第8話 崑崙山


 僕は階上のオルレアンに向かって会釈した。


 オルレアンは祖父の太刀が入った紺の風呂敷を抱え、前回とは違って青っぽい袍に肩喰かたくいをつけたような衣装を着ていた。紫府から出て来たせいか下襲したがさねきょを引き摺っている。


「なんや、話し終わるんえらい早かったなぁ」


 運はオルレアンに向かって手を振った。


聖人金剛卿せいじんこんごうきょうは予定通り崑崙山のユリエルの元に行け。言霊卿ことだまきょうを頼んだぞ。俺は先に北斗星君ほくとせいくんの元へ行って状況を説明する」


 オルレアンは運に風呂敷を手渡した。親しげに話しかける運と会話が成り立っているとは言い難かった。四角い瞳には相変わらず光が無い。


 そんなオルレアンとは対照的に目を輝かせたシルラは、僕の隣で左右に揺れていた。シルラの視線はオルレアンに向けられている。


 結局、オルレアンは用件を告げるとすぐに靄を出現させ、その中へと消えてしまった。奈良で見た時と同じだった。


「なんか用事あってんやったら声かけたらよかったんちゃうん?」


「良いの良いの。連絡先は渡してあるし。返事はまだ無いけど」


「そうなんや……。あんま気にしなや。なんかめっちゃ忙しいみたいやし、連絡する時間無いんとちゃう?」


「そりゃそうだろ〜。十柱いた八咫烏の仕事、今はたった二柱で回してるわけだし」


「ほなあの子が八咫烏の生き残りなんや……」


「うーん。死に損ないの方な。つまり、后羿に心臓射抜かれて生きてた八咫烏の統領さ。船底に籠って仕事してたから、后羿の到来にしばらく気づかなくて死なずに済んだって噂だぜ」


 オルレアンの瞳に光が無い理由を知った気がした。


 聞いてはならない事を聞き出してしまったかと思ったが、階上の運は何も言わなかった。ただ左手に風呂敷を持って、右手でドアノブに触れるような仕草をした。


 すると、運の前に靄が現れた。


「はよ崑崙山こんろんさん行くで」


 運はシルラと僕が階段を上がって靄の中に入るまでその場で待ってくれていた。


 ◆◇◆


 僕らが靄を抜けて新たな土地に足をつけると、運は靄を消した。


 ここは紫府前とは違って足元に土が敷かれている。枯れ葉の類が落ちていないところからすると、誰かが定期的に掃除をしているのかもしれない。


 靄が晴れると、目の前に大神神社おおみわじんじゃ大鳥居おおとりいほどもある巨大な二重門が見えた。門番はいない。


 運は風呂敷を抱えて挨拶もせずに門を潜ってしまった。


 僕は何もせずに通り抜けるのは気が咎めて門の前で一礼した。


「焔ってなんかいちいち丁寧だよな〜。西王母せいおうぼ様はこんなとこにいねーよ?住んでんのもっと上の方だし」


 シルラはからかうように笑って僕の横を通り過ぎた。


「いやいや。気持ち大事やん。家にお邪魔すんねんから」


 ここは山の中腹のようで、門の向こうにも坂道が続いていた。そこいらで拾ってきたようなゴツゴツとした石が敷かれている。


「ふーん。真面目だなぁ」


 シルラは運の後を追うように山道を登りはじめた。僕はさらにその後ろを歩く。


 運は時折振り向いては僕らがついてきているか確認してくれていた。


 坂道の右手には川が流れている。ここが崑崙山なら、この川は弱水の上流にあたりそうだ。弱水は浮力の無い川で、龍に乗らないと溺れてしまうらしい。崑崙山に昇る者たちが龍に乗っているのは弱水を攻略するためだ。


「運様〜。ユリエルってこの辺に住んでませんでしたっけ?」


 シルラは息を切らしている。


「やかましい。俺がいっぺん歩いた道忘れるわけ無いやろ」


 木漏れ日が運の背を照らす。


 わざわざ歩いている理由は先の空間移動手段が使えないからだろう。


 頭上を覆う木々が時々妙な折れ方をしている。后羿が桃源郷をどのように移動して襲撃したのかは知らないが、対策の一環として簡単に移動できないようにしているのかもしれない。


