第43話 約束のこと
「部活、どんな調子」
先生から引き継いだトングで肉をひっくり返しながら問うた。来たるインターハイ予選は三年生にとっては負けたら即刻引退の一本勝負で、それゆえ学校全体に渡って熱気じみたものが伝播している。そこで、二年生ながらに主力選手を務める鞘戸はなにを思うのだろうか。
「先輩たちはぴりぴりしてるかも。やっぱり、負けたくないもんね」
「……こんなこと聞くのはアレなんだけど、女バスの実力っていかほど?」
「うーん……」
鞘戸は唸り、掴んだ肉の両面を執拗に炙りながら、
「頑張ればベスト16に残れる……かも? あっ、もちろんみんな優勝するつもりで頑張ってるけどね!」
「ちなみにインターハイの出場枠って」
聞くと、彼女はおずおず人差し指を立てた。……まあ、全国から一校ずつ集めるだけでチームは50近くにのぼるのだから、一つのエリアに何個も出場権は与えられないか。それにしたって狭き門だが、どうせここで勝ち上がれなければ全国に行ってコテンパン。少年少女の自尊心を守るためのセーフティになっているのかもしれない。
冷静に考えてただの進学校であるウチが、部員勧誘、練習ともに抜かりない強豪私立を打倒する見込みは薄い。……だが、それを知ったとて一縷の望みを捨てられないのが学生だ。
「応援してる」
「うん、超頑張る」
一つ気がかりなことを挙げるとするなら、この前珍しく……というか初めて、鞘戸が寝坊して朝練不参加で教室に来たこと。本人曰く練習疲れとの話だったが、一番集中力が高まっているはずの時期にこれで大丈夫かと外野から勝手に心配させてもらった。だが、今現在ファイティングポーズで絶賛闘気をメラメラ燃やしている様子を見るに、杞憂で済むだろう。
「あとさ、てんな」
「あ、お肉欲しい?」
「欲しいけど、それともまた別の話。ほら、例の」
「れいの……?」
「土日空けとけってやつ。続報あったら教えてもらいたいな」
「あ、あー……」
デートなんて銘打ってしまったのが災いしてか、一気に挙動不審になる鞘戸。一瞬で朱に染まる頬に、こんなわかりやすい生き物が現存していたのだなと感心するほどだ。急かすようで酷だが、こちらもこちらで予定というものがある。日取りが決まっているに越したことはない。
「今、思ってたより部活のことでいっぱいいっぱいで。……もうちょっと時間欲しいかも」
「了解。気長に待ってる」
ウーロン茶を煽る。てっきり六月の内にけりがつくかと思っていたが、もっと後ろへともつれるかもしれない。まあ、それならそれで。基本的に俺は暇人なのだ。
「どこに行くかでも悩んじゃって。映画とか、水族館とか、もうちょっと待てばプールも開くし。……あ、けーくん泳げる?」
「人並みに。でも、レジャー用の水着は持ってないな」
「あー、私もだ。中学のときに買ったのは……ね?」
「……いや、俺てんなの中学時代知らんし」
ね? と同意を求められ、頭に浮かんだのは「だろうね」。しかしこれを口にするとセクハラ一本橋の上から見事に垂直落下するため、回答は濁さざるを得なかった。そりゃあ中学時代の水着さんにはいろんな意味で荷が重いだろうが、それをストレートに発言できるほど肝が据わっていない。
「待って待って。スマホに昔の写真あるから!」
「え、ちょっ」
いいんですかお嬢さん。そう尋ねる間もなく、鞘戸が液晶をずいっと俺の顔面の前まで持ってくる。俺は半分不可抗力、もう半分は好奇心で画面に目をやって、
「……なるほどね。なるほどなるほど」
「……?」
完全に気が逸っていた。てっきり俺は中学時代の水着姿が出てくるものだと思い込んでいたので、そこに現れた学校指定ジャージの鞘戸と相良のギャップに一瞬思考が硬直。もしかしなくても恥ずかしい勘違いに顔が熱くなるのを感じつつ、「二人とも幼い」とだけ感想を告げた。ただでさえ幼顔の鞘戸がさらに幼い。輪郭の丸さと頭身の低さが関係しているのか、かなり子どもっぽく見える。
「中一の写真だからもう四年も前だね。この頃はまさか高校まで背が伸びるとは思わなかったなー」
