第一声 声雄志願と文術士2/3

——。


そして虹色に色合いを波立たせる膜が打ちっぱなしのコンクリート壁を網羅した頃合い、


元和泉と神原教諭は部屋の片隅でガラスのように透明の多角形の【何か】の中で対峙する道真と文月を見守る。


二種の結界、前者の事象は魔声結界、後者の名称が観戦結界である。


塞ぐ為のものと阻む為のもの、それぞれの役割が確かにあるようだ。


「ふむ。ルール上では近距離格闘戦になるのは目に見えているが、これは声雄としての力比べというよりは文術士のお遊びに近いな」


「まぁ、相手が文月ならばそれも仕方ないが」


その解説をせぬまま観戦結界を初体験する新入生に神原教諭が独り言を漏らす。


「あの……——大丈夫なんですか?」


「ああ。観戦結界の強度なら問題ない。それに、こちらの会話は向こうには聞こえない」


「君の時も私は直ぐそばに居たし、君は私の直ぐ横を通り抜けてすらいた。これは私の魔力というよりは学校側の——」


そして元和泉が尋ねると、ようやく神原教諭は観戦結界について触れながら教諭らしく解説を始めようとした。


——が、


「いえ、それは教科書で予習して——そうじゃなくて……文月さんの事、です」


元和泉の言葉の意味合いは別の所、普通科であるはずの文月京香が声術科の修学過程であるはずの演習に参加している事であって。


不安げに元和泉は改めて躊躇いながらも問い直す。


すると、神原教諭は少し考え込む。元和泉の問いに教諭として、どう答えるべきか一考したようであった。


そして、


「……アレは特例だからな。文月の動きを見ていれば解る。それに声雄の高みに行くにはアレくらいの動きを覚悟しなければならないからな。今後の参考にすると良い」


「?」


「始まるぞ」


考えた末に明確に言えることは何も無いと断じ、意味ありげに諭した神原教諭は首を素朴に傾げた元和泉から視線を逸らし道真と文月の方へと再び目を向ける。


「……兄さん。一年間、凄く長かったです」


「お前の人生の長さを考えたら短いだろ。青春の話なら俺に費やすなって話だ」


そこでは、生き別れていたような兄弟の会話が交わされていて、不思議と距離があるにも関わらず元和泉らにもはっきりと声が伝わる。


恐らくは観戦結界、それの力なのであろう。


「嫌です! これに私が勝ったら結婚してください!」


「ええ⁉」


故に、動悸する胸に手を当てた懸命な愛の告白も元和泉の耳には明瞭に伝わったのである。


「俺が十八になったら考えてやるよ」

「ええええ⁉」


無論、即座に宣われた拒絶もまた然り。


「はぁ……静かに」


神原教諭は何も聞かなかったことにして溜息と共にそれを吐き捨てる。


言葉の衝撃を受けた様子の元和泉は文月、道真、神原教諭の順にテンポ良く顔を動かし唖然としたままであった。


「……演習は始まってるぞ。客を退屈させるなよ」


けれど当の本人たちは至っての冷静ぶり。


慣れた様子で道真が首の骨を鳴らすついでの如く、文月へ制服の襟に着いた校章を見せつける仕草――、そして片手で持っていた本のページを開く。臨戦態勢のような格好。


「はい——では、始めます」


文月もまた告白時の純真どこへやら、冷徹な普段の顔を取り戻して彼女も制服の襟を正す。


道真と違うのは彼女が何も持たぬまま小さく息を吸い込んだ事。


『トン、トン……文月京香はその場で跳んだ。トン、トン、跳んだ』


そこから発せられた声には不可思議な響きがあった。水面に雫が落ちた時のような波紋を感じる声の広がり、とても澄んだ音。


彼女もまた、言葉の通り軽々とリズミカルにその場を跳躍し始めて。


『瞬間——呼吸のいとまに消えたかの如く——動く』


注目すべきは続けた言葉の次の瞬間である。


「構成魔法⁉ ——え——⁉」



——元和泉は戦慄した。驚きに次ぐ驚き、言葉を唱えた直後、彼女は実際に消えた——にわかには信じ難い眼前で繰り広げられた事象。


魔功話術。


頭の中の教科書を開く暇もない。展開されたのは二歩ほどあったはずの道真との距離を文月がいつの間にか詰め寄り、道真の襟に付く校章に今にも手を伸ばさんとする光景。


「——……あぶね」


そしてその速度を意図も容易く見切り、体を捻り躱す単眼眼帯の道真の姿。


 そこからは先ほど神原教諭が口ずさんだように勝負は、高速の格闘戦な様相に向かう。


とはいえ、道真には攻撃する意思が無いようで繰り出される上下左右の拳に加え、足払い等々の足技まで使い、狙い打ってくる文月の攻撃を回避したり受け流すばかりで。


「凄い……なにアレ」


しかしながら自らの演習では逃げるばかりだった元和泉にとって、互いに常軌を逸する通常の人間を越えた動き――反応速度。


繰り広げられる攻防に瞳孔が無意識に幻を疑い、瞼を閉じて見間違いかと目を腕で拭う。


緊張感のある戦いに、彼女は手に汗も握っていた。



「遊ばれているとはいえ体術のレベルは、やはり異常だな。本当に惜しい人材だ」


