第五声 大根役者と先輩声雄3/3


一様に声を揃えられてしまった初芝居の感想に元和泉の心が叫ぶ。



すると元和泉の演じる町娘の顔も紅潮し、不可思議な現象を巻き起こしてしまう。


(落ち着いて‼ 吸血鬼が出てくるまでキャラを維持して‼ 揺らいでる、お腹の下あたりにグッと力を入れて歯を食いしばって)


揺らいでいた。まるで消し味の悪い消しゴムが鉛筆の汚れを二度三度紙の上に広げてしまうような現象。加屋野の少し焦り気味の声が、それを悪しきものだと評して。先輩として咄嗟に助言を口にする。


(は、はい‼ んー)


或いはその焦りが功を奏してか加屋野の助言に我に返った元和泉が素直に受け取ると、状況は僅かに好転し、町娘が揺らぐ減少に歯止めが掛かり、やがて落ち着くに至って。


——その直後だった。


ガゴン! と、町娘の背後から音が鳴る。


刹那に空気を走る、それぞれの緊張感。


(来たか。元和泉、これから指示を出す。ちゃんと聞いとけよ)


『突然、背後の路地裏からの物音に少女は肩をすくませ緊張を体に走らせる』

『少女は恐る恐る、そして意を決して勢いよく振り返った——』



『⁉』


それでも本の中の物語を朗読するような口調を崩さない道真の指示に息を飲みつつ従う元和泉。言葉通り、勢いよく感情の赴くままに振り返る。



『が、しかし、そこには誰も居ない』



(いいぞ。次は台詞だ、先に俺が教える。下手でもいいから気持ちを込めて言え)


芝居、構成された虚実と頭では解ってはいても、精巧につくられた暗い夜道を照らす心許ない街灯に煽られ、次第に膨らんでいく恐怖感。また、ピアノの音がした。



(誰、誰か居るの)

『誰⁉ 誰か居るの⁉』


その声は町娘の不安でありながら元和泉の叫び。偽りが徐々に大袈裟なくらい真へと迫る。


『少女は確かに気配を感じていた。身の内にある恐怖ゆえか、或いは——』


『背後に迫る不気味な存在がわざとそうさせたのか』


道真を始め、もはや元和泉を茶化す者は無く、道真の朗読が慈悲も無く淡々と進められていくことにすら酷い精神の負荷を感じる始末。



そして——、

(急いで振り返れ元和泉‼)


『——⁉ きゃ……はぐ⁉』

『あぁ……あぁぁ……』


現れる、燕尾服を着た息荒れる白髪の男。背後を振り返ると同時に首に強烈な衝撃が走った、首を片手で強く握られたのである。



(く、苦しい……これが思念体、吸血鬼……)



つま先立ちの感覚の中、呼吸が詰まり、苦悶する元和泉。咄嗟に掴んだ燕尾服の男の腕を両手で掴むと、確かな感触、圧倒的な現実感。


やっとの思いで見つめられた男の双眸は酷く赤く光っていて、口に見えた二本の牙と同じく狂気をむき出しにしているよう。



(少し我慢してくれ。次の展開でお前は退場できる)


男の怪力で締められる首、意識が朧気になり遠くに聞こえ始めてきた道真の声。


『それは吸血鬼であった。少女の首を掴み軽々と持ち上げる腕力、哀れな少女の行く末は連日連夜の淑女たちと同じ結末。首筋に突き立てられる二本の牙、血吸いの怪物の餌』


(うそ・・・うそでしょ⁉ いやぁぁ——)


急激な状況の変化に対応できず混濁しつつある意識の中で、彼女は本物の恐怖を感じていた。やけに耳に残る冷徹な声の響きがとても冷淡な文字を綴っている気さえして。


が——、


『——かに見えた。月明かりの照らされた銀の刃が、吸血鬼の腕を切り裂くまでは』



『うぎゃあああ⁉』


『……⁉ ゴホ、ゴホ、ゴホ』


——瞬く瞬間、吹き飛ぶが如く解放感。


つま先が途端に落ちて、膝から上の力が用意できぬままに地面に崩れ落ちる町娘の体。


詰まっていた息の調整が出来ず乱調に咳き込みながら町娘の瞳が目撃したのは、か細い銀の剣。切り取られたような燕尾服の男の腕。取り乱す燕尾服の男。


そして、


(モナモナ、月の光、お願いね)

『——月の灯りに人の夢。一夜の悪夢と笑いなさい』


弓狩の心の声を上塗りするように聞こえてきた精錬された声の主。


まるで同質二種類の声が同時に存在しているような感覚。


夜の帳、月光の幕開け、剣を振り終え佇む人物。


『唐突に現れたマントを羽織る男装の麗人。彼女はシルクハットを深々と被るとそう言葉を吐く。切り落とした吸血鬼の腕を刺殺の銀剣で改めて貫き、吸血鬼へ見せつける様に掲げ、言葉を続けた』



