第42話 暑いね
「わーっ!」
運ばれてきた肉の皿に向け、ぱちぱち音の鳴らない拍手で応じる鞘戸。チェーンの焼肉店は思ったよりも空いていて、スムーズに席へと通してもらえた。
周囲には子供連れと仕事終わりの社会人が目立つ。そんな中、父親というには若すぎる里見先生と、子どもというには成長しすぎている俺と鞘戸が一塊になっているわけだから、気になる人にはどんなグループか訝しがられるのではないか。
「こういうお店、久しぶりかもー」
鞘戸は早速トングを握ると、今しがたテーブルにもたらされた牛タンを焼きにかかった。立ち上がった煙は直上の吸引機に吸い寄せられ、同時に香ばしい匂いが広がる。反射的に唾液が出て、そういえば空腹だったことを思い出した。
「はい、けーくんのぶん」
「いいよ俺やるよ。てんな、部活終わりで疲れてるだろうし」
鞘戸が伸ばしてきたトングに取り皿で応じつつ、そのトングの使用権限を求める。あれだけがっつり走った後で、他人の肉の世話なんてしていられないだろう。先生だって仕事を終えてきたわけだし、相対的に一番フレッシュなのは俺ということになる。それに、大柄な先生と食べ盛りの鞘戸を比較対象にとったら、たぶん俺の食事量が一番少ない。さっきは勝負をするとかどうとか言ったが、ハナから俺に勝つ気などないのだ。
しかし、俺の言葉に鞘戸は首をふるふる振って、
「私はけーくんのおこぼれで連れてきてもらってるんだから、これくらいさせてよ」
「なんだ。そういうことならここは年長者の先生が」
「さとみーはもっとだめ! 座っててもらわなきゃ!」
まあ、それはそう。席に着くなりためらいなく一番高いコースを三人分注文していたのはかなりかっこよくて、たぶん、ああいうのを漢気と呼ぶのだと思う。そうしてご馳走になる都合上、取り分けやら焼きやらの細々した作業は俺たちが受け持つべき――なのだが。
「そういう気遣いを覚えるのはもっと歳を重ねてからでいい。ここは大人しく、年寄りに面倒を投げる場面だよ」
「年寄りって。先生そこまで年配じゃないでしょ」
「それでも、二人の倍近く生きてきた」
なんやかんやで丸め込まれ、トングは里見先生の元へと渡った。……まあ、ここは向こうの意思を尊重するのが一番ということで。時間制限もあることだし、つまらない諍いをするだけもったいない。それでも鞘戸は納得いかない表情を見せたので、俺はそのもやつきを散らすべく、
「てんな、ご飯いる?」
「あ、欲しい……」
「了解。あと先生の分も注文しときますね」
備え付けのタブレットをぽちぽちいじって注文。横の鞘戸にも画面が見えるよう角度を調節しながら、「これ行ってみる? 壺漬けカルビ」「わー、すごー!」「ステーキ肉もあるっぽい」「でもでも、考えて食べないとすぐおなかいっぱいになっちゃうかも」話し合っているうち、すっかり彼女はメニューの方に夢中になって、身を乗り出してページを送ろうとしてくる。ちらりと覗き見た横顔は年齢不相応に幼くて、無垢さとか無邪気さとかの化身のように思えた。
(これで鈍感だったらな……)
見た目同様、思考も幼いままであってくれたら楽だった。しかし鞘戸の洞察力は軽んじるには鋭すぎて、現にさっきも字城のことを言い当てられている。その上でなにがあったかを聞いてこないあたり、どこまでも気配りが行き届いていると言わざるを得ない。当人が無意識でやっていそうなあたりも相まって、そりゃ人に好かれるわといった具合。
これも才能、なんだろうか。
「けーくん、ピースピース」
「ん?」
咄嗟に左手の人差し指と中指を立てる。それから数コンマ遅れてシャッター音が鳴り響き、鞘戸が「撮っちゃった」とはにかむ。こういう唐突な写真撮影は今に始まったことではなく、彼女の画像フォルダには友人の顔写真が大量に保存されているはず。特に相良なんかはしょっちゅうやられているイメージ。
