第二声 シャワールームと五凶兆3/3


「また暴れてるのか、まったく……もう少し慈愛の心を持てないものかな」


 振り返ると何処からかチリンと鈴の音、いつの間にか男子制服の片腕が空虚に揺れる中性的な顔で短髪のスラリとした佇まいの人物がそこに居て。


「あ、横島ちゃん。元和泉ちゃん、こちら【邪教聖典】の横島教よこしまおしえワン」


「よろしく。後輩かな、可愛いね」


ブックワンの紹介を他所に、元和泉は右腕が存在していない人物の個性に惹かれ、呆然としていた。


存在しない右腕が一番の要因ではあったが、傍らに持つ分厚い本とネクタイ代わりに首にかかる装飾過多な首飾りもその人物の個性を爆発させている。


「ぁ……よろしくお願いします」


そして何より、凶兆とは思えない中性的で美麗な顔立ちから爽やかな笑みを向けられ、その顔立ちに元和泉は気圧されて頬を染めながら頷いて。


ある意味、これまでの登場人物の中で一番の衝撃的な出会いであったが、


「因みに、元和泉ちゃんの足元で本薬をスケッチしてるのが最後の五凶兆ワン」

「え——うひゃあ⁉」


それも直ぐに塗り替えられる。ブックワンに促され、下方へ首を振った元和泉はその存在感の希薄さに思わず跳び跳ね、傍らに居た横島教なる中性的な麗人に飛びついて。


「あ、すみません」

「はは、構わないよ。彼女は影が薄いからね、驚くのも無理は無いさ」


無意識の事とは言え、許可なく触れた肢体の無礼を詫びる元和泉に横島は寛大に笑う。


「……ど、どうも」

「え、はい……どうも、です」


そして話の向きは、元和泉の足元に居た三つ編み髪の女子生徒へ。眼鏡越しに不眠に苦しんでいるような目の下のクマが彼女の疲労と不安感を如実に表していて。


淡白に自分に対応する様が、とても暗い印象を元和泉に与えていた。


「【腐蝕の悪霊】阿久根涼子あくねりょうこちゃんワンね。どいつもこいつも関わり合いにならない方が良いクソ共ワン」


阿久根涼子を最後に、ブックワンは高らかに空中を上昇し宣言する。

五人、それぞれがそれぞれの思惑を持ちブックワンを見つめる中、こう痛烈に思う元和泉。



(これが学校最凶の五人……なんか雰囲気こわい‼)


「五人が揃うなんて珍しいワンね。何かあるのか、ワン?」


そんな元和泉の震え出しそうな想いを他所に、ブックワンが素朴な疑問を投げかける。


すると、


「私が聞いた限りだと例の話らしいよ、ブックワン」


呆れた様子で軽快な口調の横島。



「いとさびし、【吸血鬼】騒ぎの話、哉」


妖しく笑む、奏野森の回りくどい口調。


「こげん面子と一括りにされち、よか迷惑じゃ。アホらしか」


剛毛な頭を豪快に掻きながら悪態を吐く剛田。


「確かに五凶兆なんて慈善団体を作った記憶が無いのは同意だな」


嘆きの道真は眼帯を撫でて。


「……そ、創作の邪魔、ですよね」


最後に阿久根涼子が必死に会話に交わろうとする訴えを述べ、



それぞれがブックワンに応えたのである。



そうしている内、男子更衣室前の騒ぎは閑散としている第三演習棟の中でも広がっていて。



「今の音は、何の騒ぎだ‼」


通路を走る怒声が体より先に神原教諭の存在を主張する。声のした方角に目を向けると、やはり赤いスーツ姿の神原教諭が走りこそしないものの眉間に皺を寄せながら速足で歩いてきていた。



