第8話 解釈違い
「けーくんけーくん、これ見てこれ!」
「ん、どした?」
昼休みを迎えるなり、午前の授業中はずっと死んだように動かなかった鞘戸が息を吹き返して俺の元に向かってきた。彼女の活動時間は朝、昼、放課後なので、驚くほど学生として不健全だ。そんな鞘戸の手には女性向けのファッション誌が握られており、お付きの相良も伴って、俺の机の上でどかっと勢いよくそれを開いた。ええ……今からランチなんだけど。そこ、俺の弁当箱のために用意されたスペースなんだけど。
「ほら、字城さん。昨日たまたま見かけて買っちゃった!」
「すごいよね~。こういう雑誌に載ってるのもそうだけど、モデルと比べても全然見劣りしないのがさ」
「……うわ、マジだ。がっつり載ってる」
それは特集記事だった。新進気鋭のクリエイターにインタビューと題して、数ページに渡る記者との対談と、対談以上に紙幅を割いた字城の私服グラビアが掲載されている。……こうやって見ることで改めて彼女が別世界の住人であると理解するわけなのだが、それ以上にすさまじい違和感が付きまとってきた。
「かっこいいなー。……ほら、手の届かない遠くの薔薇みたいっていうか。やっぱりお勧めは近くの――」
「――うーん、解釈違い」
「へぇ?」
すっとぼけた声をあげる鞘戸。俺はその間にも活字を読み進めているわけだが、どうにもこの記事には字城らしさが感じられない。受け答えの行儀良さといい、回答内容といい、明らかにライターの手によって加筆されたんだなあというのがひしひし伝わってくる。
そりゃあ、仕方ない面もあると思う。たとえばこの『字城さんにとって絵とは?』という質問。文面では『難しいですね……。人生、でしょうか。一生をかけて向かい合うものだと思っています』となっているが、彼女はそんなこと絶対言わない。たぶん、「なにそれ? 絵は絵でしょ」なんて切り捨てるに決まっている。しかしながらそのまま文章にしては顰蹙を買うので、模範解答に修正された匂いがする。
「なんていうか、めっちゃもったいないな」
飾らず取り繕わないぶっきらぼうさにこそ、字城の創作家としての魅力が詰まっていると思う。こんなにぺらぺら丁寧に喋る印象をつけられてしまっては、彼女の素材の良さが死ぬ。知り合って二週間やそこらの身ではあるが、俺の方が字城をもっと上手くプロデュースできる自信があるくらいだ。大体、この『美し過ぎるアーティストの素顔に迫る』という見出しにももやもやするものがあるし、過去の制作物を言い訳がましい豆粒サイズで掲載してから怒涛の大枠連続顔写真には怒りすら覚える。彼女の容姿が際立って素晴らしいのは俺だって知っているけれど、ならば単純にモデルとして連れてくればいいだけの話ではないか。あー、だめだ。イライラする。誰が主導しているのか知らないが、こんなプロモーションが字城とわに必要だとは思えない。
「け、けーくん……? なんか怖いよ……?」
「いやー、酷いなと思って。これがショービジネスか」
「森谷の怒りのツボ、いっつも変なとこにあるよね~」
相良に肩をてしてし叩かれ、茶化すような口調で言われる。そりゃあ目の前で貴重な宝石叩き割られたら誰でも怒るだろうと反論したかったが、言い回しがきざったいので取りやめた。だが、アイドルみたいな切り口で字城が売り出されるのは納得いかない。彼女の作品は、作者本人のプライベートを切り貼りなんてしなくても十分に観衆の心を動かせる。むしろそのノイズが不要なフィルターになりそうで嫌だった。
俺は、文化人としての字城とわに期待しているのだ。間近で見て、今後どれだけ大きな存在になるのかとわくわくした。――その直後にこんな路線を見せつけられて、平静を保てと注文される方が難しい。
「てんな!」
「は、ひゃいっ!」
「この雑誌借りてもいいか? 明日には返すから」
「え、いいよ、あげる。もともとその予定で持ってきたの」
「じゃあ代金出す」
「わぁーっ、だめだめ! いつも助けてもらってるお礼のつもりだったんだから!」
「次の時間の数学、たぶんテスト範囲で最重要の授業」
