第28話 不通

「ふふーん♪」


 勝ち誇った笑みを浮かべた鞘戸が、一枚の紙きれを両手横持ちで見せびらかしてくる。そこには数字がずらっと羅列されていて、上部には『前期中間考査』の題が。見ての通り、先のテスト結果が開示されたのだ。同様の紙片は俺の手元にもあった。


「言ったでしょ、やればできるって」

「じゃあいつもやれ……ってのは野暮か。お疲れ。よく頑張りました」

「ま、大体私のおかげだけどね~」


 腕を鞘戸の首に引っかけて抱き寄せ、相良が言った。鞘戸の点数は前回の学年末比で概ね向上しており、その立役者として相良の存在が挙げられる。


「これで俺もお払い箱ってわけだ」

「ちょっ、待ってけーくん! 毎回これは絶対無理!」

「そ~だよ鞘戸。私の方が優秀って他ならぬ鞘戸が証明したんだから」

「いじわるぅ……」


 眉間にしわを寄せ、相良に体重をかける鞘戸。しかし当の相良は、その密着をただただ楽しんでいるだけのようだった。扱いの年季が明らかに違う。


 五月がもう終わる。それだけで驚きだ。遠くの目標として見定めていた中間試験も片付いてしまっているわけで、ちょっと気が抜けつつあった。きっと、これを繰り返すうちに卒業してるんだろうな……。

 だが、安心するには早すぎる。一番肝心な仕事が、まだ残っているからだ。


「あのさ、けーくん」

「ん?」

「大丈夫? ……ほら、変わることもあるんじゃないかなーって」

「ああ、これ?」


 片手でぴらぴらはためかせるテスト結果は、いつもと比べて低調気味。もちろんこれで悪かったなどとのたまおうものなら眼前の鞘戸がショック死するだろうが、俺を成績優秀な生徒として記憶する手合いからすると『らしくない』成績に映るだろう。教師陣にもそういったバイアスはあるようで、必死に部分点を付けようとした形跡がいくつか見て取れた。返却時に体調不良だったかどうか尋ねてくる人もいたくらいだし。

 だが、おあいにく様。俺は若干寝不足だったこと以外のバッドステータスを抱えていない。これを機に、完璧主義の秀才などという偽りのレッテルが剥がれたら気楽でいいな。


「まあ、いつかこういうことになるとは思ってたよ。ずっと一位なんて土台無理な話だし」

「それでも私よりは上なんだから。せめてもうちょっと落っこちてくれればよかったのに」

「そこは死守。相良に成績マウントは取らせません」


 入学以来堅守してきた学年一位のポジションを、今回はどこかの誰かに譲ることになった。俺は二位。だが、下手すると二桁落ちも視野だったので、個人的には上々の結果だったのではないかと思っている。

 強がりに聞こえそうでダサいから言葉にはしないが、順位に拘泥して勉強を続けてきたわけではない。あくまで俺の中で一番伸びしろを感じたのが座学分野であり、そのジャンルを鍛えればいつかなにかが見えるだろうと信じていただけ。……これまでの努力が結実するかどうかは、おそらくこれからもたらされるであろう一報によって決まる。

 とはいえ、悔しさがないかと言えば嘘だ。あわよくば今回もという醜い野心はあったし、その立ち位置が俺のアイデンティティになりつつあることも知っていた。一位の椅子を失ったことで、俺は勤勉な一位からただの勤勉な学生へと降格。今後の発言に、それほど重みも付随しなくなる。しかし、それは俺の能力不足が招いた事態だ。甘んじて受け入れるが吉。


「まあ、みんなお疲れさまってことで。切り替えて、楽しいことでも考える頃合いじゃない?」


 ざっくり総括。どれだけ反省したところで、2は1に変わらない。この悔しさは今後の飛躍への助走だと己をなだめ、折りたたんだ紙を懐にしまった。

 夏休みまでまだ遠い。なにか先立つものがないと、学生なんてやっていられない。俺が気持ちをスイッチしていると、相良が肘で鞘戸のことを小突いていた。単なるじゃれ合いではなさそうで、「どした?」と尋ねる。


「い、いや、まだタイミングじゃないっていうか……」

「うっさい。さっさと行ってさっさと砕けて私のとこに帰ってきな」

「う、うぅ……」


 お取込み中のようだ。割り込むのも気が引け、一歩引いて眺める。「せめてもうちょっと人気のないところで……」「どうせ日和るんだから早めに終わらせる」「でも今じゃない気が……」「そんなこと言ってるうちにおばあちゃんになるよ」鞘戸から出てくる弱気はことごとく相良にねじ伏せられ、最後に訪れるのは無言。もう否定材料もなくなってしまったようで、助けを求める子ウサギの目で俺の方をちらちら窺ってくる。


