第24話 やだなあ

「…………」


 ソファに寝転がり、天井に掲げたスマホを凝視。つい数時間前までここには森谷が横になっていて、さらにその少し前までは私も一緒だった。……どうやら、あとちょっとあとちょっとと思っているうちに眠ってしまっていたようだ。危ない。森谷の眠りが深くてよかった。知られていたらどんな顔で話せばいいかわからなくなる。


「なんか送った方がいいのかな」


 目を細めて強引にピントを合わせる。学校ではコンタクト、家では眼鏡と使い分けているのだが、森谷に知られてはいない。それをいいことに、わざと視力を落とした状態で話をしていた。直視したら色々とボロが出そうで怖かったから。おかげで読み書きは一苦労だったけれども、なんとか乗り越えた。

 森谷が帰って一時間程度。家はすっかり静かになってしまったが、不思議と昨日ほどの辛さや寂しさは感じない。……それはきっと、この手に残ったものがあるおかげだと思う。


「……調べよ、一応」


 惰性で裸眼状態を維持し、スマホをぽちぽちいじって情報収集。生まれてこの方友達なんかできた試しがなく、どういうメッセージを送るのが正解なのかわからない。そもそもメッセージを送ること自体が正解なのかどうかすらわかっていない惨状に、頼れるのはインターネットだけ。……いや、そもそも森谷は友達なんだろうか。一応『友達』というくくりで登録されているが、一個下には母親の名前があるからそれがただの名目であることくらい私にもわかる。


 検索ワードが思い浮かばなかったので、『友達 初LINE』とか『男子 連絡 どう』とか『コミュニケーション 秘訣』とか、片っ端から思い浮かんだ単語を検索エンジンにかけていった。日本生まれ日本育ちの日本語話者なのに、いくらなんでもカタコトすぎないだろうか。


「……ポンコツ」


 なんて無能な集合知。インターネットで聞けばどんな答えも楽々手に入ると思っていたのに、目ぼしいサイトは全て求めていたものと毛色が違う。


「恋愛のテクニックばっか……」


 別に私、森谷を口説き落としたいわけじゃないのに。……相手に嫌われないよう、他の女の子がどう振舞っているか知りたいだけなのに。

 これは、もしかすると初めての感情かもしれない。今まで漠然と思ってきたのは誰かに好かれたいとかつながりたいとかいうことばかりで、特定の相手に嫌われたくないと考えるのは未体験。……だって、仕方ない。森谷がいないとロクに勉強進まないし。ていうかそもそも、もうちょっとだけ森谷との付き合いを引き延ばしたいから勉強してるんだし。


「…………」


 ここで少し、邪な考えが頭をよぎった。森谷をもう少し知りたいからと学校に残る道を選んだが、もしや今なら学校なんかやめたってなんとかなるかも。森谷は優しいし、それ以上に甘い。私が逐一泣きつけば近くを離れないでいてくれる気がする。適当にタップしたサイトの見出しには、派手なフォントで綴られた『男は女の涙に弱い』の文字。これを信じるなら、泣いてさえいればそれなりに思い通りの展開が作れるのではないか。いや、そもそも思い通りってなに。私は森谷を近くに置いてなにがしたいんだ。


 まったくよくわからなかった。確かに、森谷が傍にいて嫌な感じはしない。でも、それは動機として弱っちい気がして、だったらもっとはっきりした理由があるんじゃないか。そんな葛藤を抱えつつ、サイトをどんどんスクロール。ちょっとずつ胡乱になっていく内容に眉をひそめ、ついにたどり着いた最終項。


「自分の部屋で二人きりの状況を作れたら、もう勝ったも同然」


 文意が読み取れないときは音読をするといい。目と耳の二点から情報を処理できるから。森谷大先生の教えに従い、理解不能な文章を声に出して読み上げていく。


「まずは手料理で小手調べ。※腕に自信がないなら既製品で誤魔化してもよし」


 しっかり「こめじるし」と発音。この時点で既に暗雲が漂い出しているのは気づかぬふりをした。


「相手が終電などを理由に帰ろうとしたら、『寂しい』『辛い』『行かないで』などと言って引き留めること」


 行かないで。なんだか聞き覚えのあるフレーズだ。


「ボディタッチは多めに。お風呂上りはシャンプーの香りを目立たせるため、男の子の肩に寄りかかろう」


 ボディタッチ。ボディタッチ……。いや、こんなのはただの偶然……。


「ここまでくればもう大丈夫。後は向こうから自然と――」


 続く文章を認識することを脳が拒み、咄嗟にスマホを放り投げた。スマホはフローリングの上を何度かバウンドしたあとで壁にぶつかり、止まる。もしかすると画面が割れたかもしれないが、今はそれでもいいと思えた。

 

 なに、今の記事。あれじゃあまるで私が――


 ピロン♪


「きゃっ!」


 思考を遮ったのは、たった今投げ飛ばしたスマホから響いた電子音。タイミングが悪すぎて、らしくなく悲鳴なんてあげてしまった。もしや、壊れたことを訴えてきたんだろうか。知らない機能だらけの機械だから、それくらいしてきてもおかしくない。

