第五声 大根役者と先輩声雄2/3
そして——針葉樹の森の中、古びた舗装の道を暫く歩くと、目的地が見えてくる。
「アレが離れの小屋だ。薪やらを仕度するときに使用人が使ってたらしい」
「ものの見事に潰れてるね……ここじゃないんじゃない?」
長い時間放置され、寂しく朽ちる小さな家屋。
雑草に抱かれて、加屋野久留里は無駄足かと徒労の息を吐く程に虫以外の何かが入る余地が無いのでは無いかと思えていた。
しかし、
「どうかな……おい、調べ終わってるか」
先を進む道真が小屋の方に声を掛けると、こちらの存在に気付いた小動物が顔を覗かせる。
「終わってるワン。全く、ブックメーカー使いが荒いワン、僕は都合の良いお手軽ペットじゃないワンよ。貞操は緩く無いワン」
それは、ブックワン。尻尾が栞のような形状の犬、彼曰く精霊や妖精の類。
「よっすー、ブックワン。調子はどう?」
「加屋野ちゃん、よっすーワン。強い思念波の匂いがするから、まず間違いなく居るワンね、潰れた建物には小さな地下部屋があるようだワン。きっとそこワン」
挨拶を早々に済ませ、道真らの周りを浮遊しながら先んじて調べていたらしい小屋周辺の情報を吐露するブックワン。
「……雑草にも踏まれた後があるみたいだな」
道真自身も地に屈み、憶測でしかなかった推理を確信に変え、溜息を吐く。
「あひゃひゃ、とんだ間抜けな管理者が居たものワン。ざまぁないワンね」
ここは道真本薬が所有、管理する地である事をブックワンが笑う。
「返す言葉は無いな」
そして盲点を突かれ、自宅近辺に怪物が潜んでいた自らの油断に、苛立つ道真は気怠く不機嫌そうな面持ちで首根っこの裏を掻くばかりである。
すると、そこへ——
「じゃあ、作業、終わらせる」
絵具で彩られた白衣を着込む萌奈モナコが座り込んで画板と絵画の道具を取り出して何やら作業を始めた。
興味深そうに眺める元和泉を他所に、絵具をパレットに流し込み、萌奈は白い筆先を染めながら色を幾つも混ぜていく。
「ああ、頼む。それと、どんな感じで仕上がるか、もう一度イメージを教えてくれ」
「西洋風、後は、最近、ジャック・ザ・リッパーの考、察にハマってる。そんな雰囲気」
「変更ないな、上々だ。その雰囲気でやってくれ」
にわかに忙しなくなる雰囲気、軽い会話を交わした道真と萌奈の会話を聞き、元和泉舞歌は緊張感を表情に滲ませ胸に手を当てた。時が来る、そんな予感に心臓の音が徐々に高鳴りを増していくようで。
そして——、
「元和泉、これがお前の務める簡易概念体(キャラ)だ。緊急時の使い方は分かるか?」
彼女の下へ差し出される片手に収まりそうな小さな板切れ。そこには、何やら墨色の文字が書き込まれている。
「確か折れば良いんですよね? でも、私……初めてで、ちゃんと出来るかどうか」
【町娘A】。そう刻まれた板を受け取り、文字をジッと見つめ、殊更に緊張感を表情に浮かべる元和泉。
それは、先刻のファミレスにて事前に話し合いが行われた中で発案された重要な道具。元和泉舞歌の今回の役目。
「緊急使用なら初心者でも確実に発動するから安心しろ。まぁ急場で作ったもんだから長持ちもしないが、さして維持も難しくは無いはずだ。特に変わった事はしなくていい。気楽にやれ」
「元和泉ちゃんの声雄デビュー作ワンね。楽しみワン」
「うう……そう言われると——」
初めての不安感に表情が固くなっている元和泉の緊張を和らげようとする道真とブックワンの声掛け。それぞれがそのような思惑があったのだろうが、しかしそれはまるで焼け石に水のよう。板切れを握り締めた元和泉の手は少し、震えていた。
けれど——その時、彼女の背中がバシリと叩かれる。
ハッと驚き、我に返った様子の元和泉が振り返ると、そこには先輩、加屋野久留里が居た。
「大丈夫だって、キッチリとフォローはするからさ。先輩を信じなさいな」
