第3話 説得

「椅子ある? 立ったままでもあれだし」

「……そっち」


 無造作に転がっているパイプ椅子を組み立て、字城から近すぎず、されど遠すぎない位置を確保。彼女はまだ俺の言い分に困惑しているようだったから、色々と説明をしないと。


「お察しの通り、俺は字城さんに勉強教えてやってくれーって派遣されたわけなんだけどね。……ぶっちゃけ、こんなの生徒に頼むようなことじゃないって思わん?」

「……まあ、そうかも」

「なーんか俺、便利屋だと思われちゃってるっぽくてさ。しょちゅうこういうこと頼まれるんだけど、それも疲れちゃって。……そこで、一個提案」


 人差し指を立てて『1』を表現。俺が彼女の害になり得ない存在だということを、早々にアピールするが吉。


「これから一ヵ月、俺は字城さんに勉強を教えてるフリするから、字城さんも教わってるフリしてくれない?」

「え、めんど」

「ストレートだな……。いい? ここで俺が無理ですって逃げ帰ると、たぶん次の刺客が送り込まれるよ。そいつがダメなら次の次。それもダメなら次の次の次。きっと最後には教頭とか校長が直々にやって来る。だって、字城とわっていう金のガチョウを逃がす理由がないからね」

「……それもめんどくさ」

「比べてどっちがダルいか考えてみ?」

「……森谷の方が楽」

「でしょ?」


 その間、俺に新たな厄介ごとが転がり込むこともない。字城とわの引き留めは、他のなにを捨て置いても実行すべき急務だからだ。そんなことを一学生に任せるなという話だが、学校側も手を尽くした末の悪あがきなのだろう。

 であれば、こちらもそれを存分に利用させてもらう。エクスキューズには持ってこいだ。


「……森谷は言わないの?」

「なにをさ」

「学生の本分は勉強だとか、高校は絶対卒業しといた方がいいとか」

「言われてきたんだ」

「……ん」


 字城は首肯して、体重を背もたれに預けた。


「そんなの、ちゃんとやってきた人に言われても困る」

「あー。やったらどうなるか知ってるだけで、やらなかったらどうなるかを実感した言葉じゃないもんね」

「……もしかして、森谷も勉強してない人?」


 俺の同調っぷりに、同類の匂いを感じ取ったのだろう字城の目がほんの少しだけ輝いた。気持ちがわかるからには似た立場に置かれている可能性が高い。当然だ。

 しかし、


「いや、一年の学年末で一位だった」

「敵じゃん、やば」

「敵って」


 順位が高いと敵なのか。でも、あの評定の具合だと学年最下位は免れなかっただろうし、彼女視点で俺は対極の位置に存在することになる。相容れないと思うのも、水と油に感じるのも、不思議じゃない。


「学年一位の俺が勉強しなくていいって言うと、ちょっと説得力ある気がしない? ほら、やったうえでやらなくていいってほざいてるわけだし」

「……そうかな。そうかも」

「でしょ?」

「でも、変じゃん。やらなくていいって気づいたんなら、やめればいいのに」


 意外と食いつきがいい。評判に聞いていた字城とわはもっと冷たく、尖った人物として扱われていた。それこそ、身の回りから他人を排斥するのを是とするような。だがどうだ。実際面と向かって会話してみても、そんな気配は感じない。


「んじゃ、わかりやすく説明するためにその鉛筆貸してくれない?」

「これ?」

「それ。あと、スケッチブックの余白汚すね」


 手渡しで鉛筆を受け取って、イーゼルに固定してあったスケッチブックを膝の上に置き、三分ほど作業。それから、なにを描いたか字城に見せた。


「なにこれ? 蛇?」

「はずれ。正解は猫。あ、言っとくけどふざけたわけじゃないからね」

「……森谷、絵心終わってるかも」

「知ってる。ご覧の通り、絵の才能ないんだ、俺。運動もそこまでだし、楽器とかも弾けないし、そうなってくるともう勉強くらいしかやることなくなるわけ」

「……返して、それ」


 うねうねした謎のクリーチャーの圧力に耐えかねたのか、字城は俺から鉛筆とスケッチブックを取り返すと、そこかしこに修正を入れ始めた。すると途端にクリーチャーがデフォルメされた愛らしい生物へと変貌を遂げていき、能力に関しては噂通りなんだなと痛感。やり遂げた字城はため息をつくと、一言「これでよし」と言い放った。


