第三声 閉塞世界と思念体1/3


 時は更に少し進み、第三演習棟から第二演習棟へと続く中庭にて、道真本薬と元和泉舞歌はベンチに腰を落としていた。


「それで、話ってのは何だ? 愛の告白なら、京香の事で腹いっぱいだぞ」


近場の自動販売機で買った紅茶の缶飲料のプルタブを押し上げ、道真は冗談めいた言葉を真顔で呟く。


文月から聞き齧った閉塞世界での経験を元和泉は道真に問う為に念願叶い、彼を呼び出せていたのである。


「良かったんですか、剛田先輩の事、何か話があったんじゃ……」


しかしながらそれまでの過程に、幾つかの障壁があった事を示唆し、その筆頭である五凶兆【丙の豪傑】こと剛田平太郎の名前を出して何かを危惧する不安げな表情の元和泉。


「アレは無視で良い。急ぐ用事でも無いからな。それで?」


それでも諍いがあった当の道真は素知らぬ顔でベンチの背もたれへと完全に背を預け、紅茶缶を啜り始め、左半分の顔を覆い隠す眼帯を少し元和泉へと振り向かせる。


「あ。えっと、文月さんから話を聞いて……その、先輩は今まで、どのくらいその……閉塞世界経験者ルームメイトの救助を成功させてるんですか?」


それが話を急いているのだと直ぐに理解した元和泉は、両手をモジモジと遊ばせて遠慮がちに話を始める。


しかし、


「——ああ、なるほど。そういう事か」


どうやら道真は、それだけで全てを察したようだった。


「京香の時だけだな。アレは特例中の特例だ」


彼の癖なのか眼帯の布地を指でなぞり、小さな息を吐く。


「……どんな世界なんでしょう。ルームって」


「形は人それぞれだ、例え声雄になれたとしても新人に回ってくる仕事じゃねぇよ」


「助けたい奴でも居るのか? その為に声雄を目指し始めたクチだろ?」


過去を思い返すのを気怠く感じている様子で、元和泉の質問に対し淡白な返答の道真。


「——はい。友達、を」


拳を膝の上で握った元和泉の真摯な視線を一瞥し、彼はまた空を見る。


とても空虚な晴天は雲の欠片も見当たらず、また、深い息。


「因みに俺の事はどうやって知った。京香の話で確信する前に、俺がルームメイトの救助活動をしているのを入学前に他の誰かから聞いたりしたか? 公表はしてないんだが」


そして彼は気分を変えようとベンチから立ち上がりつつ、話題を変えて紅茶缶を啜る。


「……予想、というか、これまでの閉塞世界の資料やネットの噂話を集めたりして」


すると、元和泉は道真の背から顔を逸らし少し不安げに声を震わせる。負い目、事前に道真本薬という人物の詳細を嗅ぎ回っていた負い目がそうさせたのだろう。


「それに……先輩が通ってた中学から転校してきた同級生が居たので。その子から」

「——の教室、か」


過去——、道真本薬という人間を語る為には避けられない事件があった。


とても寂しく、虚しく、冷たく、畏怖される彼がかつて出会った事件。


その通称か、或いは蔑称を彼は自ら口にする。アルミ缶の硬い資材が軽く凹んだ事を目撃こそしなかったが元和泉は感じていた。


「すみません。その後の経緯とかを探ってる内に——」


迸る罪悪感に押し潰されそうになりながら、それでもさらに強く拳を握り、元和泉はその身を奮い立たせる。彼女にも、引くに引けぬ理由があったのだ。


そして、その彼女の意気もまた今後の展開の確かな要因だったのだろう。


「さっきのは訂正する。三十一、三十二人だ。ルームから人を引きずり出したのは」


そうしている内、道真は自ら偽りを暴く。


特に謝罪や負い目も無い態度で、紅茶缶の飲み口をひっくり返しながら中身を地面へ垂れ流して。


——狂人の目。


その横顔は、自分と齢一つしか違わないとは到底思えぬ修羅の眼差しで、何処までも深い闇があるようだった。そう言語化できずとも、元和泉の本能がそう感じる光景。


「当時の同級生、二十九人と京香。それからルームへの介入許可免許を取る時に条件として提示された一名と他一名を入れて、あの場所から連れ出した」


「中二から去年までの二年と半年くらい掛けて、な」


紅茶缶の中身がすっかり無くなる頃には訂正を終え、今度は更に軽く空き缶を振って雫の一粒すら中から追い出そうとしていて。


「ホントに全員……救い出せたんですか? どうやってですか⁉ 教えてください‼」


「落ち着けよ。救い出せちゃいない、連れ出しただけだ」


それでも気になるのは彼のまことしやかに噂されていた伝説。


湿る紅茶色の地面を他所に、すがるように元和泉が尋ねると、道真は少し離れた場所にあるごみ捨て場へと目を配りつつ語弊を解こうと元和泉へ振り返る。



「ルーム内では時間の概念すらバラバラだ。例え生きて戻って来れたとしても幼児化や老化、肉体の変質、生身の状態のままあの世界で長い時間を過ごすほど色々な後遺症が残る。これはルームメイトなら確実に起こる事だ」


