第37話 六月

「ここで問題」


 昼休みの美術室にて、近くにいた三人に問いかける。俺の声に三人とも昼食を食べ進める手を止め、三様に疑問の視線。おそらくは、「なに言ってんだコイツ?」の目だ。


「六月とはなんぞや。……はい、相良早かった」

「梅雨」

「惜しい、部分点。……次、字城」

「衣替え」

「それも惜しいから部分点。……最後、てんな」

「え、えーと……ジューンブライド?」

「ロマンチックだけどハズレ。よって、完全回答者はなしということになります」


 パン。手を叩いて、お開き感を演出。当然のこと、ギャラリーからはじゃあ答えはなんなんだよという無言の圧力を感じる。思い付きの奇行に付き合ってやったんだから、せめて解答くらい明かせということだろう。主張としてあまりにもごもっともだ。


「正解はね、『無』」

「森谷、勉強のしすぎでおかしくなっちゃったんじゃない? 病院連れてってあげよっか~?」

「相良のそれが優しさか嫌味かわかんなくて怖いな。……でも、答えは相変わらず『無』だよ」


 なんとなくこの面々で集まって昼食をとるようになってから、はや数日が経過。その間に、暦は六月へと突入していた。一同の格好は涼やかなものに変わっており、どことなく目新しさがある。

 鞘戸と相良の人見知りしない性格には、大いに助けられた。俺というパイプを伝ったことで、字城は高嶺の花の有名人から友達の友達へと変化。そこのイメージにメスが入るだけで、意外と話せるようになるものらしい。

 肝心の字城についてだが、こちらについても問題は感じられない。彼女視点でも、鞘戸と相良は友達の友達。そこらへんの一般生徒と比較すれば、よほどとっつきやすい。


「無とは呼べないでしょ。梅雨も衣替えもジューンブライドもあったら」

「いいや『無』だね。少なくとも運動部に在籍しない俺や字城にとって、この一ヵ月は『無』以外のなにものでもない」


 字城の反論を真っ向から否定。これまではなんとなーく肯定から入っていたが、もうそのあたりの遠慮は要らないと思う。……ただ、俺の言い分に口を尖らせてご立腹のようなので、ふさわしい理屈は用意しないと。


「運動部の私たちにはあるもの……。インターハイ予選とか?」

「てんな鋭い。けど、それがない俺らにとって六月っていうのはさ、毎日毎日じめじめじめじめ蒸し暑くて、今となっては懐かしいゴールデンウィークに祝日の尊さを思い知らされ、イベントらしいイベントもなく過ぎ去る虚無期間。つまるところが、青春における大緩衝地帯ってわけ」


 よくある「夏と冬どっちが嫌い?」という質問に対し、俺は題意をガン無視して六月と答える。それくらい、この一ヵ月にはなにもない。

 そしてそれは、これまでよりも楽しい日々を字城に約束してしまった俺からすると、大変に困る事態だ。


「やることがなにもないなら作るしかない。ってわけで、本題なんだけど」


 俺自身、とっくに忘れていたことだった。四月のとある日に全校放送で職員室に呼び出され、字城とわの教育係を仰せつかった俺は、立ち去り際に一つの軽口を叩いていたのだ。


「字城のテストが上手くいった記念で、里見先生が夕飯おごってくれるってさ。本当は俺に対しての成功報酬だったんだけど、独占するのもどうかと思って他に誰か誘っていいか聞いたらOKだと」


 この前、廊下ですれ違ったときに声をかけられた。「森谷、肉でいいか?」「……はい?」問いかけの意味がわからずにしばらく硬直したものの、話しているうちに理解。あの言葉を口にした時点で、俺には字城に勉強をさせる気などさらさらなかったから、記憶から薄れていた。いわばへそくりを見つけた感覚で、ならば多少ランクが落ちても誰かと共有するのがいいと判断。その旨を述べると、三人くらいまでなら問題ないとのことだった。


