第一声 声雄志願と文術士3/3

 

 殴る、とは。移動する拳が対象に突き当たる事である。


突き当たれば、物質は拳の速度と硬度にお牛で周囲に四散する衝撃の強さの度合いで結果を変える。


いつの間にか鎧の手甲を身に着けていた右腕で道真の拳は、足下の大地に突き当たり、ひびを入れる。


文字通り、次のような展開が巻き起こったのである。


静かに吸った息を道真本薬は吐かずに止めて——


 眼帯により顔半分しか見て取れぬ眼は刹那の間で刮目し——


拳を振り下ろすと同時に、周囲の音全てが一瞬、波打つように消え去り——


 次に聞こえたるは前震の慟哭——。


 地盤が腹部を殴られたような嗚咽の声を上げて——


体制を取り戻そうと逆方向へ過剰に力を込めて反発し——


——弾ける。


世界に、遥か空へ、本来不動普遍であるはずの岩が一気呵成に逃げ出したのである。


刹那——空に岩が舞うなどという日常では到底有り得ない光景を前に、


愕然としなかったのは——、その現象を起こした道真本薬を始め神原教諭とブックワンの三名。


「なに……これ……」


しかし、腰を抜かし尽くした元和泉を他所に、


『……文月京香は跳んだ。目線を動かした先に足裏を置くように跳び、次々に落ちてくる巨岩を飛び移って空へと駆けていく』


空にある岩がこれからどうなるかという子供でも直ぐに答えの出せる優しい難問に対峙し始めた文月は、一瞬にして迷いをかなぐり捨てて行動を起こす。



「まぁむざむざ下敷きにはならんか。しかし、肉体強化の【概念】だけでは道真の校章は取ることは出来んぞ」


「文月さん……も、凄すぎる……」



『次々に落ちてくる巨岩に飛び移って空へと駆けていく』


観戦結界内で見守る二人が徐々に言葉を実現していく文月の動きに合わせて見つめる岩を変えていく中――、


轟く岩の群れは崩壊した大地に落ちていき、けたたましい騒音を奏でる。


「残念。そこに来るのを待っていた」

「しまっ——⁉」


その頃、道真は隠れていた。


その音と虚影に。


動く空の足場、安全地帯を細心の注意を放って瞬時に判断せねばならない状況では、


或いは観客ですら、文月の命がけな綱渡りじみた顛末に興味を引かれ、


気配を薄めていた道真の存在など蚊帳の外になってしまっていた。


——故に容易く文月は背後を取られ、腕を掴まれ、更に高く空へと投げ出されて。


至るは、岩なき雲の眼前。


真下に居る道真は宙に浮く最後の岩の上で、落下し始める文月へ右腕を向けていた。



『飛ばすは礫、優しい小石の弾丸。弾くは——文月京香の襟に付く校章』



親指と人差し指の間に挟む小石は弾かれ、文月がそれを小石と認識した頃合いには制服の襟にあった校章は小石に撃ち抜かれる。


文月の下を離れた校章、空を愉しむが如く独りで空を舞う。


反射的に手を伸ばせど校章に寸前で掌が嫌われた文月。


咄嗟に道真の居た方を見ると彼は既にそこに居らず、校章の落下する方向へと岩から跳び出していた。


——このままでは負ける。


「くっ——させない‼」


自重で空圧を破り続けながら周囲に方向転換出来る足場も無い状況の中、覚悟を決めたように文月が言った。


荒ぶる長髪を整える余裕もなく、心を整える。


『すぅ……宙へと放られた文月京香は空中で体勢を立て直し、回転しながら全力で空を蹴り裂いて。その勢い、風を生むほど‼』


決心を吐く為の意気を吸い、怒涛の勢いで覚悟を放つ。


このままむざむざ校章を取られるくらいならば、と足に全霊の力を込めて片足を振り抜く。


道真の右目が様子を伺う中、空気は切り裂かれ、凄まじい圧が校章に向けて襲い掛かる気配。


だが、やはり——道真は見ていたのである。


『しかし風の軌道は不確か、皮肉にも道真に校章を渡すまいとした悪戯な風は校章をさらった後、空に佇む道真本薬の掌へ』


「そよ風に——変わる」


言葉を唱えながら空中にガラスの床があったが如く立ち止まると、見えない【何か】に運ばれて迂回しながら校章が道真の掌に舞い込む。


校章を手にした彼は腕で空を払うように振り、そよりと吹く風を愉しみながら空を向いて。




「——……流石です、兄さん」


渾身を赤子の手を捻るが如く薙ぎ払われ、落下のすれ違いざまに小さく笑う文月。


そんな彼女に、一度手に入れた校章を指で弾き飛ばして返却する道真。