 いつまでも放置しておけないから、拾い上げて液晶部を確認。あの扱いでは仕方のないことだが、上部に小さなひび割れが走っている。とはいえ使用に支障をきたすものではなく、ではどうして音が鳴ったのかとディスプレイを灯すと――


「……どうしよ」


 間の悪いことに、森谷からのメッセージが届いていた。「無事帰宅」という新種の四字熟語のお尻で、よくわからない絵文字が踊っている。

 とりあえず、反応しないと。私はそこからどんな文章がいいか考え始め――すぐ後に、とある重大な可能性に気が付く。


「……万が一、あのサイトを森谷が見たら」


 私にそんな意図なんてなかった。そんな、というのはえっと、あの……とにかく、そんな。ただただ寂しかったから、誰かにいてもらいたかっただけなのだ。断じて、隅から隅まで桃色に汚染された欲望ありきじゃない。


 ていうか、森谷には通用しなかったじゃん。向こうから自然に手を出してくるって断言してあったのに。……咄嗟に視界から消したはずが、その先の文章まできっちり頭に入っていた。とにかく、あのサイトの情報は全部眉唾。それは実証された。


「でも……」


 眉唾とて、あのチャートを私が余さずなぞったという事実は消えない。……それはよくない。森谷視点で、私は『そんなこと』を誘ってきた女の子になってしまう。本当はそうじゃないのに、証拠をつなぎ合わせたらそうとしか見えなくなってしまうのだ。……それは、やだな。不潔な子だと思われるのは、すごくやだ。どうしてと聞かれても理由はすっと浮かばないが、森谷だけにはそんな誤解をしてほしくなかった。

 だが、釈明のしようがない。「絶対このサイト見ないで」なんて言われたら、自分なら間違いなく確認する。「誤解しないで」とだけ伝えても意味不明だし、「知ってた?」と藪をつついたらとんでもない蛇が出て来るかも。……つまるところ、私にできるのは森谷がなにも気づかないよう祈ることくらい。

 そもそも、もし本当に森谷が勘違いして『そんなこと』をしてきていたら――


「…………っ」


 やめればいいのに、一瞬だけ最低な想像をしてしまった。あの大きな手で組み敷かれたら、私はたぶん抵抗できない。あまり考えたことはなかったが森谷も男の子で、『そんなこと』に興味があるのはごくごく自然。それも、相手側が準備を整えてくれたならば、ためらう理由がない。

 だけど、そうはならなかった。……そこから逆算できることのいくつかを頭の中で羅列してみる。気分じゃなかったとか、我慢したとか……あるいは、私が全然タイプじゃなかったとか。やっぱり、あのクラスメイトみたいなスタイルの子が好みなのかもしれない。私はどちらかといえば小柄で、そういうニーズは満たせないし。


「……やだなあ」


 散々世話になった森谷相手でこんな想像をするのがいやだった。森谷の好みが高身長の活発な女の子かもしれないのがいやだった。――そして、なにより。


「…………やだなあ」


 森谷に『そんなこと』をされても、全然いやじゃないと思えてしまう自分自身がいやだった。もしも昨晩そういう展開になっていたら、ありのまま受け入れていたかもしれない。それじゃ誤解でもなんでもなく、私が本当に森谷を誘惑したみたいだ。意識してのことだったらまだ納得いくが、無意識だからもう最悪。最低。不潔極まりない。……知ってるじゃん。わかってるじゃん。あの森谷の痛ましそうな顔を見れば、ただの良心で私の傍にいてくれたってことくらい。なのに私はその優しさを大きく裏切っていて、とても顔向けなんかできない。


「………………やだなあ」


 散々反省するふりをしたのに、平然と森谷に返信している自分自身がいやだった。「ありがとう。おつかれさま」そのメッセージにすぐさま既読がついて、「とりあえず買ってみた」と額縁の写真がアップされる。どうやら昨日場つなぎのためだけに描いた邪念の結晶みたいな絵を、あいつは本気で飾るらしい。……それも、いやだ。私のせいで、森谷の真っ白な善性が損なわれていくような気がして。


「……………………やだなあ」

 

 「一人だと勉強続かないから、夜に電話していい?」そんな文章を、推敲することなく送ってしまっている自分自身がいやだった。私が関われば関わるほど森谷は元の形から変わっていくのに、どうしても自制できない。……強がっただけで、本当は今日だって帰って欲しくなかった。せっかく連休で用事もなくて暇なんだから、電話一本で大体のものがそろうこの家にいた方が便利なのに。

 本当はわかっている。森谷には帰りを待つ家族がいて、私ばかりに構っていられないんだって。……でも、なぜかわかっていても止まれない。


「…………………………ほんと、やだなあ」


 「九時過ぎからなら」その返信に、わけもなく胸が高鳴る。夜になれば、また森谷の声を聞ける。たったそれだけのことなのに。


 ああ、ああ、ああ。


 気づきかけているこの感情の呼び名を必死に知らんぷりしている自分自身が、たまらなくいやだ。

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