「先生の仕事終わりに合わせて車で焼肉連れてってもらう算段。あ、二人が来るならもちろん部活終わりまで待つ感じで。どう? 早ければ今週の金曜とかにでも」

「お肉……!」


 真っ先に食いついたのは鞘戸だった。未だ身長を伸ばし続けている絶賛成長期の彼女には、高カロリー高タンパク高脂質の食事は欠かせないのだろう。部の取り決めで食事量のノルマなんかもあるらしいし、太ることを心配しなくていい女子は強い。


「……あ、でも、本当にいいの? 頑張ったのはけーくんと字城さんなのに」

「いや、それがさ……」

「私、あの教師苦手」


 もちろん仁義として、字城には真っ先に話を通した。が、答えは「パス」。どうにも里見先生とは相性が悪いようで、そもそも好きなときに好きな値段の肉を食べられる財力が元からあるのも相まって、今回は欠席。……空白期間にはちょうどいいイベントだと思って誘ったんだけど、「週末時間ある?」に対する返事と「里見先生とご飯食べに行くんだけど一緒にどう?」に対する返事があからさまに違いすぎて、あの人なにしたんだよと背筋が凍った。ちょっと暑苦しいところはあっても、基本は生徒思いの優しい先生として人気なはずなんだが。


「そうなると、他に俺が誘えるのはてんなか相良くらいじゃないかなと」

「……男子の友達いないの、森谷?」

 

 字城から責める目線を感じる。確かに彼女の観測範囲において、俺と付き合いがある相手は女子ばっかり。これでは俺が軟派クソ野郎に見えてもしかたないわけだが、別にそんなことはない。


「特に仲いいやつ、かなり気難しいんだよ……。先生と飯食いにいけるようなタイプじゃないっていうか」

「なんだ、いるんだ」

「いるいる。……それで、二人はどうする?」

「行くよね夕ちゃん?」

「行く行く~。世界で一番おいしいの、お金はらわないで食べるご飯だから」


 もっとオブラートに包んでくれ……。まあとにかく、これで人数は確定。あとで先生に連絡して、詳細を詰めよう。実のところ、楽しげな雰囲気さえ作ってしまえばそれに釣られて字城が立場を翻すのではないかと期待していたのだが、そう上手くはいかなかった。思い出話を土産に持ち帰るとして、空っぽな六月を彩る方法はまた追々。

 ぼちぼち梅雨入りだ。今日も空はどんよりと曇って、湿度の高さゆえの不快感が体のあちこちに付きまとう。どうしたものだかとため息をついている俺をよそに、鞘戸が突然声を上げた。


「あ、当てられたとこ!」

「そういえば鞘戸、板書指名されてたっけ」

「先生来る前に終わらせないと……」


 次は確か数学。鞘戸は前回の授業で例題を解いておくように言われていたはずだから、忘れて放置はまずい。答え合わせをベースに進める形式だから、当たり外れ関係なく、素材がないと話にならないのだ。


「急がなきゃ! あ、でも……」

「はいはい。私が教えてあげるから」

「夕ちゃーん!」


 嵐のように、ぱたぱた走り去る二人。その忙しない後ろ姿を眺め、字城はくすくす笑っていた。


「いいやつらでしょ」

「なんか、森谷の友達って感じ」

「誉め言葉だと思っとく」


 今はまだ探り探りだが、いずれはもっと打ち解けてもらえたら。これに関しては字城の裁量だから、俺があれこれ口を出すつもりはないけれど。


「……森谷、今日の放課後はどうするの」

「なにもなければここに来る予定。まずい?」

「まずい。すぐ帰るつもりだから」

「用事?」

「いっつも通販ばっかりだから、たまには自分で買い出ししようと思って。……で、アドバイス、欲しいかも」

「じゃ、校門前集合で」

「……ん」


 字城は、軽く頷いてから言った。


「待ってる」


 だいぶ柔らかくなった笑顔を見て、俺も笑い返した。……徐々に慣らしてきたからよかったものの、いきなりだったら眩しすぎてたぶん失明してたな。

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