんか凄く納得した自分が居てさ」
「衣装、ですか?」
朗らかに掌を躍らせ、笑む加屋野に素朴に聞き返す元和泉。想像していたものの的を得ない答えに、耳を疑ったのである。
しかし——それも一時的なもの、
「そ。戦っている、演技してるのは、あくまでも自分。違うのは心に着ている服だけ」
「自分っていう人間の厚みに、キャラクターってストールを羽織る感じかな? 説明するってなると意外に難しいけど」
「ドレスを着てお化粧してパーティー会場に行くみたいな、そんな感じで台詞を喋る」
「そうすると自然に自分ってキャラクターにキャラクターがプラスされて自然に演出できると思うんだよね。背筋が伸びる感じでさ」
「同じドレスを着ていても肩が凝りそうな気合い入れた厚化粧の人と、自然にメイクされた風の人だったら後の方が余裕もあって魅力的に見えないかな?」
「なるほど……確かに。そんなイメージで声を出してるんですね」
理屈じみて並べる精神論が思考に浸食していく感覚。だが嫌味は無く、閉じていた窓を開き、新しい空気を取り込み始めたような心持ち。
清々しく埃が溜まり、時が止まっていた部屋が息づき始めたように、メモ帳の白紙にペンが踊り始める。
「んー。自分で言ってて混乱しそうだけど、そんな感じ。あんまりガッツリ気負ってもさ、やっぱり自然な演技から遠のくというか……」
一方の加屋野は、言葉を話すたびに迷いの中に陥るように天を指していた指が回っている事が示すように思考を巡らしていく。
「うん。あくまでもキャラクターは自分の声、自分の魅力を引き出させるためのアクセサリーって考えて気楽に着こなす、ルールの中で自由に遊んで楽しんでみる。ちょっと生意気に聞こえるかもしれないけどね、はは」
けれど後輩の前で快活に開き直る様に頼りなさなど、やはり有りはしない。
「とにかく高級なアクセサリーを気にし過ぎると、逆にダサく見えたりするじゃん?」
「あー! なんか、凄く分かったような気がします‼」
「……キャラクターはアクセサリーっと」
出た結論に思考のモヤが晴れ晴れと、軽快にメモ帳の上を走り始めるペン先、
「まぁ作者によっては自分のイメージを大事にしたいって人もいるから、そこはコミュニケーションだよね」
「それらを踏まえて言えば、さっきの元和泉ちゃんの演技はなんのパーティーかも知らない会場にスウェットで連れてこられていきなりスピーチさせられた猫背の女の子って感じかな」
「う……ヤバイ場違い感ですね。それは、かなり恥ずかしい」
「はは、まぁさ、これからだって。発声の技術とかコツとか掴んでいくのも勿論大事」
懸命に挑む者に懸命に答える者、朗らかな雰囲気の中、またも桜が散り新たな季節の訪れを予感させる。
「は、はい! 頑張ります‼ ありがとうございました」
そして——、
「あー。お楽しみのところ悪いんだが、そろそろいいか」
「道真先輩⁉」
物語もまた、動き出していた。
「状況が変わった。のんびり話している暇が無い」
「……悪い話、みたいだね」
「ああ。たった今、うちの生徒が一人、襲われたらしい」
解決したはずの一つの事件に、
「吸血鬼に、な」
道真本薬は暗雲立ち込める様相で、続きがある、と元和泉舞歌らに伝えたのである。
——。
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