そして順を追って説明する為、敢えての遠回りになりそうな話題の説明から始めた道真。


「勉強してます……文月さんも、そうなんですよね」

「——ああ。それが大きな問題になってくる」


空になったアルミ缶を駄賃代わりに元和泉へ手渡しながら話に割って入った元和泉の言葉を軽くいなして話を続ける。


それもまた——彼自身の悲惨な物語でもあった。


「俺が連れ出したルームからの帰還者の内、今のところ後遺症と戦いながらリハビリをして日常生活に戻っている、戻ろうとしているのは十人だ。言っている意味が分かるか?」


諭すが如く状況を説明し、考える事、想像する事を促す口調と共に道真はベンチに改めて座り直し今にも息を飲み始めそうな元和泉へと目を流す。


するとコクリ、と頷く少女。どうやら覚悟は本物らしい、彼女の瞳の色合いを見て顔を逸らし、道真は唯一使える瞼を深い意味合いを持って閉じる。


「……残りの二十二人は、どうなったんですか?」


「意識不明のまま肉体だけが帰還したのが八人。世の中の風当たりや後遺症に耐えられず、自殺したり行方が分からなくなったのが十四人」


「——⁉」


その数字に衝撃を受ける元和泉である。それが現実、現状の実態。


「連れ出した数なんて、何の意味も無い。三十二人の人間を地獄に引き戻したに等しいって意味じゃ重要になってくるのかもしれないがな」



自嘲気味に微笑む声で、胸を抉られるような想い。


「本当にあの場所から連れ戻すべきだったのか、他にやり様があったんじゃないかってのは閉塞世界に関係する仕事をした人間なら一度は突き当たる壁だ」


「救うなんてのは、お前が考えているより遥かに難しいんだよ。俺みたいなのがアドバイス出来るとすれば、救うなんて上から目線で考えてる内は誰も救えやしないって事ぐらいだ」


「……先輩」


醸し出す空虚な雰囲気に混じる後悔の念に、この時の元和泉には掛けられる言葉は無く、それでも何か言わねばともどかしい想いだけが募るばかりで。


手渡された少し凹んだスチール缶の硬さを元和泉舞歌は改めて知ったのである。



それでも、道真は言葉を続けた。


「——必要なものは、幾つかある。【実力】と【知識】は勿論、【信念】と【許可】と【計画】、そして【信頼】。形や質は人それぞれだ」


まるで未来を見据えているような、らしくない優しい眼差しを元和泉に向けながら。


「お前が誰を救いたいと思っているのかは、聞かないが……お前がソイツにこの世界を生きていて欲しいと本気で想うのなら、死ぬ気でそれくらいは手に入れろ」


失われたのであろう左半分の顔が、とても勇ましく思えて。彼女は頭の上に伸びてくる頼りがいのある彼の手を避ける事は出来ない。


「それから、俺の真似はしようとしない事だ。俺は、天才って奴らしいからな」


「——……はは、そうですよね。私なんかじゃ、先輩みたいには」


暖かく温かい掌を感じながらの、非情な声に元和泉は笑う他ない。自分は未熟で幼すぎると齢一つしか違わないはずの彼の手に、天地程の圧倒的な差を魅せつけられた気分で。


「冗談だ。与えられた覚えなんて無いしな。気に入らないなら天から奪え」


「天から才を奪い、天才になればいい、それだけだ」


そんな後輩を嘲笑うように道真は語り、立ち上がって丁度良いタイミングで鳴ったポケットの中の着信音を聞き、携帯端末の機械を取り出す。


「なんてのは我ながら臭すぎる台詞か。【厨二病】と呼ばれる由縁だな」


「じゃあ、もう俺は行く。一応警告しとくが、さっきの話に出た【吸血鬼】には気を付けとけ。日が落ちたら、あまり外を出歩くなよ」


機械の画面に一瞥をくれ、元和泉へ流し目を配って歩き出す背中。


「あ、はい! ありがとうございました‼」


そうすると元和泉も立ち上がり、深々としたお辞儀で彼を見送って。

暫く、颯爽と去り行く先を往く者を眺め、承った空のアルミ缶を誇らしく両手で掴む元和泉。


その時、彼女はふと何の気なしに事を想う。



「——あの、道真先輩! 本当に吸血鬼は倒しに行かないんですか?」

「…………」


そんな英雄に憧れていそうな純朴な彼女の問いに、道真は立ち止まる。眺めるは機械仕掛けの携帯端末の画面。



そして、一考の後に振り返って。


「それじゃあ、お前も来るか。元和泉」

「——? はい?」


それは、いつの間にか腰に綱を巻かれていたような気分。物語が次なる展開へと彼女を引きずりながら走り始めたようであった。


——。

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