第55話 前準備

 仰天……とまではいかずとも、目を見張る程度には衝撃的だった。俺が想像していた字城の自室は必要最低限のものだけ配置した無骨極まりない造りで、しかし実態はその予想を大きく裏切ってきたからだ。

 部屋そのものの広さは、15畳やそこらといった具合。俺が寝起きしている部屋のざっくり倍くらい。問題はそのスペースをどう配分しているかなのだが、ドアから向かって真っすぐの窓際にイーゼルとスケッチブックが置かれているところから見て、ここは寝室兼作業場といった空間なのだろう。しかし、いやでも覚える特徴的な油絵の具の匂いはせず、嗅覚が感じ取るのは仄かな芳香剤の香りだけ。見れば、青い液体の詰まったボトルに太めのパスタじみた細長い棒が突き刺さったルームフレグランスが配置されている。

 次に目に付いたのは、一人で眠るにしては少々持て余しそうなサイズのベッド。最低でもダブルはありそうで、存在感を放っている。勉強机があるのも見つけたが、日常的に使われている形跡はなく、半ば物置的な役割を果たしているらしい。一年の頃は無用の長物だったろうし、二年になってからリビングやダイニングを自習の主戦場にしていたことが窺える。


「いる……?」


 扉を開ける前は先頭に立っていたくせに、部屋に入るなり再び俺の背中に張り付いた字城が問うてくる。「いない」今のところは、だが。部屋をじろじろ検分する大義名分をもらってしまっているので、あちこちをくまなく眺める。彼女の言う通り自室はそれなりに整頓が行き届いていて、ヤツが潜める場所がやたらめったら多いということにはなっていなさそうだ。布団がごちゃっと皺になっているあたりに生活感がにじみ出ているものの、それを言ったら俺も似たようなものだし。

 なんというか、女の子の部屋だ。なにを当たり前のことをと思うが、本当にそうとしか言えない。見慣れた制服が吊るされていたり、ベッドボードに大小さまざまなぬいぐるみが並べられていたり、そのあたりの男を捕まえて「お前の思う女の子の部屋を描け」と命じたら真っ先に生み出されそうな、ありきたりかつスタンダードで、外れるわけのない構成。……それにしては、少々部屋が広すぎるけども。

 だが、よく見れば細かな場所にこだわりが光っている。カーテンの質、絨毯の素材、それから部屋全体を通した色合いのバランス。センスがいい、と評するのがもっとも手っ取り早そうだ。


「……しゃべって。不安になる」

「ああごめん。……確認のために家具とか触って大丈夫?」

「ていうか、触って。特にベッドまわり」

「了解」


 もしかしたらさっきの一匹で全部という可能性だってあるが、それを立証する手立てはない。……仮に立証できたとて、あの薄気味悪い触角が万に一つも体に触れるとなれば、人間、気が気でいられないものだ。

 思い切って、無造作に放置された布団をどかす。素材が良いのか、見てくれよりもずっと軽い。クリーム色のシーツに黒なり茶色なりの怪物が紛れているということはなく、一安心。……数時間前まで使われていたであろう寝具に触れる抵抗感はあったが、極力なんでもないように努めた。今の彼女にあまり負荷はかけたくない。


「はぁ……」


 一応の無事を確認したからか、字城が長く息を吐いた。その呼気と一緒に魂まで流れ出していそうなものだが、大丈夫か。仮に大丈夫だったとして、どう繕っても情けないとしか形容できない姿を俺に見せてしまって問題はないのか。尽きない疑問を抱えつつ、動かした布団や枕を整える。


「ぬいぐるみも見る?」

「おねがい」


 配置的に、どうしてもベッドの上にあがる必要があった。よく沈み込むマットレスに、高級品はこうなのかと感心していたら、字城も一緒に体重をかけていたというオチ。……離れて見ていろと言うのは酷だろうか。

 ぬいぐるみの種類は、テーマパークのキャラクターからデフォルメされた動物まで、まとまりがない。俺には感じ取れない規則性があるのか尋ねると、返ってきた答えは、


「お気に入り。もらったのとか、自分で買ったのとか」

「なるほどね」

「……子どもっぽい? この歳にもなってぬいぐるみ飾るの」

「うちのリビングにもいくつか置いてあるし、普通な気がするけど」


 両親とも縁起にこだわるタイプなので、苦労しないようにという願いをこめてフクロウの置物やら、その年の干支にあたる動物の飾りやらを買って来たりする。中にはぬいぐるみも含まれていて、我が家のリビングはだいぶにぎやかだ。サンプルが少ないのでわかりかねるが、鞘戸や相良の部屋にだってぬいぐるみの一つや二つあるだろう。少女趣味と言われるのを恐れているにしても、年齢的にはまだまだ少女なので問題があるとは思えない。

