第35話 前日、内緒の話
『……彼女とか、できるかもじゃん』
『心が狭いやつと付き合わなきゃいいだけの話だ』
『なら…………』
『なに?』
「……なら、私にしときなよ」
自室のベッドで仰向けになって呟いた。ここまで人のことを滅茶苦茶にしておいて、その責任はどこかに丸投げじゃ道理に合わない。……そう思いながらもギリギリのところで踏みとどまったのは、今言ったらフェアじゃないなという感情から。森谷がいくら頑固といったって、あの雰囲気の中できっぱり断れるかどうかは怪しい。流された結果そうなっても、あまりうれしくない。……うそ。たぶん、それでもうれしい。
あいつはあんなに熱くなって自分の思ってることを全部伝えてくれたけど、私は最後まで言えずじまいだった。……森谷が私以外の女子と良い雰囲気になっていたから嫉妬したなんて素直に言える性格だったら、そもそも逃げてないし。
そうだ。そのことだ。すっかり絆されて退学を取り消す運びになっているけれど、森谷に彼女ができるかもしれないという現実に動きがあったわけじゃない。……やっぱり、ちょっとずるくても先に手を出しとけばよかったかも。…………この家でなら、色々やりようはあったし。なんとなれば――
「……水」
布団から出て冷蔵庫の方へ向かう。実のところ、喉なんて乾いていないのに。どことなくデジャビュだが、前は本当に水が欲しかっただけだから違いはある。……だけど今回は、水を取る前にリビングのソファ前で足を止めてしまった。
(ぐっすりじゃん……)
悶々として全然寝付けていない私を嘲笑うかのように、森谷は深い眠りの中にいた。それが気に入らなくて、顔の近くにそっと腰を下ろす。
また、泊まってもらっちゃった。……衝動的に抱き着いたせいでどのタイミングで離れればいいかがわからなくなり、正直離れたくないなと思っていたのと相まって、だらだらずるずる外が暗くなるまで玄関で話し続けてしまった。……それからあとは、前のときみたいに駄々をこねてなんとかした。明日も学校なのに、我ながら強引すぎたと思う。
(学校、行くんだ)
急に実感。もう縁を切ったつもりだったが、かなり早めの復縁を結ばなきゃいけないらしい。……なんて、学校から帰っても制服を脱がずにいたあたり、内心未練たらたらだった気もするけど。
とにかく、朝は早いのだからもう寝ないと。……そうわかっていても、なかなか動く気になれない。なんとなく森谷のほっぺたをつつきながら、結構肌きれいだなーなんて思ってしまっている。
そもそも、そもそもだ。
(……普通、なんかあるって思うじゃん)
冷凍してあった夕飯を二人で分け合って食べて、雑談しながら夜のテレビを観て、お風呂に入って。その間かなりべたべた手や腕に触ってしまった自覚はあるけど、森谷はそれを嫌がらなかったし。……なら、もしかしたらって考えるのも仕方ないじゃん。お風呂で念入りに体洗ったのも、変なところがないか鏡とにらめっこしたのも、仕方ないじゃん。
それが盛大に空ぶるとなると、堪えるものはある。……私だけ盛り上がって馬鹿みたいっていうか。
いっそ、ここで裸になって添い寝でもしてやろうか。森谷が夜の記憶を一生懸命辿りながら慌てふためくのを見て、私はほくそ笑むのだ。「覚えてないんだ」とかなんとか意味深なことを言って、からかおう。……もし裸の私を見て森谷のスイッチが入っちゃったら、まあ、それはそれで。――もちろん、冗談。そんなことができるような度胸はない。
だけど。
(……ちょっとなら)
森谷の体に覆いかぶさる体勢を取って、垂れ下がった前髪を耳にかけた。異性の前でこんな無防備な姿を晒しているのが悪いんだというのを免罪符に、寝息がかかるくらいの距離まで顔を近づける。それだけやっても森谷に異変はなくて、もう歯止めは効きそうにない。
――いいよね、別に。このくらい許してもらわないと、困る。
自分に言い聞かせながら、ただでさえ近かった距離を、そのままさらに近づけて、
「……んっ」
森谷のほっぺたに、ちゅっと唇を落とした。……本当は唇どうしを触れ合わせるつもりだったけど、寸前で日和ってしまった。だがまあ、結果的には良かったと思う。……肝心なのは、今後の楽しみということで。
(やだなあ……)
私、こんな子じゃなかったはずなのに。恋愛とか、男の子とか、興味を持ったことすらなかったのに。森谷に出会ってから急速に変わり始めた自分の価値観や考えに、肯定的になりかけているのがいやだ。
「……ばーか」
耳元で囁くと、森谷がぐぐっと寝返りを打った。あーやだやだ。ほんとやだ。……こいつを他の誰かに取られるなんて、もう考えられない。
別に、嫌われてはいないと思う。……これは自惚れかもしれないけど、どちらかといったら好かれている方だとも思う。ならまだまだチャンスはあるはずで、例の『さやと』と張り合うことだってできる。
負けない。絶対。
そう誓って、今回はきちんと自分の部屋に戻ることにした。……しっかり早起きして、手作りの朝ご飯をふるまわないといけないから。
「好きだよ」
最後に小声で呟くと、そのタイミングで森谷の寝言。「ああん」だか「ううん」だか、言葉らしい言葉にはなっていなかったが、一瞬起きたのかと思って心臓が跳ねまわった。
(ごめん、かな。俺も、かな)
答えを勝手に予想し、体のあちこちが熱くなる。――やめた。やっぱり、今日もソファで寝ることにしよう。そうするとよく眠れるって、どうしてか知っているから。
(了)
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