第38話 連行
買い出しなんていうくらいだし、俺はてっきり近所のスーパーにでも繰り出すものだとばかり思い込んでいた。字城は最近料理にハマり気味だから余計に。アドバイザーとして野菜や魚の鮮度を見極めちゃうぞと意気込み十分で、いざ連れてこられたのは駅近の百貨店。……あっれぇ?
「デパ地下の野菜たっか。農家とどんな契約結んでんだこれ……」
「いいものに触れていい経験を積みなさいって教わってきたから。……変?」
「いいんじゃない? 背伸びしてやってたらさすがに止めるけど」
ただ、俺たち以外に学生服を着て闊歩する人間は見当たらなかった。そこに若干の肩身の狭さを覚えつつも、字城が金銭的に大きな余裕を持った人間なのは知っているから文句はなし。なんならこのあたりにいる人たちの中で一番稼いでいる可能性すらある。
「……あ、だけど思ったよりお値打ちなのも並んでる」
「どれ?」
「葉物野菜は普通の価格帯な気がする。ほら」
「相場がわかんない……」
「社会勉強で普通のスーパーにも行かないとな……」
いくら字城がお金持ちのお嬢様とて、ただのスーパーに一歩たりとも踏み入れたことがありません……なんてことはないと思う。だが、彼女が料理に凝り始めたのはごく最近。庶民だって、日常的に自炊でもしない限り野菜の値段なんか覚えない。
「ていうか、森谷はなんで詳しいの」
「おつかい歴が長い。家の近くにスーパーあるから、足りないものがあったらひとっ走りさせられてきた」
「……なんかいいね、そういうの」
……おっと。口を滑らせてしまっただろうか。余計な気遣いなのは百も承知だが、彼女と話すときに家族の話題は極力出さないよう努めてきた。どこに眠っているかわからない地雷を避けるには、それがもっとも効果的だからだ。特殊な家庭事情を抱えている字城を、その手の話題で不用意に刺激したくない。
「今度字城もやってみる? 課題の野菜をどっちがどれだけ安くそろえられるか競争」
「なにそれ」
「チラシ確認しまくりスーパーはしごしまくりで、極限まで出費削減すんの。で、結局その手間のせいで普通に済ませた方が安上がりだって学ぶんだ」
「……やっぱり森谷、ときどきばかになるよね」
「馬鹿なこと考えるのが一番楽しいからな」
なんとか軌道修正。一息ついて、字城がぽんぽんとカゴに放り込んでいる野菜をチェック。手つきにも足取りにも迷いがないから、予め案があるとしか思えない。だが、にんじん玉ねぎじゃがいもという汎用性オールスターズからメニューの予想をするのは不可能に近く、あえなく特定はギブアップ。
「その野菜、どう生まれ変わる予定? 肉じゃが? カレー?」
「ううん、ポトフ。切って煮込むだけみたいだから、私でもできるかなって」
「ポトフって、要は具沢山コンソメスープでしょ? 食べたことないから完全にイメージで語ってるけど」
「あ、今ので思い出した。買わなきゃ、コンソメ」
確か、フランスの家庭料理だったはずだ。フレンチと聞くだけで格調高いイメージを抱きがちだが、用いる材料はかなりポピュラーらしい。……そんなことを思っていると。
「牛肉ください。量? じゃあ、とりあえず1キロくらいで……」
「待て待て待て。肉の1キロって滅茶苦茶多いぞ。スープ用なら200グラムもあれば十分なはず」
「……なら、余裕を持って300グラム」
その場でブロックから切り崩してもらうタイプの精肉コーナーにおいて、字城は世間知らずを存分に発揮した。そんなに買ったら余らせること請け合いなので、さすがに忠言。1キロともなると、男の俺でも厳しいものがある。
会計が独立しているため、懐から長財布を取り出した字城。有名ブランドのロゴに怯んだが、直後のカード決済を見て衝撃は上塗りされた。なんだその限度額とか存在しなさそうな色は。
「パパから渡されてるだけ。審査通らないし、高校生だと」