「文月さん……構成魔法を使えるんだ。普通科なのに……」


同じく文月と道真の戦いを見守る神原教諭も組んでいた腕を強く掴み、真剣な眼差し。


「普通科を侮るな。碧海ヶ坂の普通科は声術科や文術科の試験で落とされた者も多い」


そして元和泉が偏見に溺れ、愕然とした様子の発言を耳にするや、静かに諫める。


「最初から月に一回の転科試験を目指して虎視眈々と枠を狙い、敢えて普通科に入学している曲者も居る。油断ならないぞ」


碧海ヶ坂高校に潜む純然たる事実を先んじて知る神原教諭は、元和泉の緩んだ尻を言葉で叩くように息も吐いて。


尚も見つめる先は、道真と文月の戦闘風景。


「じゃ、じゃあ文月さんは文術科を目指して?」


「——いや。アレは少し、事情が違う」


故に振り向いた生徒に問われても顔を微塵も動かさず、答える神原。


会話の時間ではない――そう元和泉も理解し、胸に疑念を残しつつ目線を元の位置へ。


すると、


「……一発の威力も連打の数も持続時間も上がってるな。隙も減った」


「はぁ……はぁ……ありがとう、ございます……」


小休止の如く高速の格闘戦を終えて互いに後方へ跳び、距離を取った道真と文月の会話。


道真が息一つ荒れる事なく言葉を放つのとは対照的に、肩で息をする文月は制服の裾で汗を拭って。まるで放たれた称賛が、世辞の偽りのようにさえ見える程。


「準備運動はしたのか? 体を温めてから運動はしろよ。ストレッチも含めて、な」


「少し、張り切り過ぎました……」


皮肉めいた呆れの声掛けに、息を整え終わる文月。彼女は再び冷静な表情で拳を構える。


だが——

「体術は、まぁ及第点にしておく。じゃあ今度は俺の番だ」


道真は、もう格闘戦はする気が無いようであった。


右手で掴み、腰の位置に所持していた本を持ち上げ、見せつけて。片手の掌の上でパララと独りでに開かれていくページを魅せつける。


そんな光景に、文月の背筋に僅かな緊張が走り瞳孔が開く。


「——‼」


焦った様子であった。


文月京香――彼女は本のページに単眼を落とした道真に圧倒的な脅威を感じたらしく、咄嗟に前方へ駆け出す。


その勢いは、先ほどとは比べようも無いほどに早く速かった。


それを尻目に、道真は語るのだ。


本のページに目を落としきり、文字をなぞるが如く。


『ここは——広大な緑の大地。かつて熱き地脈から溢れ出た、岩石の亡骸が眠る地』



その声の不思議な響きは、先程の元和泉との演習で狼に変貌した際に魅せたもの。


文月は彼を止めようとした。


変化を嫌い、一瞬で道真との間合いを詰め、躊躇いなく拳を振るう。


しかし、本を片手にどころか、本に夢中な佇まいの道真にさらりと紙一重で躱される始末。


無論、文月京香は一撃だけでは諦めない。


「朗読詠唱しながら相手を見ないで避けてる⁉」


それでもその全てが避けられ、物の見事に躱されて。そして観戦結界内で元和泉の驚きの声が響く最中に、打ちっぱなしコンクリートの部屋に異変が起こり始めた。


魔法——そう想起せずには居られない。道真の足元を中心に背の低い緑が瞬く間に床に広がり、天井は空の青。否、既に天井など無く、壁も無い。


地面から顔を突き出す岩石の大群。


光景——知らぬ世界が一瞬にしてコンクリートの部屋を再構成していく。


「ああああああ‼」


それでも尚、一息を大きく吸った文月が呼吸もままならぬ程の連打を始め——


る、寸前——


『海から止まる事なく吹く潮風は、荒々しく雑草と旅人を容赦なく薙ぎ倒す』

「くっ——⁉」


完遂される詠唱。突然の強風が言葉の通り、道真と地面に埋まる岩以外のあらゆるものを吹き飛ばす。


「きゃあ! 観戦結界の中まで‼ 文月さん‼」


観戦結界の中の元和泉たちが感じた風は、その外と比べれば微々たるものであることは歴然だった。


文月が風に圧されて吹き飛び、地面に転がる光景は元和泉にとってもあまりに衝撃的。


故に無意識に、風を防ぐために腕を上げて瞼を片方閉じる。


「これが構成魔法というのだ、元和泉。よく覚えておけ——アレが碧海ヶ坂高校で歴代最強にして禍々しい五人の災厄」



「【五凶兆】の一人。【厨二病の本厄】だ」



一方、神原教諭は至って冷静に佇んだまま冷徹に教鞭を振るう。それは結界というものに対する信頼度によって起こる差であった。


そして道真もまた、


『道真本薬は殴る。荒ぶる空気を裂き、鎧の腕を用い、大地を砕かんばかりの勢いで』


何の躊躇いも無く、間髪入れずに次の展開を描写する。左手に持ち替えていた本の紙片が強風で荒ぶる音に耳を傾けながら、文月が飛ばされた方へとゆるりと歩いていく。


『——すると大地はやはり容易く砕け重力が反転したが如く、地に静かに眠っていた巨岩の数々が遥か宙へと幾つも乱雑に舞った。そして彼は言った』


「さて、どうする?」


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