第4話 クラスにて

「あ、指名手配の人!」

「だーれが指名手配だ」


 放課後、荷物をがさがさリュックに詰め込み、昨日同様美術室まで足を運ぼうかとしたところで、後ろから呼び止められた。


「だってだってー、昨日全校放送でさとみーに呼び出されてたじゃん。なんか悪いことしたんでしょー?」

「してないよ。ってか話題が古い。それもう午前中に片付いてるから」

「でもでも、朝練疲れで午前はほとんど夢見心地だったし、午後は午後でお昼ご飯の後からおねむだったし、流行に乗っかる暇がなかったんだもん」

「あのなぁ、てんな。お前がそうやって授業やり過ごすのは勝手だけど、後から大変になるのは誰だと思う?」

「けーくん!」


 びしっ! と顔を指さしてきた高身長女子。俺はそれを、腕ごとぱしっ! と叩き落とす。


「おーおーよくわかってるじゃんか」

「えへへ」

「褒めてない。ちょっとは悪びれろ」

「てへ♪」

「……全然違うテスト範囲教えてやろうかな」

「あー待って! ごめんなさい! 謝るからそれだけはゆるしてー!」


 急に血相を変えてぺこぺこし始めたクラスメイトは、名を鞘戸天那さやとてんなという。女子としてはかなり高めな170センチ近い長身を誇り、それを存分に生かして日夜バスケットボールに励んでいる。……それまではいいのだが、あまりに部活に熱を入れ過ぎて、毎度赤点危機の常習者。その度救いの手を差し伸べていたものだから、今やすっかり懐かれてしまった。


「1年3組の絆は永遠! ね? そうだよね?」

「ソッスネ」

「よそよそしくしないでよぉー!」


 胸ぐらをホールドされたままがくがくがくがく揺らされる。さすがに現役部活生だけあってパワフル。振りほどこうにも振りほどけない。なら助けでも求めようかと周りを見渡すと、知った顔は生温かな目で、馴染みの薄い顔は動揺した目で俺たちを眺めていた。


「え、あの二人ってまさか……」

「そういえば、よく一緒にいるような……」

「そ。だから邪魔しちゃ悪いよ」


 事実を確かめるように会話する女子二人の中へ、もう一人女子が割って入った。二人組が馴染みの薄い顔であるのに対し、後入りの方は確かな覚えがある。


相良さがら~~~~???」


 彼女もまた、昨年同じクラスだった生徒だ。相良は俺に名前を呼ばれると、「べっ」といたずらっぽく舌を出し、それからにやにや笑ってみせた。なんだろう、この絶妙にムカつく感じは。


「怒んないの。私の鞘戸をいじめた仕返しなんだから」

「いつから相良の持ち物になったわけ?」

「お、焼きもちか~?」


 この女、ここぞとばかりに煽りよる。相良は滑らかな挙動で鞘戸に後ろから抱き着き、


「森谷に酷いことされて怖かったね~?」


 よしよしと口に出しながら頭を撫でくり回している。鞘戸も鞘戸で、それに見事に便乗して泣き真似に励んでいるから大したものだ。女二人がかりで男一人を悪者に仕立てようとはおのれ小癪な。


「それはそうと、私にも聞かせてよ。なんで森谷、昨日呼び出されてたの? 体育館まで放送届いてたけど。もしかして本当に悪いことした?」

「してないしてない。頼まれごとがあっただけ」

「なんでゆうちゃんの質問にはすんなり答えるのーーー?!」

「放っとくと話の腰折られるから口塞いどいて」

「唇で?」

「それはお任せ」

「りょ」


 そこで相良は安易に百合の花を咲かせるような真似はせず、スタンダードに両手を使って鞘戸を静かにさせた。それにしてもさらっと過激な発言が飛び出すあたり、『私の鞘戸』と言って憚らないのは冗談じゃないのかもしれない。

 

「で、頼まれごとって?」

「それなんだけどさ……」


 どうしたものか。この説明は今日何度目かになるが、そのたび一番肝心な部分はぼかしてきた。字城とわの世話係というのは字面だけでも強烈で、おいそれと口に出したくはなかったのだ。知られたが最後、それまでとは比べ物にならない質問責めが待っていそうだから。

