第13話 私だけ

 実は、そこまで焦って聞きに行くようなことじゃなかった。ただ、少しだけ気になっていた。放課後の森谷と日中の森谷がどう違うのか。

 いきなりクラスに飛び込むのは怖くて、廊下で談笑していた背の高い女子に言伝を頼んだ。その子を選んだのは、笑顔にどことなく小動物っぽさがあって人懐こそうだったから。話してみると見立て通りで、「ちょっと待っててね!」と元気に言ってすぐさま森谷を呼びに行ってくれた。


 ドア口から、教室を覗く。


 森谷がいるからといって、特別変わった雰囲気はない。自分の教室と大して変わらない雑多な空気に、どこもこんなものなのかと納得。

 それで、肝心の森谷はどこだろう。見回すと、昼休みなのに机に向かって思案しているあいつがいた。もしかして、ガリ勉すぎて輪から浮いているのだろうか。

 けれど、どうやらそうでもないらしい。シャープペンシルを動かしながらさっきの女子と交わす会話には慣れがあったし、緊張感みたいなものもない。あまつさえ、「けーくん」なんて気軽に呼ぶことを許していた。……ふぅん。いるんだ、女友達。

 そこで、ようやく顔をあげる森谷。私から尋ねたというのに目が合った瞬間どうすればいいかわからなくて、なんとなく手招きで誤魔化した。あいつは困惑の表情を浮かべながらもこちらに近寄り、「なんかあった?」と問うてきた。別に、なにもない。逆に、なにかないと話しかけてはいけないという決まりでもあるのだろうか。


 二人で話しているところをあまり多くの人に見られたくなくて、近くの丸テーブルや木の椅子が用意されているスペースまで森谷を連れていく。なんで見られたくなかったのかは、自分でも説明できない。


 そこでは、いつもの放課後みたいに勉強を教えてもらった。森谷の頭の良さは確かで、疑問への回答をきちんと用意してくれる。……だけど、もうちょっとのんびり話しているのもありかと思って、納得までの時間を引き延ばしてみた。そのたびにあれやこれや手を変え品を変え説得してくるものだから、ちょっとおかしい。いいや、ちょっとでもないか。本当なら、森谷は私に勉強なんかさせたくないんだと思う。絵に専念するのが、私にとって一番だと信じている。それなのに、これだけ親身になって教えてしまうんだから、生まれつきの人の良さは欺けないらしい。


 楽しい。結構。勉強じゃなくて、誰かとこうやって長い時間おしゃべりするのが。でも今のところ長話に付き合ってくれる相手は森谷しかいないから、もうちょっと楽しい思いをするために学校に残らなくちゃなあと思う。やめちゃったら、森谷との接点はなくなるから。たぶん向こうは絵を通して私を認知し続けるんだろうけど、私から森谷へのつながりとなるとなにもない。だから、もうしばらく学生でいられないと困る。


「ありがと森谷。じゃあ放課後」


 告げると、向こうもじゃあねと返してくる。――もう少し話していたいのは、私だけなんだろうか。


********************


 森谷と別れてすぐ、所用で職員室に顔を出した。日直だから、担任から日誌にはんこを押してもらわないといけない。

 担任の里見は、あんまり好きじゃない。生徒思いなのはわかるし、それが上辺だけじゃないのも知ってるけど、そもそも水が合わない。だけど仕事は仕事なので、割り切ることにした。


「里見先生いますか」

「おお字城。こっちだこっち」


 そんなに激しく自己主張しなくても、体が大きいからすぐ見つかる。とことこ歩いて近寄って「ここにはんこお願いします」と日誌を広げた。先生はそこにシャチハタ印をぽんと押し、「ご苦労さま」と労ってくる。本当だ。日誌にはんこなんか押してなんになるんだろう。


「まあまあそんな顔するな。こういう形式的に思えることでも、やっておかないと困るときがあるんだよ」

「…………」


 私がこの教師に好意的でない理由の一つがこれだ。いともたやすく表情を読んでくるせいで、気が抜けない。結果的に常に神経を尖らせないといけなくて疲れるのだ。

 だから、早いこと退出してしまいたかった。……だけれども。


「……森谷って、ずっとあんな感じなんですか」

「うん?」

「森谷、去年、先生の受け持ちだったって聞きました」


 担任つながりで、森谷は私のところにやってきた。そこには少なからず、この男の意図が絡んでいると思う。単に面倒見がいいヤツとか、勉強ができるヤツだったら他にもいる。なのにどうして、森谷に白羽の矢が立ったのか。


