第18話 ひとりぼっちの

 その後はつつがなく、時間が経過していった。さっきの会話に触れないようお互い気を遣いながら、テスト対策に熱を入れる。四時、五時、六時。あんなに明るかった外も暗くなり、空腹が自己主張を強め始める。もともと昼は買い食いで済ませる予定だったのが突如字城宅に呼ばれたものだから、お茶を飲んだっきり飲食と疎遠になっていた。

 我が家に門限はない。しかしながら、夕飯の兼ね合いから八時前に家にいるのが望ましい。ここから家まで三十分はかかるとして、そろそろお暇しないと危うくなってくる。

 だが、どろっとした空気が俺に発言することを許さない。いつ言い出すべきかと思案するうち、短針は『7』の位置に到達していた。字城の集中力がまったく途切れないのも相まって、行動を封殺されてしまっている。


 そんなとき。


「……誰?」

「母親」


 りんりん鳴り響くスマホの着信音。ディスプレイに表示されているのは母親の名前で、きっと帰りの遅い俺を見かねて電話してきたのだ。高校生の息子に対して過保護だと思うが、字城の前で親の話をするのは気が進まない。


 手で字城を制し、そのまま通話アイコンをタップ。……至近距離から凝視された状態で親と話すの、妙に緊張するな。


『もしもし。今日は早帰りって言ってなかった?』

「連休始まるし、ハメ外してたらこんな時間に」

『そう? 夕飯もうすぐだけど、家に着くのはいつ頃?』

「えっとね……」


 帰るにはまたとないきっかけだ。「親に言われて」は学生が扱える免罪符の中でもかなりの上位に存在している。夜に遊び歩くのは一般学徒として不健全。馬鹿正直に「三十分もあれば」と答えてしまうのが一番だろう。

 だけど……。


「家、遠いの?」

「いや、歩ける範囲」

「タクシー拾う?」


 音を拾わないよう、手でスマホを覆う。ここまで付き合わせたからという字城の配慮だろうが、俺が気にかけているのは別のことだった。

 たとえば、今俺がここで帰ったとして、その後彼女はなにをするのだろうか。ご飯を食べて、シャワーを浴びて、勉強を続けたり絵を描いたり、やること自体は多いと思う。しかしながら――


(――全部一人で、なんだよな)


 それも、このだだっ広い家でだ。正直、俺が彼女の立場だったら耐えられない。一度や二度なら特別感があっていいが、それが恒常化したらおかしくなってしまう。本来住み良さを提供するはずの大きな部屋が、かえって孤独を助長する。

 きっと、字城はもうその環境に慣れきっている。……だが、これは雑誌のときと同じで、どうにもならないからと諦めているだけなんだ。そうすれば余計なエネルギーを消耗せずに済んで、楽でいられるから。


「……ごめん、今日は食べて帰るよ」

『それならもっと早く連絡しなさい。……で、お金は大丈夫なの?』

「財布には余裕ある。じゃ、また」

 

 通話を終えたスマホをテーブル上に横たえ、深呼吸。勢い任せで生きすぎだと猛烈な後悔に襲われながら、「あはは……」と誤魔化し笑い。


「遠慮しないで乗りなよ、タクシー。夕飯、間に合わないみたいだし。お金の心配はいらないから」

 

 ありがたい提案だが、ちょっとずれている。まあ、俺の声だけ聞いていたらそう思うのも致し方ないか。……ああ、緊張する。自分がこれから開始しようとしている、博打じみた挑戦に。


「そうじゃないんだ。そうじゃなくて、えっと……」

「なに? 反抗期?」

「……夕飯、ここで勝手に食べていこうかなって。ああいや、もちろん勝手って言っても自分の食料はコンビニとかで調達するし、字城さんに極力迷惑がかからないようにするから」

「…………なんで?」

「実は親と喧嘩中で」

「絶対うそ」


 とってつけた言い訳は一秒とかからず看破された。そりゃそうだ。さっきの通話は喧嘩している人間のものではなかった。

 だからといって、馬鹿正直に思いの丈を打ち明けていいものか。「寂しそうなのを見かねて」なんて、数ある余計なお世話の中でもぶっちぎりの一位だろうに。

 ならばこうしよう。俺は思い立ったことをそのまま言葉にする。


「……時間が足りないよ、全然。会って何週間か話してきたけど、俺、字城さんがほとんど一人暮らしみたいな生活おくってるって知らなかった。この感じだときっと他にも知らないことだらけで、でも、これまで通りにしてたら余りの時間なんかなくて。だから強引にでも作らなきゃと思った」

「知ってどうするの」

「生きることもある。パーソナリティに触れれば学習効率だって上げられるかもしれない」


 なんて、今のは方便。本当は、彼女に独りぼっちの夜を過ごしてもらいたくないだけ。夜の暗さをそのまま心の暗さに転じさせないで欲しいだけ。


「どうかな?」


 突っぱねられたらそれまでだ。そのときはおとなしく荷物を抱えて退散すればいい。孤独に対抗する術なら、既に彼女の手中にあるはずだから。……だが、少しでも耐えかねる気持ちが残っているのなら。


「面倒でしょ、わざわざコンビニまで行くの」

「…………」

「出前取る。一日付き合ってくれたお礼」


 字城がどこかの店に電話をかけに行ったタイミングを見計らって、ぷはぁと息を吐き出した。……よかった。俺の判断は間違ってなかった。もし的を外していたら、特上のイタい男に成り下がっていた。


「寿司、大丈夫?」

「ご馳走って呼ばれるものの中で、焼き肉やすき焼き超えて一番好きかもしれない」

「頼んだ後で聞くのもおかしいけど」


 出前が届くまでには当然待ち時間がある。そして俺はその時間とかいうやつが欲しくてここに居座っている。

 話すことは多い。無論、聞きたいことも。願わくば、この夜がにぎやかなものでありますように。

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