呆然とする元和泉へハツラツと笑い掛ける加屋野。背中に残る、衝撃の余韻。
「弓狩、お前も頼むぞ」
道真は、まぁ大丈夫だろうと瞬間的に口角を持ち上げ、一息ついて次に弓狩へと話しかける。弓狩は、そこらに雑草に止まる一匹の紋白蝶を眺めていて。
「オッケー、いつだって私はお気楽にやるよー、ホンプー」
不意の声掛けに振り返る事も無く、片手を上げる。モンシロ蝶はその声に驚いたのか、何処かへとヒラリヒラリと飛び立ったのであるが、それでも彼女の瞳は蝶を追う。
そして——始まる。
「萌奈の準備が終わり次第、始めるぞ。ブックワン、魔声結界はお前が貼れ」
「了解ワン。レッツ、アドリブ‼ワン」
合図を受けたブックワンが上空に浮遊し、高らかにそう宣言したのだから。
——。
始まりの背景は、ただ暗闇だけであった。
『とある時代、とある夜の日の事だった——街は連日連夜の吸血鬼騒ぎ、民衆は夜になると家の戸を固く締め、息を潜め怯える日々が続いている』
それでも道真の声が何処かから響く内、まるで舞台の幕が開いていくようにレンガ外の街並みが構成されていく。
暗い夜道、街灯の光は弱く、ただ——静か。
けれど、音が鳴った。否——、始まりを想起させるとても静かなピアノの旋律が奏でられ始める。
音術科二年、弓狩唯波は何処かで真剣な大人びた眼差しを浮かべていて。
(弓狩先輩……空中に指を動かしてるだけなのに綺麗な音。これが音術科の構成魔法)
元和泉舞歌は彼女の傍らで彼女の仕事ぶりを見て、そんな感想を浮かべる。そこは魔声結界の裏側、舞台袖とも言うべき曖昧な場所。
(それにあんなに急いで作ったのに、まるで本物みたいな萌奈先輩の背景……先輩たち本当に凄い)
(ふふ、ありが、とう)
(私の音楽に酔いしれ尊敬したまえ、マイプーよ)
(え、こんな考えも聴こえるんですか⁉ モノローグって⁉)
心の中で通じる会話、モノローグと呼ばれたそれにより彼女たちは魔声結界内の舞台裏にて緊張感を持ちつつも楽しげに会話を進める。
(元和泉ちゃんは、まだ初めてだからダダ漏れしてるんだよ、今度コツとか教えてあげる)
けれど、加屋野のその言葉の後、
(無駄話は止めろ。次が出番だぞ、元和泉)
その場を仕切る道真本薬の密やかな呟きで空気が張り詰める。
(ひゃ、ひゃい‼)
——出番。来る重圧に元和泉舞歌は道真から受け取った木の板切れの感触を改めて両手で確かめ、彼に慌てて返事をする。が、噛んだのだ。
(……心の中ですら噛むのか。まぁいい出番だ)
それが酷く滑稽で、彼らは僅かに空気を弛緩させ、小さく笑んだ。
そして、
『しかし——そんな日々の中の一夜にて少女が一人、夜の帳の下りた世界の路地を歩いていた』
(私も……頑張らなきゃ【キャラ掴み‼】)
道真の不思議な響きを持つ声に、元和泉舞歌は手にした板切れを盛大に折る。パキリ。
「——⁉」
(これが……キャラ掴み。私が私じゃなくなる感覚——)
『……コツコツと足音が月明かりを揺らめかせるように響く。夜を恐れた少女が足早に家路に付くのを急いでいたのである』
気が付くと、彼女は夜の帳の降りきったレンガの街並みを歩いていた。
いつもとは違う視界、絵の中に入り込んだような気配。
彼女は、元和泉舞歌でありながら元和泉舞歌ではない【町娘A】。地味目なドレスの裾を揺らすうら若き茶色の髪の乙女。
(元和泉、適当にアドリブ入れてくれ)
(ええ⁉ え、えーっと……)
初めて感じる仮想な世界で動く感覚に戸惑う元和泉へ、道真の指示が飛ぶ。現実味の無い現実の中、彼女は驚きつつも本能と使命感の狭間で焦り言葉を探した。
『く、暗くて怖い、あー怖いよー何か、出てきそう』
それが、彼女のアドリブ。精一杯の自由演技。
((((大根))))
(いやああああ——恥ずかしい‼)
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