第三声 閉塞世界と思念体2/3

 碧海ヶ坂高校は、文字通り碧海の如き空へと続きそうな坂の上にある。第三演習棟から本校舎までの道を通り抜け、彼女らは歩いていた。


「ま、まさか私も一緒に連れていかれるとは思いませんでした……そんなつもりじゃ」


歩幅の大きい道真の後ろを必死に食らいつくような小走りを見せながら歩く元和泉は学校指定の鞄を肩に背負い、前方へと語り掛ける。


「嫌なら別にいいぞ。その内、奏野森あたりが遊びに使うんだろうから」


「いえ! こんな機会、滅多にないですから出来るなら色々と勉強したいです!」


一方の道真は片手に持つ携帯端末の画面に目を落としつつ、淡々と歩みを進めていて。


「あのそれより……歩きスマホは危ないですよ、先輩」


「ん。真面目ちゃんだな。けど、そうだな。それは正しい指摘だ」


そんな背を止めようとしたのか、或いは元来の生真面目な性格故か元和泉の放った忠告に、道真は少し皮肉った。


その後、足を止めて忠告を素直に受け入れて携帯端末をポケットへと戻すに至って。


「でも、本当に着いて行っても良いんでしょうか……足手まといじゃ」


「いや、役には立つだろ。吸血鬼を炙り出す囮になる。女好きが多いからな」


「え」


けれど元和泉の次なる言葉に淡々とした歩みを再開し、冗談とは思えない文言を軽い口調で放つ道真である。


元和泉は、少し動揺した。


「メールで送られてきた情報によると、被害者は全員が中高生。うちの生徒も二人やられているらしいからな、若い奴の血を好む典型的な吸血鬼の思念体だ」


「囮にするのは冗談だが、狙われる可能性がある事は頭に入れとけ」


それでもそれはやはり道真なりの冗談で、彼はそれとなく携帯端末を見ていた理由を弁明の如くほのめかす。


元和泉も、それにはどうやら気付いたようだった。


「——襲われた子たちは、どうなったんですか?」


道真の傍らに急ぎ足で追いつき、眼帯の顔を見上げながら不安げに尋ねる。


「まぁ死んでは居ないみたいだが、太陽を浴びると酷い火傷の症状、意識は錯乱状態、人に襲い掛かる為に拘束中って書いてあったな」


「感染……ですか」


その答えを聞き、俯く少女。先に展開を想像してしまっていた胸の内に広がる不安の正体を、改めて突き付けられ誰かを想うように自分を鼓舞するが如く自らの胸の中心を掴む。


「そこまで心配する必要は無いが、ゾンビや吸血鬼系の厄介な特徴だな。学校側としても感染が広がるのは絶対に防ぎたい所だろうし、なりふり構っていられない訳だ」


そんな元和泉の心中を察しつつ道真は彼女を一瞥した後、軽い談笑を交えながら尚も先を急ぐ。


否——第三演習棟から本校舎校門前に辿り着いた彼には、急いだ方が良いと思える【別の理由】もあったのだろう。


「それで、先輩たち五凶兆の皆さんに声を掛けたんですね」


「本来なら国で対処する案件のはずなんだが、まぁそれどころじゃないらしい」


「吸血鬼騒ぎは、既に国中で起こっているみたいだからな」


「? それってどういう——」


別の理由——それについては吸血鬼被害者の事を想って出足が遅れた元和泉が少し駆け足になるほど道真を追いかける時分、本校舎玄関前の端々から音としてヒントを与えてくる。