「ねーねー。運様〜。俺、悩んでることがあるんですけどぉ……」


 シルラはまるでマラソンの最中に話をする者のようだった。運の歩く速さをどうにかして遅めたいのか、体力を削って会話を試みる。


「そうか。一生悩んどけ」


 運は全く相手にしない。裏表が無く誠実なのは良いことだが、これではシルラがあまりに哀れだった。


「まぁそう仰らずに……」


 シルラは無理をして話していたせいか、咳き込んで立ち止まった。


 その音を聞いて、運はさすがに歩を止めた。


「俺、宇宙世界げんせにAとBっていう好きな女型めがたがいるんですよ……。でも、Aのことが一番好きなんです」


 シルラはどうしても紫府前で僕にした話を運にも語りたいようだった。


 僕はシルラの三歩ほど後ろで立ち止まった。


「その女型は人間なんか?」


 運は背を向けたままだ。


 僕には運の質問の意図がわからなかった。


「いいえ……!それが、神なんですよ〜」


 シルラはようやく話を聞いてもらえたと思ったのか嬉しそうだった。


「ほなお前には無理やな。諦め」


 運は再び歩き出した。


「えっ。なんでですか……?」


 シルラは再び運の背を追った。

 シルラが運に殴りかかるとは思えなかったが、僕は不安な心地で二人の後を歩いた。


「そんなもん冷静に考えたらわかるやろ。女型のままを維持すんのは難しいねんから。それも宇宙世界げんせなんかで女型のままおれるんは護衛のおるええとこのお嬢さんくらいや。神は姿変えれんねんし、一般神いっぱんじんならとっくに男型おがたなっとるわ」


 鳥も鳴かない静かな山だから、運がため息をついたのは僕にもわかった。


 運の言葉は〝ええとこのお嬢さん〟がシルラを恋人に選ぶ確率の低さを暗に示していた。


 僕はシルラが怒り出さないか注視しつつ、話題を変えようと疑問を提起した。


「なぁなぁ。なんで神様は女型に生まれてもたいてい男型になるん?男型と女型ってつまり、人間で例えるなら男性と女性ってことやろ?ほな女型に生まれた神様はだいたい女型のままでおられへんのはなんで?」


 運は振り向くと、口をへの字に曲げた。


「それなぁ、けっこう難儀な話やねん。日本は平和な国やったし、子どもは知らん方が幸せな話やねんけど……。まぁ大雑把に説明するなら、一般的には男型の方が女型より力強いやろ?せやから、神はたいてい自分の身を守るために男型になんねん」


「ほな神様の社会では圧倒的に男型が多いってことか……」


 桃源郷に来てまだ二時間ほどしか経っていないが、確かに僕は一度も〝女型〟を見ていない。


「そーゆー事やな。女型のままでおるんはたいてい護衛おるような金持ちか、そもそも相当強いやつくらいやから」


「なるほどなぁ」


 運の述べた男型が増えるに至った経緯は僕にも理解できた。合理的だと思う反面、こうなるまで誰も対策してこなかったのかと考えさせられる話だった。


 とはいえ、他所の国の出来事にその国に住んでいるわけでもない僕が口出しをするのは余計なお世話だ。


 もちろん、だからといって目を背けていると自国でもいつか起こることかもしれない。


 けして考える事を放棄してはならないと祖母はよく言うが、それはある意味間違っていない。思考することは多くの場合人の内面を成長させるからだ。


 ただし、心がしんどくなるほど考え込むべきではない。中庸バランスは大切だ。


「おい、ユリエル。おんねんやろ?お前に用事あんねん」


 運は何十抱えもありそうな大木の前で突如立ち止まり、桃源語で話しかけた。


 しばらくしても返事はなかった。


 ここは月ではないが、吳剛ごごうの切る桂を想像させるほどにその木は巨大だった。もしかすると崑崙山にあるとされる建木かもしれない。


「おい。俺暇ちゃうねん。もう起きとるやろ。さっさと降りてこい……!」


 全く人に物を頼む態度ではない。


 運は樹齢何千年であろう老樹の幹に手を添えると簡単に揺らしはじめた。台風でもこれほど酷く揺さぶらないはずだ。黄色い葉が降る様子は雷雨のようだった。


 すると忽ち運とシルラの間に、野太い悲鳴と共に一人の男が落下してきた。


 真紅のローブに身を包んだ彼はフードを被ってはいるものの、全く受け身を取らなかったせいで顔から落ち葉に突っ伏していた。


 身の丈190㎝はありそうな彼の背には体の半分近い長さの紅い翼が生えている。


 レヴィが言っていたのは彼のことだろう。



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