「もしかして、前言ってたご褒美の催促だったりする?」


 思い出した。咄嗟の軽口ではあったものの、好成績を修めたら褒美がどうのこうのと口走ったはずだ。酷い話だが、鞘戸がここまで頑張るなんて変だなと思っていたんだ。それが彼女にとっての先立つものだったというなら、辻褄も合う。


「……する」


 観念しましたと言いたげに頷く鞘戸。それだけ卑しいものを要求するつもりだったのかと身構える俺。


「けーくんさ」

「ああ」

「……そのうち、丸一日空いてる日とか、ある?」

「休日は大体暇だと思うけど」

「……なら、一緒にお出かけでもどうかなーなんて」

「それだけ?」

「えっ」

「いや、テンションの割にそこまでのお願いでもないなと」


 若干拍子抜け。もっととんでもないのが飛んでくるのではないかと身構えていたものだから。


「それくらい、いつでも付き合うよ。ほら、ゴールデンウィークの前にドタキャンしちゃったのもあるし」


 連休前に放り出した放課後の約束。あれをどこかで清算したいと思っていた。仕切り直しで納得してくれるなら、こちらも気が楽だ。 

 ほっと一息つく俺とは対照的に、鞘戸は未だもじもじと落ち着かない様子で、


「……いや、そういうのじゃなくてね?」

「ん?」

「…………デートしませんか、ってことなんですけど」

「なぜ敬語」

「恥ずかしいの!」

「別にてんなと外を出歩くの初めてじゃないだろ」

「……今回はいつもよりちょっぴり特別な感じだから」

「どこがどう?」

「今言ったら意味なくなっちゃうじゃん!」

「じゃあ、そのときまでのお楽しみってことで。最近ぎちぎちだったスケジュールが当面すっかすかだから、むしろてんなの部活休みがいつになるかだな」

「……そ、そんなにすんなり処理されちゃうとなんか……もにょもにょする」


 そりゃあ、ここでキョドっても仕方ないし。向こうがガチガチになっている中俺までぎこちない対応をしたら、誰も収拾を付けられない。

 それに、なにを期待するにしろ、まずは字城の結果報告を聞き届けないことには始まらないのだ。……きっと大丈夫。そう信じているからこそ、こうして普通にふるまっているわけだが。


「なんか力抜けたー……」

「はいはいよくできました。……ちょっと森谷~、私の鞘戸がこんなに頑張ったんだからもっと言うことあるんじゃないの~?」

「てんながやりそうなこと片っ端から羅列するとか?」

「やめて!」

「そういうわけで、当日までお預けが一番かと思うんですよ俺は」

「……私、もしかして処刑台の上?」


 肩を竦める。こういうのは勘付いていてもわからないふりをしてあげるのがグッドマナー。もしかすると、予想外の結果になるかもしれないし。

 なにごとも、未確定の内から決めつけるのは良くない。自意識過剰な誤解や思い込みとは遠いところにいたいんだ。


「……ん」

「どうした相良」


 後ろに回って鞘戸のほっぺたをむにむにいじっていた相良が、わずかに目を見張った。俺の後方、階段近くになにかおかしなものでもあったか。


「いや、なんでも」

「そうかい」


 大方、鞘戸の体形の変化にでも気づいただけなんだろう。『だけ』とくくってしまっていいことかは不明だが、相良ならそれくらい把握していそうだという最悪な信頼がある。


「よし、じゃあ部活行こっか鞘戸。悩みもなくなったことだしね~」

「も―……。あっ、またねけーくん」

「おう。頑張って」


 足早に去って行った二人を見送り、俺もいよいよ意を決して美術室に向かうことにした。これまでの努力が報われたかどうか。行けば、全てわかる。縁起が悪いので、上手くいったときの労いの言葉だけを考えながら渡り廊下を進み、ドアに手をかけ――


「……あ?」


 開かない。鍵がかかったままだ。それなりの時間廊下で話し込んでいたから、きっと先着していると踏んでいたのだが。

 字城のクラスを確認しに戻る。そこに彼女の影はない。鍵の貸し出しを確認するため、職員室に入る。そこには手つかずの鍵がある。再度、美術室に戻る。当たり前だが、そこには誰も待っていない。

 

「…………」


 嫌でも脳裏に浮かぶ最悪の予感。それを必死に振り払い、アプリを立ち上げメッセージを送る。


『今どこ?』


 既読はつかない。焦る。もしかしたらはもう止まらない。もしかしたら彼女は、もしかしたらテストが、もしかしたら――


『帰る』


 簡素な返事だった。その他の情報が一切含まれない、どうとでも取れる一言。疑いが確信に変わりつつあるのがいやで、でも、肝心なことは面と向かって聞きたいという思いが先行し、踏み込み切れない。


『明日、会えるよね?』


 既読はあった。――返信は、なかった。




 無言こそが回答だと言いたかったのか、その翌日も、翌々日も、字城とわが学校に姿を見せることはなかった。

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