第25話 全部あいつのせい
これは今まで十数年生きてきた中で得た気づきなのだが、人は誰しも電話するとき用の別人格をその身に備えているように思う。通常は表情まで込み込みでコミュニケーションを取っているがために音声情報だけだと印象が変わるからというのはもちろんだが、それでは説明がつかないくらい、電話越しだと人が変わるやつはいる。普段比で陽気になったり、素っ気なくなったり。傾向は千差万別なれど、いつものイメージからかけ離れた顔を垣間見る経験をしてきた。
いかに字城とわといえど、そのくびきからは逃れられないらしい。もう何度目かになる夜の通話で、ふと思う。
『今日の日中ね、料理、ちょっと試してみた』
「記念すべきメニューは?」
『卵焼き』
「殻が混入しちゃうベッタベタなミスはしなかった?」
『……なんでわかるの』
あれだけあった連休が今日限りでおしまいというのだから驚き。そもそもゴールデンウィークをどう区切るのが正解かは判断が分かれるところだが、祝日と土日との合わせ技で生み出された五連休を味わい、途中二日ばかり登校し、直後の土日までしゃぶりつくしたのが今だ。ここを越えると七月まで祝日ないの、どう考えても配分ミスってるよな。……まあ、旅行や帰省を促すためにはこれくらいまとまった休みが必要ということか。
「誰でも通る道だしね。もちろん俺もやった」
『参考に見た動画、なんか片手で割ってた。あれって意味あるの?』
「見栄えじゃない? 両手割りの方が堅実に決まってるし、パフォーマンス以上の意味はないでしょ。絶対動画外だと普通にやってるよ」
『味が変わったりとかは』
「するなら一大事だなぁ」
勉強机の傍らにスピーカー状態のスマホを横たえ、たまにぽつぽつと話す。あくまでメインは勉強で、それを投げ出すことがないよう、監視の意味で会話がある。字城曰く、このやり方が一番しっくりくるらしい。九時ごろから通話をつなぎ、十二時ごろにお開き。基本的には話し声よりもペンの筆記音が響く時間の方が長い。当初は気が散るかとも思ったが、授業中みたいで意外と身が引き締まる。
「でも、実力の証明にはなるんじゃない。片手で割れたらもちろん両手でも割れるわけで。フルマラソン完走できるならハーフマラソンだっていけるみたいに、指標としては結構ありだと思う」
『しっかり具象画が描ける画家じゃないと抽象画は上手くいかない、みたいな?』
「そんな感じ。そんな感じなのか……?」
美術分野はさっぱりなので、そのたとえを断定することはできなかった。が、字城がそう言うならそうなのだろう。
ここまで話してきて、実感することが一つ。例の電話用人格についてだ。
『休み、終わっちゃうね』
たぶん、声が高い。普段より半音ほど。音感があるわけではないから詳しいところは専門家の皆様に丸投げするが、字城の声は電話口で聴くと丸くなる。なんというか、面と向かって話すときよりも声が甘ったるい。猫なで声とまではいかないものの、そちらの方向に針が触れているのは確実だった。
無論、直接指摘できるわけはなかった。「なんか声甘ったるくない?」なんて突然言われてみろ。現実社会にこれよりキモいことなんてそうそうないぞ。
「七月まで祝日ないこと考えたら、次の楽しみは夏休みか」
『あんま好きじゃない、夏。日焼け痛いし』
「言うほど近年の八月って夏かね。初夏、地獄、晩夏みたいな具合で、真ん中は人が生活できる気候じゃない気がするんだけど」
『クーラー全開にして、薄着でタオルにくるまって寝るのだけ好き』
あと、これは完全に邪推なのだが、字城のマイクの位置がやたら近い。おかげで全体的にウィスパーボイスと化しており、妙な艶めかしさを感じることが多々。耳が幸せと言ってしまえばそれまでだけど、こんなん聴いてしまっても大丈夫かという罪悪感は日に日に募るばっかりだ。
親しみやすさでいえば、対面会話より断然こっち。本人に自覚があるかはわからないけれど。
「風邪の温床じゃん」
『熱中症の方が怖いし』
「鬼の二択」
『いいよね、南半球。私たちが干上がってるとき、向こうは厚着でストーブ焚いてるんでしょ』
「代わりに歳の暮れには薄着のサンタがサーフボードに乗ってやってくるっぽいけど」
『え、やだ。情緒ない』
「トナカイが夏バテするんだから仕方ない。蒸し暑い煙突から汗だくで降ってくるサンタ、絵面が史上最悪のゴミカスだな」
『やっぱり北半球かも、一番なの』
雑談にはまとまりも中身もなく、とっ散らかった冗談が大半を占めている。電話だと字城は饒舌にもなるようで、いつもなら触れない話題まで拾っていく。
『森谷、いつまでサンタ信じてた』
「えっ、まさかサンタって実在しないの?」
『……本気?』
「これ本気で言ってる男子高校生がいたら国が天然記念物として保護すべきだね。いくらなんでもピュアすぎる」
『やめてよ、焦るから。……私、ネタバレされたのトラウマなのに』
「いつ?」
『小1のとき。冬休み明けに登校したら、クラスの男子がおっきい声でしゃべってた』
「あるあるだなー。特に子どもなんて、そういう秘密知っちゃったら誰かに言いたくてたまんないだろうし」
『……確かに、サンタさん、なんで私が色鉛筆120色セット欲しがってたのを知ってるんだろって思ったけど』
サンタにさん付けする女子の九割九分九厘はあざとさを演出したいだけ(俺調べ)だが、字城はついぽろっと漏らしてしまった残りの一厘に該当しそうな気がする。そもそも不特定多数相手ならともかく、俺一人に媚びる理由がない。