「神原ちゃん、【丙】が少し暴れただけワンよ」


「ちっ……また貴様か、剛田。まったく……、後で職員室に来い」


元和泉からすれば鬼の形相であった神原教諭。彼女は足を止めて男子更衣室前の惨状を確かめ、舌打ちを一回。そこから頭痛のする頭を抱えて、剛田を睨みつけ疲労の溜息。


そして経験からか自然と状況を察したらしく神原教諭の視線は道真にも向く。


しかし、


「あー、言われんでも分かっちょるわい先生。そいよか、ここに呼びつけた理由ば、はよ語ってくれんけな」


道真に神原教諭が何かを語るその前に、バツの悪そうな巨躯の剛田が頭を掻きながら面倒そうに言い放ち、雰囲気は沈黙へ。


けれど、


「はぁ……確かにちょうど全員居るようだし、貴様らが揃うと校舎が全壊しかねん。まぁここで良いだろう……噂には聞いているだろうが」


くだんの下町に現れるという【吸血鬼】の話だ。それを貴様ら五凶兆で協力して探し出し、討伐してもらいたい」


神原教諭は教育者として苦心しながら心を折り、心が生んだ鈍痛を溜息として再び吐いた後、五凶兆全員を見回しながら腕を組んで説明を始める。


が、


「断る」「嫌じゃ」「嫌だね」「む、無理」「私も少し用が」

(ええ……)


即断即答で各々が声を重ね、神原教諭から視線を逸らす五凶兆の面々であった。


「じゃあ解散ワンね。元和泉ちゃん、行くワン」


そしてブックワンが結論を急ぎ、唖然とする元和泉の頭の上に乗って小さな前足を掲げて進行方向を指し示すと、


「……元和泉、居たのか」


どうやら剛田の巨躯の影に隠れてしまっていた元和泉の存在を見逃していた神原教諭が、剛田越しに顔を覗かせながら元和泉へ少し驚いたような表情を見せて。



「あ、はい! すみません! 聞かなかった事にします‼」


緊張の走る体、背筋をピンと伸ばし、元和泉は声を震わせる。神原教諭は一般生徒間では校則に厳格な生徒指導の教師として畏怖される対象であった。



「いや、良い。それよりも、各々、拒否の理由を聞かせろ」


しかし、それはあくまでも【一般生徒】間での話。彼女の鋭い眼差しと強めの口調を受けても学校内外で悪名高い五凶兆の面々にはどうやら通用しないよう。


「俺は、面倒だからだな。そいつは警察か現職の声雄の仕事だ」


まずは道真が質問を請け負った。制服のポケットに手を突っ込んで如何にも気怠そうに穴の開いた壁の向こうを見る。


そして、次は剛田。


「オイは、こげん輩どもと一括りにされるんが気に入らん。ワシ一人やったらやってもよかったどん。もう気分も悪かで、帰って寝とうごたい」


首に手を当て、素知らぬ顔をしながらも眉間に皺を寄せる怪訝な顔つき。


「私は今日担当した後輩の子たちとお茶に行く約束があるので。申し訳ないが、約束を破るのは教義に反します」


横島は礼節丁寧に左手にあった分厚い本を胸辺りまで掲げ、紳士淑女的な微笑み。



「ふふふのふ、皆がやるなら面白そうだから参加してもよかったけれど、ね」


そして扇子を片手でピシャリと閉じて嘘くさい笑い方の奏野森。


「いいアイディア出ました、から……そ、それに他の用事も出来そう、だ、だし」


目を泳がしながら、声を細く小さくしていく弱々しい阿久根が続く。



(理由がすこぶる自由! さすが五凶兆!)


「……分かった。ならばいい。しかし気分が向いたり、たまたま遭遇した時には速やかに処理して報告するように」


(⁇……怒らない?)


前評判通り、身勝手極まる五凶兆の面々に使命感や正義心など皆目見当たらず唖然とした元和泉だったが、それよりも気になったのは規律に厳格であるはずの神原教諭の態度であった。