お礼で持ってきてもらったものにケチをつけまくってしまったので、お詫びに利子を付与。そういうことならとありがたくない雑誌をありがたく受け取り、リュックにねじ込んだ。
「サンキューてんな。超絶助かる」
「そう? えへへ……♪」
「鞘戸、これで次は居眠りできなくなったね~」
「え? あーっ!」
俺の素晴らしい気配りに、鞘戸が絶叫。ちぇっ、相良がネタバレしなきゃ、大人しく勉学に励ませられたものを。
********************
今日の放課後は、いつも以上に道を急いだ。一刻も早く校舎外れの美術室に出向いて、聞かねばならないことがあったのだ。鞘戸から譲り受けた雑誌は変わらずリュックにおさまっていて、そのたかだか数百グラムの重さが、俺を急き立てる。ちょっと荒っぽくノックをすると、「いるよ」と返事。ここのところ、字城は俺の存在をきちんと認識してくれているようだ。
「やあ、早速で申し訳ないんだけど、一個質問」
「なに、急に?」
「字城さんにとって絵ってどういう存在?」
「どうって……絵は絵でしょ」
「…………」
無言でサムズアップする俺を、字城は怪訝な目で眺めてくる。前情報なしでは奇行にしか見えないのは俺もわかっているが、開口一番これだけは答え合わせしなければいけなかった。
「だよね。良かったぁーー……」
「森谷、いつにも増してなんか変」
「なにさ、俺が日頃から変人みたいな」
「そう言ってるつもりだけど」
不服。異議申し立てと洒落こみたいところではあったが、本題までにズレがあるとよくない。そういう事情もあって、俺は早速リュックから例の雑誌を取り出して彼女の目の前に持って行った。
「ファッションに興味あったんだ、森谷」
しかも女性誌じゃん。字城は付け加えて、表紙と俺の顔とを交互に眺める。勘違いの匂いがはっきり漂っているのを察知し、即座に軌道修正。
「肝心なのはここ」
折り目がついたからか、字城とわを特集したページは驚くほど早く開いた。突如として突き付けられた自分の顔写真の数々に彼女は一瞬固まって、
「そう言えば、ちょっと前に取材受けたような」
ここで思い出したらしい。相変わらず俺が雑誌を持っていることには疑問があったようだが、ひとまず優先順位の逆転が起こり、誌面を引き寄せざっくり目を通していく。読み終えるたび首をくいくいと横に動かしページめくりの催促をしながら、自身について言及された箇所を一通りチェックし終え、口を開く。
「こんな書かれ方したんだ。おもしろ」
「本気で言ってる?」
「…………」
少なくとも今の彼女の表情は、面白いものを見つけたときのそれではない。創作に打ち込んでいるときの生き生きした活力を知っている俺からすると、ほとんど死んでしまっているようにさえ映る。
だが、これで少し安心した自分もいるのだ。俺がそう感じたように、彼女にとってもこの記事が不本意なものであると理解できたから。
「自分でも何様だって思うんだけどさ、俺、この特集めちゃくちゃ嫌だった。一文一文が字城さんの価値を損ねていくみたいで、気持ち悪くて……。こんなの本人に言ってもどうしようもないってことくらいわかってるんだけど、見て見ぬフリは無理だった」
彼女はアイドルでなければモデルでもなく、一人前の芸術家なのだ。その精神性やこだわりに少しでも触れてしまった以上は、こんなものを看過できない。……なんてはた迷惑な愚痴だろうか。俺ですら気味悪がっているのだから、彼女の抵抗感は比べ物にならないだろうに。
「……別に。初めてじゃないし、こういうの。慣れたよ、もう」
「慣れてないから完成原稿に目を通さなかったんじゃないの? だったら、それは慣れじゃなくて諦めだよ」
たかだか無数にいる観客のうちの一人の分際で、不遜にも意見する。なんという厄介オタク。後方理解者面。実現可能な限りの害悪ムーブ。……でも、それらを全部飲みこんだうえでなお、放置しがたい出来事だと思ったのだ。もしもその諦めが彼女の感性を鈍らせ、才能に傷をつけるようなことが起きたら、俺は耐えられない。許しがたく、受け入れがたい。