その音に、元和泉舞歌は無意識に声を詰まらせ、耳を澄ました。


「おい、【厨二病】が女の子、連れてるぞ」

「誰アレ、一年?」


「【本厄】が女連れ? ヤバいんじゃね?」


五凶兆、道真本薬。彼は、全校生徒数数百人規模の碧海ヶ坂高校で知らぬ人は居ない程の有名人である。


関わる者全てに災いをもたらし、先の話に少し出た道真本薬、中学二年時に発生した【逆さ吊りの教室事件】も相まって付けられた渾名は【厨二病の本厄】。


元和泉舞歌は、改めてその事実を再認識する。


「……なんか、凄い注目されてますね」


常日頃から道真自身が浴びている世間の目を僅かに体験し、元和泉は周囲に嫌悪感と疲労感を感じていた。けれど、


「気になるならシャキッとしとけ。堂々としてなきゃ、みっともない」


当の道真は、慣れたものとでも語るように歩みを止めずに彼女へ冷淡に声を掛ける。



「うー、凄いですね先輩。私はこんなに注目された事ってないから」


——その時だった。


「なら帰った方が良いのでは?」

「いや、それも嫌なんですけど——……」



「って、文月さん、またいつの間に⁉」


もはや定番となりつつある神出鬼没感のある文月京香の突然の登場。それに驚き跳ねるような反応を見せる元和泉。一方の道真はスタスタ平然と先を往き続けて。



「意外と油断も隙も無い人ですね。ルームの件の口実に兄を狙っているんですか」

「え、あ、いや違くて……今からその——」


驚き荒れた呼吸の隙を突くように詰め寄ってくる文月に気圧され、たじろぐ元和泉。文月が先刻、自身に戸籍上の兄である道真に恋心を抱いていると告白してきたことを思い出した所為もある。


 眼前にて冷静な表情で見据えてくるその美しい黒色の瞳だが、まさに嫉妬の炎が滾っているようで。元和泉は吸血鬼に出会う前に怪物に襲われた気分だった。


「丁度いい。京香、お前も暇ならついてこい。何をしに行くかは知ってるか」


しかし何とか誤解を解こうと元和泉が画策アタフタとしている内、先を行っていた道真が思い出したよう振り返り声を掛ける。元和泉は刹那——その声に深く感謝した。


「はい。更衣室の中から話は聞いていました。凄く暇なので行きた——」


それは、一瞬にして変わり身したように普段の無機質に近いほどに清廉な彼女が戻ってくる確信があったからだったのだが——何処からか響く鈴の音。


「や、【本厄】。さっきぶりだね」


「……横島か」



(あ……五凶兆の、確か横島教先輩)


予想だにしていなかった人物、五凶兆の横島教。存在しない右腕が悲惨な過去を彷彿とさせる人物の再登場に元和泉舞歌は次の瞬間、地獄の入り口を垣間見るのである。


「ちっ!」

実にハッキリと、その音によって文月の方角から元和泉の鼓膜が確かに弾かれた。

「……⁉」

(文月さん、今の舌打ちだよね……舌打ちだよね?)



愕然とする元和泉、咄嗟に横島の方に視線を流すと予感通り横島の視線とぶつかり、ネクタイ代わりに特徴的な宝石の付いた首飾りをする片腕の無い宗教家はニコリと元和泉に微笑みを向ける。


どうやら聞き間違いではなく、文月の舌打ちは横島にも聞こえる程に実在していたようである。

(ぜったい聞こえてたー‼)


ドッと、元和泉の頬から冷や汗が流れ始めようとしていた。


「女の子連れとは珍しいね。君も後輩と遊びに行くのか?」

「一緒にするな。俺の方は例の件の見学をさせてやろうかって粋な計らいだ」


しかし、その様子を一瞥し、道真本薬との会話に戻る横島教は、とても穏やかで。元和泉舞歌の想像を容易に覆す。


さして気になどしていないよう。


「それが珍しいって言ったつもりだけど……まぁ仕方ないか」


「君も久しぶりだね、本薬の妹さん」


それは横島が以前から文月の事を概ね知っていたからであろう。道真のポケットに手を突っ込んだままの悪態に呆れつつ、文月へと向けた視線は微笑みに満ちていて。


元和泉の不安を他所に文月は横島を静かに見つめ返す。


「ええ、死ねばいいんです。同性愛者らしく、さっさと他の女をフェロモンで誘って兄に近づけないようにしてください横島先輩」


(えええええ⁉ん ——?)


そして、二人の関係性を知らぬ元和泉舞歌が更なる戦慄を覚える強烈な文言を受け、


「ははは、相変わらずお兄さんが大好きで私が嫌いなようだ。でも偏見は良くないよ、確かに私は同性も愛するけど、人はきちんと選ぶさ。顔も勿論だが、性格も判断基準だ」


「だから君は、少しも私の好みじゃないね」


火花が散るように彼女らは対峙する。この時、一触即発の状況を憂慮しながら元和泉は言葉の端の違和感に胸を抑えていた。


そう——、


「元和泉、横島の性別は女だぞ」


中性的な顔立ちの横島教は、男子制服を着込む女性である。その事実を元和泉の胸中を察した道真の一言で完全に理解する元和泉。道真本薬に恋する文月が、道真本薬と近しい彼女を露骨に嫌う訳だ、と。


「え、あ、はい分かってます‼」


そう嘯いてみても、なるほどと思ったのは表情に出てしまっていて。


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