朦朧と掠れていた元和泉の意識がハッキリと明瞭になった頃合い、また聞こえてくる状況を説明する道真の声。


元和泉は首に残る絞首されていた感覚を撫でながら理解する。



『ようやく尻尾を見せましたね、吸血鬼さん。どうか今夜は私と遊びませんか?』


見慣れぬ麗人は、加屋野久留里であった。彼女は彼女の声で、麗人として振る舞う。


『柄が杖に似た銀剣に貫かれた腕は、傷口から溢れる青い炎に抱かれて、ただれ焼け落ちる……まさに、清浄なる銀の煌きが悪しき者どもの致死毒であったかのように』


道真の言葉に先導されるように動き、


『さぁお嬢さん。悪い夢を想い、今日はおうちに帰りなさい』


彼女は語る。小さな微笑みを浮かべ腰を抜かしていた町娘に振り返って。


「は、はいぃ! ありがとうございます!」


思わず素に戻り、促されるままに逃げる町娘、もとい元和泉舞歌。


一瞬だけ振り返り、燕尾服の吸血鬼と細身の剣を持つ麗人の対峙する光景を見つめる。


ヒーロー、ヒロイン、英雄、救世主。


否、これこそが声雄だと彼女はそう、想う。


「——ふぅぅわっ、恥ずかしかったぁー」


そして舞台裏の闇の中を越え、ガラス張りの部屋のような歪な観戦結界の只中に逃げ込んだ元和泉は盛大に息を吐いた。


四つん這いで倒れ込むような格好でそこに辿り着き、被っていた町娘の姿は煙の如く剥がれ落ちて現れるのは碧海ヶ坂高校の制服を着た少女。


「お疲れ様。怖くなかった?」


「むっつっっ茶クチャ怖かったです! でも加屋野先輩が超カッコイイ! アレ、加屋野先輩ですよね⁉」


待ち構えていた弓狩唯波に対し、元和泉は興奮を抑えられずに歓声を上げる。


無論、言葉の通り恐怖は確かにあった。けれど再度振り返る先に見据える加屋野の印象があまりにも鮮烈で。



「ぷぷぷ、そうだよー。ホンプーが作ったキャラを掴んだ姿だね」


「加屋野先輩もさっきキャラを貰ったばかりでしたよね。なのに、凄い完璧で‼」



「じゃあ、ちゃんと最後まで見てあげてねマイプー。先輩声雄の雄姿をさ」

「はい‼」


我が事のように楽しげな笑みを浮かべる弓狩に、彼女は気持ちのいい返事をしたのである。



——。


一方その頃、元和泉舞歌から尊敬の感情を向けられる加屋野久留里と道真本薬は、


(さて、序章は終わった。始めるぞ、補助はする、好きに暴れろ)


(と、は言っても、あまり広範囲の移動は避け、て。背景が、追いつか、ない)


(了解、ちょっぴりテンションが高いから気を付けなきゃ。キャラの精度が高くてさ、ホントに自分の体みたいで……急場で作ったとは全く思えない)


(お褒めに預かり光栄だ。次の魔本で書こうと練ってたキャラの流用だが、終わったら調整してお前にやるよ。今回の報酬だ)


(マジ⁉ やったね‼)


萌奈モナコを交え、心の中で通話する。



『ふしゅう……グルルルル』


対峙する吸血鬼が殺意の込められる牙を剥き出しにする中で、


(良いから早くやれ。ケダモノ様がお待ちかねだ)


至極平淡に会話を重ね、加屋野久留里が演じる麗人は剣で威勢よく幾度も空を切り、剣を眼前に掲げる。


そして、

『ウガアアァ‼』



『……超速回復と肉体増強、遊び甲斐がありますね』


『そう述べた男装の麗人は、剣を構え、漂わせる雰囲気を変える』


品性なき咆哮を上げた吸血鬼が腕の細胞を増殖させ、肉体を肥大化させる光景を前に小さく微笑み、刺突の構え。麗人の肢体を包む夏の陽炎の如き現象。



(あーヤバい、凄い魔力が流れてくる……顔が綻びそう)


『瞳の色も吸血鬼と同じ色へ。反撃の狼煙の如く輝かせる男装の麗人。』


『彼女はこう宣言する』


(魅せ場だ、アドリブで良いぞ)


嵐の前の静けさだろう空気感に響くは道真本薬の淡い声色の朗読。




『今宵、悪夢に踊るはアナタの命。推して参ります』



加屋野久留里は、

『男装の麗人は、』



『レンガの大地を踏みしめる』



——。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る