「ああ、言われてみれば相良とほとんど変わんないな」
「でしょ? 小学校までは夕ちゃんの方がおっきかったくらいだもん」
鞘戸より大きい相良。……だめだ、まるで想像がつかない。彼女は中一時点からほとんど身長に変動がないようで、変化といえば顔つきがシャープになったことくらいだろうか。
「でも、お母さんもお姉ちゃんも身長高かったから、私がこうなっても不思議じゃないか」
「お姉さんって、確かウチの卒業生だっていう」
「そうそれ! お姉ちゃんもバスケ部でね、私もいつか同じ制服とユニフォーム着たいなーって思ってたの」
歳の離れたお姉さんがいるという話は度々聞いていた。姉妹仲は良好のようで、こんな子が妹ならかわいがるのも当然といった感じ。俺は一人っ子だからきょうだいという存在に若干の憧れがあって、弟や妹がいたら賑やかでいいんだろうなと夢想してきた。
「お姉ちゃんの代はかなり強くて、いいとこまで勝ち進んでたんだよ」
「観戦してたんだ」
「うん。お母さんとお父さんに連れられて、お姉ちゃんが頑張ってるのを観てた。……その試合は負けちゃったんだけどね」
「まあ、日本一にならない限りはどこかで絶対一敗するし」
「そだね。……泣いてるお姉ちゃん見たの、あのときが最初で最後かも」
ふと思う。鞘戸は、泣くのだろうか。いかにも涙腺が脆そうなタイプだが、意外にもこれまで一度も泣き姿を拝んだことはない。……気遣いができる人間は周囲との調和を考え過ぎて泣けなかったりするから、彼女がそっち側でないことを祈る。
デートの約束から始まって話が流れに流れたが、それだけ時間が経っている割に先生は未だ戻らない。仕事か、プライベートか、どちらにしても混み入った事情がありそうだ。
「さとみー遅いね」
鞘戸も同様のことを考えたのか、ストローでドリンクの氷をつつきながら言った。「彼女さん、怒ってるのかな」そもそも恋人がいるかどうかが不明なのだが、彼女的にはそちらの方が盛り上がるらしい。
なので、俺もそこに乗っかることにした。
「帰りが遅いから浮気疑われてたりして」
「だったら私たちが電話に出て違うよって言ってあげなきゃね」
「てんなはだめだろ。女の子の声が聴こえた時点でアウト」
「あ、そっか」
善意のせいで疑念が深まる事態になってはまずい。そもそも里見先生みたいな人が不貞を働くとは思えないのだが、女性視点では不安があるのだろう。……なんだ、俺もすっかり先生に恋人がいる前提で話を進めてしまっている。
「けーくん、まだおなかに余裕ある?」
「いけるよ。追加で注文しようか」
「じゃあじゃあタンとハラミとロース、あとご飯も!」
「うい。送信……っと」
先生が離席してから遠慮で止まりがちだった手を動かし始める。気を遣いすぎて満腹になれなかったら損だ。
そのとき、鞘戸はなにかを閃いたように「あ」と手を叩いて、
「お肉の写真撮ってないや」
「今ちょうどいい感じに焼けてるよ」
「撮るー」
パシャ。パシャ。シャッター音が何度か響き、そのあとで「えいやっ」との声。……えいやっ?
呆ける俺をよそに、体をぐいっとこちらに寄せてきた鞘戸が、インカメラでツーショット。彼女の瑞々しいほっぺたが今にも俺の頬とくっつきそうで、思わず首を傾げた。……その結果、
「まーた写真写りが終わってら。言ってくれれば俺だって表情作るのに」
「ごめんごめん。このいたずら、お気に入りだから」
「ま、それも半目フォルダの肥やしにしといて」
「……うん」
によによした変な笑顔で言う鞘戸。なにか企んでいそうだが、彼女のような善人に考えられる悪事などたかが知れている。放っておいても不利益を被ることはないだろう。
すると、
「けーくんにもあげるね」
俺のスマホにも画像データが転送されてきた。自分はともかくとして、やっぱり鞘戸の容姿には抜けたものがある。……ここのところ、誰かからもらってばかりいる気がするのは思い違いだろうか。
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