何かしらを思慮した様子ではあるものの、まるで最初から良い返答を期待していなかった淡白さと曖昧さで。


「以上だ。もう解散していい。剛田は後で報告書を提出だ、分かってるな」


そして彼女は実にあっさりとそう言って歩いてきた方向へと振り返り、剛田へ指を指しながら足早に去っていく。その背には、何か意味があるように元和泉には思えていた。


しかし、


「ふぅ、これで巷を騒がせる吸血鬼事件も解決ワンね」


頭の上から予想外の言葉を掛けてきたブックワンに思考を遮られ、心を奪われる。


「え……でも——」


「今の神原ちゃんの言葉は、下町に吸血鬼が居るから、下町での戦闘を許可するって意味ワン。依頼っぽく言っていたワンが、へそ曲がりの五凶兆に断られるのは判ってたワン」


「まぁそれでも遅かれ早かれ、あの五人の誰かが暇つぶしに吸血鬼をぶっ殺しに行っていただろうワンからね」


「学校側が対策会議をする前に吸血鬼を勝手に狩られたら学校側の無策が疑われるワンから、並行して前々から依頼していたという形を取って学校の面子を保つ狙いワンよ」



「五凶兆は全員、独自討伐の国家資格を持ってるワンからね」

「なるほど……」


そして元和泉の疑問は想定済みだったかのように言葉を重ねるブックワン。矢継ぎ早に掻い摘んで解されるこれまでのやり取りに、混乱しつつも納得の意を示す元和泉。



それから、顔を見上げた為に頭の上に乗るブックワンが落ちるのではないかと危惧し、小動物を抱きかかえようと両手を上げた彼女が、思考とそれに気を取られていると、


「俺は行かないが、な」

「あ、道真先輩……」


今度は道真が目の前に現れ、元和泉よりも先にブックワンの頭部を片手で握り持ち上げて呟く。


ブックワンはその後、道真の手によって軽く放り投げられるのだった。


「別に秘密ってわけじゃないが、あんまり口外はするなよ。色々と面倒だ」


「あ。は、はい……誰にも言いません」


そして道真はブックワンを空中へ捨てたその手で元和泉の頭に手を置き、眼帯で隠れていない方の瞳で元和泉を冷淡に見つめる。大きく優しい温もりのある手だと元和泉は想い、頬を少し赤に染め俯いて。


「あの……先輩、後で少しお話、良いですか?」

「ん。ああ、別に予定はないが」


細やかな会話、当初の目的を思い出し伺いを立てた元和泉、


だったのだが彼女は【後で】と、そう言った。


それは——、


「待たんか、道真。こっちの話はまだ終わっちょらん」

「あ——?」


やはり彼らの存在を失念していなかったからであろう。道真の背後から歯切れのいい声量で耳に残る特徴的な抑揚の言の葉たち。光を全て遮る巨躯と少し背の高い道真の背中が元和泉を再び影で覆う。



「この一年の話じゃ! 名前、なんち言う」


大きい指だと思った。まるで巨木の枝、或いは岩のようなゴツゴツとした見た目の剛田の掌の指先が自分に向いている。それだけで、元和泉には十分すぎる脅威。


「え、はい! 私? あ、あの……元和泉舞歌と言います!」


背筋が伸び、今日はもうそれだけで筋肉痛になる面持ちの元和泉である。


「……元和泉ん、舞歌か」


(なに? なに! 超コワイ‼)


剛田はそんな元和泉を怪訝な顔色で眉根を寄せて観察しながら顎に手を当て考える。時間が経つたびに元和泉の心臓の音が喉から飛び出るようであった。


が——


「さっきはすまんかった! まさか人が居るとは思わんかったで」

「え——」


一転して深々と頭を下げた剛田に肩透かし、勢いよく下げた頭で全てを吹き飛ばす強風が吹いたような気さえする。


「なんだ、そっちを気にしてたのか」

「ほれ道真‼ お前も謝らんか!」


呆然とする元和泉を他所に、意外そうな声を漏らす道真に頭を下げたままの剛田が怒号を放って。そこで元和泉はようやく状況を再認識したのである。


「いや、俺は殴り飛ばされた被害者だろ」


「いとをかし。彼は愚直な男だからね、許してあげて欲しい一年の君」


「舞歌さん、だろ。人が名乗りを上げたら一度で覚えてあげなよ、奏野森」


「……創作の邪魔。元和泉、舞歌」


険悪だと思っていたそれぞれの関係性が放つ雰囲気が一変し、微笑ましい談笑。



「ははは……」

(これが、学校最凶の五人、五凶兆……?)



この時、安堵に肩を落とした元和泉は、甚だ噂に聞いた凶兆とは思えぬ五人の最初の印象を覆して、少し疑わしく思っていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る