「全て計算済みか。恐れ入る」


その兄妹の光景を眺めながら、神原教諭は静かに瞼を閉じて。



「構成魔法を即座に構成魔法で乗っ取り……凄いアドリブ」


そして感嘆の声を漏らし呆ける傍らの元和泉は腰を抜かしたままで。



戦いは——終わった。


「スクリーンショット‼ 道真本薬が文月京香の校章を手にした為、勝利条件達声‼ 勝負あり、ワン!」


そう突如として空間に姿を現したブックワンの号令。


落下する文月の動きが止まり、ブックワンが大口開けて息を吸うや、みるみると広大な大地だった空間が収縮されブックワンに飲み込まれていく。


そして、またも一定の距離に全ての人員が集まるとガラスが砕けるように空間が崩壊し、元のコンクリート壁な立方体の部屋へと戻っていく。


「……やれやれ。本のページに折り目が着きそうだ、癖が付いたら読みづらいんだが」


そんな中、道真が歩き出しつつ手に持っていた本表紙の埃を払い、中身のページをペラペラと一枚一枚丁寧に捲りながら確かめて。


「兄さ——」

「評価はEマイナスだ。理由は分かってるか?」


文月からの声が掛けられようとその作業を続行し、冷ややかな声で応対するに至る。


「……はい」


不機嫌な道真の反応に、床に腰を落としたままの文月は酷使された太ももを撫でつつ、落ち込んだ声色。


僅かに痙攣する彼女の足は、恐らく自力で立つ事すらままならない程に疲弊しているのだろう。


常軌を逸した落下してくる岩を飛び回る動きと、最後の強風を巻き起こした蹴りの威力を考えれば当然の帰結ではあったのかもしれないが。



「という訳で元和泉……舞歌だったか。お前の評価はCマイナスに格上げしとく」


「ええ⁉ どういう訳ですか⁉」


状態を確かめていた本を閉じ、文月を通り過ぎた道真の突然の声掛けに驚きつつ元和泉が唐突な評価の向上の理由を問う。


道真は間髪入れずに突っ込まれた問いに少し考えを巡らす表情を浮かべた。



「……気分。そうだな、気分だ」

「はぁ……気分で評価をされても我々が困るんだが、な」


そこに呆れの溜息を交え、神原教諭が片手で頭を軽く抱えた悩みの様相。


「問題ないワンよ、八千代やちよちゃん。きっと、もっともらしい理由付けの紙が届くワンから」


そして、神原教諭の抱えられた頭の上にポムリと乗るブックワン。


「……そうだと良いのですがね」


ブックワンに対して神原教諭は敬語で話すが、流石に頭の上に乗られては不機嫌に振り払うしかあるまいと、塵を払うように手だけでなく頭も振った。


「それで明日は何人だ、神原さん。予定じゃ明日が最後のはずだよ、な」


するとそんな光景を気にも留めず本を腰の容れ物に納め、尋ねる道真。


「三人だ。逃げるなよ、それから先生か教諭を付けなさい」


役目を終え部屋を去り始めた道真に、すれ違いざま神原教諭は答え忠告。


しかし——、


「……不本意とはいえ、かませ犬をぶつけて生徒のあら捜しをするような人間は教諭じゃなくて研究者でしょうよ、神原学士」


道真は僅かな真剣みを持たせつつ、意味深に神原教諭の耳を警告まがいの声で打つ。


「それじゃまたな、元和泉」


そして声色を平静に戻し、眼帯越しに元和泉にも別れを告げた道真。


「あ。は、はい‼ ありがとうございました‼」


部屋を後にする道真を見送る元和泉もそれに応え、深々と頭を下げてハツラツに感謝を示す。


それから彼女は文月の下へと向かった。


打ちっぱなしコンクリートの部屋に残るは、未だに自力で立てそうにない文月とそれを心配して様子を伺いに行った元和泉の姿。


そして——、


「……ブックワン。奴は、あの短い攻防で幾つ、どれ程の【概念】を使った」


「ブックメーカーは基本、中立ワン。全校女子生徒のスリーサイズの情報でも引き換えられない気がするワンね、その情報は何度聞かれても」


妖しげに怪しげな会話をする二つの存在、訝しい神原の問いに対してブックワンは甲高くゴキゲンながらも無機質な回答で。


「狸が」

「犬ワンよ‼」


未知の多き状況の中で碧海ヶ坂高校一年声術科、元和泉舞歌。


この時の彼女にそのブックワンの心からの叫びだけはハッキリと届いていたのである。



——。

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