「あんな感じというのがなにを指すかはわからないが、森谷は去年から純朴な男だったぞ。成績優秀で素行もいい。友人関係も良好で、人手が必要なときは我先に手をあげる。絵にかいたような優等生で、何度も助けてもらった」

「……そんな相手に、私押し付けたんですか」


 明らかに恩を仇で返している。私の世話というのはそのまま面倒ごとという意味で、避けて通れるなら喜んで避ける道にほかならない。散々助けてもらって感謝しているなら、字城とわが森谷京の視界に入らないよう細工するのが筋ではないだろうか。


「合わなかったか?」

「……別に、そう言いたいわけじゃないですけど」

「そうか。ならよかった」


 里見は白い歯を見せ、「よかったよかった」と繰り返す。だからそれ、森谷にはなんにもよくないんだって。


「やっぱり違うか。今まで相手してきた連中とは」

「違うっていうか、おかしいっていうか」


 私を理解しようとするヤツは、漏れなく離れていくのが通例。それなのにもかかわらず、森谷は今日も何食わぬ顔で私と会話してみせた。無理をしているようには見えず、なにがあいつをそうさせるのか、実は少し不気味だったりする。


「身近に私よりすごい人間がいるとか、実は森谷もなにかの才能を持ってるとか、そうじゃないと説明つかない」

「森谷は秀才だと思うが」

「それにしても、変です」

「……ああ。去年、俺も同じことを考えたよ」


 去年。つまり、森谷が里見の受け持ちだった頃だ。そのときに、なにかあったのだろうか。


「新条という男子がいた。ああいや、過去形に意味はなくて、今も学校にいる。森谷と同じく、俺が担任していた1年3組の生徒だ」

「それがなにか」

「新条はバスケ部だったんだが、どうにも血の気が多いというか喧嘩っ早いというか、周りから距離を置かれがちだったんだ。いわゆる不良っぽかったんだな。しかし実力だけは本物で、一年ながらにレギュラーメンバーを務めたりもして」


 なんの話だ。私は森谷について聞いているのに、どうして顔も知らない男子の話が始まっている。

 そんな戸惑いを知ってか知らずか、里見は続けた。


「あるとき、かっとなった新条が顧問を殴ってしまう事件が起きてな。それで新条は二週間の停学。だが、停学明けも登校することはなかった。……しかし、そのことに納得いかなかった生徒が一人。それが森谷だ」

「友達だったんですか」

「いいや、それほど交流はなかったはずだ。性格的にも水と油だろうしな。……だが、最終的に森谷は新条の家まで訪ねて、その数日後には見事新条を復学させている。友達ではないのに、だ」


 ここまで聞いても、なんの話かわからない。森谷の武勇伝なのだろうが、一番大切な森谷の心情が抜け落ちているせいでなにひとつ理解が進行していかない。


「これはただの推測なんだが」


 里見は前置いてから続けた。


「森谷には、コンプレックスがないんだよ。いいや、人並みにあるのかもしれないが、それを押し殺してあまりある好奇心を原動力にしている。他人に接するときに感じる引け目とか気後れとかを振り切れる精神の持ち主なんだ」

「はぁ」

「そもそも俺をふくめたほぼ全員が、新条が人を殴ったという事実に疑問を抱かなかった。それくらいやってしまうかもしれないという目で、みんなあいつを見ていたことの証左だな。いやはや、教育者として不甲斐ない限りだ」

「じゃあ、殴ってなかったんですか?」

「いいや、それは覆らない。……ただ、裏には誤解があって、それを森谷が解消した。……それを踏まえて、きっと字城とも合うだろうと思ったんだ」


 またしても、肝心なところだけ虫食いができている。誤解の内容を聞かないとしっくりこないのに。……裏を返せば、大きな声で言えない事情を抱えているのかもしれないが、それならそれでそう言って欲しかった。

 やっぱり苦手だ、この教師。


 ただ、言い分に納得できる節もあった。確かに、森谷のコンプレックスは薄いと思う。僻んだり羨んだりすることなく、ただ目の前だけ眺めて生きている感じがする。……そういえば、あれこれ囁かれている私の噂に対しても、初めは懐疑的な姿勢を見せていた。コンプレックスをこじらせた人間だったら、きっとそうはいかないんじゃないか。


「森谷に興味が出てきたなら、本人に直接尋ねるといい。それを無碍にする男じゃないからな」

「別に、そういうのじゃないです」


 これ以上話していると調子が狂う。会話を打ち切って職員室から去り、廊下で深呼吸。


「コンプレックス、か」


 ――本当に知りたいのは、なんでそんな人間に育ったかなんだけどな。

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