 だが、


「こっから先はオフレコな。二人にだけ喋ることだから、情報漏洩がないように」

「おっ、ちょっとかっこいいじゃん」


 お茶らけているが、この二人の口は軽くない。いずれ俺が美術室に通い詰めていることはバレるんだから、最初に話しておいた方が気楽。


「字城さんって知ってるでしょ?」

「知らない方がおかしいって。あのめっちゃ絵が上手くて顔も超かわいい……あ、もちろん私の好みは断然鞘戸だけど」


 浮気男みたいなフォローの入れ方をする相良。肝心の鞘戸が声をあげられない状態だから、一人喋りの虚しさがある。

 

「その字城さんがどうしたって?」

「なんでも成績が芳しくないから勉強教えてくれってさ。今、ちょうど里見先生の受け持ちっぽい」

「えー、なにそれ!」


 生徒にやらせることじゃなくない? みたいな返しを期待していた俺は、続く言葉にひっくり返りかけた。


「学校公認のマッチングじゃん! 早く字城さん逃がさなきゃ!」

「……相良、俺をなんだと思ってんの?」

「なにって……歩く性欲でしょ。私から鞘戸を奪おうとしてる敵。……でも待って。もしも森谷が字城さんに流れれば晴れて私たちは結ばれ……」

「そ、そういうのじゃないからぁー!」


 ここでようやく、鞘戸が自力で回帰。さすがに相良の物言いに思うところがあるようで、かなりヒートアップしている。


「け、けーくんはそんな人じゃないし、それに夕ちゃんとも結ばれません!」

「えっ……」


 鞘戸の断言に、さしもの相良も表情を失う。やっぱり冗談ではなかったようで畏怖に似た感情が生まれかけるが、こいつを畏怖の対象に取るのはなんだか違う気がしたのでお蔵入りに。


「だよね、けーくん?」

「あ、ああ。歩く性欲じゃないし、相良からてんなを奪うつもりも毛頭ないけど……」

「えっ……」


 今度は鞘戸が表情を失う番だった。それと反比例するように相良が「よっしゃ!」と息を吹き返したが、ツッコミどころが多すぎるのでなにから触れるべきかわからない。


「それで森谷、字城さんとはもう会ったの? せっかくすごい人と同じ学校なのに聞くのは噂ばっかりで、実際どういう子なんだか全然知らないんだけど」

「……お喋りがあんまり好きじゃないって聞いたことあるかも」


 絶望の淵からいつの間にか帰還していた鞘戸が、自信なさげな小声で言う。たぶん、それはかなりオブラートにくるまれた発言で、実際の噂はもっと苛烈だ。凡人を見下しているだの、美人を鼻にかけているだの、そういう話がちょくちょく聞こえていたことは俺も知っている。

 それらをふまえたうえで、俺が初見の字城とわにどんな感想を抱いたかといえば。


「変わった雰囲気の子……ではあったと思う。でも、嫌な感じはしなかったな」

「へー。で、肝心のお勉強は?」

「それなりかなあ」


 成績に進退がかかっていることと、そもそも俺に勉強させる気がないことは伏せておく。それは字城のプライバシーに大きく関わり過ぎることだ。おいそれと吹聴するのはよくない。……それを言ったら成績が悪いところからバリバリ個人情報なわけだが、そのことに関しては昨年度の同級生なりが知っているだろうからギリセーフ。


「……かわいかった?」


 伏し目がちに問うてくる鞘戸。だが、現状字城の顔を思い浮かべようとすると薄い黄緑色の生地が真っ先に出てくるバグに苛まれているため、美醜どうこうの次元にすら俺は立てていない。


「それどころじゃなかった。ミーハーだから、有名人の前だと緊張しっぱなしで」

「ふーーん……」

「なんだよ。信じてくんないの?」

「べっつにー」


 鞘戸は俺の格式張った品行方正な発言にご不満のように、唇を尖らせている。仕方ないだろ。ラッキースケベしましたなんて素直に言えるわけないんだから。

 

「で、森谷はこれから字城さんのとこに行くわけ?」

「ご明察。二人もそろそろ部活行かなきゃまずいだろ?」

「あ、そうだよ鞘戸! 早くしないと部長に怒られるって!」

「えー、もうちょっと聞きたいことが……」

「我がまま言わないの」


 相良が強引に引っ張って、鞘戸が名残惜しげに手足をバタつかせる。二人とも女バスの主力らしいから、後輩が続々入部してくるこの時期に席を外せないのだろう。


「けーくんもなんか言ってよぉー」

「てんなはもっと勉強しろ」

「あうっ!」


 とどめを刺されて活力を失い、後はなすがままに引きずられて教室からフェードアウト。昨日と言っていることが正反対で、舌にもどかしさみたいなものが残った。

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