 子どもっぽいか子どもっぽくないかの議論は後に取っておくとして、調べた限りヤツの気配はなかった。そのことを伝えると、一気に脱力した字城がベッドにへにゃへにゃと倒れ込む。ついでに一番大きなクマのぬいぐるみを抱えて顔に押し付けており、やりたい放題。


「……あれ、なんとか絶滅させられないの」

「連中より遥かに繁殖が難しいはずの人間が何十億と生きてる時点で、その願いを叶える大変さをおわかりいただければ」

「頑張って。頑張って考えて。日本語を世界の共通語にするよりは喜ばれるでしょ」


 前にそんな話もしたっけ。確かに、ヤツがいなくなったら多くの人間が安心した生活を送れそうだ。……しかし悲しいかな、生態系を思うと、想像以上に深刻な影響を及ぼしかねない。どこにでも生息可能で簡単に増える。森の動物たちからしたら、これほどありがたい餌もないだろう。

 俺は、ベッドに腰かけるのはさすがにまずいかなと考えて、ベッドの横に棒立ち。しかしここで初めて字城がスカートをはいていることに気が付き、そしてその姿のまま横になられるとあまりよくないなということにも気が付き、背を向ける形でカーペットに腰を下ろした。 

 すると、後ろからぽんぽんという音が聴こえた。


「ここ、座ってよ。硬いでしょ、地べた」


 字城は寝転がったまま、自分の隣を手で叩いている。本当は断った方がいいのだろうけど、断ることによって変に意識しているように見られるのがいやで、「お邪魔します」とだけ言って浅く腰かける。シーツの肌触りがいい。だがそれ以上に、普段字城から感じる香りが五割増しくらいで伝わってきてくらくらする。甘く爽やかな匂いは、本来心地良いもののはず。けれど今は、それがなにより毒だ。


「……おつかれさま。ありがと。助かった」

「字城はご愁傷さま」

「ほんと。……お風呂はだめだよ、お風呂は。デリカシーなさすぎ」

「ヤツにマナー求めるのも酷だけど」


 やはり、裸で遭遇したのがまずかったのだろう。物理的にも精神的にも一番無防備になっている瞬間に向かい合える相手ではない。服を着ているという安心感は、なにものにも代えがたい。

 クマの顔をぎゅいぎゅい引っ張る字城。乾かす余裕がなかったせいか髪は乱れていて、いつもは秘されているおでこが見える。これをラッキーと思うか悪いことをした気分になるかで人間は二種類に大別されるが、残念なことに俺は後者だった。のぞき見をしているようで、罪悪感と背徳感がブレンドされたなんとも言い難い気分になる。


「疲れた……。私はなんもしてないのに」

「残念。せっかくの休日が災難だ」

「それは、別に……」


 目を細め、こちらを凝視してくる字城。……睨まれてるのか俺? まずいことを口走ったかなと振り返るも、これといって過失は見受けられない。

 そうしているうち、字城が上体を起こした。クマのぬいぐるみは一旦脇に置き、手櫛で髪を整える。それから、「森谷も災難でしょ。……せっかくの休みにこんなことさせられて」と俯きがちに呟いた。


「そうでもない。暇だったし」

「いつも暇暇言ってるけど、絶対暇なわけない。……また勉強の邪魔した?」

「今日は早起きだったから、ノルマは午前のうちに済ませた。心配しなくていいよ。俺だって、やりたくないことならやらない」

「……ゴキ退治がやりたくないことじゃなかったら、この世にいやなこと残ってない」

「まあまあ。人に頼られるっていうのは、結構気分がいいもんなんだ」


 それがかわいい女の子なら特に。そこまで口にすると一気に小物臭があふれ出るから黙るが、やることはしっかりやっているんだから多少の打算を働かせることくらい許して欲しいものだ。


「友達多くないから、休日は基本予定ないし」

「いるじゃん。さやととか、さがらとか。……あ、あと、この前話してた背の高い男子も」

「見てたの?」

「不良に喧嘩売られてるのかと思って、どうしようか悩んだ」

「ガラ悪いからなあいつ。何度指摘しても全然態度改めないし」

「……新条、だっけ。たまたま近くにいたさやとから、ちょっと話聞いた」

「ん? 話って、去年の?」


 確かに昨年、俺は新条絡みでちょっとした大立ち回りをした。我ながら、どうしてあそこまでしたのか疑問なほどの。


「なにがあったか、さやとにも詳しく教えてないみたいだけど」

「そりゃまあ、教えるようなことでもないというか、なんというか……」

「友達にも言えない秘密?」

「……わかりやすくたとえると」


 俺は控えめに、字城の首あたりを指さして、


「字城にしたようなことを、実は前にもしてまして」


 語る流れで、語れる相手だ。あいにく他の話題もなかったし、昔話に興じよう。

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