「見て見て」
「相変わらず写りわっりぃ~……」
鞘戸のスマートフォンに表示された半目の俺を見て苦々しく呟く。どうにもフラッシュに弱いらしく、個人写真だろうが集合写真だろうが俺の目は常に半開きなのだった。鍛えられるものでもないから捨て置いているのだが、毎回毎回ここまで美しく台無しにしていると、一周回ってこれも個性なのではないかと思え出してくる。
「てんな」
反応があるより先にシャッターを切った。向こうは準備もなにもできないまま呆けていたわけだが、収まったのは綺麗な写真。……写真写りは、もとの顔の良さで決まるのではないだろうか。浮かんだ身も蓋もない疑問に、そりゃそうだと自分自身で答える。証拠に、猫なんかはだらしなくあくびをしていたってかわいいし。
「びっくりしたぁ。いつもやる側だから、いきなり撮られるとなんにもできないね。……私、変な顔してた?」
「こんな出来栄えでございますが」
「ん……んー……? なんかまぬけっぽい?」
「それはどうにもなんないな……」
「どういう意味ー?!」
いつも笑顔な天真爛漫っぷりは、間抜けさと隣合わせというお話。ただ、そうやって相手の気を緩ませられるというのはいい個性であり特徴だと思う。鞘戸が男女問わず人気で敵が少ないのは、その憎めなさによる部分が大きい。顔も性格も良くておまけにスタイルまで整っているとか、本来だったら同性から蛇蝎のように嫌われても仕方なさそうなものなのに。
「まあ、お気に召さないようなら消しとく」
タップ一つで写真を消去。納得いかない顔写真が出回るのは気分が良くないだろうし、可能性の目は摘んでおくに限る。万に一つもあり得ないこととは思いつつ、それでも紛失したスマホから情報をぶっこ抜かれる展開を嫌った。
「そこまでしてもらわなくていいのに。私なんて、けーくんの半目フォルダ作ってるんだよ?」
「えぇ……趣味わる……」
「しょうがないじゃん! けーくんの写真はいっつも同じ写り方しちゃうんだから」
なんて言い合って遊んでいるうちに、肉やら白ご飯やらが届き始めた。先生がそれを手際よく焼き、各々のタイミングで完成品を攫っていく。この前字城が購入していた高級肉と比べたらランクはいくらか劣るのだろうが、俺の貧乏舌にはこれでも十分ご馳走だ。タレ付きカルビと白米を同時に口内に放り込んでもしゃもしゃ咀嚼。それを数セット繰り返すうち、あっという間に米が消失。
「おいしー」
鞘戸がことあるごとに言うので、先生も満足顔だ。どうせ奢るなら美味しく食べてもらいたいと思うのが人情。そのニーズを俺一人で満たせたとは到底思えないから、やはり彼女がついてきてくれてよかった。
追加で米や肉を注文しつつ、コーンバターや海鮮なんかの変わり種も織り交ぜる。暑くなってきたのもあってワイシャツの袖をまくると、同タイミングで頬から汗が伝った。
「……おっと」
バイブレーション。音は先生の懐から鳴り響いている。彼はかけてきた相手をチェックすると、「少し外す」と言って店外へ出て行った。
二人取り残された俺と鞘戸。そこで彼女は朗らかに、
「恋人さんからかな?」
「先生のプライベートも大概謎だからなぁ……。第一、恋人いるなら生徒に構って飯食べさせてる場合じゃなくない?」
「そう? 私はあんまり気になんないかも」
大半が疑問で構成された話のために取り留めがない。「暑いねー」言って、鞘戸が手で顔をぱたぱた扇いだ。広いおでこに光る汗は、彼女の幼さと対照的な艶めかしさを演出しているように思えた。
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