俺の物珍しげな視線に気づいた字城からフォローが入ったが、「別世界すぎてなにがなんやら」としか言えない。スープに投入される肉にそれほど高ランクのものを使ってもなあと眺めていたが、字城家目線ではそこに差などないのだろう。日本地図で見る東京と大阪はずいぶんな遠距離だが、地球儀サイズにしてしまえばほとんどお隣さんのようなもの。縮尺と同じく、根っこにある財力の差で、見え方はガラッと変化する。
「……もうちょっと庶民的な方が良い?」
「いや、字城はそのままでいてくれ……。けど、庶民感覚知らないと損する場面もありそうだし、一応知識だけはインプットしておくといいかも」
「たとえば?」
「100円払って満足度が50、でも1000円払うと満足度が100になるものがあるとするじゃん。もちろん質的に優れているのは後者だけど、コストパフォーマンス的に優秀なのは圧倒的に前者。金額に糸目をつけずに質を追求するのも大いにありだとは思うけど、たまには限られた予算内でちょうどいい妥協点探すのも良い遊びになる気がする」
しかし、オーディエンスの顔色を窺わせるような感覚が身に付くのはまずいかも。独自路線を開拓中の字城にとって、それは雑音になりかねない。……だが、色々教えるって約束しちゃってるしなぁ。
「いいね。やってみる、今度」
当の字城は、俺の葛藤を意に介する素振りナシ。……そうだよな。あらゆる感覚を獲得したうえで、自在に切り替えられるのが一番だ。視点が複数あって困ることはない。そして、それらの情報を取捨選択するのは彼女自身の仕事。
ともかく、こんな日常会話であれこれ悩むだけ馬鹿らしい。野菜その他をレジに通す字城を眺めながら、もうちょっと気楽に行こうと思考の切り替え。レジ袋にどんな順序で商品を入れた方がいいかレクチャーして、一つ気がかりだったことを問うた。
「そういえば、夕飯おごってもらう話、本当に不参加で大丈夫?」
「うん。里見のこと苦手だから。ごはんは伸び伸び食べたい」
「そうかい。残念」
無理強いはできない。しかし今の言葉から、現状ああやって鞘戸たちと昼食をとっているのは我慢してのことじゃないんだなと理解。自分の友人を評価してもらえるというのには不思議な誇らしさがあって、それが顔に出たのか、「どうしたの」と怪訝な目を向けられた。
「昼もちょっと話したけど、今のところ字城の目にてんなたちはどう映ってるのかなと思って」
「さやとは裏表が全然なくてわかりやすい。……けど、さがらはちょっとよくわかんないかも」
「ああ大丈夫、俺も相良のことはろくすっぽ知らないから。あいつ秘密主義っていうか、とにかく自分の話全然しないんだ」
冗談抜きで、鞘戸を過剰に愛していることくらいしかパーソナルなデータがない。話す必要がないと思っているのか、それとも話したくないのかを推し量ることすら上手くいかないから、ありとあらゆる情報がブラックボックスの中。
「……本当に友達なの?」
「俺はそのつもり。向こうの当たりは結構強めだけど、話なんかは割と合う方だしな。まあ、相手によって付き合い方は変わるもんだよ」
「そういうのも勉強、か」
「あ、でも、前に相良、字城のことめっちゃ顔かわいいって褒めてたな」
俺が字城に勉強を教えていると明かしたときだ。……厳密にはあの時点じゃなにもしていなかったが、珍しく相良が鞘戸以外の女子を褒めていた。しょっちゅう「女子のコミュニティはゴミ」「女子どうしがつけ合うカーストはクソ」「そんな社会で生まれた鞘戸は奇跡」と他の女子連中に苦言を呈しているのを知っていたから、強く記憶に残っている。
「……森谷はどう思った、それ聞いて」
「なかなかないことだなあと。相良、女なのに女嫌いなんだよ。あと男子も普通に嫌ってる。だから字城はレアケース」
「…………そういうことじゃない」
高級野菜&高級牛肉入りレジ袋で背中をはたかれ、踏ん張ったら野菜が傷むなと察して大げさに吹っ飛ぶ。……そんな俺を尻目に、字城はとことこどこかへ歩んで行って、
「早く来てよ。してくれるんでしょ、アドバイス」
野菜のことではなかったらしい。当然俺に否やはないので、平身低頭彼女の後ろを追いかけた。
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