第14話 変化

 いつも通りにいざ放課後。美術室に向かう足取りも徐々に堂に入りつつある。そういえば最近字城が絵を描く姿をめっきり見かけなくなったが、テストまでは封印するという覚悟なのだろうか。家でどう過ごしているかまでは知らないけれど。

 もうひと月残っていないといえど、やはりその期間ぽっかりキャリアに穴が空くのはもったいないなと考えてしまう。あくまで本人の希望に沿う覚悟だが、感情まで完全にコントロールできはしない。


「あ、来た」


 そもそも学校に残るというのは今後も学習義務が生じることとイコールで、短期的なスパートならともかく継続的な努力となるとどうだろう……。ん。ちょっと待て、今――


「無視?」

「いや、いると思わないじゃん」


 美術室に行こうと思ったら絶対に通る通路。そこに字城がいた。壁に背を預けて教科書に目を通していたせいもあって、顔が見えにくかった。

 どうしたのだろうか。いつも通りなら、今頃はもう美術室の中でなにかしらの作業に没頭しているはずなのに。


 字城は、美術室のものだと思われる鍵をくるくる回しながら、


「いたらだめなの?」

「まさか。ただ驚いたってだけ」

「美術室のそばになんか人いて。作業着のおじさんなんだけど」


 だから近寄りがたかったということだろう。一人で突っ込むには勇気がいるから、俺の到着を待ったらしい。どことなく字城には度胸満点のイメージがあったが、意外と臆病なのかもしれない。


「配線とか見に来たんじゃない? ほら、こっちの校舎って結構ガタ来てるから」


 俺が入学する何年か前に建て替えがあった我が高校は、旧校舎と新校舎を渡り廊下でつなぐことで構造が複雑になっている。各学年の教室は新校舎側だが、用務員さんの詰め所や職員室、それから美術室みたいな専門教室は旧校舎側。だから基本的に、美術室の近くに人が寄り付くことはない。


「あー、電気の点き悪いかも、最近」

「定期メンテナンスしないと寿命縮むからね」


 一応の納得を得られたのか、字城が動きを見せた。勉強への意欲はこのところ昇り調子で、外的要因でそれが損ねられませんようにと祈るばかり。勉強しなくて良いと思うよと語ってからわずか数週しか経っていないのにこれだからお笑いだ。


「そういえば森谷、昼休みなにしてたの」

「なにって、あの後は普通にご飯食べたけど」

「違くて、私が行ったとき。なんか書いてたじゃん」

「ああ、見られてた? 最近は昼休みに放課後どこまで進めよっかなーってざっくり考えてんの」


 ほらこれ。そう言って、適当に文字を書きなぐった手帳のページを見せた。こういうのは陰でやるからいいのであっていざ本人に見つかると恥ずかしい。だが、まさか昼にやってくるなんて考えもしなかったものだから。


「……でも、あれやれこれやれって指図したことなくない? 触る教科、私の気分だし」

「一応そこまで織り込んで、どう誘導するか練ってる」

「うわ、こわ」

「人に寄るんだよこういうの。字城さんは伸び伸びやった方がいいタイプ」


 逆に、鞘戸なんかはガチガチに固めないと前進しないタイプ。性格に沿ったプランニングをしないと効率が落ちるから、それを裏からこっそり支えるのが俺の腕の見せ所。……だから怖がらないでくれませんかね、傷つく。


「……ってことは、他の誰かにも教えたことあるんだ」

「ん、ああ? 便利屋だからね俺。俺を呼ぶのに頼ってたあの背ぇ高い女子とか、去年からしょっちゅう」


 だから実績は十分。特にテスト直前期の詰め込みメソッドに限ってはそこらへんの教師より優れたものを持っている自信ありだ。その場しのぎの裏技を字城が必要とするかはわからないけど。


「あの子って……んー、違う。やっぱなし」

「そういうギリギリキャンセルが一番気になるんだって」

「ないものは出せないもん」


 空っぽのポケットを引っ張り出すジェスチャーでなにもないことをアピールする字城。ないのと引っ込めるのとでは天地ほどの差があると思うけど、詰め寄っても出てこないのは知っている。ので、俺に取れるのは諦めの決断だけ。

 それにしても、さっきからやけに字城がこっちを見てくる。それも横目でちらちら、まるでなにかやましいことでもあるかのように。


「ていうか、森谷はいいの? 私の面倒ばっかり見てて」

「なんで?」

「テスト。自分の成績落ちたらだめでしょ」

「…………」

「なに、黙って」

「いや、俺の心配してくれるんだなあって」


 当の俺ですらそのことは一切考えていなかったのにもかかわらず、だ。


「……からかってる?」

「まさか」


 突き刺さる鋭い眼光に少々たじろぎながら、おたおた両手を振って否定。そんなに嫌だったのかな、言及されるの。


「大丈夫だって。俺だけやらかしましたみたいな後味悪い結果にはならないと思うから」

「別に、心配したってわけじゃ……」


 字城はその後もしばらくもごもご聞き取りにくい文句を言って、最後には全てを放り投げたくなったのか俺の二の腕を強めにばしっと叩いた。情緒の乱高下が著しい。こんなキャラだったっけ。


「……雑談おしまい」


 きっ、と睨まれる。もしも字城についてほとんど知らない状態だったら怖い人だとか冷たい人だとか感じたんだろうが、今ならわかる。この子は、感情表現の仕方が下手くそなだけなんだって。変なフィルターにかけたりしなければ、単に拗ねているにすぎないという現実が見えてくる。

 早いこと、この事実が周知されれば。そう願わずにはいられない。


「だね。行かないと」


 時間にそこまでの猶予はない。おしゃべりに興じるなら、それは一仕事終えてからであるべきだ。だからまずは、勉強とかいうやつをやっつけないと。

 


 間もなく四月が終わる。出会いの季節とかいう呼び名にふさわしく、今年は思いもかけないめぐり合わせが待っていた。まだまだ慣れないことだらけで自分の行動が正しかったかどうか逐一振り返りたくなりはするが、それ込みで日々は充実していると言っていい。当初の目的であった一時の羽休めは破綻し、それどころか待っていたのは過去にないフル回転。悪だくみってのはつくづく上手くいかないもんだなと自嘲しながら、意外にも常時より漲っている活力を発散させるよう、歩幅を広げた。

 天候は快晴。刻限として設定された前期の中間テストまではあと一ヵ月を切った。桜の残り香も消えつつある日常に、せめて派手な爪痕を刻んでやろう。

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