「ちびっこが絶対にのぼらなきゃいけない大人の階段だからね。遅すぎると恥かくし、匙加減が難しい」
『……で、森谷はどうなの?』
「幼稚園の年長だったかなあ。……家庭菜園始めようと父さんが買ってきた農業大百科みたいな本に、トリビアとして載ってた。なんだっけな。地方ではこういう独特の風習があります(サンタと同じで迷信ですが)みたいな風に」
『夢の壊れ方、私より悲惨っぽい』
「凍ったね。体とか時間とか他にも色々。あらゆる漢字にルビふってある本じゃなければギリ回避できたものを」
『かわいそ』
「でも、その後も結構楽しめたよ。俺がまだサンタを信じていると思ってる両親を、どこまで欺けるか。小3くらいまでは上手くいったな」
どこから派生してサンタの話なんてしているんだろうか。そういえば、休みが終わるというところから膨らんだような。それにしても終着点がサンタになるあたり、頭全然回ってないな。
もちろん、手はずっと動かし続けている。だが、そろそろ日付も変わる時間にさしかかっており、お互い締めにかかっている雰囲気があった。
『ね、森谷』
「なに?」
『私、無事にテスト突破できると思う?』
「俺はそう信じてやってるけどね。考えてたよりずっと進みは早いし、赤点回避に限定しちゃえばそう難しい課題とも思わん」
『……もしさ』
「やっぱり不安?」
『……もし、上手くいかなかったとしてさ、森谷は――』
その後、長い沈黙があった。言いたいことを言い終わったあとの静寂とも違う、重たい空気感。どれだけ待てども字城が続きを口にする気配はなく、されどこのまま放置するのは胃が痛い。なので、俺が後ろを受け持つことにした。
「不安も、弱気も、心配も、どれだけやったところで消えないよ。それはしょうがない。俺だって解答欄のズレとか名前の書き忘れとかでしょっちゅう冷や汗かくしね。……でも、なんかうれしいな」
『……酷いこと言ってない?』
「それだけ本気になってるってことだからさ。もしかしたら俺が振り回してるだけかもって思いはちょっとあって、けど、字城さんはきっちり自分の感情で動いてる。勉強なんてするなって言った身でなんだけど、目標見据えて努力してる人を応援するの、なかなか気分がいいんだ」
『やっぱり変だよ、森谷』
「かもね」
ダブルスタンダードと自家撞着はお家芸。その場その場の感情を優先することに定評のある俺だから、長い目で見るとやっていることの筋はまるで通っていないと思う。が、人間なんていうのはみんなそういうものだろうと開き直った。辻褄を合わせるためだけに感情を犠牲にしていたら、いつか精神が腐ってしまう。欲しいのは、正しさではなく後悔しないこと。今の俺にとってそれは、字城がきっちりとテストをクリアすることだ。
これまで思ったことを自分の中でため込むしかなかった字城が、誰かに弱音を吐けるようになったのも実はうれしい。家族代わりだとか代償行為だとか前に言ったけれども、大切なのはまずできるようになることだと思うから。
「とにかく、字城さんは大丈夫だよ。学年一位が太鼓判押すんだから胸張っていい。……じゃ、もう遅いし、そろそろお開きにしようか」
『……うん、ありがと。おやすみ』
「おやすみ。また明日」
通話終了。それとほぼ同タイミングで日付が切り替わり、大型連休がその幕を閉じた。……激動だったな、色々と。字城の家に行って、ご飯ご馳走になって、絵まで描いてもらって、泊まって、連絡先交換して。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
充実していたと思う。食って寝てを繰り返すより、よっぽど。自分の見聞が、たかだか数日で大きく広がったのを感じる。
「楽しみだな、学校」
伸びをして、ノートのページを新しくした。彼女が頑張っているんだから、俺もあと少し張り切っておこう。
********************
「~~~~~~~っ」
通話終了後の画面とにらめっこして、一人唸る。なにしてるんだろ、私。……なに言おうとしてるんだろ、私。この一週間くらい、ずっと変だ。気持ちがふわふわしていて、まるで夢でも見てるみたいで。
「……上手くいかなくてもずっと仲良くしてくれるかなんて、都合よすぎじゃん」
あれだけ力を貸してもらって、失敗なんて許されない。だから、そんなふざけた仮定を森谷に問いかけることから失礼千万なのだ。
「でも……」
怖いものは怖い。それは揺らがない。……もし、テストが全然上手くいかなくて、予定通りに退学することになって。そうなったらいよいよ、森谷に顔向けできなくなる。それはいやだ。まだ話したいことも聞きたいこともたくさんある。たくさんあるのに。
「痛いなあ……」
ベッドに身を投げ出して、胸のあたりをきゅっとおさえる。痛くて痛くてどうしようもないのに、この痛みが消えることの方が恐ろしい。相反する感情を抱えながら、今の状況を好ましく思っている自分がどこかに存在する。自身の思いすら噛み砕けなくて、本当に大丈夫だろうか。
だけど、森谷は軽々しく大丈夫だよと私を肯定してきて――
「全部あいつのせいだ……」
痛いのも、苦しいのも、いやなのも、なにもかも。……ほんと、どうしちゃったんだろ、私。
「会いたいな……」
最後の一言が自然にこぼれて、咄嗟に自分の口を塞いだ。……通話中に出てこなくてよかったと、切に思う。
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