「森谷、熱くなりすぎ」
「熱くもなるさ」
むしろ字城が冷めすぎなのだ。彼女がどういう環境に生まれ、どういう状態で育ってきたのかなんて知らない。知らないけれど、嫌だと思ったら声をあげなくちゃ。
たぶん、彼女の面倒くさがりなところが悪く作用しているのだと思う。受け入れるのは抵抗するよりずっと楽で、流されていればエネルギーを消費せずにいられる。体力は有限で、字城はきっとそれを創作に使いたいのだ。……しかし、閾値というものもある。どこかで必ず、セーブをかけなくてはいけない。
「きっと、俺なんかじゃ考えもつかない事情がたくさんあるんだと思う。こうやってブランディングしていくことで最終的に作品の評価が上がったり、美術に興味のない層を取り込むことができたり。……でも、俺は嫌だった。これだけははっきり言っておきたくて」
「……そ」
「字城さんの力なら、小細工なしでも絶対成功するって知ってるから。……なんかごめん、いきなり」
「……いいんじゃない。変な森谷が、いつもより変になっただけだし」
自分だけヒートアップしすぎたみたいで、話し終わると急激な恥ずかしさが襲ってきた。本当に何様だよって感じ。これで字城にうざったがられるような事態に陥っても文句は言えない。
きっと辛辣な言葉の一つや二つ飛んでくるだろうなと覚悟して、その場で待つ。すると、字城は少しだけ顔を上向けて言った。
「ねえ」
「うん」
「森谷、そうやってずっと怒っててくれる?」
「……ずっとってなると約束はできないかもだけど、少なくとも、字城さんがこういう扱われ方されるうちは怒るよ。迷惑なファンだからね、俺は」
「……私が学校やめても?」
「活躍追いかけるって言ったじゃん。字城さんが描き続ける限り、俺も厄介なまま」
「……ふーん」
座っていた椅子の背もたれに、のけ反るほど体重をかける字城。喜怒哀楽の振れ幅が小さいのは平常運転で、だからどうしてそんなことを聞いてきたのかすらわからない。彼女が高校を去るのは合意済みの決定事項なのに、短い付き合いの俺が重ための自我を見せてきたから困っている……のか? 真相は闇の中でわだかまっていて、判然としない。そして、どういう意図での発言だったか聞けるような度胸は俺にない。
「……今日はここらへんでお暇させてもらう。頭冷やしてくるから、また明日」
同じ空間にこのテンションの人間がいたら困るだろうと踏んで、撤退を選択することに。情けない言い逃げ野郎になるのは必定だが、黙っていられない性分なものだから仕方ない。
言いすぎ、だっただろうか。
ちょっと会話するようになったからって、いい気になって。ロクに責任も取れないくせに喚き散らして。
「森谷」
音速で始まった脳内反省会に切れ目を入れたのは、背後から聞こえた声だった。このまま突っ切るつもりだったが、無視はできずに振り向く。
すると、
「また明日」
ぱたぱた小さく手を振って、字城が俺を見送っている。「うん」と「おん」と「じゃあ」がごちゃ混ぜになったはっきりしない声で答えて、今度こそ本当に美術室のドアを閉める。
微笑んでいた、と思う。一瞬だったから、見間違いの可能性も捨てきれないけれど。それでも、消化不良感のある苦い表情でなかったことだけは確かで。
「…………」
字城の心の柔らかい部分にほんの少し触れた。そんな気がする。脆くて壊れそうな、これまでのイメージとはまるで異なる儚げな顔。天才芸術家ではなく、どこにでもいる女子高生としての字城とわを、俺は初めて見つけられたのかもしれない。
「……もったいないな」
昼と同じ言葉を、まったく別の感情由来で口にした。どれだけ距離を詰めようが、近づこうが、彼女には今後学生として生きていくモチベーションがない。そして、俺と字城は学校どころか一歩美術室の外に出るだけでなんのかかわりも持たない他人になるのだ。それが、どういうわけか惜しかった。違う世界の住人であることなど、元から知っていたはずなのに。
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