「……で、どういう話だっけ?」

「俺が字城さんくらい絵が上手だったら絶対勉強なんかしてねえよって話」

「そうなの?」

「そうだよ。失礼だけど、なんで字城さんが普通に学校通ってるのか一年の頃から疑問だった」


 多くの学生が、将来食い扶持に困らないよう勉学に励んでいる。俺だってそうだ。いい成績を残し、いい学校に通うのが、一番手っ取り早い安定への道。もちろんこれがクソガキの掲げる極論だとは理解しているけれど、多かれ少なかれそういう側面があるのは間違いない。 

 ただ、字城とわは違う。若くして将来を約束された才能があり、なんなら既に財も手にしている。そんな彼女が、無理くりやりたくもない勉強に時間を奪われるのは酷い機会損失だ。


「人生って有限じゃん。天才だなんだって騒がれてる字城さんも、いつかは必ず死んじゃうわけ。なのに、その死ぬまでの貴重な一分一秒を学校に縛り付けられるのはいかがなものかってね」

「……先生とかは、学校で過ごした経験が財産になるって言ってるけど」

「それだって、学校以外に身を置いた時間があって初めて信憑性が生まれる発言でしょ。やろうと思えば高校は入り直せるけど、感受性豊かな十代の三年間はどうやったって帰ってこない」

「……森谷、もしかして私より学校嫌い?」

「いや、別に。ただ、字城さんは学校ってシステムに頼らなくても十分生きていける人だと思うから」


 さて、ここまででどうなるか。俺の一応の立場は表明できたものと思っているが。

 字城は肩まで伸びた髪の毛を所在なくそわそわといじり、もう片方の手で鉛筆を器用に回している。俺の言い分に、少しでも興味を持ってもらえていたらいんだけど。


「なんか森谷、先生とは別に説教臭い」

「うぐっ!」

「この前来た宗教勧誘のおじさんに似てる」

「酷い言われようだな……」

「だって、わざと下着のままでいたのに全然出て行かないし。その後も普通に話しかけてくるし」

「……あれで撃退しようとしてたの?」

「さすがに着るよ、服。男子の前だったら」

「…………」

「変態」


 さーっと血の気が引く。てっきり一般人と感性が違うからだと解釈していたが、単純に俺を遠ざけたかっただけらしい。すっかりなにもありませんでしたみたいな顔で飄々と話したが、字城の中で未だに問題はくすぶっているのだ。


「そ、その節は大変ご迷惑を……」

「ほんと。次からはちゃんとノックしなよ。まあ、聞いてないかもしれないけど」

「……次?」

「来るんでしょ、ここ?」

「ああ、うん……」

「なに?」


 てっきりご破算になるものだと覚悟していた。事故とはいえ、結果は結果。信頼度マイナスから人間関係は始まらない。……やはり、そのあたりに常人とは一風変わった彼女の価値観があるのだろうか。


「だって、下着で追い出せないなら次は裸になるしかないじゃん。それはやだ。恥ずかしいし」

「俺も嫌だな。通報とかされそうで」


 冷や汗とともに苦笑い。……ひとまずは交渉成立、かな。少なくとも、初っ端やらかした割にはいい方に転がったように思う。


「ね」

「ん?」

「ほんとに一ヵ月、なにもしなくていいの?」

「うん。少なくとも俺は一切、勉強しろだの授業受けろだの言うつもりはないよ」

「……ふーん」


 相槌を打ちながら、彼女の興味は俺ではなく芸術の方に移り始めている。ペン回しはいつの間にか止まって、瞳だけが俺には見えない軌跡を追っていた。きっと、今後の構図を模索しているのだろう。


「よいしょっと」


 邪魔できる空気ではないので、椅子を離した。せっかくの機会だから、世界が認める才能を、間近で鑑賞させてもらうことにする。

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